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統一地方選挙をめぐる座談会 報告

政治のリアリティが希薄化するなか


生活現場から「政治」を問い直す


 4月に行われた統一地方選挙。大阪では、府・市の両首長選挙や両方の議員選挙、さらに府下各自治体の議員選挙でも、大阪維新の会(以下、維新と略)が軒並み圧倒的な勝利を収めた。全国的に見ても特異な事態だと言える。そこで当研究所では、こうした事態の根拠や背景について考えるべく、去る5月25日に座談会を実施した。参加者は、私たちの仲間であり今回の選挙の当事者でもある、豊中市議の木村真さん、高槻市議の高木隆太さん、さらに大阪市立大学・人権問題研究センターの島和博さん(当研究所で4年前、いわゆる大阪都構想の是非を問う住民投票の結果を受けて行った座員会にもご参加いただいた)。当研究所からは山口協、津田道夫が出席した。以下、その内容をかいつまんで紹介する。


はじめに

 【山口】まず、今回の趣旨説明と若干の状況分析をお話ししたいと思います。

 私を含め、大阪維新の会(以下、維新と略)に批判的な側の判断として、大阪都構想の是非を問う住民投票が2015年に否決され、橋下徹が政界引退を表明して以降、維新の勢いは衰えつつあると見てきました。今回、懲りずに再び住民投票を画策し、公明党から協力を拒否されると“逆ギレ”まがいに府・市両首長のダブル選挙を持ち出したことについても、有権者は茶番劇としてマイナスに捉えるはずだと思っていました。

 ところが、フタを開けてみれば結果の通りです。維新に批判的な側は少なからず情勢を見誤っていたと言わざるを得ません。私たちが「維新的なもの」を批判し、克服しようとする以上、今回の選挙結果を踏まえ、維新の「強さ」を正面から捉える必要があると思います。

 もう一つ、これは今回に限った話ではありませんが、いわゆる「市民派議員」の衰退という現象についても考える必要があると思います。

 1970年代中期を境に、全国各地で地域の住民運動・市民運動が湧き起こり、そうした運動を基盤として自治体議会に議員を送り込む動きも現れました。保守系政党は自治会や業界団体を通じて、革新系は労働組合などを通じて、それぞれ議席を分け合っていた状況に対して、両者に包摂されない「市民」が具体的な地域の課題を通じて政治参加を求めたものと言えます。

 しかし、こうした動きはいまや衰退の一途をたどっています。かつての住民運動・市民運動が高齢化し縮小再生産を余儀なくされる中で、市民派議員も後継者を見つけられず、引退していく事例が増えています。新たに議員を志す若手は、もはや運動などを基盤とせず、職歴や学識などをもとに“政治のプロ”を追求しているように見えます。以上のような状況変化について、その背景を含めて考える時期に来ているのではないかと思います。

 いずれも、私たちが今後どのような政治を構想し、実現していくかという点で避けて通れない課題を提起していると考え、議論の場を設けることにした次第です。


維新圧勝の要因をめぐって

 【山口】今回維新が圧勝した背景について、報道記事などを参考にいくつか挙げてみましょう。

 まず考えられるのは、すでに維新は大阪府では10年、大阪市でも8年にわたって首長を握るとともに両議会でも第一党の位置を占めているということです。つまり、利権も含めて主流派としての力量を蓄積し、政治基盤を確立しているわけですね。それによって府と市の連携が進んでいる(ように見える)こともたしかでしょう。

 新聞の有権者調査では、「財政再建や万博誘致などの実行力」「地下鉄が民営化できれいになった」「高校無償化がよかった」といった評価が挙げられていました。

 一方で、中身はともかく、それこそ都構想のように、常に“改革”なり“成長”を呼号し続けています。つまり与党・主流派でありながら、既成政治への批判的な立場を示し、何かしら前向き、革新的な印象を維持している。

 この点でも有権者調査では「いまの流れを止めてほしくない」「府市一体で大阪を変えていこうという考えに賛成」「府市仲良く大阪から閉塞的な空気を変えられる」といった意見があります。

 ときに維新の議員が不祥事を起こしたり、維新が唱える個々の政策について論争はありますが、現時点では少なくとも決定的な破綻を見せているわけではありません。また、維新の支持者は個別争点の細部より総体としての姿勢で判断する傾向が強いようです。

 自民党も含め、これまでの保守系の自治体議員は、基本的には地域代表というか、地域の世話人として住民の利害を集約し、それを行政に反映させることを通じて地域に利益を再分配するという役割が強く、かなり自立的に動く人が多かったわけですが、維新の議員はそうではありません。

