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改革開放40年の中国を考える(上)

「イノベーション都市」深センの光と陰

 昨年の「米中貿易戦争」でも明らかになったように、世界における中国の存在感は今後ますます大きくなり、それに伴ってさまざまな影響を及ぼしていくものと思われる。そんな中国をどう捉え、とどう向き合っていくのか、隣国にある日本の私たちもますます対応を迫られてくるだろう。そんなことを念頭に置きつつ、この年末年始にかけての深セン、広州、香港への訪問をダシに、中国の一面を考えてみたい。

深セン、その光の部分

 いまから40年前、1978年12月を転機として、中国は毛沢東時代の階級闘争を中心とした統制経済から、最高実力者・鄧小平の主導下、市場経済を導入する改革開放政策に踏みだした。それから40年、紆余曲折や矛盾を含みつつも、いまや中国は世界第2の経済規模を誇り、世界の政治経済に関する最重要アクターの位置を占めるまでになった。
 ■珠江デルタ各都市の位置関係

 改革開放の進展にあたって大きな役割を果たしたのが、華僑や欧米、日本の資本や技術を積極的に導入するための経済特区であり、その中心となったのが香港・マカオに隣接する「珠江デルタ地域」だ。なかでも深センは改革開放の主導的な役割を担う形で急速な発展を遂げた。

 なにしろ、1979年当時は30万人強だった人口が、40年後の現在ではおよそ1400万人にも膨らんだほどである。かつての鄙びた漁村は高層ビルの林立する大都会へと姿を変えただけでなく、昨今では「ハードウェアのシリコンバレー」や「イノベーション都市」などと呼ばれるまでになった。

 ところで、40年にわたる発展の歴史には、いくつかの段階がある。

 1980年代は外資企業が原材料や部品、技術の一切合切を持ち込み、豊富で安価な労働力を使って工業製品を組み立て、海外に輸出する「加工貿易」が中心だった。こうした「世界の工場」と言われる時代が長らく続く。

 1990年代に入り、行政の方針としてハイテク産業の発展が奨励される。携帯電話やパソコンが世界的に普及し始めた時期と重なり、ハードウェアを中心とするサプライチェーン(部品調達、組立・生産検品、発送の一連流れ)が形成され、ハイテク産業拠点としての基礎が築かれていった。

 その一方で、雑多な加工・組立企業がブランド製品を模倣してつくる「山寨(海賊版)製品」も横行、一時期の中国製造業イメージを象徴した。

 「世界の工場」からの転換が始まるのは、2000年代に入ってからだ。2001 年の世界貿易機関(WTO)加盟を機に、中国全土で対外開放が加速し、深センの優位性は相対的に低下する。さらに、2008年のリーマンショックで世界的に需要が冷え込み、輸出加工産業は大きな打撃を受けた。

 これ以降、産業構造の転換や高度化が課題となり、製品生産だけでなく、それ以上に、先端技術に関わる企画・開発、技術革新が追求されることになる。

 その結果、現在の深センには、かのファーウェイ(華為技術)やZTE(中興通訊)といったIT企業、中国最大のSNS「微信(ウィーチャット)」を運営するテンセント(騰訊)、電気自動車の販売数で世界一を誇る比亜迪(BYD)、商用ドローンで世界最大手の大疆創新科技(DJI)など、中国経済をけん引するグローバル企業が拠点を構えることとなった。
 ■ファーウェイのスマホで本社の「自撮り」

 もっとも、先端企業の存在だけではない。深センの魅力として指摘されるのが、長年にわたる製造産業の蓄積によって形成されたサプライチェーンそのものだ。わざわざ自前で生産設備を用意しなくても、製造工程のすべてが、ごく近い範囲で、小ロットから、しかも短時間で賄うことができるという。

 つまり、アイデアを即座に製品化できるわけで、ベンチャー起業家たちにとっては理想的な環境と言える。こうしてベンチャー起業家たちが集まると、それを対象とする投資家たちも集まってくる。当初は中国国内がほとんどだった起業家・投資家は、いまや世界各地に及んでいるという。

