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              改革開放40年の中国を考える(下)

「中国化」進む香港、
                         
                      「中国化」に抗する香港


               小出雅生さんに聞く

 改革開放政策から40年を迎え、年を追うごとに世界における存在感を高めていく中国。私たちはその姿をどう捉え、それとどう向き合っていくべきか。この年末年始にかけての深、広州、香港への訪問をダシに、中国の一面を考えてみたい。今回は香港の現状について、香港在住の小出雅生さん(香港中文大学講師、日本語教育)のインタビューをお届けする。

はじめに

 この間の中国をめぐって、よく指摘されるのが権力の一極集中だ。習近平指導部は昨年の全国人民代表大会(国会に相当)で国家主席の任期を撤廃した。それに先立って行われた共産党大会でも権力中枢の政治局常務委員を側近で固めており、日本ほか海外メディアでは“第二の毛沢東を狙っている”といった評価も少なくない。

 同時に指摘されるのが、思想や言論、宗教などへの統制強化である。とりわけ、ここ数年、香港に対する介入・支配は際立っている。

 1984年の中英連合声明で、中国は一国二制度に基づいて香港の社会主義化を行わず、香港の資本主義制度は50年間維持されると謳われた。その後、97年に中国へ返還されてから20年あまりが経過したが、香港の資本主義制度は維持されていることは間違いない。

 しかし一方で、中国型の統治システムは着々と強化されている。中国政府主導の「中国化」が進む中で、香港が英国統治下で苦労の末に手に入れた「民主・自由・法治」は掘り崩されようとしている。

 とはいえ香港には、進行する「中国化」に身を任せるのではなく、それに抗するさまざまな動きも根強く存在する。「中国化」の進む現実とそれに抗する模索――。そうした香港のありようを通じて、私たちは中国とどのように向き合うのか、重要な示唆を得られるように思う。

 今回インタビューをお願いした小出さんは1967年奈良県で生まれ、学生時代にキリスト教青年運動の関係で香港と縁を持ち、香港女性と結婚。2001年から香港に在住し、現在は香港中文大学で日本語を教えている。
 インタビューは1月3日、中文大学構内で行った。文責は当研究所にある。
                                                       (山口協:当研究所代表)


第三勢力の登場

 ――これまで香港では、中国に対する立場として大きく「親中派」と「民主派」に二分されていましたが、2014年の「雨傘運動」をきっかけに第三勢力「本土派」
(註1)が登場しました。民主派と本土派の違いは世代的なものが大きく影響しているそうですが。

 小出雅生(以下、小出):基本的に世代的な違いよりも個人の意見の違いの方が大きいと思いますが、その上で、たしかに民主派は年齢層が高めの人が多く、本土派には若い人が多いということは言えるかもしれません。古い世代の民主派には「反中国」という意識はありません。むしろ、自分たちこそが「真の中国」であり愛国者だ、という考えが色濃く残っています。たとえば、「尖閣諸島」に船を出して領土権を主張するような人たちは、古い世代の民主派が中心です。そこからすると、現在の中国政府は「真の中国」から逸脱しているわけです。
■くまモンとツーショットの小出さん

 ――いまの香港で、そうした旧来の民主派の立場はどれくらい支持を集めるのでしょうか。かつては香港の自由を守るためにも中国大陸の民主化に関心を持ち、支持するという考え方が強かったように思いますが、この間“香港は中国ではない、中国の政治がどうなろうが香港とは関係ない”というような主張が現れていると聞きます。

 小出:それについては、「一国二制度」や基本法
(註2)をどう見るかによって違いが出てくると思います。自決にしろ独立にしろ、そういう意見が強くなってきた経緯があります。まず、返還まではあくまで中国と英国の間に香港があり、香港の存在は「一国二制度」をはじめ両国の合意を後ろ盾にしていました。ところが、中国政府は返還以降“一国二制度を守る”といいながら、徐々に“私がルールブックだ”という姿勢を露わにしてきました。

 返還前の話では2007年の行政長官選挙で普通選挙
(註3)が導入される予定でしたが、政治状況を理由に延期されることになりました。ところが、次の2012年も実施されなかった。そこで、その次の2017年に向けて香港側でいろいろと働きかけを始めたわけです。「オキュパイ」(註4)もその一つです。

