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よつばの学校 全職員むけ講座 報告

有機農業を通
じた持続可能な地域づくり
㈲山口農園、山口貴義
さんのお話

 関西よつ葉連絡会の職員研修として、事業活動に込めた問題意識を次世代に継承していくことを課題とする「よつばの学校」。当研究所は今期も「想いを形に、理念を事業に」というテーマで企画を担当しました。今回お話をお願いしたのは、奈良県宇陀市にある㈲山口農園の代表取締役社長、山口貴義さん。過疎化する中山間地を拠点に、持続可能な農業としての有機農業を通じて持続可能な地域づくりをめざして活動を継続されています。以下、お話の概要を紹介します。(まとめ・文責:山口協[当研究所代表])


農業に正解はない

 山口農園は奈良県の宇陀市にあります。中山間地なので耕地面積も狭いです。平地だと田圃の一枚が一反(約10アール)と言われたりしますが、私たちの地域では3畝から4畝(10畝=1反)と狭いため、効率の悪い農業しかできません。

 私自身は大和郡山市の出身で街育ち、実家も農家ではありません。1972年に生まれ、2005年に会社組織として山口農園を立ち上げるまでさまざまな仕事に就きましたが、農業とはまったく縁がありませんでした。会社を立ち上げる直前は奈良県庁に勤めていました。

 そんな私が農業に携わるようになった理由は、要するに妻の実家だったからです。辺鄙な田舎なので、地域の若者はほとんど大阪などへ出て行ってしまい、農業の後継者がいなくなって地域の農地も守れないような状況になっていました。そこで、妻のお父さん、つまり義父から「地域の農業を持続させるために会社を設立するので協力してほしい」と誘われたわけです。

 さて、2005年に会社を設立したものの、最初は従業員は家族だけでした。設立してからも決して順調ではなく、本当にいろいろなことがありましたが、いまは家族以外の従業員がずいぶん増えました。山口農園の特徴は、私も含めて農家出身者がいないということです。もともと別の仕事をしていてハローワークや求人広告を通じて来る人がほとんどなので、いわゆる生産法人のように農家が集まってできたような会社ではありません。いわばド素人の集まりです。もともと大工だったとか、電気屋・水道屋だったとか、デザインの仕事をしていたとか、多彩な人間が集まってきています。ちなみに、本社の社屋はログハウスですが、すべて社員で建てました。

 だからというわけではありませんが、私が常に思っているのは「農業に正解はない」ということです。つまり、山口農園でやっている農業のやり方が絶対正しいということではなく、あくまでも私の地域で有機農業を継続していこうとしたときにこういう形になった、そうしなければこの地域で農業を継続していくことができなかったということでご理解いただければと思います。


農業でしたい3つのこと

 山口農園は単に野菜をつくって販売するだけではなく、経営理念を持ってやっています。それを次のように6つの社訓として示し、毎朝朝礼の時に復唱しています。

 「1.安全・安心な農産物生産農園、1.自然の恵みを利用し真心のこもった美味しい野菜を作る農園、1.常に可能性を追求する農園、1.時代のニーズに対応する農園、1.地域や消費者に信頼される農園、1.笑顔のあふれる農園」
 ■山口貴義さん

 これをさらにまとめると、以下の3点になります。要するに農業で何をしたいのか、ということです。

 一つは地域の活性化です。会社を設立したのも、地域を守るためにはどうしたらよいか、考えた上でのことです。実際、会社を設立した15年ほど前は、同じ地区の中に農家が20数軒ありました。それが今年は1軒になってしまい、その1軒も「もう無理や。今年の稲刈りが終わったら、後は頼むわ」ということで、来年から預かることになりました。つまり、農家はなくなってしまったわけです。そんな状況の中で、預かった農地を守り、生かす手段として農業を位置づけています。

 もう一つは有機農業で環境を保全し、未来を守るということです。農薬を使うと土の中の微生物を殺してしまいます。それを繰り返せば、やがて植物のできない土地になるでしょう。私たちの時代は大丈夫でも、未来の世代が住めない環境にしてしまう恐れがあります。それでいいのか、ということです。有機農業は生産者と消費者にとっての安全のためでもありますが、それだけではなく、地球環境を守るための一つの手段として位置づけています。