 こうしたものづくりの現場で2001年から格闘を続けてきた一人の日本人は、深の特徴を次のように表現している。

 「中国経済、中国企業の話になると、常に国主導の成長なのか、それとも民間の活力なのかがが議論になる。私から見れば、やはり主体はあくまで民間の経済だ。(中略)中国の中でも深はとくに民間企業が強い。新しい都市だけに大手国有企業が少ない上に、一発当ててやろうという流れ者の起業家たちが全国から集まってくるためだ。」(藤岡淳一『「ハードウェアのシリコンバレー深」に学ぶ』インプレスR&D、2017年)(註1)


「中国の現在」を象徴する街

 世界各地から「よそ者」が集まり、極めて速いスピードで新たな製品やサービスが次々に生まれていく――。中国でも珍しい多様性・開放性を備えることで、深センは特異な個性を持つ都市として世界的に注目を集めるようになった。停滞する日本の状況と比較して賞賛する論調も少なからず目にする。いわゆる「深センスゴイ」論だ。時には、こんな皮肉を投げかけられることもある。

 「高層ビルの乱立に感心し、そこに行き交うシェア自転車の洪水に驚いて、さらにもはや現金がほとんど淘汰され、各種支払いがスマホのQRコードで決済されているのに未来を感じ、華強北の電子街に圧倒されて、何やら街のパワーに驚いてみせる――これが定番だ。」(山形浩生「うわべだけで「深セン」を語る恥ずかしさ」『プレジデントオンライン』2017年12月16日)
■テンセント社屋前。「共産党とともに創業せよ」とのオブジェ。一種の“魔よけ”なのか。

 実は、これまで4回ほど深センに足を踏み入れてはいるが、いずれも香港から内陸への通過点に過ぎず、「世界の工場」イメージが拭えないこともあって興味を感じず、まともに滞在したのは今回が初めてだった。

 今回、ごく限られた範囲に過ぎないが、何カ所か回ってみて、たしかに「深センスゴイ」を実感した面もある。とくに印象深かったのは、人口圧力。加えて、行き交う人々がいずれも若いことだ。一説には、20~30代が人口の65%を占め、65歳以上の高齢者は全人口の2%しかいないらしい。入れ替わりも激しいものと思われる。

 先の記事の事例で言えば、整然と区画された敷地に高層ビルが建ち並び、幅広い直線道路に高級車が陸続と疾走するありさまには、たしかに圧倒される。観光がてらファーウェイの本拠地を訪れたが(もちろん中には入れない)、いたずらに広くて途方に暮れる。後で調べると、敷地全体は200万㎡、東京ディズニーランドの約4倍に相当するという。

 また、シェア自転車の解錠・決済、食堂やコンビニ、露店の支払い、地下鉄やバスの決済もすべてスマホで行うことができる。ちなみに市バスは基本的に電動、シェア自転車を除いて自転車もほぼ電動だ。

 秋葉原の30倍とも言われる電脳・電子街の「華強北」には無数の個人商店が軒を連ね、最先端の電子機器から誰が買うのか分からないパチもん、マニア垂涎の電子部品などが山と積み上げられている。一渡り回るだけでも2~3日では効かないだろう。

 と、表層的には圧倒されたものの、正直なところ、日本で喧伝されるほどではないと思う面もあった。たとえば、スマホ決済。限りなく現金決済の余地が狭まっているように語られており、スマホ決済を使えない旅行者には不便な場合もあるかと覚悟していたが、現金を出して迷惑がられたことは皆無だった。実際、現地の人でも現金を使う場面は多い。

 地下鉄やバスでも、わざわざスマホを起動しアプリを立ち上げるより、イコカのようなICカードの方がよっぽど早い。実際、改札でスキャンがうまくいかず、立ち往生している現場も何度か目にした。そもそも地下鉄に乗る際、いちいち空港のような荷物検査があること自体どれほど面倒かと思うが、これは「中国の国情」なのだろう。
 ■かなりの頻度で見られる無惨な光景

 あるいは、急速に拡大したシェア自転車だが、ビジネスとしては難しいようで、企業の破綻や合併が相次いでいるという。そのためか、街中では無惨に打ち捨てられた場面に何度となく遭遇する。もともとスマホ決済が使えない旅行者は利用したくてもできないわけだが、そんな光景を見ているうちに、たまにカギが解錠されたままの車両があることに気がついた。もちろん、多くは故障しているが、なぜか普通に動くものもある。“天恵”と言うべきか、中国らしいと言うべきか……。

