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若狭の原発・現地研修ツアー 報告

貫工事の高浜原発と
古刹・明通寺
を訪れて

 関西よつ葉連絡会の研修部会は、各地域の配送センターや生産現場、企画・制作などの場で働く職員が集まり、年間の研修計画を立てて活動を続けています。今回、研修部会の体験交流の一環として、私たちが日々使用する電気の源である福井県若狭湾沿岸部を訪問し、短い時間でしたが「原発銀座」の現実に触れることができました。以下、報告します。


原発問題と私たち

 私たちにとって、原発問題が一気に切実なこととして迫ってきたのは、2011年の東京電力福島第一原発事故でした。福島方面の生産者とのおつきあいは多くはありませんでしたが、それでも農・海産物を通じて、放射能汚染は深刻な影響を私たちに投げかけました。紙面の都合で詳しくは書けませんが、扱うか扱わないか、食べるか食べないか、どのような協力ができるかなど、さまざまな葛藤の中で、それぞれが悩んだと思います。

 一方で、原発や放射能が私たちに問題として降りかかったのは、それが最初ではありませんでした。車中、関西よつ葉連絡会事務局の下村俊彦さんが報告されましたが、1986年4月のチェルノブイリ原発事故がありました。爆発した原子炉から放出された放射能は当時のソ連からヨーロッパ、そして日本にも降り注ぎ、大地を汚染しました。よつ葉連絡会の名のとおり、私たちの活動は北海道のよつ葉牛乳の共同購入から始まったのですが、その牛乳からも放射能が検出されました。測定をしていただいたのは京大原子炉実験所の今中哲二さんです。さまざまな葛藤と議論を経て、私たちは放射能汚染の実態(数値)を公表し、会員と共有し、共に悩み、共に怒り、共に考え、行動する道を選びました。

 また同じ頃、中部電力の原発建設予定地である三重県の芦浜では、原発に反対して活動する漁師の一人、阪口和郎さんと知り合い、当時は名古屋大学の河田昌東さんの助言を受け、講習会やデモだけではない原発反対運動の新しい流れをつくろうと、鮮魚や干物の産直での取り扱いを始めました。

 安全な食べものを求める関西よつ葉連絡会の運動は、そのときどきに様々な社会問題にぶつかり、それと格闘しながら続けてきたと言えると思います。その中で原発問題は大きな比重を占めてきました。

 福島原発の悲惨な事故にもかかわらず、国や電力会社は原発依存を続け、さらに危険な老朽原発を再稼働させようとしています。私たちは若狭で発電された電力の消費者として、この動きをしっかり見ておく必要があります。今回の研修ツアーは、そうした問題意識をもって行われました。


講師の紹介

 ツアーに同行していただいたのは、「若狭の原発を考える会」の木原壯林さん。旧日本原子力研究所を経て熊本大学教授などを勤めてこられました。大阪から若狭までの車中、原発をめぐる状況や、その危険性を科学研究者としての知見をもとに解説していただきました。

 高浜原発現地では、「ふるさとを守る高浜・おおいの会」の東山幸弘さんに、敷地の外からですが案内をしていただきました。東山さんは京都大学原子炉実験所の元職員で、現在は地元高浜で農業を営んでおられます。高浜原発では、45年を超えようという老朽原発である高浜1、2号機やテロ対策施設と呼ばれている特定重大事故等対処施設(特重施設)などの工事が急ピッチで進められ、つい2日前には一酸化炭素中毒事件もあったということです。
■高浜原発を正門近くから望む。右手手前が1号機、後ろが2号機。再稼働に向けて、工事が急ピッチで進む。後ろの山の手前に3、4号機があり、山を削って特重施設の工事が行われている。

 昼食後に小浜市の明通寺を訪問しました。住職である中嶌哲演さんは、小浜原発反対運動や中間貯蔵施設反対運動など長く反原発の運動を続けてこられ、今も大飯原発の再稼働に反対して裁判を闘っておられます。大規模な工事が進められている高浜原発とは対照的な古刹・明通寺の静かな境内を参拝したあと、お話をうかがいました。中嶌さんからは原発立地である若狭の住民として、都会の私たちに自分のこととして考えるようにという宿題をいただいたように思います。

 以下、参加者による報告と感想です。



原発ツアーに参加して

 原発反対と言いながら、地元に近い若狭の原発に行ったことがなかったので、参加できて良かったです。よつ葉ビルから高浜原発まで、片道2~3時間ぐらいで行けたので思っていたよりも近く感じました。

 移動の車内では、木原壯林さんから「原発は現在科学技術で制御できない、危険度は老朽化とともに急増する。老朽原発廃炉を突破口に、原発全廃を実現しよう」というタイトルでお話していただきました。ひとたび若狭の原発(高浜、大飯、美浜、もんじゅ)で重大事故が起きれば、近畿、中部地方も被害を受けることになると思われます。決して他人事ではありません。再稼働もあり得ませんが、来年には45年越えにもなる老朽高浜原発1、2号機、美浜3号機を稼働させようとしています。原発の運転期間は原則40年と言っていたのは何だったのか。

