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兵庫県丹波市の酪農家訪問 報告

経済のグローバル化が進むなか

身近な生産者とのつながりを考える

 本誌第170号では、昨年末に発効したTPP(環太平洋連携協定)および2月に発効した日本とEU(欧州連合)とのEPA(経済連携協定)を中心に、ますます勢いを増している自由貿易・経済連携の動きが私たちの暮らしに何をもたらすのか、識者の講演内容を紹介した。今回はそれを受けて、そうした動きが私たちの身近にいる生産者にもたらす影響についてお伝えしたい。


はじめに

 TPP(環太平洋連携協定)や日欧EPA(経済連携協定)をめぐっては、国内農業とくに畜産・酪農への負の影響が指摘される。実際、TPPが発効して以降、関税が大きく下がったカナダ産やニュージーランド産を中心に牛肉の輸入量が急増しており、国内市場への影響は必至だと言われる。

 もっとも、牛肉については、すでに輸入自由化はかなり行われており、農家の対策も含めて国産と輸入物との「棲み分け」がなされている。それに比べると、同じ牛でも酪農、とくに焦点となる乳製品について、事情はそれほど定かではない。

 これまで乳製品は輸入量の多いチーズでも約30%、脱脂粉乳とバターでは100%を超える関税が課せられていた。ところが、TPPの合意によると、脱脂粉乳とバターでは、生乳換算で合わせて7万トンまで低関税の輸入枠が設けられることになり、11年目からはさらに関税が引き下げられるという。

 これに加えて、日欧EPAではTPPで対象外だったチーズにも低関税の輸入枠が設けられ、さらに発効16年目には関税がゼロになる予定だ。これらの影響については、以下のような見通しがある。

 「農林水産省は、日EUのEPAによって国内の農産物生産額は最大686億円減ると試算するが、その約3分の1は乳製品だ。乳製品はTPPでも最大314億円の影響があるという。販売が落ち込み、原料となる生乳の価格が下落すれば、酪農家には打撃となる。」(2019年1月30日『朝日新聞』)

 ところで、酪農といえばついつい北海道をイメージしてしまいがちだ。スーパーに行けば「北海道」「十勝」などと銘打った紙パックが各種売られている。関西よつ葉連絡会も、その名のとおり、もともとは北海道「よつ葉牛乳」の共同購入運動から出発した。

 しかし、当然ながら本州各地には地元の酪農家を基盤とした酪農組合や乳業メイカーが存在する。関西よつ葉連絡会で言えば、兵庫県丹波市を拠点とする兵庫丹但酪農農業協同組合(2014年に製造販売部門が丹波乳業株式会社となる)だ。こうした身近な地域の酪農がどのような影響を受けるのか、あるいはそもそもどんな現状にあるのか、酪農家の皆さんは今後の展望をどう考えているのか――。まずはお話をうかがってみた。


酪農業界独特のきびしい構造

 丹波市は京都府と境を接する兵庫県東部の内陸、日本海と瀬戸内海の中間に位置している。地勢は全体に山がちで、典型的な近畿の中山間地といった雰囲気がある。産業の農林業が中心だが、国道添いには工場なども目につく。2004年に旧氷上郡の6町が合併してできた、比較的新しい市である。

 今回訪問したのは、同市市島町で酪農を営む「永井牧場」の永井秀樹さん(59)、同じく市島町で乳牛と肉牛を飼育する「塩谷牧場」の塩谷謙輔さん(68)。能勢農場・寺本さんの紹介で、お話をうかがうことができた。

 塩谷さんは1977年に他所から移住してきた。当時は氷上郡全体で160軒ほど、市島町だけでも18軒の酪農家がいたという。それが今では丹波市全体で12軒、市島町では4軒になってしまったという。

 永井さんは1997年、脱サラする形で親の跡を継いで酪農を始めた。ただし、酪農がしたかったわけではなく、病に倒れた父親を元気づけるため“生きている間ぐらいは”と考えたからだという。塩谷さんとの時間差は20年、その段階で、すでに氷上郡全体ではおよそ50軒にまで減少していたそうだ。
 ■永井さん(左)と塩谷さん(右)

 お二人とも、昔に比べて酪農が厳しくなっているという実感を身にしみて感じるという。

 「利益率の話をしたら、ワシが始めた時分は、頭数は少なかったけど35%ぐらいはあった。それが今では15%。半分以下や。」(塩谷さん)

