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アソシ研リレーエッセイ

AI、ベーシックインカムそして暴動


 AIとロボット技術がホットな話題となっている。特にAIに関しては、数年のうちに人間の脳を越えるのは確実とされており、AIが感情や意思を持つ時に人間の価値や人間らしさとは何かという哲学的テーマが、浮上してきている。

 さらに、人間の仕事の多くがAIやロボットに代替され、失業者があふれる近未来も想定されている。将棋や碁の世界でコンピューターが名人に勝ったという話題には、「へー」と思った程度だったが、「雇用」となると影響は甚大だ。働き方や時間の使い方の変化は、人間の生き方を変えてしまう。

 人型ロボット=サイボーグ研究で世界をリードする石黒浩(阪大教授)の「こころをよむ 人とは何か アンドロイド研究から解き明かす」(NHKラジオ第2、13回放送)も興味深かった。「サイボーグを研究すると、人間らしさとは何かを考えざるを得ない」という氏の発言は、説得力がある。

 「最後に残る人間らしさとは」、「宗教とロボット化社会」、「ロボットは死の定義を変えるのか」といったテーマに惹かれて、13回の放送(各40分)を全て聞いた。

 内容は、興味深く、ロボットの肯定的可能性も説得力がある。人間活動をロボットやAIが代替し、人型ロボットが介護労働も補助するという未来。労働から人間を解放し、より大きな自由を獲得する手段として発展するかぎりにおいては、だ。

しかし、彼が描く未来社会では、人間のコミュニケーションの方法も変わってしまうという。これには「ちょっと待て」と言いたくなる。人と人のコミュニケーションは、共同性・社会性を獲得する主要な手段であり、自由の大前提となる。人間活動の核心だ。

 技術進歩は必然であり、止めたり後戻りさせることは不可能だ。だからこそ、課題をしっかり把握し、方向性を議論して定めることが重要だ。

ブルシットジョブの増加

 その方向性を考える時、重要なのが、技術進歩の果実が少数の誰かに独占されることなく、万人に還元される仕組みを確保することだろう。これを考えるうえで、ヒントとなるのが、アナキストで社会人類学者であるデイヴィッド・グレーバーが提唱する「ブルシットジョブ」(どうでもいい仕事)という概念だ。「ブルシットジョブ」とは、金融サービス、ロビイストやPRリサーチャー、テレマーケティング担当者、法律コンサルタントなどの専門職・管理職・事務職・販売職・サービス職など、20世紀に増えた職種だ。これらの職業は消えてしまっても、我々はたいして困らない。

 一方で、看護師やバスの運転手ゴミ収集者や機械工は、いなくなったら困る職業で、社会に貢献していることはあきらかだが、保育士や介護士の平均年収は300万円代前半程度と低い。社会的に重要な仕事に従事しているほど賃金が低いとも言える。

 本当に役に立つ仕事をしている人々が報われない社会になった原因は、テクノロジーが人々をもっと働かせるために利用され、代わりに無意味なくだらない仕事が次々と生み出された結果だとグレーバーは主張している。

ベーシックインカムか暴動か?

 1930年に経済学者・ケインズは、20世紀末までに技術発展によって、イギリスやアメリカのような国では週15時間労働になるだろうと予言した。1日に3時間だけ働けばいい未来だ。これこそ、技術革新が人間の幸福に寄与するという確信に基づいたケインズの未来予想だ。

 しかし弱肉強食の新自由主義が蔓延るなかで、AIやロボット技術が発展しても、ブルシットジョブが増え、労働時間は減らない。これをどう変えるのか?ケインズの予言は、経済学的根拠を持っていた。これを夢物語にしないための智慧こそが求められている。ベーシックインカムは、現実的選択肢として議論されているが、これも1970年初頭、ニクソン大統領(当時)が施行させる寸前だったことは、忘れ去られた歴史だ。

 人々が仕事に忙殺されていれば、暴動を起こしにくい。幸福で生産的な人々が自由時間を手にすることは、歴史が物語るように、支配階級にとって非常に危険なのだ。

                                              (山田洋一:人民新聞)



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