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講演学習会報告

改めて経済のグローバル化を問う
TPP、日欧EPA、日米FTAと私たちの暮らし


 トランプ米大統領はTPP(環太平洋連携協定)からの離脱を決めたものの、昨年末には日本の主導で米国抜きの11カ国によるTPP11が発効した。つづく2月1日には、日本とEU(欧州連合)との間でEPA(経済連携協定)が発効してもいる。さらに3月には、米国が強く求めるFTA(自由貿易協定)締結に向けた協議も開始される模様だ。止まるところを知らない自由貿易・経済連携の動き。その背景には何があるのか、私たちの暮らしにどんな影響をもたらすのか。この間に行われた二つの講演会の内容を紹介する。

ますます脅かされる
日本の農と食の安全


鈴木宣弘さんのお話から

 経済のグローバル化は、とりわけ農と食の安全にどんな影響を及ぼすのか。この1月26日、東京大学大学院教授で農業経済学を専攻されている鈴木宣弘さんをお招きし、錯綜する問題を解きほぐして語っていただく機会があった。主催は地域で活動する人たちによる実行委員会。協賛は、野党共闘を推進するMINIT'S9、全日農京都府総連合会、北大阪商工協同組合である。

日米FTAでTPP以上の譲歩

 鈴木さんはまず、米国によるTPP(環太平洋連携協定)離脱から、日本の推進するTPP11、日欧EPA(経済連携協定)、そして日米FTA(自由貿易協定)へとつながる流れの中で、TPP11での合意内容がベースラインとなっており、それ以上の譲歩が求められているということを指摘した。日本政府はその事実を隠すために日米FTAをTGA(物品貿易協定)だと言い張っているが、共同声明にはTGAという言葉は存在しない。TGAというのは国内向けの造語であり、改ざんであり、FTAという本質を欺くものに他ならないということだ。

 そもそも日本の対米外交は「対日年次改革要望書」や米国在日商工会議所の意見書に着々と応えていくだけであり、トランプ政権へのTPP合意への上乗せ譲歩リストも作成済みである。また、安倍政権は“経産省政権”であり、自動車への追加関税は何が何でも阻止したい。そのためには国民の命を守る農と食を差し出すことも厭わない。「TPPを上回る譲歩はしない」と言っている政府が、これからどんな言い訳を持ち出してくるだろうか。


規制改革、自由貿易の本質

 日本は「保護主義と闘う自由貿易の旗手」であるかのように振る舞っているが、その内実は、日米などのグローバル企業が「今だけ、金だけ、自分だけ」の利益を求めるルールを世界に広げようとしているのだと鈴木さんは言う。本当の対立は、国民の利益とオトモダチ企業(グローバル企業)の利益の間にあり、オトモダチ企業は献金・資金援助など様々な手段を使って、政治、行政、メディア、研究者と一体になって、その勢力を拡大している。

 TPP型協定に象徴される自由貿易(国際的な規制緩和)は国境を越えたグローバル企業への便宜供与であり、世界の私物化に他ならない。同様に、国内における国家戦略特区に象徴される規制緩和は、特定企業に便宜供与する国家の私物化であり、そうしたグローバル企業などの要求を実現する窓口が規制改革推進会議なのだ。
鈴木さん
 ■熱弁を振るう鈴木宣弘さん

 一例として、鈴木さんはTPPの農林水産業への影響試算と農水省人事の顛末をあげた。当初、所管官庁はTPPによって4兆円の被害が出ると試算したが、影響が大きすぎるとの政府部内での批判に応じて3兆円に修正され、それが最終的には1300~2100億円になってしまった。2016年6月には「農水省に葬式を出すために次官になった」と公言する衝撃の事務次官人事があり、酪農「改革」に対して抵抗を試みた担当局長と担当課長は更迭された。霞ヶ関の幹部人事を握った官邸は、昇進・左遷の人事をあやつり、またある場合には私生活上の問題をちらつかせて、その意に沿わせている。その先には、所管官庁の経産省への吸収を含めた農水省解体のもくろみがあるのだと鈴木さんは力説する。


