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よつ葉の学校 全職員向け講座 報告

有機農業を通じて人と地域を育てる


能勢町・原田富生さんのお話


 2019年度のよつばの学校が始まった。いくつかのシリーズが予定されているが、そのうち全職員向け講座として「生産者に学ぶ」シリーズの第1回目が行われ、能勢町の有機農家である原田富生さんをお招きして、ご自身のこと、若い農家のこと、能勢の有機農業のことを語っていただいた。以下、概要を簡単に報告する。


はじめに

 昨年11月のよつばの学校で、よつ葉に地場野菜を出荷している農家の方々のお話を聞く機会があった。たまたまなにかの都合によるものだと思うが、来ていただいた5人のうち4人は能勢町の農家で、来歴はそれぞれだけれども、能勢の地で新規就農し、よつ葉の地場野菜の取り組みに大いに貢献している人たちだった。

 4人のお話の中で印象に残っているのが、4人みなが原田富生さんの「原田ふぁーむ」で学び、その力添えで就農に至ったということだ。比較的若い新規就農者がよつ葉の地場野菜に占める位置の大きさは、前号に掲載した「よつ葉の地場野菜研究会」の報告にもあるように明らかだと思う。その新規就農者のいわば母体としての「原田ふぁーむ」の原田富生さんは、そういう意味で、有機農業の生産者としてだけではなく、能勢の農業やよつ葉の地場野菜を語る上でのキーパーソンのひとりだと言えるかもしれない。


ごく簡単に、ご自身の履歴から

 1954年、能勢町の農家に生まれ、育った原田富生さん。小・中・高の子ども時代に目にし、体感した地の農業の現実について語り始めた。それはその時々の農政の変転によって翻弄される農家の姿だった。減反を求められれば減反をし、ある時は、国の勧めで、近所の農家とともに裏山を整備し、山中に栗の木を植えた。しかし、その後、栗は値崩れをし、暮らしの足しにはならず。またある時は、これも国の勧めで、「これからは植木の苗だ」と、大金をかけてガラスハウスを整備したが、オイルショック後の不況のために大きな借金だけが残されたと言う。能勢の農家も専業では食えず、どんどん兼業化し、専業でふんばっていた原田家は貧しかった。
 ■原田富生さん

 それでも、「農家は100%自由になれるから、いいのだ」という親の言葉にも誘われて、全寮制の大阪農業短期大学へ。短大では多くの卒業生が農協、公務員、肥料・農薬会社へと進む一方で、後に後継者として農業を引っぱっていくことになる人たちと一緒になり、今もつきあっていると言う。

 しかし、有機農業を志したのは「たまたま」だった。当時、巷では成田空港の建設をめぐる問題があって、代々苦労して開墾した肥沃な農地を、国策の名のもとに取りあげられる農家の姿を目にし、また時の農政や時々の市場価格に翻弄される農家の姿を目にして、そうではない農業をと考えた。当時はまた、反原発運動が高揚を見せた時期でもあり、農薬や化学肥料を使わない安全な野菜を求める声が大きくなっていた。提携ということが語られ始めた時期でもあった。北摂・阪神エリアの消費者グループと結んで、自ら栽培した有機野菜を配達した。

 まだ有機野菜が手に入りにくい時代でもあり仕事は順調だったが、農業と配達を掛け持ちするのは体力的にもきつく限界があり、病で100日ほど休養したのを機に、有機野菜の卸しとのつきあいに軸足を移した。提携先の有機野菜宅配が大きくなるのに合わせるように生産を拡大し、原田さんはつれあいの玲子さんとともに、「原田ふぁーむ」として有機農業を営みつつ現在へといたっている。


新規就農者の輪をつくる

 出荷先ができることによって、規模が拡大できたと同時に、耕作放棄されて荒れた農地を引き受けて維持・保全し、多少なりとも地域の環境を整備し、また農業を志す若い人たちも受け入れることができるようになった。彼らはしばらくするとそれぞれ能勢で独立し定着していったが、それには農産物の出荷先として北摂協同農場、よつば農産があったことがとても大きな力になっていると言う。

 農業研修の若い人たちを受け入れているのは、ひとつには労働力として求めるということもあるが、それだけではないのだと原田さんは言う。ムラにはさまざまな寄りあい、結いがあり、それが村人を結びつける役割を果たし、ムラの男たちにとっては楽しみでもあったのだが、原田さんの時代になると農家も兼業が多くなり、いろいろなしきたりもあってそれが負担にもなり、維持することもむつかしくなってきた。

 “自分にとって本当に楽しくて心地の良いところは?”と考えたときに、それは自分で作るしかないと思ったということだ。若い世代の新規就農者たちとの関係が自分にとっての心地の良い場所になっていると言う。新規就農者の増加に伴って、能勢町では長らく活動を休止していた若い農業者の交流の場である青年農業者クラブ(4Hクラブ)も実に30年ぶりに復活し、原田さんはその顧問に就任した