 「ウチも親父の時代と比べたら、やっぱり乳量をたくさん搾らないかんようになってますね。同じ収益を上げようと思ったら、親父の時代は日量800キロでよかったけど、いま1トンでは無理やね。」(永井さん)

 そうなると、勢い増頭して規模拡大という話になりがちだが、そんな簡単なものではないらしい。

 「酪農が難しいのは、仮に100頭増やしたとしても生産性は2%しか上がらないところなんですわ。ウチはいま40頭飼っています。ここに50頭プラスしたとしましょう。そうなると、生産性はたった1%しか上がりませんね。でも、必要となる投資は億の単位なんです。わずか1%の生産性を上げるために億の投資をせないかん。他の業界ではありえへん、酪農業界独特の構造なんです。」(永井さん)

 乳牛の新規導入、畜舎の改築、機械設備の更新などはもちろんのこと、大きな比重を占めるのが飼料の問題だ。配合飼料を中心に輸入に頼らざるを得ない部分があるため、為替の変動に振り回されてしまう。近年は世界的な気候変動やバイオエタノール生産の影響で穀物相場が高騰、その影響は免れない。

 一方で、自給飼料を作ろうと思っても、中山間地ではベースとなる圃場が狭く、必要とする面積を集積することは難しい。また、作業効率の悪さから採算が合わない。飼料は買った方が安くつくという。


北海道と本州の密接な関係

 このように、ただでさえ構造的な困難を抱えた酪農。この上さらにTPPや日欧EPAの影響が加わってくるのだから、たまったものではないが、その構図はなかなか複雑だ。

 実は、日本の牛乳のおよそ半分は大規模酪農家が盛んな北海道で生産されている。ただし、その8割ほどは乳製品に加工され、生乳(飲用牛乳)として本州に流れてくる量は少ない。かつて技術上の問題で北海道からの流通が難しかった時代の名残から、現在も北海道は乳製品が主体、本州の生乳は本州の酪農が主体という慣例が存在する。そのため、本州での北海道牛乳の割合は消費量の1/4にとどまる。

 ところが、乳製品の関税が撤廃され、海外から乳製品が大量に輸入された場合、北海道の酪農は生き残りをかけて生乳を本州に出荷せざるを得なくなる。北海道との価格競争で劣位にある本州の酪農にとっては甚大な打撃が予想される。この点について、意見をうかがってみた。

 「どんな影響が来るんか、実際になってみないと分からんというのが正直なところ。ただ、改めてチーズやバターにものすごく高い関税がかかっているのを見ると、その分がなくなったら、消費者が輸入品の方に行ってしまうのは当然やろうね。農業関連の補助金の原資は関税だし。そんなん考えたら、どないしてもいまよりよくなる可能性は考えられんですわ。」(永井さん)

 「北海道の牛乳が関東に行って、関東の牛乳が関西に来るという段取りになってるいう話は聞いたことがある。輸送コストの面で一気に関西まで来られんらしいで。」(塩谷さん)
 ■日本の酪農の仕組み
  (2014年1月6日『東京新聞』)

 たしかに、北海道から本州へ流通させるには、1リットルあたり18~20円の輸送費かかるため、即座に影響が及ぶわけではないという意見もある。とはいえ、要は時間の問題なのかもしれない。

 また上記の慣例が崩れることによって、現実には密接な結びつきがある北海道の酪農と本州の酪農が共倒れになる恐れもある。

 報道などによれば、北海道の酪農は子牛を本州の酪農家に販売して得る収入も経営の重要な一部になっているという。乳牛が乳を出すためには妊娠・出産という自然の過程を欠かすことはできない。しかし、産まれた子牛をすべて育てるのは大変だし、雄では乳牛にならない(現在では性別を選択できる「雌雄判別」技術もあるそうだ)。そこで、北海道の子牛の多くは本州の酪農家に買い取られ、乳牛や肉牛用に肥育されているという。つまり、北海道の生乳が本州に大量流入して本州の酪農が潰れてしまえば、実は北海道の酪農も成り立たなくなるわけだ。

 もっとも、この話は近畿圏ではあまり耳に馴染みがないようだ。

 「子牛の買い取りですか。この辺りでは聞いたことはないですね。でも、こちらからは預託の子牛がけっこう北海道に行ってますね。繁殖した牛を途中まで育てても場所がないんで、北海道の育成専門の牧場にお願いしているんですわ。」(永井さん)