 3つ目は新規参入者を増やしたいということです。残念ながら、これまで若い人にとって農業は魅力を感じられず、その結果、高齢化が進み、地域の存続が危うい状況になってきました。逆に、若い人でも魅力を感じる農業が実現できれば、地域も活性化するわけです。山口農園としては、農業を若い人が魅力を感じられるものにしたいと思っています。


生態系全体の循環を促す農業

 山口農園では基本的にビニールハウスで野菜を作っています。もちろん安定した出荷のためでもありますが、近隣からの農薬の飛散を防いだり、酸性雨などの影響を根本的に防ぐ目的もあって、すべてハウスで生産して出荷しています。

 栽培規模は全体で10ヘクタール、ハウスは165棟で、小松菜、ほうれん草、水菜、ベビーリーフ、ハーブなど葉物野菜をつくっています。従業員は55名ですが、後で触れる農業学校を運営しているので、その定員15名を合わせて、農園には毎日60名以上が賑やかに働いています。

 農業生産に関して、山口農園には「①食べて安全安心なものを提供する、②地球環境に配慮した自然循環型有機農業を広める、③若い人が参入できる農業組織をつくる」という3つのコンセプトがあります。それぞれ具体的に紹介します。

 ①については、農薬や化学肥料をまったく使わない有機農業です。野菜本来の味は土で決まると思っており、土づくりに一生懸命取り組んでいます。

 お世話になっている出荷先は、よつ葉さんをはじめ全国のスーパーや百貨店、それからオーガニック系の飲食店。最近はとくに問い合わせが多いです。ここ数年で、普通のスーパーでも有機野菜のコーナーを設けるところが急激に増えました。その背景として、2011年の原発事故によって人々の意識が変わったことがあるのではないかと思います。

 ②についても、やはり土づくりということです。私は有機農業とは、生態系の一番底つまり微生物の世界を大事にし、活性化させることで生態系全体が循環するよう促すものだと考えています。微生物は栄養分を分解して野菜が吸収しやすくしてくれます。だから、微生物がたくさんいれば、わざわざ化成肥料を与えなくても野菜に栄養が行き渡り、丈夫でおいしい野菜ができるわけです。

 逆に、化成肥料ばかりを与えていると丈夫な野菜が育たず、薬が必要になります。でも、薬を施せば微生物が死滅して土の健康が損なわれます。こうした悪循環が続けば、やがては植物が育たない土になってしまうでしょう。そうならないように、微生物を活性化させて健康な土を作るような農業をしなければいけないと思っています。


若い人に魅力のある農業とは

 ③について、いま日本では専業農家で生活を立てるのは難しくなっています。30~40年前は500万人ぐらいいた就農人口も、いまでは150~160万人ぐらいになっています。逆に就農者の平均年齢は右肩上がりで、若い人が入ってきません。その結果、全国の耕作放棄地は滋賀県と同じくらいの42万ヘクタールといわれています。

 この状況をどうするか。どうすれば、若い人にとって農業を魅力あるものにできるのか。実際、私は義父から会社設立に協力してほしいと言われ、勤めていた県庁を辞めて参加したわけですが、その際には反対する妻との間で激論になりました。「安定した勤めを捨てて冒険するなんて!」というわけです。

 当時、私はサラリーマンをしながら義父の農業を手伝うこともありましたが、常に感じたのは「農業ってシンドイな」ということです。義父はもともと有機農業、というよりは昔ながらの農薬を使わない農業をやっていました。だから、作業の大部分は草刈りです。毎日朝から晩までかかっても、夏場などは追いつきません。ところが、販売は近くの直売所や市場にそのまま卸すだけです。手間がかかる割に、慣行農業でつくる普通の野菜と値段は変わりません。そんなこんなも含めて「シンドイな」と感じていたわけです。

 しかし、その一方で、私はそれまでの仕事の経験から、農業には可能性があるとも感じました。というのは、たとえば100円のほうれん草があるとして、種を播いて生育する過程を考えると、かかるのはほとんど人件費なんです。単純に考えて、従来は10時間で100円のほうれん草を作っていたとしたら、同じものが7時間でできれば利益は30円増えます。だから、農業はやり方次第で利益が出るのではないかと考えたわけです。