「自主的に」米国の要求通りに

 政権公約や国会決議でTPP交渉において守るべき国益とされた非関税措置について、日本政府は早くから「自主的に」対応していった事実がある。自動車の安全基準の緩和、軽自動車税の増税、自由診療の拡大、薬価公定制の見直し、ISDS(投資家対国家の紛争解決)条項への賛成、などなど。「自主的に」というのは「米国の要求通りに」ということであり、TPPの発効にかかわらず、もうすでに発効しているか、今後の発効が決まっているものである。

 一番分かりやすいのは郵政解体であると、鈴木さんは例示する。日本の郵貯マネー350兆円を狙った米国の金融保険業界(A社)の要請により郵政民営化が行われ、TPPの入場料としてかんぽ生命はガン保険に参入しないと宣言し、さらにその半年後には、全国の2万局の郵便局でA社のガン保険が販売されることになった。

 郵貯マネーの次はJAマネーだ。農協改革の目的は「農業所得の向上」ではなく、農協の株式会社化であり、農協マネーに加えて、農協事業を自らの利権として奪い取ろうという巨大企業のもくろみがある。すでに農協による共同販売解体の一例として、改正畜安法(畜産経営の安定に関する法律)も施行され、酪農経営が脅かされている。

 さらに、国家戦略特区という名の私物化や卸売市場の民営化、森林経営(森林経営管理法)や漁業(改正漁業法)における企業参入など、規制緩和の名のもとにオトモダチ企業への便宜供与の政策が次々と実行されている。米国政府や業界の要求に「自主的に」応える規制改革の結果、日本の食と農が危険にさらされている。鈴木さんはさらにいくつかの事例について、具体的にあきらかにした。


GM、BSE、イマザリル

 遺伝子組み換え(GM)表示義務は現在「5%以下の混入と加工品は除外」という世界的に最も緩い状態だが、さらに「遺伝子組み換えでない」という任意表示に対して米国M社が抗議していた。日本の消費者庁は、GM表示について厳格化するという方針を出したのだが、その内実は、緩い義務表示はそのままで、「遺伝子組み換えでない」表示だけ「検出されない場合に限る」とした。つまり、国産の大豆であっても流通過程でわずかな混入があるので、日本では「遺伝子組み換えでない」という表示はできなくなるということだ。消費者を守るために厳格化したのではなく、GM表示を実質的に全部なくすという米国の要求に従ったということだ。

 BSEに対応した米国産牛の月齢制限がTPPの事前交渉で20カ月齢から30カ月齢に緩和されたが、さらに全面撤廃が日米FTAで予定されている。昨年11月にはプリオン専門調査会が撤廃しても問題はないとの評価書を公表していて、食品安全委員会はすでにスタンバイしている。

 ポストハーベスト農薬の防カビ剤イマザリルについて、日本では禁止されているが、米国からの輸入穀物や果物には使用されている。米国の要求(日米レモン戦争)に屈して、収穫後に使用するイマザリルは食品添加物に分類されることになった。さらに米国は表示の撤廃そのものを求めていて、日本はすでにその改善を認めている。

 安全基準の緩和だけではなく、輸入農産物の実態についても注意しておく必要がある。TPP参加各国からの輸入農産物からは食品衛生法違反の毒物(猛毒のカビや病原性大腸菌、ありえない化学薬品など)がたびたび検出されている。しかしさらに怖ろしいのは、港の検疫率はわずか7%、93%は素通りになっていて、私たちはすでに食べてしまっているという事実だ。


成長ホルモン、GM、ラウンドアップ

 札幌の医師が調べたところ、米国産の牛肉から基準値の600倍のエストロゲン(成長ホルモン)が検出された。成長ホルモンは日本では認可されていないが、米国からの輸入は素通りだ。「米国との貿易戦争はできない」(所轄官庁)というのが理由。また、オーストラリア牛はEU向けには成長ホルモンを使用していないが、日本向けには使用している。

 米国M社開発のGM牛成長ホルモンはホルスタインへの注射1本で、乳量が2~3割も増えるというが、1994年の認可数年後には、乳ガン、前立腺ガンの発症率が7倍、4倍という結果が発表され、米国のスターバックスやウォルマートは販売しないという宣言をした。しかし、認可もされていない日本には素通り状態だ。日米FTAで米国産乳製品はさらに増えるだろう。

 フランスのカーン大学の実験では、2年間ネズミにGM食品を食べさせたところ、ネズミがガンだらけになった。安全性審査では3カ月間GM食品を食べさせた結果によって判断されるため、長期的な影響が見落とされてしまうのだ。日本はGM食品の輸入大国だということを忘れてはならない。