 香港では同じ年齢で選挙権と被選挙権が持て、有権者の1%からの推薦があれば立候補できることになっています。香港の人々は行政長官選挙についても同じであるべきだと考えていましたが、中国政府は候補者を選考する委員会をつくると言いだしました。現在の選挙人の制度からして、委員の選考に中央政府の影響が色濃く反映されるのは見え見えです。そうなれば、民主派の人たちが立候補できる可能性はまずなくなる。そういう一連の動きの中で、雨傘運動
(註5)が広がっていったわけです。

 古い世代の民主派は、あくまで英国と中国の間で香港の存在を考え、中国政府に基本法を守らせようとしてきましたが、それは若い世代の実感とは差が出てくるわけです。物心ついた時には返還が終わっていた若い世代からすれば、中国政府の動きは、口では一国二制度といっているけれども結局は時間稼ぎの言い訳に過ぎないではないか、向こうが本気でやる気がないなら、こちらが本気で実現させるようにしなければ、ということになってきました。

 それが本土派の基本認識だと言えます。その上で、大まかに言えば、いきなり独立をめざすという考えの人たち(独立派)と、独立かどうかも含め、まずはフリーハンドで住民投票をして決めるべきだという人たち(自決派)に分かれるということです。

 ――しかし、独立はもちろん住民投票をするにしても、中国と香港では圧倒的な力の差があります。しかも、香港全体で意見が一致していればまだしも、大きく割れており、経済的な力を持つ人たちの多くは親中派です。つまり中国政府に正面から対抗するのは難しい。むしろ、中国内部で何らかの政治的な変化が起こらないと、対抗の余地も拡大しないと思いますが。

 小出:そのあたりの状況認識については、非常に幅があるということでしょうね。独立派の中には“香港の周辺海域から石油が出る”といった話をする人もいますが、現実には電気・水道・食糧を中国本土に握られているわけです。また、返還以降の20年で、経済活動を含めて香港独自の展開が難しくなっています。アジア通貨危機やリーマンショックなどを見ても、香港独自で迅速な対応が取れず、中国政府の思惑に引きずられる傾向が強くなっています。

 返還当時、香港と中国本土の経済規模は1対4程度でしたが、いまは1対25に差が開きました。この間、香港をめぐって巨大なインフラ開発が行われましたが、方針は中国本土が決める一方、建設費は香港がかなり負担しています。結局は香港の経済的優位をどんどん骨抜きにする形になっていることに対して危機感がありますね。

 昨年9月に新設された高速鉄道
(註6)は、香港領内での運行についても中国側の中央制御室で管理しています。香港の「主権」を否定するものだということで、問題視する声も多かったのですが、結局は押し切られてしまいました(基本法違反ではないかということで、現在も裁判が争われています)。鉄道が治外法権というのは、それこそ満州国ではないか、という意見もあるぐらいです。

 ――外から見ると、あからさまに強圧的な振る舞いは中国側にとっても逆効果だと思います。変な言い方ですが、それなりに民主派の活動の余地を残す「洗練された統治」をした方が、結局は得になるはずです。もっとも、中国側は自分たちが強圧的だとは思っていないのかもしれません。いずれにせよ、中国国内でもこの間、言論の自由や宗教、民族などに絡んで締め付けが強まっており、それが香港にも及んでいるような気がします。

 小出:それはあるでしょうね。香港にも最近、従軍慰安婦の少女像が設置されましたが、これまでこの問題に取り組んできた人たちとは別のグループによるものです。どこから資金が出ているのか、いろいろな噂が取り沙汰されています。そういう面でも中国国内の諸事情が絡んでいると思われます。