 それまでの家族農業だと、朝から晩まで家族総出で作業も1から10までやっていました。生活と仕事が一体であるだけに、仕事の効率化については重視されていなかったと思います。生活と仕事を分けて、それぞれが別の作業をすればもっと楽になるし、若い人も入ってくるのではないかと考えました。そこで義父の了承を得てはじめたのが2005年です。


完全分業制で効率を高める

 当時はいろいろあって、必ずしも当初の考えどおりに進んだわけではありませんが、現在では7つの部署(加工部、生産部、収穫部、調整部、営業販売部、教育部、総務部)による完全分業システムをとっています。

 生産部では、生産の回転率を上げるために栽培品目の集中を行っています。会社化するまでは年間50種類以上いろいろな野菜をつくっていましたが、現在は10種類、しかも葉物に集約しました。なぜ葉物だけかといえば、回転が早いからです。葉物野菜は播種から累積温度で700~750度になると収穫に至ります。日数にすると25日前後です。一般の農家でも年間で3.5回転ぐらいはしていますが、栽培品目を集中して生産効率を上げれば、さらに何回転もつくることができます。
 ■山口農園の所在

 一般に有機農業はリスクが高いと言われ、「病気や虫害で全滅したらどうするの?」と訊かれたりもしますが、回転率を上げることができれば、仮に一回失敗してもカバーできる可能性が高まります。

 ちなみに、山口農園では年間だいたい5~6回転しています。会社化する前だと、端境期などは人手が要らないので、パートさんを断ったりしていましたが、そうすると、いざ人手が要る時に確保できないことがありました。でも、葉物野菜は周年栽培ができるので、葉物に特化することでパートさんも周年雇用できるようになり、結果として人手の確保も容易になりました。

 栽培方法も特色があると思います。山口農園では端から端まで絨毯のように、足の踏み場もないぐらい密植します。畝を立てる通常のやり方に比べると、収量は1.3倍から1.5倍くらいになります。種も季節に合わせ、基本は早生のものを使います。それによって、回転率でも通常の1.5倍くらいになります。そのように生産効率を上げることでリスクヘッジをしているわけです。

 水やりはスプリンクラーを使わず、ハウスの側面に延ばしたパイプからミスト状に散水するサイド冠水をしています。それによって散水のムラをなくし、均等に発芽するようにしています。

 堆肥は自家製で、基本的に牛糞をベースにしています。牧場で半年以上寝かした牛糞をもらってきて堆肥場に落とし、そこに米ぬかなどを入れて攪拌します。かなり温度が上がりますが、3週間ほど寝かせます。その後、別のピットに移してさらに同じ手を加えます。再び温度が上がり、堆肥の色が鮮やかな黒色に変わります。こうして、ようやく畑に施肥します。
 ■山深い山口農園の情景

 ただし、普通は作物が生育する過程で追肥を行いますが、うちは播種の前に施肥した後は何もしません。後は水の管理だけで、そのまま野菜が育っていきます。じゅうぶん寝かせた堆肥によって微生物が活性化し、土がどんどん元気になっていくからだと思っています。


農業でも生計が立てられるように

 作物の収穫は収穫部が行います。以前は家族全員で朝早くに起きて収穫していましたが、収穫部をつくったことで、収穫部の職員だけが早朝に出勤して収穫し、ほかの部署の職員は通常の時間に出勤すればいいというシステムができました。農業がシンドイという理由の一つに拘束時間が長いということがあると思いますが、分業化することで拘束時間を短縮することができたわけです。

 収穫のやり方は、とにかく端から根こそぎ収穫していきます。だいたい収穫適期から3日以内を目途にしています。というのも、出荷用の野菜袋の大きさは決まっているので、収穫が遅れると適寸を超えてしまうからです。
 ■堆肥づくりの作業

 ちなみに、山口農園は受注生産で、営業部を通じて受注した数量に合わせて播種しています。普通の農家は、自分なりの栽培計画に基づいて播種したり、天気に合わせて作業の段取りを組んだりすると思いますが、そうなるとどうしても効率面でロスが出たりします。そうならないように、受注した数量に合わせて計画どおりに播種します。一棟のハウスで1500~2000袋ぐらい出荷できる計算なので、それを3日ほどで収穫し尽くせるような種の播き方をしています。