 米国の穀物に世界で最も依存している日本人は、GM食品の不安だけではなく、除草剤のラウンドアップの発ガン性に世界一曝されている。EUはGM食品に対する規制を強め、カリフォルニアでは発ガンしたとしてM社に320億円の賠償判決が下ったのに、日本は2017年12月25日、クリスマス・プレゼントと称して、ラウンドアップの輸入穀物における残留基準値を多いものでは100倍以上(小麦6倍、トウモロコシ5倍、そば150倍)緩和した。


とどめの種子法廃止

 種子法は、都道府県が優良品種を安く普及させるために国が予算措置をしてきた根拠法であり、これがなくなれば予算措置も認められず、優良品種の安定供給もできなくなる。民間に任せれば、公的な機能が失われる分、種子価格は高騰するというのが当然の帰結だ。

 さらに公的な育種の成果を民間に譲渡することを義務づけた規定(農業競争力強化支援法)がセットされていることから、本当の目的が透けて見える。コメや小麦など主要食糧の公共種子・農民種子をグローバル企業開発の特許GM種子に置き換えようとする世界的な種子ビジネスの攻勢が背景にある。

 もう一つ、種苗法の改正で、今後は種の自家採種が原則禁止される。代々、地域の農家で受け継いできた種子でも、品種登録していなければ認められない。農家が自分で品種登録するのはたいへんで、グローバル種子企業がいち早く品種登録してしまうだろう。待っているのは、特許侵害の損害賠償だ。

 公共種子事業をやめさせ(種子法廃止)、国と県がつくったコメの種の情報を企業に譲渡させ(農業競争力強化支援法)、自家採種は禁止する(種苗法改正)という一連の改定をセットで見ると、グローバル種子企業と政治の結託、その意図が鮮明に読み取れる。


人びとのネットワークを

 このように、国境を越えるグローバル企業による攻勢によって日本の農業は疲弊し、それとともに日本の食の安全が脅かされているのだが、それに対抗するためには、農産物に込められた多様な価値を認めて消費者が支えていくという強固なネットワークが必要なのだと、鈴木さんは言う。

 例えば、スイスでは1個80円もする国産の卵の方が、輸入品よりも売れている。消費者サイドが食品流通の5割以上のシェアを持つ生協に結集して、農協などを通じて生産者サイドに働きかけ、ホンモノの基準を設定・認証して、健康、環境、動物愛護、生物多様性、景観に配慮した生産を促進している。イタリアの水田では、オタマジャクシが棲める生物多様性、ダムの代わりに貯水できる洪水防止機能、水を濾過してくれる機能、こうした多面的な機能に対して正当な支払いをすべきだという評価が、税金からの直接支払いの根拠になっている。また、米国では、農家にとって必要な最低限の所得・価格は必ず確保されるように、その水準を明示して、下回ったら政策を発動するというシステムを完備している。欧米諸国では農業における価格支持と直接支払いの保護政策が行き渡っているのに対して、日本の農業政策は貧弱であり、農業切り捨てに等しいと言わざるを得ない状態だ。

 食料を守るということ、農業を守るということは、国民の命を守る真の安全保障政策であるという観点に立った農業政策が必要である。問題を農業保護だけに矮小化して批判するのは間違っているのだと、鈴木さんは訴える。このままでは、際限なきTPPプラスの自由化ドミノと、それと表裏一体の規制「改革」によって地域社会がグローバル資本に略奪されて崩壊する。大店法(大規模小売店舗法)撤廃によって、巨大店舗の進出で日本中の商店街がシャッター街になった。同じことが農業を含むさらに広大な分野で進もうとしているのだと。

 ひとりひとりの毎日の営みがみんなの命と暮らしを守ることにつながっている。それぞれの地でそれぞれが勇気を持って人びとに現状を知らせ、人と人とを結びあわせ、ともに進むべき道を模索することが必要である。各地の生産者、労働者、地域の政治・行政、関連産業、消費者が一体となって、生産から消費までを結び、地域の暮らしを守る強固なネットワークをさらに拡大しようと最後に呼びかけて、鈴木さんは講演の結びとした。

                                               (下前幸一:当研究所事務局)