(註1)香港こそ自分たちの本土と考える政治潮流。中国の一部としての香港ではなく、香港の主体性と独自の歴史文化を強調する。「本土自決派」とも呼ばれるが、厳密な定義は難しい。香港の自己決定権の確立をめざす「自決派」、香港の独立を唱える「独立派」を含むとされる。
(註2)香港特別行政区基本法。中国返還後の香港の政治・経済体制を定めた法律。香港が「一国家二制度」による「特別行政区」として高度の自治権を有し、独自の立法・行政・司法の権限を持つこと、また将来の行政長官(政府トップ)と立法会(議会)議員を普通選挙で選ぶことを明記している。
(註3)中国全人代常務委員会は2014年8月、基本法に明記された行政長官普通選挙をめぐって、2017年に実施はするものの、候補者は共産党が支持する数名に事実上限定する制度を導入すると決定。18歳以上の全員に投票権を認めはするが、候補者段階で制限を設ける「偽の普通選挙」だとして香港市民の反発が高まった。
(註4)「オキュパイ・セントラル」。2011年に米国で起きたウォール街占拠運動にヒントを得て、著名な学者や宗教者などの呼びかけにより、金融の中心地であるセントラル(中環)地区の占拠を通じて「真の普通選挙」の実現を求める市民運動。
(註5)もともとは「真の普通選挙」を要求する大学ストライキなどから始まった学生中心の運動だが、その後「オキュパイ」を凌駕する形で広範な運動に拡大。9月28日から12月15日まで、香港の主要な地区を占拠。排除しようとする警察の催涙スプレーに傘を広げて対抗したことから「雨傘運動」と名付けられる。
(註6)広深港高速鉄道。香港の西九龍駅から深を経て広州に至る高速鉄道。本来は香港と深の双方で出入境手続きを行うにもかかわらず、西九龍駅構内で中国側職員が中国の法律に基づいて業務を行うため、「一国二制度」を無視するものだと批判を呼ぶ。マカオ、珠海と香港をつなぐ「港珠澳大橋」と合わせ、「大湾区構想」の一環とされる。


再開発反対運動と香港人意識

■交通インフラの強化を通じて進む大陸との一体

 ――ところで、自決派といわれる人々はどのような活動をしているのでしょうか。日本では、主に「デモシスト」
(註7)の活動がよく取り上げられています。

 小出:一口に自決派と言っても、いくつか傾向があるようです。その中で注目すべき動きは、再開発反対運動です。ディズニーランドのある大嶼島(ランタオ島)の南には長洲とか坪洲といった小さい島が点在し、浅瀬が広がっていますが、この間、行政長官が一帯を全部埋め立てて巨大な住宅地にするという計画を打ち出しました。もともとは国際空港をつくる時に埋め立て計画が出され、なんだかんだで結局は流れたという経緯があります。当時、低地を埋め立てる危険性について懸念が高まりましたが、それが再燃しています。

 それと、埋め立てのためには中国側から土を買うことになりますが、値段が異様に高いんですね。実は最近、高速道路の遮音壁や歩道橋などをつくる際に、やたらと分厚い鋼材を使ったものが目につくんですが、おそらく中国国内でだぶついた鉄鋼のはけ口として、高く買わされているのではないかという噂です。

 要するに香港が中国経済の調整弁に使われているわけですが、そんなふうに中国の言われるままになっている現在の香港政府をなんとかしたいということで、いろいろ活動をしているようです。

 さらに、新界・元朗の近くに位置する村の開発計画の問題もあります。村の人たちは安い立ち退き料で立ち退かされ、その後に豪華なマンションを建てた人たちが儲けるといったパターンですね。先祖代々住んでいたところを追い出された村人たちが根無し草にされてしまう。それに対する反対運動なども取り組まれています。

 あるいは、環境問題について取り組んでいる人もいます。以前に案内した菜園村生活館グループ
(註8)の若者たちも、そうした流れの一つです。まずは自分たちで食べものを確保することから始めようということですが、正しい視点だと思います。

 ――再開発反対に取り組んでいるのはどんなグループですか。

 小出:元朗付近の再開発計画にとりくんでいるのは「土地正義連盟」というグループです。彼らはその関連で、もう一つ反対運動に取り組んでいます。香港から中国への入境ポイントの一つ落馬州には地下鉄がつながっていますが、その途中の村に駅をつくり、巨大なショッピングモールを併設しようという計画があります。開発業者の言い分は、中国からの買い物客が街中の商業施設で我が物顔で振る舞って批判を浴びているので、彼らを集客する施設をつくるんだ、というものです。

 それ自体おかしな話ですが、予定地には旧英国軍の宿舎を使った老人ホームがあり、再開発が実施されると老人たちの行き場がなくなってしまうということで反対運動が取り組まれています。

 そうした運動の出発点は、2005年の利東街保存運動
(註9)、2007年のクイーンズピアの取り壊し反対運動(註10)、それから2009年~10年の高速鉄道建設に伴う立ち退き反対運動などに遡ります。そうした運動の過程で、自分たちのアイデンティティの根拠を問い直そうという動きが出てきたわけです。
生活館で
 ■2015年、菜園村生活館で

