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アソシ研リレーエッセイ

美味しくて身体のためになる
パンを寄越せ!



 コンビニネタで3回つないでいるので、いちおう僕も入り口はコンビニから…。

 河合さんのように餃子やおでんなどを買うことはほぼないが、コンビニのスイーツは街中のパティスリー(洋菓子屋)をかなり脅かしているように思う。添加物を巧みに使いながらビジュアルと味をそれなりに仕上げ、安くはないがパティスリーのものより手頃で庶民が“プチ贅沢”を味わえるレベルだ。ただやはり、質の良い材料を使って手間暇かけて作られたものとは一線を画しているとも思う。

 何年も前にベストセラーとなった食品の本は「高いには高いなりの、安いには安いなりのワケがある」というフレーズを使って添加物だらけの食品を選ぶことに警鐘を鳴らした。言わんとすることはもっともだが、それでは不十分だと思う。食べ物だけに限らず衣服や食器など生活に必要な道具や住居に至るまで、「質が高いもの=価格が高い」ことによって一部の層しかアクセスできない、という現状が根本的な問題なのだ。本当にその方程式は必然だろうか? 僕はそうは思わない。

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 資本がメディア等を通して作り上げたイメージを買う“記号的消費”は、現代社会の愚かな一面だろう。だが、その要素を引き剥がし、純粋に“モノ”をみてみれば、自然の恵みやそれを伝統的な方法で加工した食べ物、生産者が創造性と技術を駆使した“作品”ともいえるような生活用品の数々は多くの場合、自然環境への負荷が少なく持続可能な方法で生産されており、人々の健康的で文化的な暮らしに資するし、ときに人間が持つ創造性を高めさえする。

 同時に、それらの生産に使われる要素の多くは、長い時間かけて発見され改良され練り上げ続けられた人類共有の財産だ。

 それにも関わらず、「そんなものは贅沢だ」とか「本当の豊かさとは…」(もちろん“モノ”そのものでないことは前提として)などと言いながら自ら遠ざけるのは寓話の「サワーグレープス」的だし、むしろ現状を肯定し、階級関係を固定するのに寄与しているとさえ思う。

 民衆はホルモン剤を与えられ育ったアメリカ産の牛肉で家族や友達とBBQを楽しみ、コンビニスイーツの“プチ贅沢”で喜びながら健康を害し、ファストファッションに身を包んで児童労働や環境汚染に一役買い、“ちゃち”なDIYキットで偽りの創造的生活を営んでいればいいのか?

 その一方で、セブンイレブンの社長は工業的に造られた安ワインで儲けたお金でロマネコンティを飲んでいるだろうし、同じようにH&Mの社長はクラシコイタリアのスーツに身を包み、カインズホームの社長はカッシーナのソファに身を沈めているだろう(!)。

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 何もロマネコンティを持ち出さなくても、例えば「関西よつ葉連絡会」で扱っているような食品や日用品で誰もが暮らせる社会は可能なはずだ。

 飛躍を覚悟で言えば、それを阻害している大きな要因は、誰のものでもないはずの土地や知的財産等に対して所有や占有が認められる社会制度であり、交換の道具であるはずの貨幣が特権的な地位を授けられている現行の貨幣システムだろう。(その一方で、私的利益のために大気や水に汚染物質や果ては放射能まで垂れ流す企業は、そのコストを全く負担せず、税金や医療費という形で我々に押し付けている。)

 眩暈がするほど高い壁だが、それ故に「良質な暮らしを!」は様々な問題を包摂するラディカルな運動になり得ると思う。

 「パンを寄越せ!」ではなく「美味しくて身体のためになるパンを寄越せ!」。その感覚の違いを階級対立につなげるのは間違いだ。

                                           (松原竜生:㈱大阪産地直送センター)



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