 いずれにせよ、中国旅行の定番とも言える「名勝旧跡」とは異なり、また政治都市や経済都市としての歴史を背負った北京や上海とも違った意味で、「中国の現在」を象徴しているのが、深の魅力だと言えるだろう。沈滞した日本の雰囲気に比べれば、たしかに可能性を感じるのもよく分かる。


深セン、その陰の部分
 
 とはいえ、光あるところには陰が付随するのも、また道理である。今回深センを訪れたのは、光の部分だけでなく陰の部分を考えてみたいと思ったからでもある。

 たとえば「世界の工場」から「イノベーション都市」への転換。その立役者として脚光を浴びるのは起業家であり経営者だ。しかし、「世界の工場」時代はもちろん、「イノベーション都市」の現在でも、それを実質的に支えているのは労働者、とりわけ全国から集まった出稼ぎ労働者(農民工)である。にもかかわらず、彼ら彼女らが注目を集める機会は少ない。言わば陰の存在だ。

 もっとも、ごく稀に大きく注目を集める時もある。たとえば、次のような場合。

 「中国のiPhone工場でまた自殺、会社が「念書」書かせた直後
 米アップルの携帯電話端末iPhoneを委託製造している中国企業の工場で自殺者が相次いでいる問題で26日、会社側が従業員らに自殺しないよう念書を書かせた直後、また新たに1人が飛び降り自殺した。国営新華社通信が伝えた。」(2010年5月27日『AFP』電子版)

 記事にある会社は、2016年にシャープを買収したことで知られる台湾の電子機器メーカー鴻海科技集団(Foxconn)が深センにつくった子会社、富士康科技集団の龍華工場である。ファーウェイの本拠地からほど近い同工場も、30万人もの従業員が勤務していたというだけあって、輪をかけて広大だ。主力商品のiPhoneをはじめ、電子機器の受託生産(EMS)で世界最大手と言われるのもうなずける。

 しかし、富士康では2010年、10人を超える従業員が次々に自殺するという痛ましい事件が起きている。犠牲者はいずれも18歳~24歳で、就業1年未満だったという。

 労働集約的な輸出産業では、しばしば労働者を低賃金かつ長時間労働ほか劣悪な条件でコキ使う「搾取工場」の存在が指摘される。富士康についても、そうした視点からの批判がないわけではない。とはいえ、珠江デルタに遍在する各種製造工場と比べて、富士康の労働条件や就業環境が際立って劣悪だったかと言えば、そうではない模様である。

 この点をめぐっては、現地の調査報道を引く形で、次のような指摘が紹介されている(山口真美「中国・出稼ぎ新世代の闘い:富士康連続自殺事件とホンダ工場ストライキをめぐる動向」ジェトロ・アジア経済研究所海外研究員レポート、2010年6月)。
■富士康科技集団龍華工場の入り口付近

 すなわち「単調な作業が長時間続く、極度に効率化された就業体制、従業員管理と、工場内の人間関係の希薄さが従業員を精神的に追い込み、自殺に駆り立てている。(中略)それにも関わらず、基本給(900元)が低く、それだけでは生活を維持できないため、皆進んで残業をしたがる。誰もが自主的に単調な長時間労働に駆り立てられる「残業王国」だという。」

 続いて、次のような指摘も紹介されている。

 「新世代の出稼ぎ者は旧世代に比べ、より大きな焦りと生き残りのプレッシャーに直面している。なぜなら、新世代は親の出稼ぎのために小さい頃に故郷を離れて都市で育ったか、農村で育っても農業就業経験がなく、出稼ぎに出た世代であり、農村・農業に基盤を持たないからである。都市での生活が厳しくても、第1世代と違って農村に戻る選択はないことが彼らの焦りと迷走につながっている。」

 その上で、ちょうど同時期に同じく珠江デルタの仏山市にある日系企業南海ホンダの部品工場で起きたストライキと合わせて、検討がなされている。

 それによると、富士康と南海ホンダの事例は、現れ方こそ自殺、ストライキと異なるものの、「その根底には従業員の不満・絶望・憤慨という共通の背景がある。また、2つの工場の従業員はどちらも、新世代(=第2世代)と呼ばれる1980年以降生まれの若い出稼ぎ労働者である」という。

 ただし、富士康と南海ホンダとでは規模や労働者数、労働者の流動性が異なるらしい。富士康の場合は大規模で労働者数も多いため労働者間の横のつながりが希薄であり、個々の不満が集団的に表現されず、「極度に追い詰められた個人の自殺、さらにはその連鎖反応」という形をとる一方、南海ホンダの場合は労働者数が比較的少なく、それだけ不満の共有化、行動の組織化が容易だったのではないか、と指摘されている。