「国益」論を超えて
地域社会から対抗軸を

神田浩史さんのお話から

 1月30日には、北大阪商工協同組合の主催で「TPP(環太平洋連携協定)勉強会」が開かれた。講師は神田浩史さん(NPO法人泉京・垂井副代表理事)。

 京都生まれの神田さんは、もともと開発コンサルタント企業に務め、アジア、アフリカ諸国でODA(政府開発援助)の農業開発事業を担当していた。しかし、現地の実態にそぐわない開発援助の実態を目の当たりにする中でNGO(非政府組織)の世界に転身、「水」をはじめとする環境問題、先進国と途上国との南北問題を中心に、経済グローバル化によるさまざまな弊害について実態調査し、社会的に提言を行う活動を続けてこられた。現在は岐阜県垂井町を拠点に、さまざまな活動を展開されている。

 実は、北大阪商工協同組合では2015年にも、TPPを主題として神田さんのお話をうかがったことがある。ただし、当時は米国を軸とした12カ国による枠組みであり、人々の関心も米国の脅威、それとの対抗のあり方などに集まっていたように思う。

 ところが、その米国はトランプ政権の発足とともにTPPからの離脱を宣言した。そのため、“これでTPPも終わりだ”といった雰囲気が浮上し、対抗運動の側も一安心していたのが正直なところだろう。

 残念ながら、米国の離脱をもってしてもTPPは終焉せず、11カ国の枠組みとして発効することになってしまったのは、周知の通りだ。


「TPP12」と「TPP11」の共通点

 その意味で、まず焦点となるのは「TPP12」と「TPP11」との共通点および相違点である。神田さんによれば、両者の間には根本的なところで違いはないという。

 たとえば、徹底した秘密主義の問題。通商政策はもちろん国内法の位置づけなど、国家の政策を左右し、私たちの生活に大きな影響を及ぼすにもかかわらず、TPP交渉の過程は基本的に未公開である。「外交交渉」を盾に、国会議員にさえ交渉内容を秘匿し、誰が何をどこで決めているか、検証できないまま妥結されたものだ。民主主義に反すること極まりない。

 また、短期的な利害得失を「国益」と言いくるめ、その賛否に議論が収斂する点も同じである。
神田さん
 ■「噺屋」を自称する神田浩史さん

 かつて民主党政権時代、前原誠司外相は「1.5%を守るために98.5%を犠牲にしていいのか」と発言して大きな批判を浴びた。TPPによってGDP(国内総生産)の1.5%を占めるに過ぎない農業が犠牲になっても、自動車をはじめ工業製品の輸出が伸びれば「国益」に適うというわけだ。

 まるで「農業は国益に反する」とでも言わんばかりの暴論だが、それだけではない。この間の経済の動きを見れば、たとえ工業製品の輸出が増え、日本の大企業が利益を上げたとしても、それが必ずしも国民全般の利益につながっていないのが実態だ。神田さんは、大企業が豊かになれば、やがて富は下々にも滴り落ちてくるという「トリクルダウン」幻想はもはや破綻していると指摘する。

 さらに問題なのは、こうした「国益」に基づく国家間の損得関係で世界を捉えた結果として、TPPは現に存在する「南」と「北」との格差を助長し、地球環境問題を深刻化させるだけでなく、本来の自由貿易の理念とは裏腹にブロック経済化を後押ししてしまう可能性があるという。

 振り返ってみれば、10年ほど前まで「経済グローバル化」をめぐる議論の中で主な対象とされていたのはWTO(世界貿易機関)だった。

 WTOの設立は、かつて列強諸国が自国中心の排他的な経済圏をつくり、その角逐が第二次世界大戦の一因になったとの反省に基づいており、多国間に開かれた平等互恵の経済関係を理念に掲げている。

 もっとも、実態としては先進国やグローバル企業に都合のいいようなルールづくりが推進され、人権が蔑ろにされているとして批判を浴びてきた。また、各国の利害対立から合意の停滞も繰り返してきた。

 2005年の香港における閣僚会議が頓挫して以降、FTAなどの二国間、TPPなどの数国間による合意枠組みが急激に増えてきたのは、主要国が「決められないWTO」を嫌ったこともあるだろう。