 『朝日新聞』(2019年4月9日)でも『毎日新聞』(2019年5月3日)でも、維新がマーケティングの手法を参考にインターネット調査などで無党派層の関心を引くキーワードを導き出し、それをトップダウンで周知徹底させている事情が指摘されています。個々の議員の考えよりも組織としての方針を明確に提示し、それに個々の議員が従うことで明快な主張が繰り返され、維新が「大阪」の利害を代表する存在として認知されるという構造が浮かび上がってきます。

 ちなみに、最近この点で注目されているのが、善教将大さん(関西学院大学)の『維新支持の分析』(有斐閣、2018年)です。この本では、ネット調査などによる実証分析を通じて、アメリカのトランプ現象のような「ポピュリズム」として維新を捉えることを否定し、維新の高支持率の理由として「大阪」の利害を代表する存在と了解されている点を挙げています。今回の選挙結果を考える上で欠かせない参照材料だと思います。

 では反維新勢力はどうだったかといえば、一つには都構想への反対を焦点化する一方で、それに代わる大阪の将来構想を打ち出すことができず、有権者の要求に応えられなかったように見えます。有権者調査でも「自民は維新批判ばかり」「都構想への対案がない」といった意見が少なくなかったようです。その意味では、維新の術中にはまってしまったのかもしれません。

 いずれにせよ、今回の選挙を振り返った上で、私たちの側には残念ながらこうした状況を総体として、まして短期的に転換できる力量はないと言わざるを得ません。ただし、個々の政策や具体的な問題をめぐって、地域レベルで競り合うことは不可能ではないと思います。そのためにも、もう一つの論題である「市民派議員」の衰退問題も含め、背景となる政治構造の変化をどう考え、それにどう対応するか、考えてみるべきではないでしょうか。

 では、まず高槻市議の高木さんから、今回の選挙を振り返っていただきたいと思います。


高支持率の理由は「維新ブランド」

 【高木】いまのお話と基本的には大きく変わりませんが、僕の印象としては、維新が以前に比べて勢いを失っているという感じはなかったですね。たしかに、高槻では、これまで市議2人だったところに新たに4人、計6人立候補させるというので、さすがに全員は通らないだろうと思っていました。
 ■高木隆太さん(高槻市議)

 ところが統一地方選の前半、府議会議員選挙で維新が圧勝したので、“ひょっとすると……”と思っていたら、結局全員当選してしまいました。衆院議員の松浪健太氏を府議選に鞍替えさせたのも維新票を掘り起こし、統一地方選全体で維新に焦点を当てるための計算の一つかなと思います。

 維新の候補者はだいたい青年会議所関係か維新の議員秘書で、しかも男性です。万博、カジノ、都構想を含め、維新がやってきたこと、これからやろうとしていることと共通の利害を持つ人たちをうまいこと取り込んで、議会に送り込んでいるなと思いました。

 もっとも、今回当選した人たちがどんな形で議員活動をするか分かりませんが、端から見ているとあまり元気がないんですね。会派としては第二位に躍り出たんですが、「やるぞ!」という勢いが感じられない。結局ものすごい上意下達の組織で、上から言われたことだけをやるというスタイルです。

 府知事と市長の入れ替え選挙についても、情報入手のスピードは僕らと同じ。維新の議員にもかかわらず、報道で初めて知るといった状態で、どういう形で方針が決まるか末端は分からないようです。とにかく、決められたとおりに動く。どこかで選挙があれば議員は総動員されるので、地元の行事に出たりできない。旧来の「保守系無所属」議員のような、地域の世話役的存在はいらないということですね。それが不満で、維新から離れた人もいます。

 ところが、その人は前回は5000票をとって第二位で当選したのに、今回は700票で落選しました。この落差はなんなのか(笑)、不思議です。

 【山口】そんな維新に対する有権者の受け取りはどうでしたか。

 【高木】僕の身近には維新支持者がほとんどいないのでよく分かりませんが、具体的にどうこうというよりも、何か新しいことをやっている、今までの政党、議員とは違うという感覚を持っているようです。高槻では、府議選は投票率が高かったですが、市議選は前回より少し減りました。18歳選挙権の導入で有権者数が増えたにもかかわらず。そんな中で、維新は4年前が3人立候補して計26000票を集めたのが、今回は6人立候補したこともありますが、計33000票と伸びています。府議選などは2人で8万票ですから、信じられない数字です。

 もっとも、普段の議員活動を通じて維新を高く評価する声を聞くことはまずありません。そこが不思議なところです。共産党や公明党の議員の方がよっぽど地域を回っているとのことで、維新のことはほとんど聞かないですね。でも選挙になると通る。善教さんの言うように、議員個人というよりも、「維新ブランド」ということで票を集めているのでしょう。