 講演では話されなかったが、原田さんはまた一方で、都市部の市民たちを受け入れて、田植えから除草、稲刈りまでを体験するというイベントを、もう30年も受け入れている。実は私もごく初期に幾度か参加したことがあるのだが、そういうところにも原田さんの開かれた感性のようなものを見ることができる。新しい風を進んで受け入れるという感性が、有機農業に挑戦し、都市部の消費者との提携を進め、また新規就農者を目指す研修生を受け入れたり、米づくりイベントに協力したりということにつながっているのではないかと思った。


「壊滅的」な農業に向きあって

 能勢の農業については、原田さんは「壊滅的」という言葉を使った。部外者から見て、新規就農者がいて、お洒落なお店が点在して、また道の駅も繁盛していて、能勢という地については明るいイメージもあって、ちょっと意表をつかれたのだが、続く原田さんの言葉を聞いて納得した。能勢地区の農業の後継者というのは新規就農者がほとんどだということ。言い換えれば農家に跡継ぎがいないということだ。ほとんどが兼業農家で、跡継ぎがいないまま、どんどん高齢化が進んでいる。

 原田さんが特に強調したのは、稲作農家の減少だ。稲作には水の管理が不可欠で、それは村人の共同作業としてやらなければならない。水路の整備や掃除、水をせき止めて田んぼに流す作業など地域全体で保全すべきものだ。ところが共同作業にも出てくる人手はどんどん少なくなり、来るのも80歳すぎのお爺さん、お婆さんだったりする。

 新規就農者は増えているが、彼らにとって稲作はとてもハードルが高い。田植機、トラクター、コンバインなどなど、必要な投資がとても大きいし、その割に農家にとってはお米は安く、消費者のお米離れもあり、採算が合うかどうかはきわめて不透明だ。

 能勢というところは都会からも近く、自然も豊かで、魅力的なところだけれども、こと農業にとってはむつかしい課題が山積しているということだ。


質疑応答でのあれこれ

 原田さんが現在作っているのは、レタス、サニーレタス、キャベツ、きゅうり、トマト、黒豆の枝豆、ネギ、ほうれん草、小松菜、並行してお米など。多品種栽培は、昔に提携で配達していた頃からのことで、有機農業の先輩から勧められたこともその理由だが、有機栽培のためのリスクを分散するという意味がある。また、時期ごとに違う作業になることで、気持ちが切り替わるということもあると言う。葉物の周年栽培やトマトの長期栽培など、単一の作物を育てて収穫するというのが効率的ではあるかもしれないが、同じ仕事が続くので、作業としてはしんどい面もあるということだ。

 「有機農業で良い野菜をつくる秘訣は?」という会場からの質問に、原田さんは困った顔で、「そんなものはありません」と答えた。「強いて言うならば、作りやすい時に作るということかな」と。つまり旬の野菜ということだが、しかし原田さんによると、美味しいのは冬のトマト、いちごだとも言う。トマトは夏野菜だと思われているが、暑すぎるとダメで、30℃以上になると受粉しない。本当に美味しいのは冬にボイラーを焚いて、温度を管理して作るトマトやいちご。それはまた消費者が求めることでもある。作りやすい時に作る旬の野菜は、たくさん採れるので安くしか売れない。そういうジレンマがあるということだ。

 会場を含めた質疑応答はその後も続き、ネオニコチノイド系の農薬によって日本蜜蜂が巣に入らなくなってしまったという状況や、それに関連して、個々の野菜の生育履歴やその生産者が会員からは見えないということの問題が指摘された。

 よつ葉の地場野菜は「箱ごとトマト」(生産者カードを入れている)を除いては会員からは生産者を特定することができない。「地場野菜」という括りでしか知ることができない。自分としては買ってくれるのだからそれで良いのだけれども、会員からはどうなのかな、と原田さんは言う。今どき一般のスーパーでも○○さんの野菜と謳っているのに、それはどうなのかと。そのことに関しては検討中だというよつば農産からの答えだった。

 「地場野菜」として野菜を扱うというのは、個々の農家としてよりも地域全体のこととしておつき合いを広めたいというよつ葉農産の考え方が反映されているかもしれないが、農薬の使用状況について検討するということも含めて、そのこともまた転換点にあるのかもしれない。

 こういう場で話すことには慣れていないという原田富生さんだったが、能勢の地に根を下ろして有機農業を営む農家としての確かさのようなものを感じた。またそのことが、いろいろな道筋をたどって、若者たちが「原田ふぁーむ」に集い、また巣立っていく道しるべにもなっているような気がした。

                                                  
(下前幸一:当研究所事務局)


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