 ただ、その半面として、曲がりなりにも多国間主義を謳うWTOでは、先進国側の主張に途上国側が共同で対抗の布陣を築くこともでき、各国のNGOや農民運動団体などが共同して情報公開を迫り、それを材料にして交渉過程で自国政府に圧力をかける機会も存在した。

 それに比べれば、TPPはとりつく島のない「ブラックボックス」であり、平等互恵どころか剥き出しの「国益」を追求する戦場だ。立場の弱い途上国は個別撃破され、共同で対抗するのも難しい。徹底した秘密主義によって各国のNGOや市民団体の連携もままならない。

 そもそも“グローバル企業とそれに連なる利害関係者”という線引きで考えれば、問題を国家単位で捉えるよりも、国の違いを超えた一握りの富裕層とそれ以外の大多数の分岐として捉えるべきなのかもしれない。そこからすれば、「国益」をめぐる議論は実態を覆い隠す偽装と言えるだろう。

 さらに言えば、TPPを推進する人々の中には、「一帯一路」構想を推進する中国への対抗を隠さない意見もある。こうなれば、まさにブロック経済化に他ならない(もちろん、経済的な相互浸透が進んだ今日の世界で、実現可能性は少ないとしても)。


「TPP12」と「TPP11」の「相違」点

 とはいえ、TPP12とTPP11の間には、やはり違いもある。下の表は、TPP12で盛り込まれながら、TPP11では「凍結」された項目である。神田さんによれば、その多くは米国が要求したものだという。

 なかでも注目されてきたのが、知的財産権をめぐる項目の扱いだ。グローバル企業の利益を守るため、知的財産権を盾に、たとえば医薬品ではジェネリック医薬品の製造が制限されたり、農業では在来種子の種取りが困難になるなどの事態が危惧されてきたが、TPP11では適用を凍結されることになった。

 神田さんによれば、もともと製薬業界や農薬種子業界の意向を受けた米国の要求だったため、米国が脱退した段階で関連条項を削除すべきだとの意見も出たらしい。ところが、“米国のTPP復帰を促すため”との理由で「凍結」に落ち着いたという。それを主導した国こそ、他ならぬ日本である。

 同じく注目されてきたものとして、ISDS条項がある。これは、投資家・企業が投資先の国家の政策によって損害を被った場合、相手国家を仲裁裁判所に訴えることができるというものだ。

 たとえば、A国の企業がB国で天然資源の採掘プラントを立ち上げたものの、B国の環境規制が厳格なため、想定どおりの利益が上げられなかったとする。そこで、A国の企業は“B国の環境規制はTPPのISDS条項に違反している”と提訴する。訴えが認められれば、B国は税金を原資として莫大な賠償金を払わなければならない。

 常識からすれば、他国の企業活動で迷惑を被るのはB国の住民なのだから、B国の法律や規制が優先するのは当然だろう。しかし、残念ながら国際協定が国内法に優越してしまうのが実情である。同条項が広く懸念を呼んできたのも、その故だ。

 神田さんによれば、同条項も米国の主導によるものであり、そのため米国の脱退に伴って削除されてもおかしくなかったのだが、やはり日本の抵抗で「凍結」となったという。開いた口が塞がらない。

 ちなみに神田さんの話では、ここ最近ISDSをめぐる風向きにはかなり変化が生じているという。たとえば、EU(欧州連合)が米国型のISDSに反対姿勢を強めており、日本とEUとのEPAでもISDS条項は盛り込まれなかった。あるいは、言い出しっぺの米国自体、トランプが保護主義の観点から“ISDSが不公正だ”と言いだし、カナダ、メキシコと結んでいだNAFTA(北米自由貿易協定)を改定してISDS条項を削除している。さらに、ISDSの影響を受けやすい途上国の間では、別の投資協定をつくってWTOで議論しようとの意見も生じている。

 「こうした逆風の中でISDSに固執する日本の姿勢は、2周回、3周回遅れと言わざるを得ません」。神田さんはそう指摘されるが、まさに同感だ。TPPが12から11に変わり、少しはマシな内容になる可能性もあったのに、「凍結」という形で潰してしまったのが日本とは、情けない限りである。


「2018年版悪法三兄弟」

 では、なぜ日本はそうした姿勢をとり続けるのか。神田さんは、TPPをめぐる論議の中で経産省の官僚が漏らした言葉を紹介された。それは、“マレーシアやベトナムのように法制度が完全に整備されているとは言い難い国に企業が出て行く際に必要なんです”との内容だったという。