 【津田】しかし、政党で投票するといっても、市議選の場合は立候補者も多いから、維新は維新でも維新の誰に投票するのか、個人が出てこざるを得ないと思うけど。

 【高木】その点は謎です。公明党や共産党のように票割りしようもないはずなのに、高槻では6人の間にそれほど大きな票差がないんです。先ほど例に挙げた、維新を辞めて落選した人の場合、前回の有権者はなぜその人に入れたのか、それが今回、維新の他の人に入れたとすれば、何を理由にその人に入れたのか、そのへんがまったく見えません。

 ただ、“うまいな”と思うのは、都構想のように自分たちの土俵を設定する点ですね。府議選に出た松浪氏の場合、最初は市長選に出るという話でしたが、その際には隣接する島本町との合併問題を持ち出そうとしていました。これは維新の年来の主張です。実際に評価されるかどうかは別として、自分たちで先に争点をつくるのはうまいところですね。


すでに始まっていた構造変化

 【島】僕も選挙が始まる前から、ここまでとは思わなかったけれども、維新は伸びるだろうなと思っていました。だから、それほど意外な気はしませんでした。その根拠については、前回の座談会(※1)で話した情勢判断とほとんど変わりません。
 ■島 和博さん(大阪私立大学)

 先ほどのお話との関連でいえば、支持基盤の確立はすでに4年前にできていたと思います。また、「橋下=ポピュリスト」という図式にも違和感があって、ある本(※2)の中でも書いたんですが、結局維新がやったことは、長い間に蓄積されてきた大阪の伝統的な利益配分構造、先ほどの話で言うと、地域の世話役的な議員を末端にして住民の意思を吸い上げ、利益を再分配することで政治的な支持を固めていくというような仕組みを壊すことだったと言えます。

 ところが、これは彼らが初めてやったことではないんですね。旧来の利益配分構造を壊したのは、実は関淳一・大阪市長の時代(2003~2007年)で、このあたりから行政の各所でいわゆる新自由主義的な政策が行われるようになっていったんです。たとえばNPM(※3)、つまり行政はサービス提供者、市民はお客さんであり、顧客満足度をいかに上げるかといった発想が浸透していきます。つまり、自民党こそが自分たちが作り上げてきた政治構造を壊したということです。

 象徴的な出来事として記憶しているのは、2001年ごろ、大阪市が長居公園にホームレスのシェルターを建設する計画を発表した際、地域で猛烈な反対運動が起きたことです。当初、担当部局の役人たちはすでに町内会・自治会レベルでの根回しを行い、了解を取っているからと自信満々でした。旧来の政治的なコンセンサスの面では問題なかったということです。ところが、いざ計画を発表すると猛反発が起きた。

 つまり、町内会・自治会の役員や商店街の有力者などを地域の世話役として地域住民を束ねるという、かつては機能したはずの精緻な利害調整のシステム、旧来の統治システムが機能しなくなっていたというわけです。

 そうした状況の中で、維新は、かつてのような形で束ねられず、宙に浮いたような形になった人々をターゲットにした。今回の選挙で自民支持層の約半分が維新に投票したというのは、そういうことでしょう。その意味では、維新はかなり早くから自分たちの政治基盤を確立していたんだと思います。だから、維新をポピュリズムとして、住民たちは一時的に騙されているにすぎず、維新の実情を暴露すれば目が覚めると見るような立場には違和感を持っていました。

 もう一つは、議会の機能がかつてに比べて大幅に縮小しているため、有権者は自分の一票で自分たちの生活がよくなる、地域が変わるとはほとんど誰も考えていないんじゃないか、ということです。選挙が人気投票のようになって、もはや人々の日常生活や利害関係とは結びついていない。ズブの新人がいきなり8000票も取るなんて、まったく根拠がないですよね。選挙といわゆる「民意」が切れてしまっているのかも知れません。それはそれで難しい問題になってくるわけですが……。

 ともあれ、国政レベルは別として、少なくとも今回のような地方自治体のレベルで言うと、議会の持つ機能はかつてよりもかなり小さくなっている。だから、選挙で通ろうが通るまいが、そんなに大したことではないと思いたい、というのが半面です。

 (※1)「大阪維新の会が現代社会に示した課題とは──大阪市・都構想住民投票の結果を受けて」『地域・アソシエーション』129号、2015年6月。
 (※2)橋下現象研究会編著『「橋下現象」徹底検証 さらば、虚構のトリックスター』インパクト出版会、2012年。
 (※3)ニュー・パブリック・マネジメント。民間企業の経営手法を積極的に導入することを通じて、行政の経済性、効率性を向上させ、市民が支払う税金に対する満足度の最大化を目指すもの。



 【津田】ただ、とくに維新などは“選挙で通れば民意だ”“議員の数こそ民意だ”と言って好き放題やってくるわけで……。

 【島】たしかにそうです。ただ、これで再び都構想に関する住民投票をやったとしても、可決されるかどうかは分からないと思います。というのは、都構想は間接的ではあれ自分たちの生活に関わるという感覚があるんですよ。これまでの生活がどんなふうに変わるのか、見当がつかないから不安なのは当然です。それが大多数でしょう。