 そうした運動のリーダーの一人が、土地正義連盟の朱凱廸
(註11)です。彼は2016年の立法会議員選挙に新界西区から立候補し、トップ当選しました。実は、彼は2008年の洞爺湖サミット(G8首脳会議)の関連で日本を訪れた際、阪神大震災の復興過程でコミュニティの人々がどのように街や生活を再建していったのか知りたいというので、私が案内したことがあります。私が震災当時ボランティアで入っていた鷹取地区を中心に、救援基地とかFMわぃわぃ、まちづくり協議会の人々を紹介して回りました。彼は当時、香港の中立紙『明報』の記者をしていましたが、鷹取でのまちづくりをめぐって『明報』でも記事を書きました。また、それ以降、彼や周辺の人たちは運動の中にまちづくりの視点を取り入れていったように思います。

 ――いまも新界だけでなく、九龍や香港島などでも再開発反対運動が取り組まれているのですか。

 小出:香港島の場合、利東街保存運動がピークだったようですが、いまも多少ありますね。湾仔区では2003年の区議会議員選挙で民主派が大量当選したこともあって、区議会が働きかけた結果、築100年を超えた質屋の建物を外壁を残す形で建て替えるといった動きもありました。とはいえ、規制がかかる前に叩き潰してしまえという雰囲気も強いです。

 そういえば、私の住んでいる屯門には、かつて孫文が革命運動の拠点にしていた「紅楼」という建物がありますが、一時は決まった取り壊しを止めたのも朱凱廸です。まさに解体工事が行われるところに立ち塞がって演説をぶった姿がニュースで取り上げられ、政府が工事の差し止めに動きました。逆に、親中派の人たちは、歴史の保存といったことについて非常に関心が薄いですね。

 ――この間の香港では、自分たちが住んでいる場所を再認識し、自分たちの手で守っていこうという意識が高まってきたわけですね。

 小出:歴史を振り返ってみると、英国統治時代、もともと香港生まれの香港人というのは数えるほどしかいませんでした。大部分は国民党と共産党の内戦から大躍進、文化大革命といった中国大陸の激動の中で生活基盤を失い、着の身着のままで逃げ出してきた人たちです。

 とはいえ、そうした人たちは香港に骨を埋めようという気はありませんでした。香港で一生懸命働き、ある程度生活に余裕ができれば、それを元手にさらに海外へ移民するというのが基本的な方向でした。実際、香港は華僑の中心地でもあります。

 つまり、英国統治時代の認識では、香港はあくまで「仮住まい」なんですね。そのため、香港に歴史を感じることもアイデンティティを抱くこともなかったわけです。しかし、返還によって香港人は自らが暮らす土地の主になった。中国政府も返還前から「港人治港(香港人が香港を統治する)」を原則としていました。そんなこともあって香港は仮住まいではなくなり、アイデンティティを抱く対象にもなったし、そうした軸で物事の発想を始めるようになったと言えます。まちづくりの視点もその延長だと思います。

 ――そうした意識の政治的な現れとして、自決派もあれば独立派もあるということでしょうか。
朱
 ■朱凱廸(香港獨立媒体ホームページより)

 小出:そうですね。だから、中国政府との対話なくして物事は進まないという一部の典型的な民主派の立場に対しては、反発が高まることにもなるわけです。若い人たちにとっては、中国側も民主派も「中国=香港」という虚構を前提にしている、ある種の出来レースとして映るんだと思います。

(註7)香港衆志。雨傘運動の中心となった学生団体メンバーらが2016年に結成。香港の自決権を掲げ、現在の一国二制度が終わる2047年以後の香港の在り方について、10年後に住民投票を行うべきだと主張。2016年の立法会議員選挙で党首の羅冠聡が当選するも、後に議員資格を剥奪される。
(註8)高速鉄道建設のために立ち退きを迫られた新界・菜園村が反対運動を展開し、学生や若者が合流。結果的に立ち退き撤回には至らなかったが、その後も若者グループは「菜園村生活館」を名乗って付近の村で農業を始め、農や食の視点から自分たちの暮らしを問い直す運動を展開。 (註9)利東街は香港島の湾仔地区に位置する印刷屋の集まる下町。古き時代の香港を面影を残す街並みを再開発する計画が持ち上がり、反対運動が取り組まれた。ちなみに、香港の土地は香港政府の所有である。
(註10)香港島の中環にあった船着場で、英国統治時代はエリザベス女王やダイアナ妃、歴代の香港総督が上陸するの利用していた埠頭。付近一帯の再開発計画によって取り壊し対象になったことから、歴史的な建造物を保護すべきだとして市民運動が取り組まれた。
(註11)1977年生まれ。自身の政治綱領の中で「民主自決」「都市と農村の共生」「農耕の復興」を提唱。再開発業者や手下のならず者からつけ狙われた経験も持つ。