 木原さんはじめ若狭の原発を考える会の皆さんは、若狭にて原発反対を訴えながらチラシを配り歩く通称「アメーバデモ」を毎月4日かけて、6年近く継続しておられます。直接聞く声では、原発反対は若狭の民意であり、老朽原発運転に賛成の声は聞いたことがないとのことです。木原さんの熱意と行動力、それに説得力がすごいと感じました。

 高浜原発では高浜町で暮らす東山幸弘さんに案内していただきました。原発を実際に見るのは、2年前の福島第一原発以来2回目です。海と山の豊かな自然の中にある4機の原発は異様な光景でした。 さらに少し離れた所の山をごっそり切り開いて特定重大事故等対処施設(特重施設)が建設中でした。
■中嶌哲演さん

 その後、明通寺に移動し中嶌哲演さんのお話を聴かせていただきました。「高浜原発を見てこられて原子炉建屋に目がいったと思いますが、送電塔、送電線、電力の行き先にも目を向けて欲しい」と言われました。若狭で発電される電力の内、地元で使われるのは僅かでしかなく、ほとんどは京阪神の都市部で使われている。危険な原発を押し付けている現状に何とも言えない申し訳ない気持ちになりました。中嶌さんからは、再び重大原発事故があるのではないかという強い危機感を感じました。また「関西の人と原発で繋りたくない。海の幸や自然の豊かさで繋りたい」という言葉も印象に残りました。

 原発は安全神話のもとに建てられてきました。本当に安全だと思うなら多くの電力を消費する京阪神に建てた方が送電ロスもないので適している。火力発電では、そのようにしているのに。「原発は危険なものなので人口の少ない地方に建てました」という本音が語られる日は果たして訪れるのだろうか。

 そもそも原発は、ウランを採掘している段階から被曝者を生みだし環境を汚染している。そして、原発を動かした時に出来てしまう核のゴミ。原発を始めた時から、核のゴミが生みだされることは分かっていたはず。そのゴミの最終処分場も決められないまま、原発の稼働を続けてきた。もう保管する場所も一杯になって来ているのに、まだ再稼働を進めるという。せめてもうこれ以上、核のゴミを増やさないためにも再稼働させるべきではない。

 木原さんは「原発のゴミは都市の消費者が受け持つべき」と言われました。原発のゴミは、原発を所有する電力会社や推進してきた政治家、官僚など原子力ムラの人たちに引き取っていただきたい。ですが、原発の電気をさんざん使ってきた都市部の人にも責任があるので、確かに木原さんの意見はもっともだと思います。その場合、地震の多い日本では地層処分は適していないので、埋め立てず地上に置いて何百万年も保管し続けるしかないと思われます。都市部で保管すると、みんな自分事として必死に監視するのではないでしょうか。都市部の大多数の人は、地方で保管すると目の前にないため、すぐにその存在を忘れて他人事、無関心になりますので。

 あと、今回はあまり話題にはなりませんでしたが、同じ若狭にある高速増殖炉もんじゅのことも気になります。冷却材として金属ナトリウムを使っている、もんじゅの廃炉作業は危険すぎます。さらに危険な青森県六ケ所村の再処理工場のことも忘れてはなりません。

 今回は木原さん、東山さん、中嶌さんのお話を聴かせていただき、実際に高浜原発も見て、改めて原発に反対していこうとの思いを強くしました。この思いを職場や会員のみなさんにも伝えていきたいです。よつ葉が原発に反対してきた経緯も振り返り、志を同じくする人や団体と連携しながら運動を続けていかなければと思います。木原さん、東山さん、中嶌さん、研修部会のみなさん、ありがとうございました。

                                                                     (松本恭明:㈲奈良産地直送センター)


原発マネーに依存した町

 高浜町からおおい町を経て、小浜市の明通寺への道中。国道を走っていると、町役場、文化会館、運動場、体育館、道の駅、温泉、ホテルなど、原発予算で建設された施設が次々に現れます。しかしこれらの多くは赤字経営で、自治体の予算から補填されているのが実情だということです。

 昼食を食べた道の駅「うみんぴあ大飯」脇のホテルなど、人が宿泊するのを見たことがないと木原さんは言います。原発マネーは一時、地元自治体を潤しますが、施設の維持費は大変で、さらに原発マネーに依存せざるを得ないという悪循環があります。

 原発関連の収入は高浜町で歳入の5割ほど、おおい町で6割弱ほどにもなるということで、大飯1、2号炉が廃炉ということになって町は慌てているという話です。

 付近には和田高浜という白砂の有名な海岸があって、かつては海水浴のメッカだったそうですが、おそらく原発の影響もあって、今は見る影もありません。原発に代わる産業をなんとか見つけださないといけないのだけれど、農業や六次産業も試みはされているが、なかなか難しくて、策が見つからない状態だということでした。

 ツアー直前の9月19日には東京電力旧経営陣に無罪判決が出されました。なにをしても、どんな犠牲を出しても、企業の責任は問われないという、とんでもない理不尽な判決です。一方、私たちが訪問した高浜原発をめぐっては、9月26日に、原発マネーの還流疑惑が発覚しました。いかがわしい原発マネーの氷山の一角と言うべきでしょう。詳述することはできませんが、今回の原発ツアーを報告する上で、見逃せないこととして付記しておきます。

                                                                           (下前幸一:当研究所事務局)

■明通寺山門前にて。一番後ろが木原壮林さん。一番左が東山幸弘さん。



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