 だから、住民投票で再び否決される可能性はあると思います。そうなれば、おそらくマイナスが維新の方に跳ね返ってくることでしょうね。だから、今後は都構想の問題点をめぐって地道に問題点を追及していくことが重要だと思います。

 【山口】有権者個人がどんな投票をしたか紹介している新聞記事がありますが、その中で、知事は維新に入れたが市長は別、その理由は両方維新が圧勝すると調子に乗らせてしまうから、というバランスを重視した意見がいくつかありました。善教さんの本でも、都構想が否決された原因として、有権者の不安やバランス感覚を指摘していましたね。

 では、もう一人の当事者である豊中の木村さんから、今回の選挙を振り返ってもらいましょう。


掘り崩される地方自治の基盤

 【木村】一昨年の解散総選挙で、維新は全国ではほとんど当選できず、近畿でも大阪だけ、大阪でも小選挙区で勝ったのは南大阪だけという状況でした。だから、いよいよ維新も落ち目だ、と見ていたのが正直なところです。それが今回この結果ですよね。実は豊中では去年、市長選と府議・市議の補欠選挙があったんですが、市長選は接戦で落としたものの、府議・市議ともに維新の圧勝だったんです。それも僕にとってはかなり衝撃でした。とはいえ、今回のダブル選挙は実に酷い話で、維新支持者もさすがに愛想を尽かすだろうと思ったんですけどね。
 ■木村 真さん(豊中市議)

 【島】当事者としてはそうかもしれませんが、外から見ていると、維新vs.反維新という構図ができて、しかも反維新の側はもともとまとまる要素がないのに「反維新」の一点で集まっている。その結果、維新がその他大勢からいじめられているように見えたと思います。

 【津田】そうだと思います。もともと政治に関心があったり、詳しい人からすれば、維新の主張が既成政党のそれと大きく違わないと分かるけれども、そうでない圧倒的多数にとっては、むしろ周りから叩かれている維新が既成の政治勢力に敢然と立ち向かっているというように映ったんじゃないか。

 【島】かつてなら、そうした圧倒的多数に対しても地縁血縁などを通じて事情を伝え、民意を集約するような経路があったんでしょうが、それがなくなっている。その意味で、今回の選挙で際立ったのは、自民党が完全に劣化しているということでしょう。支持基盤が液状化し、そこを維新がかっさらっている。そんなイメージで捉えています。

 
【山口】それに絡んで、さきほど島さんが言われた関市長時代の転換ですが、それは冷戦の崩壊からバブルの崩壊、55年体制の終焉を経て、小泉政権の姿に明らかなように、自民党自身が変貌を遂げてきたことと密接に関係していますよね。国政レベルの構造変化が大阪に現れた結果でしょう。

 【島】世界的に見ても、グローバル化の進行とともに新自由主義的な考え方が浸透していった背景があると思います。しかも、行政の側でそうした動向を積極的に受け入れていった経過があるんです。

 かつて僕は大学で上山信一(※4)と四六時中ケンカしていましたが、彼はこれまでの硬直した行政を作り替え、新しい行政のモデルを提起しているということで、地方自治体では引っ張りだこでした。関市長以降の大阪も彼の主張の方向に進みました。

 これまでのやり方が時代に合わなくなっている面はあるとしても、なぜ新自由主義的な方向へ転換するしかなかったのか。その結果、負の影響を受けるのは最末端の人たちです。

 (※4)経営コンサルタント、慶應義塾大学教授。行政に「評価」と「経営」の考え方を入れることを提唱。維新の首長の下で大阪維新の会政策特別顧問、大阪府特別顧問及び大阪市特別顧問などを歴任。2003年度~2011年度に大阪市立大学大学院(創造都市研究科)特任教授を務める。


 【津田】本来は行政の手を最も必要としている人たちですよね。そこに市場の論理、企業経営の手法が持ち込まれ、損益だけが判断基準になっていく。しかし、残念ながら、そうした風潮はいま社会全体に蔓延していて、その中で生まれ育った人にとっては何の違和感もないように見えます。そうした論理で自治体を運営して何が悪いのか、と。

 【木村】自治体は既定の法律・制度の枠内で動かざるを得ず、予算も大枠は決まっています。議会も立法的な役割を担う余地がありません。そうなると、結局はどこを削るかという発想に陥ってしまいます。簡単にそういう方向に行くんですよね。小泉政権が発足したのが2001年なので、もう20年近くそうした風潮が続いている。人々も内面化していますよね。