 「逆に北海道で雌雄判別つけて子牛を産ませても、本州の牛が多すぎて、預託先がなくなっとるいう話もあるで。」(塩谷さん)

 実際、永井さんの場合も1年ほど前と比べて、預ける月齢は2ヶ月遅くなり、戻ってくるのは2ヶ月早くなったという。それほど飽和状態にあるらしい。

 報道によれば、預託とは次のような仕組みである。

 「預託事業は、飼育場所やふん尿処理に余力がない本州などの酪農家が利用する制度。生後半年程度の子牛を北海道の酪農家に売却し、2歳余りで受胎すると買い戻す仕組みで、牛乳を生産できる乳牛を40万円程度で仕入れられる。」(2017年10月17日『神戸新聞』)

 それが、なぜ飽和状態に陥るのか。

 「預託事業の急増は、乳牛の高騰が原因。乳牛価格は100万円になることもある。もともと乳牛が減少していた上に、乳牛のおなかで和牛の子牛を育てる事業が拡大し、不足感が強まっている。」(同前)

 要するに、畜産農家の廃業などによって和牛が減り続け、母体としての和牛が不足するようになってしまった。そこで、代わりに乳牛の腹を借りて母体とし、そこに和牛の受精卵を交配する(※)ことで和牛の子牛を増やす方策がとられるようになった。ところが、その結果、今度は乳牛不足が生じ、価格が高騰することになってしまったのだ。

 こうなると、市場で新規に牛を導入することは難しい。そこで、酪農家としては当然にも、とりあえず自分の牛を預託しておき、受胎した初妊牛を買い戻すことで生産コストを抑えようと考える。かくして、北海道への預託が殺到し、飽和状態に陥るというわけだ。

 ※乳牛(ホルスタイン雌)と肉牛(黒毛和種雄)の交  雑種、いわゆるF1とは異なる。


生き物相手であるが故の問題

 しかし、その一方で「100万ほどになっとってもどんどん買いに来るらしいわ」(塩谷さん)という状況もあるそうだ。

 「それが不思議でね。ウチらの感覚やと、平均の産次数が2.8って言うぐらいで、最低でも3産ぐらいせんと元が取れへんわけですよ。妊娠させてから産ますまで50万ぐらいかかる。そうなると、初妊牛を100万円で買うたら6産ぐらいしないと元が取れへん。」(永井さん)
 ■牛たちがのんびりと過ごす
  永井さんの牛舎

 初妊牛を導入し、子牛を産ませて乳を搾る。再び種付けして妊娠させ、産ませて搾る。これを6回繰り返し、7回目にようやく利益が出るということだ。

 「そんなん無理ですわ。実際、ウチは40頭いますが、3産で(元が取れると)考えても、利益が出る牛は半分しかおらん計算です。たぶん全国平均でもそんなもん。それが酪農の生産性の低さの最大の原因やね。むしろ、余った初妊牛を売ったほうが確実に利益が出せる。(預託して)戻ってきた牛を搾っても半分しか元が取れへんから、牛を買ってでも預託に出して、その後売るっていうのが一番堅い商売になる。年間の乳量を増やせば増やすほど、産次数はどんどん短くなる。だから、搾れば儲かるという感覚はありませんわ。産次数と乳量のバランスで損益の分岐点が決まってくる。それはそれぞれの農家で違うやろうけど……。」(永井さん)

 「一応、乳牛の供用年数は法的には4年と決まっとるけど、なかなか4年ももたへん。そこ(乳量)だけみれば利益は出てるかもしれんけど、牛がもたへんから、そっちの方で原価割れしてしまいよる。」(塩谷さん)

 「年間乳量で1万2000キロぐらい搾っているところでも、決して儲かっているわけではないんです。牛舎のメンテナンス費用にも事欠くぐらいやそうですわ。でもエサ屋(飼料業者)は儲かる。たくさん搾らせただけエサをようけ喰いよるから。乳量が増えるごとにエサ屋は「すごいですね~」とおだててエサを買わせ、おだてられた酪農家は潰れていく。それが現実とちゃうかな。」(永井さん)