 収穫した作物の袋詰め作業は調整部が担当します。以前は、夏場だと屋外でへとへとになるまで作業した後、そのまま続けられないので家に戻って休憩し、ようやく夕方になって袋詰めをするパターンでした。そうなると集中力がなくなって、虫や虫の卵などを見逃しがちになり、出荷先からクレームをもらったりしました。しかし、分業化することによって、調整部は出勤した段階から万全の態勢で夕方まで袋詰めすることができます。実際、作業はより専門的になり、品質の向上にもつながりました。

 このように完全分業システムにしたことで、イメージとしては工場が常に100%稼働しているような状態になりました。家族でやっていた頃は日常生活との境目が曖昧なので、その分だけ時間のロスもありましたが、分業化することでロスがなくなったことはたしかです。その結果、農業でもじゅうぶん生計が立てられる状況になりました。


農業は地域あってのもの

 その一方で、農業というのは地域あってのものです。単体では成立しません。だから、地域との関係が重要なポイントになります。たとえば、水一つとっても水利権があります。田圃でも畑でも、水を引く順番があって、自由に水を引っ張ることはできません。地域に嫌われれば、水が使えないことになります。また、農作業で使う農道も地域でお金や労力を出し合ってつくったものなので、地域に嫌われると通ることができません。

 そこで、山口農園では地域に役立つものとして、防災組織をつくって訓練することをはじめました。もっとも、自分たちだけがやっても浮いてしまうので、役所に一枚噛んでもらい、山口農園と役所と地域で「自主防災協定」をつくり、それまで地域の人が必要だと思いながらもなかなかできなかった消火訓練などを行うようになりました。それと合わせて、地域のハザードマップをつくりましたが、その作業を通じて地域の事情がよく分かるようになりました。ほかにも、地域の高齢世帯については、うちの社員で担当を決めて電話番号を交換しています。「何かあったら連絡ください」ということです。そんなこんなで、できるだけ地域と一緒にやっていこうと試みています。

 先ほど触れましたが、会社を設立してからも地域の耕作放棄地は増え続けていました。高齢化で農業を止める人が増えていくからです。そんな中、土地を管理してほしいという依頼も増え、地域から要請があれば会社として受けるようにしていきました。ただ、皆さん土地を手放すのは抵抗があるので、農業委員会に仲に立ってもらい、利用権を設定した上で借りるようにしています。「草刈りさえしてくれれば、賃料は要らない」という方もいますが、正式に利用権を設定し、借地料を支払っています。それが地域との信頼関係にもつながると思っています。


アグリスクールを設立する

 増え続ける耕作放棄地を次々と借りて、管理できるのか、と思われるかもしれません。実は、山口農園では2010年に「オーガニックアグリスクールNARA」(以下、アグリスクールと略)という学校を立ち上げました。厚労省管轄の公共職業訓練という枠組みの中で、奈良県が実施する職業訓練の「農業科」を請け負う形です。ここの学生のための実習圃場として、お借りした耕作放棄地を活用しています。
 ■根こそぎ収穫する収穫部

 というのも、有機JAS認証がなかった圃場で認証を取るには有機栽培を2年間したという実績が必要ですが、借りた農地で学生が2年間有機栽培の実習を行うことで、その実績ができます。学生も助かるし僕らも助かる、地主さんも助かるわけです。

 これに関連して、廃業される農家からハウスの撤去依頼もありますが、うちでは撤去したハウスを持って帰って再利用します。学生のカリキュラムでハウスの建築実習も設定しており、学生と一緒に実際にハウスを建てます。依頼主も助かるし、学生は実習ができ、こちらは人手も費用も助かります。

 ちなみに、100メートルほどのハウスを一本建てるには、新品で200万円ぐらいかかります。半分以上は建築業者の手間賃です。でも、自分たちでやれば100万円もかからないし、再利用ならタダ同然です。就農してすぐに大きな売り上げが見込めない新規就農者にとっては、経費をいかに削減するかは死活問題です。自前でハウスを建てられる技術を習得するのは、とても重要です。