食い違う歴史認識

 ――中国と香港の間で、いま政治的な焦点になっているものはなんでしょうか。

 小出:中国政府は現在、広東省と香港、マカオの一体的な発展を目指す「大湾区計画」という経済圏構想を進めています。中国からヨーロッパまで陸路と海路でつなぐという「一帯一路」構想の一環と見ることができます。中国政府としては、その中で香港には「大湾区計画」の歯車としての役割を期待しているわけですね。

 香港の人たちとしては、ためらいを感じるのは間違いありません。これまでの歴史を振り返れば、香港の人たちは英国の植民地支配の下で必死に働き、経済的な実力をつけることで政治的な自由も勝ち取ってきたという意識があります。そこから現状を見ると、自分たちが求めていたのはこんなことだったのか、一つの帝国の支配を脱したと思ったら、もう一つの帝国の支配下に入ってしまう、それでいいのか、そういうためらいがあるように見えます。

 とはいえ、それに抗い難いとこともよく分かっています。だから、どんな形で政治的な焦点になるかは未知数です。

 考えてみれば、一帯一路は習近平の唱える「中国の夢」の一つの具体例ですが、要するに中華帝国の復興ですよね。この数百年にわたって英米が世界に号令をかけてきたけれど、それはもともと中国がやってきたことだった、だから中国が再び世界に号令をかけるんだ、ということです。

 果たしてそれでいいのか。香港は、英国の力による支配を押しのけて頑張ってきたのに、中国という別の力が現れたらその力に乗っていいのか。そんなためらいはあると思います。

 ――なるほど。ところで、普通選挙がいったん頓挫したわけですが、2047年を待つことなく、すでに一国二制度が掘り崩されているという評価も少なくありません。そうした基本的な枠組みをめぐる攻防はどうでしょうか。

 小出:その点は現在、とくに具体的にはないですね。大きな意味で中国とどう対応していくのか、というところだと思います。

 ――では、社会的な部分といいますか、たとえば小出さんがはじめて香港に来られた時に比べて、香港社会が大きく変わった点はありますか。

 小出:かなりあります。一例として、香港の地上波無料テレビは基本的に英語と広東語の二本立てで放送されていますが、ニュース番組の中で英語の比重が非常に低くなったと感じます。政府発表でも、かつては記者から英語の質問がなくても英語で答弁する慣行がありました。それが2003年ぐらいからなくなっていったと記憶しています。いまは広東語が基本になっています。

 ――英語が減った分、普通話(標準中国語)が拡大しているということですか。

 小出:それはないですね。日常生活では普通話はほぼ使いません。ただ、返還以降に大陸から移り住んだ新移民には広東語が不得手な人も多いので、彼らが使う場面はあります。香港人は広東語が基本で普通話を軽んじる傾向がありますが、普通話ネイティブとしては自分たちこそ正統だと思っているので、両者の間に軋轢はあります。

 新移民は一時期に比べれば減ったとはいえ、それでも香港人口の一割を超えています。香港人からすれば、中国の経済発展の基礎となる投資をしたのは自分たちであり、その原資は植民地時代に苦労して蓄積したものだという感覚があります。しかし、新移民はそうした経緯をほとんど知りません。発展したのは鄧小平の卓越した指導力のおかげだし、中国こそが香港を植民地から解放したと思っています。そのへんの歴史認識はかなり違うようです。

 もっとも、ほとんどの新移民は豊かな暮らしを求めて香港に来たわけですが、実際には低収入に甘んじる場合が多いです。というのも、香港でそれなりの職に就くためには英語が使えないとだめですが、新移民は中国でまともな英語教育を受ける機会に恵まれなかったからです。