 これだけではない、永井さんによれば、3産で元が取れると仮定した場合、毎年3割ほどは牛を更新する必要が出てくるという。永井さんの場合は40頭飼育しているので1年間で12頭だが、成牛になるまで2年かかるため、牛床の稼働率を100%で維持しようとすれば、常時24頭の育成牛を抱えなくてはならない計算になる。40頭を飼育しながら利益が出るのは半分、その上で24頭の“扶養家族”を抱えざるを得ないが、抱えておかなければ稼働率は維持できない――。

 「酪農」という言葉を聞けば、なんとなく長閑な光景を思い浮かべがちだが、経済行為である以上、安穏とした経営で済まされるわけがないのは当然だろう。とは言え、聞けば聞くほど、想像以上の繊細なバランス感覚が求められることに気づかされる。やはり相手は生き物、工業製品を扱うようなわけにはいかないのだ。

 この点に関連して、とりわけ畜産や酪農にとって避けられないのが糞尿の処理である。

 「北海道もいま酪農しようと思ったら億の金がいるさかい、新たにやろういう人間がおらんらしい。そやから乾草をつくってそれを販売するとか、あとは育成牧場をつくるとか、まずはそういうことで資金をつくって酪農をするという形になっているそうや。ほんでも、北海道でも有数の酪農地帯、一般市民より酪農家の数が多いようなところでも、公害問題が起きとるらしいで。糞尿処理の問題や。規模拡大しても文字どおり糞詰まりになってまいよる。ここは近くに“こんなん”があるから、うらやましい言うてはったわ。」(塩谷さん)

 塩谷さんが「こんなん」と言うのは、永井牧場に隣接する堆肥処理施設「市島有機センター」のことだ。言われてみれば、すでに1975年には市島有機農業研究会が形成されていたように、市島町といえば有機農業の先進的地域として全国的にも知られている。それを支える堆肥の生産元として、 酪農や畜産は認知されているということだろう。

 ところが、現実はそれほど甘くはない。

 「認知されているんかもしれんけど、たとえば新規就農で酪農しよう思うても、自治会の承認がいるわけです。ほんで、結局は自治会の承認が壁になって新規就農が阻まれるというのが現実ですわ。要するに酪農は迷惑施設という考え方なんで、むしろ地元でのほうが市民権を得ているとは言い難いんちゃいますか。」(永井さん)

 生き物の排泄物が土に還り、それを養分として新たな生命が育つ。これが自然の循環だ。かつては日本全体で営まれていた循環も、都市と農村の分断によって農村に集約されざるを得なくなった結果、地域の矛盾として現れるに至ったわけだ。都市の消費者としても知っておくべき問題だと言える。


「酪農プラスアルファ」を考える

 以上からも分かるように、状況は決して明るくない。もっとも、それは日本の農業全般に言えることかもしれない。そうした中、たとえば肉牛では完全に二極化が進みつつある。国内の畜産農家は高品質に特化し、高級な和牛を海外の富裕層向けにへ輸出することで生き残り、一般庶民は安い輸入牛肉を食べるという形だ。しかし、酪農の場合はそれほどはっきりと二極化できるようには思えない。

 「難しいですね。やっぱり酪農の生産性の低さ、それに引っ張られて所得が上がらないというところが最大の問題やね。たとえば再生可能エネルギーとか、他のことでプラスアルファを考えないと。酪農だけやっていたんでは、現状が厳しいというより、次につながらんもんね。なかなか新規参入が難しい業界なんで後継者につないでいくしかないんやけど、現実問題として親子間で事業を継承していくのが一番スムーズなんでしょう。それでも、全体で見れば後継者のいるところなんて2割3割のレベルですね。塩谷さんのところは息子さんが後継ぎになってくれたんでええけどね。」(永井さん)

 「う~ん、難しいなぁ(苦笑)。ワシより子どもの方がもう一つ上のことを考えてくれたらええんやけど、目先のことばっかり考えよるからな。相当頑張ってもらわなあかんわ。」(塩谷さん)

 “酪農だけでは次につながらない”というのは、一面では悲観的な表現かもしれないが、裏を返せば“酪農だけにこだわる必要はない”という意味でもあるだろう。もともと「百姓」とは「百の仕事をこなせる人」を意味する言葉だったとも言われる。生きていくのに必要な各種の仕事を自分でできる、自立した人間のありようを示すものだ。
 ■市島有機センター

 考えてみれば、一つの仕事に特化すればするほど、リスクや変化への対応力は弱くなる。農業における「規模拡大の落とし穴」と言える。若い世代としては、その点をどう考え、自らの道を切り開くかがポイントになってくるのだろう。