 大阪市では吉村市長の時代に市の助成で学習塾に通いやすくするクーポンを出したそうですが、“アホちゃうか”と思いますよね。塾へ行かなくても学校で学力がつくようにするのが行政の役割でしょう。ところが、子供を持つ親たちの話を聞くと、拍手喝采なんですね。

 それ以外にも、テストを使って教員の人事評価をする政策も導入しました。子どもたちも競争、教員も競争、学校も競争。こんなんでいいのかと思いますよね。ところが、これも親たちからすれば「当然や」と。自分たちが会社でやったりやられたりしていることだから、教育現場でも違和感がないんでしょうね。

 状況全般がこうですから、それこそ短期間でどうにかなるとか、選挙戦術でどうこうなるようなレベルの問題ではないと思います。


維新が革新的に見えるワケ

 【島】僕としては、ずいぶん前から選挙という仕組みそのものが耐用年数を超えていると感じています。ただ、現実的には選挙を通じて議員を増やさなければ行政に対してモノが言えないという面があるのも事実です。だから、皆さんが選挙で頑張られることの意味は分かります。でも当分、国政選挙ではなおのこと、地方自治体の選挙でもかなりしんどいように思います。

 1970年代の半ばから80年代終わりくらいまで、かなり力を持った、いわゆる市民運動というものを支えた基盤が、今はほとんどなくなってしまったんじゃないでしょうか。にもかかわらず、市民運動を頑張っている方々は相変わらず、自分たちの考える真っ当な主張が届くはずだと思っているように見えます。

 そもそも以前から、市民運動で使われる言葉というのは、たとえば釜ヶ崎のオッチャン、あるいは周辺の下町の人たちにとっても、頭上はるか遠くを通り過ぎていくもので、ほとんど届いていないように感じていました。むしろ、そうした人たちの話を聞き、政治的にまとめる力を発揮したのは創価学会=公明党ですよね。

 かつてとは違うでしょうが、いま若い世代でもしんどい層が増えているし、逆に市民運動が依拠したような中間層は細っています。とすれば、どこかで転換すべきなんじゃないでしょうか。

 維新がポピュリズムかどうか、実際のところは分かりませんが、仮にポピュリズムだとしても、「ポピュリズムだ」と言っただけでは批判になりません。むしろ、それに対抗するポピュリズムを出さないとダメだと思います。

 【木村】それに関連して言うと、僕としては理解できない話ですが、とくに若い世代にとっては、共産党が保守で維新が革新という受け止め方になっているらしいですね。

 【津田】なぜ維新が革新的に見えるのか、その理由の一つは徹底して大阪という地域にこだわっているからだと思います。実際、全国政党を指向してはいても、大阪以外ではほとんど支持が広がっていない。でも、それだけ大阪の人にとっては、自分たちの地域にこだわる政治勢力として評価されているじゃないか。そこには、東京に対する大阪の対抗意識やコンプレックスがあるかもしれません。また、維新がどこまで自覚的にそうした方向を選択しているのかは分かりませんが、「地域へのこだわり」については、僕らとしても学ぶべき部分があると思います。

 それから、既成の政党政治と対決するという姿勢。もちろん、実際に対決しているかといえばそうではないけれども、少なくとも主張としては鮮明に打ち出して、既成政治に反感や批判を持っている人たちの共感を組織していることは間違いありません。それも学ぶべき点だと思います。


変化する議員の役割

 【山口】さて、ここでもう一つの論点に移りたいと思います。さきほど島さんは歴史的な社会構造、政治構造の変化の現れとして市民運動の衰退について触れられました。冒頭で触れたように、今回の選挙でも印象的なことの一つは、いわゆる「市民派議員」が圧倒的に減少したことです。

 実は高槻でも豊中でも、かつては地域の市民運動を基盤にした議員が複数存在していました。ところが、いまやそれぞれ高木、木村に限定されてしまったという現状です。この点について、津田さんから問題提起をお願いします。

 【津田】一般的に「市民派」といえば「既成政党に属していない」という意味でしょうが、僕らに引きつけて言えば、地域の住民運動や市民運動を基盤として、そうした運動を発展させるために、自分たちの代表として仲間を議会へ送り込むという運動の一環だったと思います。だから、議会の中で多数派を取ろうといったようなことは端からめざしていなかったはずです。

 つまり、あくまでも議員とは、自分たちが取り組んでいる社会運動を発展させるために、議会を通じて行政からの情報を取ったり、行政に働きかけるという役割なんですね。実際、僕らは仲間の議員に対して「議会活動よりも地域ですべきことがある」というふうにも言ってきました。

 しかし現在、そうした実態を支えてきた地域のさまざまな運動は、やはり縮小したり、分散したり、担い手が高齢化したりといった状況が間違いなく現れていると思います。それとともに、自分たちの運動の代表を議会に送り込むという構造そのものが成り立ちにくくなっているのではないか、というのが一つです。

