HOME過去号>169号  


市民環境研究所から

「ネット症候群」社会からの脱却


 新年を迎えたと思っていたら、もう1月の終わりに近づき、本誌の編集者から早く書かないと締め切りをすぎるよと連絡をいただいた。毎月の1回のことであるが、連載するというのは大変で、1ヶ月の間に新しい動きをしておかないと新ネタが見つからない。新しいことをいっぱいやっていると混乱の渦中にいるから何も書けない。そんないいかげんな私に15年間も貴重な紙面を割いていただいた編集者と読者のみなさんに感謝である。今年もよろしくお願いします。

                                             ※     ※     ※

 習い事には年の初めの儀式がある。遠方に住んでいる孫のピアノの弾き初めがあり、新しい先生に見てもらったと母親から電話があった。それなりに上達が早いとは聞いていたが、まだまだ遊びの段階だろう。新しい先生は孫の弾き初めを聞くなり、「お前はiPadばかりやっているだろう。それではピアノの良い音は出せないよ」と注意してくれたという。指の動きがダメだと言うことらしい。

 年に1回は京都の我が家にやってくるが、最近は来るなりiPad中毒患者のように画面を指で弾いているので、爺さん婆さんからしょっちゅう怒鳴られて、止めさせられている。指1本で○を書いたり、撥ねたりすれば画面が変わる。その癖がピアノのけん盤たたきに出ているとしかられたのだ。どうして直していけるかを楽しみにしている。

 この孫は特殊な存在ではないだろうと思う。大学勤務から離れて数年になるが、今でも京大生を中心にした農薬ゼミが継続しており、省農薬栽培という実践に参加しながら、若者が農業農薬のことを考え、活動してくれている。そんな彼らとつき合っていると、現代の若者の習性がよく分かる。そして、パソコン・スマホ時代の若者にしょっちゅう言うのは、「せめて30秒は考えろよ」である。

 会話やゼミの中で何かを質問すると、3秒後にはスマホを叩いている。特別な子がそうするのではなく、ほとんどの子がそうしてしまう。それほど便利な装置が片手の中に常在するのだから、それを使わないということはないだろうと指が命令無しに動いているようにさえ見える。そして30秒もかからない内に正解を答えてくれる。

 しかし、時として正解でない場合もあり、正解の周辺情報を答えられない場合もあるので、そんな時には話しを広げてしゃべることで会話は続き、若者の方も単語から文章に発展してくれるが、多くの場合はスマホ事典の短い回答で終わってしまう。

 そして、彼らの頭の中には短い回答しか残らず、それに行き着く「寄り道回り道」で考えたことは残渣もない。だから、すぐにスマホに行くのは止めて、せめて「30秒は考えろよ」と言うことにしている。30秒でよいとは思はないが、60秒などと言ってもだれもやってはくれないだろうと思うから。

 本当は辞書を捲って当該の言葉に接近してほしいのだが、彼らには辞書というものとの付き合いがほとんどないから無駄な提言である。辞書を捲っていれば、目的の語に行き当たるまでにいろんな文字が目に飛び込んでくる。そこで当否の判断をしながら目的地に到達できる。

 辞書ばかりではない、新聞というものもほとんど彼らは読まない。新聞の一面から三面記事まで眺めながら捲っていく過程で多くの文字を読み、考えていけるのだが、そんな経験もほとんどないようである。

                                            ※     ※     ※

 そんなことを思っていると、今日のテレビで「インターネット症候群」の解説とそれを治療する医師と医療機関の特集をやっていた。それは若者に顕著に現れているのだろうが、決して若者だけの問題ではなく、現代社会構成員全体の問題だろうと思う。

 安倍政権の支持率が50%だという。なんとも信じられない状態が続いており、我が家の隣人たちも「安倍さん以外に適任者はいないからね」という。その根拠はテレビに登場する頻度だけのようだ。

 テレビやネットを信じ込み、浅い知識で生きている現代社会からの脱却のためにも「せめて30秒は考えろ」と言い続けようと思い、孫がiPadたたきから脱出してくれるのを楽しみにしている。「ネット症候群」社会からの脱却は我が国全員の課題であろう。

                                                                                (石田紀郎:市民環境研究所)



©2002-2019 地域・アソシエーション研究所 All rights reserved.