HOME過去号>174号  


地域から政治を考える

入管法改定、どうなる移民問題

「労働力」ではな

同じ地域に生きる「人間
」として


 北摂反戦民主政治連盟では毎年、「政治学校」と称して合宿で学習会を行っています。テキストの読み合わせと議論が中心です。今年のテキストは未だ決まっていませんが、入管法が改定されたこともあり、テーマは「移民問題」にしました。

 いま日本では、至るところで外国の方を見るようになりましたが、私が子供の頃は観光地にでも行かなければ、とくに西洋人の姿を見ることはできませんでした。身近な外国人といえば、まずは在日韓国朝鮮人、あるいは在日中国人でした。

 こうした人々に対して、当時の日本政府の姿勢は非常に差別的かつ抑圧的であり、政治的な活動をすれば入管法違反で強制送還される状況でした。

 当時の韓国は朴正煕の独裁政権下にあり、台湾も国民党の独裁下にありました。そのため、一緒に活動をしていても、彼らが表に出ないようにしていたことを思い出します。

                       ▼      ▼      ▼

 その後、1970年代に欧州に行った際には、移民労働者の姿を目の当たりにしました。ただし、それはイタリア人、ギリシア人、スペイン人など、当時は貧しかった南ヨーロッパの人々でした。

 主要な欧州の都市にはイタリア人街があり、イタリア人たちが集住していました。食べ物が安いので、私はよくイタリア人街に通っていました。欧州人同士ということもあって、それほど社会的な矛盾は目立っていなかったように思います。

 その後、労働力の不足を補うために、ドイツはトルコ人労働者を移民として受け入れはじめます。フランスでも旧植民地からの移民が目立つようになりました。いずれもイスラム教徒です。宗教や文化的背景の違いから社会的な矛盾が芽生えつつあったと、いまにして思います。

 さらに、1980年代末に東欧の社会主義が崩壊して以降は、東欧からの移民も増えることになりました。同じヨーロッパとはいえ、歴史的背景が異なったり、移民先の国々で働き口が重なったりするため、イギリスなどでは排斥の動きも出ているようです。

 たしかに、このところ欧州で難民排斥の動きが世界的に大問題となったのは、シリア内戦に伴って大量の難民が生まれ、欧州に向かったためです。とはいえ、それ以前からの移民政策が何らかの形で影響していたことは推測できます。

                         ▼      ▼      ▼

 島国の日本では、これまで馴染みがなかったとはいえ、世界を見渡せば、移民や出稼ぎは当たり前のことです。いや、歴史を振り返ってみれば、かつては日本からも多くの人々が海を渡ったことも事実です。つまり、よりよい生活を求めて移民すること、国境を越えて出稼ぎに行くのは、いまも昔も普通のことなのです。

 しかし、いわゆる「先進国」の中で最も外国人に寛容でないのは、残念ながら日本です。専門家や研究者には労働ビザを出しても、普通の労働者に発給することはありません。

 今回の入管法改定をめぐる議論を見ても、日本政府は一貫して「移民」という言葉を使いたがらず、あくまで「外国人材」と言い続けています。

 たしかに、欧州の事例を見れば、一口に移民受け入れと言っても簡単ではなく、さまざまな問題や矛盾を孕むものであることは間違いありません。

 しかし、本当に外国人の労働力を必要としているなら、言い換えや誤魔化しでやり過ごすのではなく、正面から論議していく必要があるのではないでしょうか。

 私としては、もともと国境などというものは人為的に作られたものでしかなく、どれだけ壁を築こうとしても、他に生きる道がなければ、人々は何らかの形で超えていくだろうと思います。問題は、同じ人間同士、ともに生きていけるような地域社会を作り上げていくことでしょう。

 外国人を単なる労働力と見る社会では、私たちも人間ではなく、単なる労働力と見なされるのです。

                                          (戸平和夫:北摂反戦民主政治連盟)



©2002-2019 地域・アソシエーション研究所 All rights reserved.