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アソシ研リレーエッセイ

「落ち穂拾い」と現代の世界


 仕事を終えて帰宅したら、リビングのテーブルの上に、子どもが授業で使った世界史のプリントが散らかっていました。「19世紀の欧米文化①」というタイトルのそのプリントには、ジャン=フランソワ・ミレーの絵画「落穂拾い」(1857年)が印刷されています。

 落穂拾いとは、刈り入れの済んだ畑にこぼれ落ちた穂を貧しい農民が拾い集めることでした。旧約聖書にも「刈り入れのときは、畑の隅々まで刈り取ってはならない。落ち穂を拾ってはいけない。貧しい人や土地を持たない在留外国人のために残しておきなさい」(レビ記23章22節)とあり、富の独占を戒めています。旧約聖書の時代には貧しい人々の最低限の生活手段を保証するもので、この習慣はミレーの時代にも続いていました。

 落穂を拾う農民を描いた作品は他にもありましたが、ミレーの「落穂拾い」は貧しい農民のリアルな姿が表現されていたので、保守的な批評家たちから貧民のイメージで社会不安を煽るものとして批判されたのです。19世紀のヨーロッパは産業革命の進展により、貧富の差の拡大や失業など様々な社会問題が起き、それを解決するために社会主義思想が台頭しました。

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 そんな中、1848年にマルクスとエンゲルスは『共産党宣言』を発表し、社会主義実現のために労働者階級の団結を呼びかけたのです。同じ年にフランスでは、君主ルイ=フィリップが金融資本家・大資本家を保護する政策を進め、これに反感を持った民衆の怒りは爆発し、二月革命が起こります。

 この革命でフランスは共和制になりましたが、政府内の対立や市民と労働者の利害対立で混乱し、その四年後にはまた帝政になり、金融経済と産業資本主義を発展させていきます。

 こういう背景があったので、ミレーが「落穂拾い」を発表した時、彼自身は政治的な主張をするつもりはなかったのですが、富裕層からは社会主義的な思想が込められているとみられ、受け入れられませんでした。彼らはまた階級闘争が起こることを懸念したのです。

 翻って現在から見て、マルクスの説いた「資本家vs.労働者」という図式にもう意味はないのでしょうか。そんなことはないと思います。

 1980年代から世界中で進められてきた新自由主義政策・緊縮政策によって社会保障や福祉への予算は削減され、経済が停滞して失業する人や低賃金で働く非正規雇用の人が増加しました。本来これを批判してきた社会民主主義やリベラル、中道左派もどちらかと言うと企業に有利な政策を進めたため、一部の大企業や富裕層とそれ以外の大多数の人々の貧富の差がますます拡大することになりました。そして「仕事がないのは移民が仕事を奪っているからだ」と主張する極右政党が台頭し、排外主義やナショナリズムが高まっています。

 こう見ると、現在の経済はマルクスの頃に近づいていると言えます。確かに、21世紀の経済の仕組みは当時より複雑になっており、マルクスがイメージしたのと同じ形の資本家と労働者は存在していません。ですが現在問題になっているのは、富を独占する政治や経済システムなのであり、本質的なところではマルクスの時代と変わっていないのです。なので、政治や経済を考える時、「階級」という概念は現在でも有効なのです。

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 さて、このような社会の流れの中、欧米ではフランスの黄色いベスト運動、スペインのポデモス、ジェレミー・コービン率いるイギリスの労働党やアメリカのアレクサンドリア・オカシオ=コルテスらのサンダース派など、反新自由主義・反緊縮を政策に掲げる政治運動が盛んになっています。若い人たちも、SNSやコミュニティを通してこの運動に参加しています。

 日本でも「薔薇マーク運動」という反緊縮の運動が始まっています。反緊縮政策の実行で、問題のすべてが解決される保証はありません。しかし、なんとかそれを実現しようと努めている政治勢力に民衆の支持は集まっています。

 この民衆の信頼があってこそ現状を変えていくことができるのです。

                                  (河村明美:㈱よつ葉ホームデリバリー京都南)



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