関係の深まりから、次を展望する

 ところで、関西よつ葉連絡会全体として丹但酪農(現・丹波乳業)の牛乳を扱うようになったのは2005年からのこと(それ以前は、構成団体の一つである川西産直センターが独自に扱っていた)。この件について、中川健二・連絡会事務局長(当時)は次のように記している。

 「これまでずっと牛乳・乳製品は(中略)北海道の「よつ葉牛乳」を扱ってきました。その意味で今回、近畿・兵庫県の「丹但牛乳」を扱うことは大きな転換とも言うことができますし、今後私たちが「牛乳」について、また「酪農」について考えるために一歩踏み出したことになります。」(『ひこばえ通信』第226号、2005年5月)

 「牛乳に対する(消費者会員の)要求や考え方が変わるなかで、牛乳とは何かをもう一度考える良い機会かも知れません。」(同前)

 「それから考えなければならないのは酪農の現状です。(中略)地域農業・地域酪農の再生に元気で頑張っている酪農家の皆さんと酪農農協を応援したいと思います。」(同前)

 こうした問題意識は、それからしばらく後、関西よつ葉連絡会の畜産部門である能勢農場を通じて具体化する。寺本さんは次のように当時を振り返る。

 「能勢農場がこの地域の酪農家と関わるようになったのは2009年ごろからですわ。当時の酪農組合の塩見忠則組合長と話をする中で、それまで農場は博労さん(牛や馬の仲買商人)から肥育開始前の素牛を仕入れていたんですが、その関係を切ってここからF1種の素牛を出してもらうようお願いに行ったんです。その時、永井さんからは「ホンマに引き取れるんか?」とえらい釘を刺されましたね。」

 幸いにも、農場は順調に牛を引き取ることができ、出所のはっきりした、消費地に近い圏域での肉牛生産という「畜産ビジョン」を実現することにもつながった。同時期、酪農組合から春日町の廃業した畜産施設を斡旋していただき、春日育成牧場を設立することもできた(現在は肥育が中心)。先に永井さんが指摘されたように、糞尿処理が壁となって畜産の新規参入が困難だとすれば、春日牧場を設立できたのは希有な事例と言えるのかもしれない。

 ともあれ、これを通じて農場はさらに地域に深く入り込むことになる。広島を拠点に麦や大豆などを作っていた世羅協同農場が移転し、丹波協同農場として再出発できたのも、その賜物と言えるだろう。

 「こういう経験を通じて、お互いに補完し合うような関係を積み重ねていくことが大事なんやなということを勉強させてもらいました。」(寺本さん)

 つい最近も、塩谷さんの口利きで春日牧場の糞尿からできた堆肥について、ダンプ100台分の撒布先を紹介してもらうことができたという。

 「ホンマにありがたいですわ。農業や畜産なんて、そもそも自分のところだけで完結するなんてことはあり得ませんから、こういう関係が今後ますます重要になってくると思いますよ。地域の中で職種を超えて相互依存・相互補完できる関係を考えていかなければ、共倒れになってしまう。」(寺本さん)

 とはいえ、すでに見たように全般的な状況は厳しい。地域の酪農や農業を元気づけるために、まだまだやれること、やるべきことがあるはずだ。その際、やはりポイントとなるのは、丹波市という地域の中で畜産・酪農と農業が循環的な連携を形成していること、その上で身近な距離にある中山間地と都市とが食べ物を通じてつながることができる可能性を持っていることだろう。

 「たとえば、永井さんや塩谷さんのところから牛を出してもらって、それを肥育して肉にする一方で、子牛はどこから来ているのかと問われたら「ここですよ。酪農してはるんですよ。その牛乳も扱ってますよ」と答えられる。そういうつながりをもっともっとアピールできるんとちゃうか。」(寺本さん)

                        ※      ※      ※

 私たちの日々の生活には、すでにさまざまな関係が基盤として存在している。それはあまりに身近であるため、往々にして見過ごされがちだ。しかし、いざそうした関係がなくなってしまえば、私たちの生活は大きな変化を余儀なくされる。

 農業にせよ酪農・畜産にせよ、設備と原材料を用意すれば任意の場所でできるようなものでは決してなく、長年にわたる地域の風土と人々の暮らしがつくりあげてきたものだ。今回の訪問を通じて、改めてその点を強く感じた次第である。

                                                   (山口協:当研究所代表)



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