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市民環境研究所から

原発事故の被害者は誰一人納得しない


 酷暑ながら夜分は涼しくなった9月19日の早朝、新幹線で東京に向った。福島原発事故の責任を問う刑事裁判の判決を聴くためである。2011年3月11日、大地震によって発生した大津波に襲われて福島第1原発は崩壊した。その放射能汚染の刑事責任を東電の旧経営陣3名に問う裁判である。

 東京地方裁判所の前では800人を超す傍聴希望者が裁判所前を埋め尽くし、東電刑事裁判の横断幕を持った支援団の団長、武藤類子さんらが立っている。その顔は緊張しているが、よい判決を期待する穏やかさである。11時過ぎから傍聴券の抽選札をもらい、当選者発表を待つ。これまで当たったことはないから今日も、と予想した通りの結果だった。

 ふと一枚の張り紙が目に入った。それには「本日の傍聴席の割り振り」が書かれていた。なんと、全傍聴席88席のうち、報道関係者席に45席、一般傍聴者席には43席と書いてあった。今日の判決は世界の注目を集めているからそれなりの報道席は必要だろうが、半分以上を割り当てるとはどういうことか。係員に尋ねたら、裁判長の決定事項だという。

 この裁判法廷をいつも満席にしてきたのは、全国から来た支援団メンバーである。告訴したが受け入れられず、検察審査会でも2度も拒否され、3度目に採択され、やっと強制起訴裁判になった。そして福島被災者や全国の仲間がこの日の有罪判決を待っていた。毎回の法廷で傍聴席を満席にしてきた告訴人の闘い、この苦難の過程を一顧だにしない裁判長の席割りである。

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 判決の嫌な予想をしながら食事を済ませ、裁判所前で判決を待った。「全員無罪 不当判決」と書かれた紙を持って2人の女性が呆然と立っていた。取り巻く人々の声も出ない。報道陣のカメラシャッター音だけが聞こえる。法廷の中の検事役の弁護士や告訴団関係者はどうしているのだろうかと思い巡らした。

 開催された判決報告会は急遽「判決抗議集会」に変わり、福島の放射能避難者からの怒りの発言が続いた。「何年経っても元の生活に戻れなくなっている人が何万人といるのに、その原因を作った東電の責任者にはなんの責任もなく、何の罰も与えられないのか。一体、この惨状の責任者は誰なのでしょうか」と。

 当日発表された裁判長・長渕健一による「判決要旨」の「結語」は以下のようである。

 「本件事故の結果は誠に重大で取り返しのつかないものであることはいうまでもない。そして、自然現象を相手にする以上、正確な予知、予測などできないことも、また明らかである。このことから、自然現象に起因する重大事故の可能性が一応の科学的根拠をもって示された以上、何よりも安全性確保を最優先し、事故発生の可能性がゼロないし限りなくゼロに近くなるように、必要な結果回避措置を直ちに講じるということも、社会の選択肢として考えられないわけではない。

 しかしながら、……少なくとも本件地震発生前までの時点においては、賛否はあり得たにせよ、当時の社会通念の反映であるはずの法令上の規制やそれを受けた国の指針、審査基準等の在り方は、上記のような絶対的安全性の確保までを前提としてはいなかったとみざるを得ない。

 確かに、被告人ら3名は、本件事故発生当時、東京電力の取締役等という責任を伴う立場にあったが、そのような立場にあったからといって、発生した事故について、上記のような法令上の規制等の枠組みを超えて、結果回避義務を課すに相応しい予見可能性の有無に関わらず、当然に刑事責任を負うということにはならない。……被告人らに対し刑事訴訟法336条によりいずれも無罪の言渡しをする。」

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 この判決文の結論は到底納得できるものではない。重大な事故を起こした東電の最高責任者たちには何の罪もないと言えるとは。団長の武藤類子さんは「この判決は、もっとも責任を取るべき人の責任を曖昧にし、二度と同じような事故が起きないように反省し、社会を変えていくことを阻むものだと思います。福島県民をはじめ、原発事故の被害者は誰一人この判決に納得していないと思います」と批判した。筆者も帰洛の車中で休めなかった。

                                             (石田紀郎:市民環境研究所)



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