 もう一つは、これも先ほどありましたが、選挙つまり投票を通じて議員を選ぶという行為そのものが、いまの世の中で、とくに若い人たちの間で、意味を失いつつあるのではないかと感じています。それは投票率の低下からも明らかでしょう。また、有権者の側でも無党派層が増えているように、投票に行く人の中でも自分たちの代表を選ぶという感覚は薄れているように思います。そういう意味では、代議制そのもの、選挙という仕組みそのものが質的に変わってしまっているのかもしれません。そうだとすれば、それにどう対処するのか、どう変えていくのか、簡単ではありません。

 たまたま知り合いの若者と今回の統一地方選について話す機会があって、「こんだけ維新の候補が出ていて、どういう基準で誰に入れるんかなぁ」と訊いたんですが、「(有権者が)男だったら美人、女だったらイケメンに入れるんじゃないか」と言われました(笑)。僕は豊中に住んでいますが、選挙の結果もその通りになったんじゃないでしょうか。

 【木村】たしかに、とくに有名でもない38歳の新人女性が8000票でトップ当選ですから、何かの間違いじゃないかと思いましたけど……

 【島】誰かが「ポピュリズムとポピュラリズムとは違う」というようなことを言っていたのを思い出しました。ポピュリズムが既成政治から疎外された民衆の声をすくい取ろうとする動きだとすれば、ポピュラリズムはポピュラー音楽とかタレントの人気投票のようなものだということです。

 それで言えば、いまの政治状況はポピュラリズムで、選挙の意味がそれぐらい軽くなっているんでしょう。自分たちの生活がかかっている選挙とは感じられない。その点は、投票が自分たちの生活と結びついている沖縄での選挙とは全然違う。もちろん、制度上はまったく関係ないわけはないんだけれども、生活実感と選挙が結びついていないんですね。

 【津田】もう一つの変化は、議員の「職業」化ですね。それでメシを食うという点では議員も職業なのかもしれませんが、古い人間である僕らの考えでは、議員は自分たちの運動の代表なので、やはり職業というよりは運動を担う一つのポジションということだったんですけどね。

 だから、議員報酬だって丸ごと議員個人の収入になるわけではなく、関係者に公開して、その中から生活費を取るというやりかたでした。でも、議員が職業化すれば、安定した収入のために議員を続けるということになってしまう。逆転している。

 【高木】周りの議員、とくに若い人の中には、現状が逆転しているという感覚はまったくないですよ。議員報酬は全部自分の給料というのが普通です。

 【島】維新が最初に出てきた時、維新のホームページで議員の経歴を見ると、半分ぐらいは元自民党、もう半分の若い人は、地域に基盤があるわけでもなく、怪しげなコンサルタントとか、米国の○○大学を出たとか、なんですよね。

 これまでは選挙で当選しようとすれば、それこそ「地盤=組織、看板=知名度、カバン=資金」が必要だと言われていましたが、そうしたものがない中で当選するわけですから、まったくの浮動票頼み。そういう政治のスタイルを持ち込んだんですね。

 だから、彼らにとって議員というのは割のいい職業という感覚だと思うんです。理念なんてものはないから、当選できるなら上から言われたとおり何でも忠実にやるし、その言うこともコロコロ変わって政治的一貫性(理念)なんか必要ない、ということになるんでしょう。


「読めない選挙」の拡大

 【木村】その点で難しいのは、僕も含めて「市民派」と言われる候補に投票する人たちと維新に投票する人たちというのは、実は結構な部分で重なっているかもしれないということなんです。

 象徴的なのは門真市議を五期務めたTさんで、彼は無所属かつ市民運動の背景を持たない、個性的な「芸風」を背景に、街頭での宣伝、ホームページやユーチューブでの情報公開といった、いわゆる「空中戦」だけでやってきた人です。

 でも、これまで上位当選を重ねてきました。労働組合への政治弾圧に絡んで逮捕され、失職したこともありますが、その後の選挙ではトップ当選までしています。

 それが、前回の選挙で維新が候補者を2人出して上位当選する一方、Tさんは中位あたりに後退し、今回の選挙では維新が5人出て全員上位当選、Tさんはまさかの落選という結果になりました。本人は「選挙に取りかかるのが遅れた」と総括していますが、僕は維新に票が喰われた結果だと見ています。

 自民党や共産党も各地でかなり票を落としていますよね。だから、保守的な浮動票も革新的な浮動票いずれも維新が吸い寄せたことがよく分かると思います。

 【山口】今回の選挙で、高木さんの場合はこれまでと同じく、支持者の紹介をもとに一人ずつ有権者を固める、いわゆる「票を読む選挙」となったそうですが、基盤となったのはこれまでの市民派の支持層だったわけですね。