 ただ、学生や院生として香港に留学し、卒業後に残って就職した人たちは高収入の職に就くことができます。香港で資金を調達し、深でイノベーション事業を立ち上げるというように、大陸の経済発展と香港の蓄積をうまく利用して商売でも成功するような人たちも徐々に現れています。大湾区計画で活躍するのも、そうした人たちでしょう。

 香港に「旨味」があることを分かっているという点では悪いことではありませんが、かといってそうした人たちが香港にアイデンティティを持つかというと、それは別問題でしょうね。


自主規制の雰囲気強まる

 ――表現や出版の自由などについてはどうですか。

 小出:新聞の紙面は大きく変わってきています。中国系企業が株式を買い上げたり、オーナーや幹部に便宜を図ったりした結果です。出版に関しても、香港には「商務印書館」「三聯書店」「中華書局」という三大書店チェーンがありますが、いずれも株式の98%まで中国共産党の宣伝部が保持していることが分かりました。

 ここ5年間で言えば、たとえば雨傘運動の記録とか分析のような本がまったく書店で売られていません。さまざまな人が本を書いているし、出版はできるんですが、まったく出回らない。流通が難しくなっています。加えて銅鑼湾書店事件
(註12)の後は中小の書店でも敏感な内容の本を置くのをためらうようになってきたので、出版されても倉庫に積み上げられたままというパターンが増えているようです。

 ――自主規制的な雰囲気が強まっているということでしょうか。日本でも公開された映画『十年』の中で、中国政府にとって好ましくない本を売っているとして、少年団に卵を投げつけられる書店が登場します。映画が公開されたのは2015年ですが、まさに同時期に銅鑼湾書店事件が起きました。「十年後」の予想図が、部分的ではあれ、すでに実現してしまったわけです。

 小出:『十年』は香港の映画祭で金獅子賞をとりましたが、中国からはボロカスに言われましたね。たしかに、進行しつつある状況に対して抵抗するような表現もなくはないけれども、徐々に表面に現れにくくなっている、そんな状況ではないでしょうか。

 政治の場面でも、2016年の立法会選挙で当選した議員のうち、最初に2名が資格を取り消されましたが、その後も増え続けて結局8名になりました。補欠選挙へ立候補する際の資格審査でも、本来は届け出れば受理されるべきものが突き返されるようになってきました。

 香港の選挙には、行政長官、立法会、区議会のほかに、新界地区で村の代表を決める選挙もあります。実は、先に挙げた朱凱廸は昨年、再開発反対運動の関連で、ある村の代表選挙に立候補するため届け出たところ拒否されました。香港独立に関する質問について、「自分としては主張しないが、他人が独立を主張したり独立を支持したりすることに反対はしない」と答えたことが問題になったとされています。

 いずれにせよ、現役の立法会議員が資格審査を通らないというのは、かなりの衝撃を社会にもたらしました。ここまできてしまえば、次の選挙では民主派の中でもかなり穏健な人しか立候補できなくなると言われています。言い換えれば、すでに香港から選挙がなくなったに等しいわけです。

 そのほか、昨年11月19日から雨傘運動のリーダーたちに対する裁判が始まっています。2月までには判決が出ると見られています。それがどうなるかというのも、焦点と言えるでしょう。

 ――最後の質問ですが、小出さんから見て現在の香港を象徴すると思われる場所があれば、教えて下さい。

 小出:う~ん、一つ思いつくのは高速鉄道の西九龍駅ですね。大きなホールの食堂のところから見ると、中国側が管理しているエリアが分かります。利用者も本土からくる人が多いようで、そこだけ香港ではないような雰囲気を感じます。その意味で、現在の香港を象徴しているのではないでしょうか。

 ――どうもありがとうございました

西九龍駅
 ■「大陸サイズ」を実感する西九龍駅のコンコース

(註12)香港の銅鑼湾あった中国政治書籍の専門書店で2015年、店長と株主らの計5名が相次ぎ失踪。その後、全員が中国当局に拘束されたことが判明した。中国政府に批判的な本を扱っていたことが理由とされる。ほとんどが自己批判を経て釈放された後は沈黙を強いられる中、店長の林栄基氏が記者会見を開き、自身が拘束された経過や拘束中の状況を公表し、中国政府の対応を批判した。


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