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市民環境研究所から

改めて科学の社会的責任を問う


 酷暑のせいか紅葉は例年になく色合いが悪いが、そんな秋の日曜日に京大の大学祭に出かけた。参加したのは講演会「ここがダメだよ京都大学――京大から「大学」の今を考える」。こんなテーマの集会を250人も入れる大講義室でやるというから、それは無謀だと思い、“枯れ木も山の賑わい”と思っての参加である。

 京大を去って16年の間に大学は大きく様変わりした。国立大学法人となり、大学の機構は大きく変わったし、学生の生き方も大きく変わったから、大学への期待は薄れているが、大学の中からの問題提起を聞きたいと出かけた。京大でこの数年間も議論されている吉田寮の改築と立ち退き問題や、大学内外からの批判を押し退けて大学当局が進めてきた立て看の撤去事件もある。いずれも学生からの反対を押し退け、当局の強硬突破方針だけが目立つと市民には思える事案である。

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 まず、吉田寮問題とは、建物が古いことや木造であることも問題だろうが、大学当局にとって問題なのは学生の自主管理体制がのさばっていることである。大学の悲願である寮自治会解体を目指すものなら、そう言えばいいのに、老朽化対策などと言うから話は進まない。老朽化した建物を解体して新棟を建設する時には、学部や教授会以外の組織が歴史の中で獲得してきた既得権をないものにするのが大学当局が常に目指すところである。

 かつて筆者が京大の現役助手であったとき、新棟建設の過程として仮校舎に移転することが決められたが、助手グループで結成していた研究グループの溜り場をなくそうと教授会が密かに決めていた。もちろん予測していたから、仮校舎の一角の床にチョークで部屋の輪郭を書き、そこに壁を作り、グループの活動部屋にしてくれるなら移転を承諾すると言って戦ったものだ。

 その後も同じようなことが他学部でもあった。大学当局というのはいつも同じ手法を使ってくるものである。その上に、学校法人となってからは文部科学省の意向を汲み取ることばかりに気を取られている執行部の考えることは、学生との話し合いはせず、通知か通達で全て終わってしまい、それに背く学生には処分か告訴である。もはや教育の現場での振る舞いとは程遠い。

 「立て看の強制撤去」も話し合いなどない。学生だけではなく、市民からも批判が出ているが、それに対する回答も当然しない。筆者が1970年代の中頃から主宰して続けている「農薬ゼミ」という自主ゼミナールの宣伝立て看も撤去されてしまい、学内に立て看を出せるのは大学公認団体だけだという。さらに、このような自主ゼミにはゼミ室も使用させないと言う。

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 科学とは既存の学問分野から乖離した分野を模索する研究者の自主的活動から出発するものだろう。今では「環境なんとか研究室」がいっぱいできた京大だが、50年前には「公害や環境など科学ではない」と切り捨てたものだ。その分野の重要性をいち早く察知し、活動したのは自主ゼミであった。当時の大学は今よりはまだましであり、自主ゼミにもゼミ室の使用を了承していた。今の大学は新しい人々の動きを引き出し、育てるものではないようである。

 心を開いて弱い者、力のない者と語り合い、新しい地平を開こうと思えば、自らの存在と他者との関係を自分たちで治めることの重要性を自覚するはずである。それが大学の自治であろう。そのどれも喪失した今の京大を見ていると、大学とはどんな存在でなければならないかと言う問いを持つことさえ忘れた大多数の教員と学生は、当局のなせることにイエスともノーとも言わないのが科学者だと想っているのだろう。かくして、大学から国家や社会や科学のありさまを憂える発言は出ないことが学問の中立性を保つのだと恥ずかしげもなく公言する科学者の寄り合い所帯に成り下がった。

 かつては大学周辺の住民は大学祭のプログラムを開き、普段では聞けない講演会を見つけて1年に1回だけ大学構内に入るのを楽しみにしていたものだが、今や大学祭に期待する市民はいない。ただ昔と同じなのは、11月祭になれば構内のイチョウが鮮やかな黄色になることだけである。

                                                 (石田紀郎:市民環境研究所)



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