 【高木】はっきり言って、若い人に「市民派です」と言っても、たぶんなんのことか分からないでしょう。選挙戦の中では意識的に「市民派の議席を守る」と呼びかけましたが、それに反応してくれるのは、やはり高齢層です。それがなければ、本当に浮動票頼みの選挙になるしかありません。

 【山口】ただ、高槻の隣の島本町では一昨年、それまで政治に関係のなかった若い人たちが合併反対運動を展開する中で、運動の中から30代の町長を押し上げるという出来事が起きましたよね。

 【高木】そうですね。島本町は小さくて、町民と行政・議員との距離も近いという特有の条件もありますが、他のところでも具体的な問題をめぐって動きが起きれば、浮動票が凝縮されて核になる可能性はあるのかもしれません。

 【山口】その一方で木村さんの場合、今回の選挙は「票の読めない選挙」になったわけですね。

 【木村】これまでは高木君と同じやり方でした。今回もそのつもりでやったんですが、年々難しくなっています。

 まず、これまでの活動を通じて得た人間関係が「名簿」という形で整理されているので、名簿に載っている人に支持をお願いするのと同時に、知人友人を紹介してもらいます。紹介に基づいて僕の政策パンフレットなど資料を送り、それから電話でアポを取って訪問し、最終的には事務所から電話で支持をお願いし、その反応如何で票を読んでいくわけです。

 ところが、難しいというのは、まず紹介してくれる人が減ったし、紹介してくれてもなかなか電話番号は教えてくれません。あるいは「紹介はするけど電話や訪問はやめて」と言われる。個人情報の扱いが厳しくなっているのが原因でしょうけど、そうなると資料を送るだけで反応が分からないから票が読めないわけです。森友学園問題がなければ、正直言ってどうなっていたか分からないところはありますね。

 ただ、(支持者への)訪問活動については選挙の時に限らず、年がら年中やっています。活動を知らせる通信なども割とまめに出し続けてきました。だから基礎的な活動に関しては自信を持っていたし、森友問題のおかげで有権者の反応もよかったので、票は読めないながらも大丈夫だろうとは思っていました。

 【津田】それもやはり人々の中で選挙の比重が軽くなっていることの一例だと思いますね。さして重要とも思えない選挙のために、友人や知人の個人情報を教えたくないとか、候補者が訪問することで人間関係に波風が立つのを避けたいとか、そういうことでしょう。それを変えようと思えば、僕らの生活の中で政治というものの意味、その重要性を改めて伝えていく必要があるんじゃないかと思います。

 選挙が人気投票になったり、行政がサービス業になったり、自治体運営が企業経営になったりしているのが現状だけれども、それがいかにおかしくて、住民自身が地域をどうしていくか議論したり実践したりするのが政治なんだということをもう一度積み重ねていくしかないんじゃないかと思います。


希薄になる政治のリアリティ

 【木村】どうなんですか。たとえば30年前には、そういうことが感じられていたんですかね。議員の自分がこんなことを言うとおかしいですが、いま市の行政の中で議員の発言なんかほとんど力を持ちませんよ。むしろ行政は地域住民の声の方をよっぽど気にしていると思う。“とにかく突っ込まれないように”という感じで……。

 【高木】行政も硬直化していると思うんですよ。先輩議員の話では、かつては市役所の中にも自分の考えを持った職員がいて、上から言われたことにも抵抗したり、問題だと思ったら議員に情報をくれたりしたそうです。それだけ議員の動きも見ていたんでしょうね。でも、いまはほんとに上から言われたことをやるだけ。尋ねても杓子定規の答えしか返ってきません。

 先ほど木村さんが言われたように、かつては自治体の中で自由に使える予算もあったようですが、いまはどんどんなくなって、決められたことにしか使えない。余裕がないんですね。そうなると、結局議会の中でも削る話ばっかりで前向きなものがないんですよね。だから、市民から見ても面白くないでしょうね。自分自身、議場の中で「しょうもない話してんなぁ」と思いますもん。

 【島】投票する側としても、自分の投票行動が自分の生活に何らかの影響を及ぼす、たとえば利益をもたらすとかいった実感が持てなくなっているのはたしかです。そういう意味では選挙の持つリアリティは極めて弱くなっているし、自分と無関係なところで設定された枠組みの中で投票しろと言われても、投票することの意味が見いだせないわけですよね。

 こんなことを言うと、“そういう無関心が安倍自民党を支えているんだ”と叱られるかもしれないけれど、だからといって「よりまし」な人に投票すれば、それでいいのかという気がします。だから、僕は今回の選挙には行きませんでした。