新規就農者をグループ化する

 しかし、アグリスクールを卒業しても有機農業で独立できる人はなかなかいませんでした。定員は15人で学期は半年、1年に2期(4月~9月、10月~3月)あります。皆さん有機農業を目指して入学されますが、半年後に有機農業をやろうとする人は1人いるかいないかです。理想と現実とのギャップに直面するんでしょう。ほとんど残りません。

 そうした中でも残った人には、研修生としてさらに2年間、実習を続けるシステムがあります。研修生には、個人に対して国が150万円を7年間支給する「農業次世代人材投資事業」という農水省の制度が適用されます。うちの社員にも、この研修生出身が何人もいます。
  ■アグリスクールの実習風景

 また、研修生の2年を経て、改めて独立を希望する人もいます。そうした人たちを支援する方法を考え、2013年に「山口農園グループ」という枠組みをつくりました。グループに入るメリットとしては、まず、うちが預かっている農地を有機JAS認証が取れる状態で、無償で譲ります。普通は何の伝手もない新規就農者が農地を借りようとしても、なかなか貸してくれません。でも、うちが預かっている農地なら、地主さんの了承を得るのも簡単です。

 新規就農者に対しては、たとえば事業費の3割を補填してくれる「経営体育成支援事業」など、行政からの支援もあります。ただし、これは当該地域で中心的な経営体(農家)として認められた場合に適用されるという条件があります。いくらやる気があっても、新規就農者が最初から地域で認められることはありませんが、アグリスクールの卒業生だと口添えすれば、積極的に対応してもらえます。その結果、卒業生はいろいろな行政の支援を受けやすくなるわけです。

 さらに、やはり新規就農者にとって大きな問題はつくった野菜の販路ですが、これについてもグループに入れば山口農園の販路に乗せることができます。言い換えると、つくる側はつくることに専念し、いい野菜をつくることができるし、山口農園としては有機農業を広げ、地域の就農者を増やすことができるわけです。

 現在までで10人がグループに参加しましたが、辞めた人はいないので、新規就農で独立可能なモデルができたのではないかと思います。結果として、うちの地区の耕作放棄地もゼロになりました。


有機農業の裾野を広げる

 とはいえ、有機農業で野菜をつくったり、有機農業でやっていける仕組みをつくるのも重要ですが、有機農業の認知度を上げていかないと、裾野は広がりません。いまでは有機農業という言葉こそ使われていますが、その中身を知っている人は多くありません。有機農業の中身を広めていくことも、私たち生産者の仕事ではないかと思うようになりました。

 そこで取り組んでいるのが、一つはアグリスクールで販売実習というカリキュラムを設定し、各種のイベントや地域のお祭りなどへの出店です。うちで採れた野菜や加工品などを販売しながら、有機農業をアピールします。

 また、消費者向けに収穫体験のイベントを開いたり、地域の子どもに地元の野菜を食べてもらう取り組みもしています。学校で野菜の講座を開催したり、うちの野菜を使った料理を食べてもらったりしています。子どもが家に帰って家族に話をすることで、有機野菜や有機農業に興味を持つきっかけができると期待しています。

 視察の受け入れも積極的にしています。日本各地だけでなく、最近では海外からも来られます。とくに韓国の方が多いですが、韓国には農業の先進的な取り組みの視察に対して、政府が経費を支援する仕組みがあるそうです。もちろん、今回のように各地でお話しする機会、出展する機会があれば、積極的に出向くようにしています。

 こうした取り組みの結果として、地域でも「山口農園=有機農業」という認知が進んできました。それこそ、はじめた頃は地域の方から「なんで薬を使わんねん、虫が寄ってくるやんか!」と怒られるような状況でしたが、有機農業というものがだんだん認められるようになったと思います。

 このように山口農園が存続し、地域で認められた原動力は、やはり職員一人一人のおかげだと思います。会社の事業の基礎になっているのは、やはり人間です。いくら有機農業を広めようと思っても、土台がしっかりしていなければできません。その意味では、野菜を育てること以上に、人を育てるのは難しいと思っています。