 さもありなん。とかく“米国の脅威”が取り沙汰されがちなTPPだが、それこそ「国益」論議の落とし穴である。この間の内外の状況を見れば、日本のグローバル企業にとって展開のしやすい状況やルールが着々と形成されていることも忘れてはならないだろう。

 この点で神田さんは「2018年版悪法三兄弟」と題して、昨年度に可決されてしまった3つの法改正を例示された。

 一つは「改正出入国管理法」。まさに使い捨ての労働力を求める財界の要求に応じた、人権を無視した実質移民の促進にほかならない。

 もう一つは「改正漁業法」。これまで、地元漁業者の権利として、漁業組合に優先的に割り当てられてきた漁業権を一般企業に開放するものであり、地域コミュニティが慣習的に持っていたコモンズの権利を市場化するものである。もともとは東日本大震災の復興特区ということで宮城県で導入されたものが、日本全体に拡大された(ちなみに神田さんによれば、宮城県知事はいち早く水道民営化も要求していたほどの「新自由主義の権化」らしい)。

 さらに「改正水道法」。人間の生存にかかわる基本的権利を市場化・私営化することの危険性はもちろん、世界的にみれば水道民営化が失敗に終わった結果、再公営化の流れがはっきりしている現状にもかかわらず、あえて民営化に進もうとする愚かさを指摘しないわけにはいかないだろう。

 いずれにせよ、TPPが発効してはじめて恐るべき事態が動き出すのではなく、すでに進んでいる恐るべき事態がTPPの発効で助長される、あるいは、これまで日本と途上国の間で形成されてきた歪んだ関係が、TPPによってさらに助長されるということだ。こうした意味でも、改めて「国益」論議を超えた観点からTPPを批判していくことの重要性が強調されるべきだろう。

 
脱却の基盤は地域社会にあり

 とはいえ、神田さんは一方で「潮目の変化を感じてもいます」と明言された。

 その一つは、トランプ政権に見られる保護主義の流れである。もちろん、保護主義そのものは問題解決にならないとはいえ、少なくとも自由貿易主義の恩恵など感じられない人々からのSOS信号であることは間違いない。この点は、英国のEU離脱(ブレグジット)をめぐる動向、フランスの黄色いベスト運動など、欧州の市民の動きに一層明らかだろう。

 一方で、国連など国際機関の動きに目を移せば、この間「小農の権利宣言」や「家族農業の10年」など、行き過ぎた経済グローバル化の流れに抗するようなメッセージが継続的に発信されている。

 そうしたメッセージを集約するものとして、2015年の国連総会で採択された「持続可能な開発目標(SDGs)」がある。簡単に言えば、GDPがいくら増えるかといった経済偏重の発展目標ではなく、貧困や飢餓、健康や教育、性的平等といった基本的人権に加え、エネルギーのあり方や働き方、経済成長のあり方といった産業社会の捉え直し、さらには気候変動や平和といった世界全体のあり方も含めた発展の方向性を示すものである。

 神田さんはSDGsに関する講演を依頼されることが多いそうだが、そこでSDGsに前向きな日本の企業が多いことに驚かされるという。実際、SDGsを参照例に女性の採用や非正規職員の正規化を実践している企業も少なくないらしい。「変化の胎動はあると思います」――神田さんの実感だ。

 そんな神田さんが地元で取り組んでいるのは、揖斐川の流域を単位とした循環型社会の再興だ。生命の基本となる水の循環を軸に、上流から下流にわたって林業や農業、漁業といった地域の資源を再認識し、それを相互に活用できるような社会をつくることができれば、私たちはより遠くのモノを消費したり、より遠くのカネを使ったり、より遠くのヒトと競争する必要はなくなるというわけだ。

 神田さんはこうした世の中を「穏豊な社会」と名付けている。自分たちの身近な生活のあり方を問い直し、まずは地域社会のレベルでTPPやTPP的な発想からの脱却を図ろうとする視点は、私たち関西よつ葉グループの取り組みとも通じるものである。と同時に、ともすれば事態を「国家対国家」の枠組みで捉えてしまいがちな対抗運動にとっても重要な問題提起と言えるだろう。

                                                  (山口協:当研究所代表)


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