 【津田】一方で、東北の農村部なんかでは、かなり違った状況が見られます。やはり安倍政権の農業政策がめちゃくちゃなので、それに対する反発や怒りが選挙をめぐって具体的な動きとして表れるという状況があります。今度の参院選で、そういう農村部がどんな結果を出すのか、興味がありますね。

 【山口】まさに日々の生活の中でさまざまな利害対立が存在し、それをめぐって調整を行うというのが政治の基本的な機能ですよね。選挙もその一つの現れに過ぎないはずです。ところが、いま調整を行う部分がよく分からなくなっている。というより、調整を行うまでもなく、既成の制度や行政のレベルで物事が進んでいく結果、政治が見えなくなっている。そうした中でもう一度政治を活性化させるにはどうすればいいのか、というところだと思うんです。

 【津田】選挙は政治の一つの表現に過ぎないのに、選挙で勝てば自分たちのやりたいようにできる、権力や利益を独占できる。となると、選挙で勝つためにはどうするのか、というのが政治のすべてになってしまうんでしょう。


長期戦で構えつつ足腰を鍛える

 【島】実際のところ、どうなんでしょうか。議員になって何かがやれるという感覚があるんですか。

 【木村】ないですね。市民の立場と比べて、議員でなければできないことは、実はないと思います。その意味では、僕は割り切って「市民運動の専従者」ということで議員をしています。

 【島】だとすると、いわゆる「市民派」が今後も生き残っていこうとすれば、自前の支持基盤をつくっていくしかないんじゃないかな。どう転ぶか分からないような、ヌエ的な民意を当てにするんじゃなくて。だって空中戦をやっても絶対勝てませんよ。それよりは、それこそ顔の見えるしっかりした関係をつくって、一緒に年を取っていくということじゃないですかね。

 【高木】そうですね。「市民派」って個人商店みたいなところがあって、周りの議員を見ても、後継者にバトンタッチするのはなかなか難しいところがありますよね。政党のような枠組みがないんで、市民運動が再生産されていればともかく、現状から見れば先細りしていくしかないわけで、このままいくと、いわゆる市民派は絶滅する可能性が高いと思います。かといって、自前の支持基盤というのもなかなか難しいのが現状ですね。

 【木村】実際問題、僕らの場合、空中戦で選挙をやったとして、当選した後は一人でどうするのか、何かできるのかという話になるわけです。だから、一人一人とつながりをつくって広げていくことが結果的に選挙にもつながるわけだけれども、議員になった後は、そうやってつくったつながりを基盤にして市民といっしょにやっていくというのが議員の仕事なんですね。それなしに、仮にユーチューブで人気になって当選したとしても、何ができるんかという話ですよね。

 【津田】代議制というのは、もともと誰かの代表として議会で活動するということでしょう。誰かというのは、何らかの利益集団かもしれないし、地域の人間関係かもしれない。いずれにしても、そうした誰かを代表して議会に出るし、それを通じて誰かとの関係を更新していくということです。しかし、現在はそれが判然としなくなって、代議制の構造そのものが危機に瀕している。

 選挙はあるけれども、自分たちの代表を選ぶものではなく、代表する側も代表される側も表面的で一時的なつながりでしかなくなり、他方では、選挙の結果だけで「民意や、民意や」と錦の御旗にする傾向が強まっている。もちろん、代表制でいいのかという問題もあるけれども……。

 【山口】“くじ引き”の方がいいのではないかという話は昔からありますね。やっぱり、政治そのものの活性化がなければ、惰性で選挙だけになってしまうということでしょう。

 【島】選挙がすべてだというのは、明らかにおかしい。どうやって人々の、とりわけ貧乏人の利害を集約し調整していくのかという意味では、やはり運動レベルでの動きが重要だと思うんです。選挙っていうのは、あくまでも運動の「一つの」結果、しかもかなり歪められた結果でしかありません。

 選挙の結果からだけ見ていると、運動やってもダメだということになってしまいがちですが、そうじゃないですよね。実際、個々に運動はあるわけですよね。コミュニティユニオンしかり、部落解放運動でも地域レベルで面白い動きはいくつもある。そうしたさまざまな「地べたの運動」をどうつないでいくのか。これは僕の偏見かも知れませんが、かつての市民運動は、こうした地べたの運動から遠かったように思うんです。

 【津田】基本的には、これまで僕らがやってきたような地域の中で関係を広げていくという形でしかないと思いますが、現在のような政治の構造全体をどうするかについては、相当長期の覚悟で見ていく必要があると思います。

 【山口】この間の流れを見ても、局面が変われば状況はかなり変わるように思います。問題は、その際に十全ではないにせよ対応できる力があるかどうか、これは大きいはずです。その意味では、長期的に構えながら運動の足腰を鍛えておくということでしょうか。

 あまり締まらない結論になりましたが、これも現状でしょう。ともあれ、皆さん本日はどうもありがとうございました。

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