今後の展望:3つのビジョン

 最後に、今後のビジョンについてお話しします。短期、中期、長期と3つあります。

 短期は「販売会社の立ち上げ」です。おかげさまで山口農園グループも人がたくさん増えてきましたが、同時に事務作業などが追いつかない状態になってきています。そのため、山口農園グループ事務局の独立化を考えています。

 また、自分たちで生産した野菜だけでなく、地域の特産品を扱うとか、コラボ商品などを考えてネット販売を試みるとか、いろんな模索していかないと、地域を守っていけないのではないかと思っています。そうした試みを行うための販売会社を作るというのが一つです。

 中期ビジョンですが、山口農園グループは現在、奈良と京都にしか生産者がいません。これを全国的に広めて、有機野菜の全国産地リレーができるぐらいのグループ化をしたいと考えています。季節に左右されない強い組織をつくると同時に、有機農業を全国的に拡大する足がかりになると思っています。

 長期的には、東南アジアで現地法人の立ち上げを考えています。日本はこれから人口減と少子高齢化が続くと言われていますが、世界では逆に人口が増え、むしろ食糧難になるとも言われています。そうした中で世界にも目を向け、有機農業を普及させていく必要があるのではないかと考えています。


質疑応答:営農形態の転換をめぐって

 【質問】従来の伝統的な家族農業から会社組織に転換し、運営していくには大きなハードルがあったと思います。そのあたりを教えて下さい。

 【山口さん】家業を企業にする、会社組織の形をつくることに関しては、相当大きなハードルがありました。山口農園の場合は、地域がどんどん過疎化し、耕作放棄地が広がっていく中で、会社化して人に来てもらわなければ農業を続けていけない、待ったなしの状況でした。

 ところが、家族の中で他所の人を入れることに納得できなかったり、家族でやっていた時の流儀と会社としての流儀とが咬み合わなかったり、地域にも他所から何人もの人が村の中に入ってくることに拒絶反応があったりしました。ハローワークなどを通じて面接に来られた方に対して、家族が勝手に断ってしまったこともあります。農業以前の段階で思うようにならないことがいくつもありました。

 そのため、会社化した際に私と同じように脱サラして参加した妻の妹の夫つまり義弟も、嫌気がさして3ヶ月で辞めてしまいました。私自身も立ち上げて4年目で、「こんな状態なら、もとの家族農業に戻した方が家族にとっても地域にとってもいいのではないか」と考え、会社を辞めて勤めに出ています。その後、大阪で3年働いて再び戻ってくるわけですが、家族や地域に受け入れられるまでに何年もかかったという経緯があります。


質疑応答:有機農業の技術をめぐって

 【質問】山口農園の皆さんはいずれも元は素人で、農家出身の人はいないとのことでしたが、どのようにして技術を習得されたのでしょうか。病気や連作障害をどう防いでいるか、牛糞堆肥の扱いなどについてもお聞かせ下さい。

 【山口さん】うちでやっている農業は、極めてシンプルです。基本的に堆肥をつくって播種の前に施肥するだけなので、複雑な技術は何もありません。そのぶん重要になってくるのが水やりの時期と加減、ハウスの風通しなどですが、それも畑の場所や土の状況などによってそれぞれ異なってきます。つまり、やることは単純ですが、いかに野菜の状況に気を配るかがポイントになっていると思います。

 病気対策については、基本的にはマルチを使った太陽熱消毒をしています。連作障害については、水菜、小松菜、チンゲン菜などアブラナ科を栽培した後にはアカザ科のほうれん草を植え、ほうれん草の後にはキク科の春菊を植えるといったように、科目を変えて輪作する形で対応しています。

 給水については、ハウスなので雨水は使えず、川や水路だと農薬が混入する可能性があります。そこで、農地を借りる際に一緒に水源がある土地も借りたり、なければ井戸を掘ったりしています。

 堆肥については、細かい成分分析までしていません。基本的には、これまでの経験を実証例としています。というのも、うちの圃場は畑の枚数もたくさんあるし、それぞれ日当たりや土壌環境なども異なります。それぞれの状況を見ながら、たとえば鶏糞堆肥を加えたり、剪定で出た枝などをチップにして燻炭をつくって混ぜたり、いろいろ工夫しています。




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