 中国における労働争議やストライキに関する労働者の証言を集約した、仁遍/レイバーネット日本国際部訳『ストする中国 非正規労働者の闘いと証言』(彩流社、2018年)によれば、労働争議やストライキは1990年代から発生していたが、中国がWTOに加盟し、グローバル資本主義に統合された2001年以降、外資の大規模な進出に伴って増大したという。

 下図のとおり、労働争議の件数は基本的に上昇傾向にあるが、2008年に急増したのは、労使関係について定めた労働契約法や労働争議調解仲裁法が制定されたことが理由らしい。一方、2015年をピークに、それ以降は減少傾向にあるとも言われる(独法・労働政策研究・研修機構『中国進出日系企業の研究』)。
  ■出典:前掲『中国進出日系企業の研究』第4章


青年・学生による労働争議支援の動き

 こうした中で昨年、一件の労働争議が世界的な注目を集めた。

 「中国、学生ら50人超拘束=労働争議支援で-深セン市
 中国南部・広東省深セン市で24日、労働組合の結成を目指す工場従業員とその支援活動を行っていた学生ら50人以上が警察に拘束された。インターネットを通じて支援の動きが広がるのを警戒した当局が封じ込めを本格化させた形だ。」(2018年8月26日『時事通信』電子版)

 記事にある工場とは深セン市東郊、中心部から車で1時間以上離れた坪山区の工業団地にある「佳士科技公司(JASIC)」だ。溶接作業に使う精密機械や産業用ロボットなどを製造する同社では、以前から長時間労働や恣意的な罰則・罰金に対する労働者の不満が蓄積し、昨年5月には労働組合結成に向けた活動が始まった。

 ところが、こうした動きを察知した会社側は、先手をとって“御用組合”を結成し、労働組合のナショナルセンターである中華全国総工会の地区組織に加盟してしまう。そのため、労働者たちが結成した労働組合は非公式の「自主管理労組」になってしまった。勢いを得た会社側は労働者側の中心人物らを解雇するなど構成を強める。しかし、労働者側も負けてはいない。SNSなどを通じて不当性を訴え、支援を求めた。

 労働者側の動きに真っ先に呼応したのは青年たち、とりわけ全国の大学生たちだった。労働者たちが会社の門前で抗議活動を続け、会社側との対立が深まる中、学生たちは現場に駆けつけてともに抗議し、集団生活をしながら街頭で宣伝活動を展開した。

 支援を続ける学生たちの中心になったのが、沈夢雨という当時26歳の女性だ。もともと広東省の名門・中山大学の大学院生だった沈夢雨は、講演で聴いた出稼ぎ労働者(農民工)の実情に衝撃を受け、大学院修了後の2015年、一労働者として現場に飛び込んだ。ホンダや日産向けの自動車部品を供給するニッパツ(日本発条株式会社)の子会社、広州日弘機電有限公司である。
■沈夢雨さん。Tシャツには「団結こそ力」とある。

 同僚の信頼を得た彼女は労働組合側の交渉員として低い賃金水準や劣悪な労働環境について会社に改善を訴えるものの、経営側と一体となった労働組合から排除され、会社も解雇されてしまう。

 その後、彼女は同じ境遇にある佳士の労働者支援活動に入り、学生たちに対して求心力を発揮する。

 興味深いのは、沈夢雨をはじめ、労働者支援に立ち上がった学生・青年たちが、マルクス・レーニン主義・毛沢東思想など左派の立場への親近感を明らかにしていることだろう。それに伴って、「烏有之郷」「時代先峰」「紅色参考」といった著名な左派系ネットメディアも次々と学生たちへの支持を表明した。

 たしかに、日本の感覚で見れば、左派が労働者の権利を守ろうとすることは、とくに奇異に感じる理由もない。しかし中国の場合、左派の“総本山”であり“教義”の元締めである共産党=国家こそが、現実には資本家と一緒になって労働者への搾取と抑圧を行っており、本来なら政治的には共産党=国家を支えるべき左派は、自らの価値観に忠実であろうとすればあるほど、共産党=国家と対抗関係に位置してしまうという錯綜した状況にある。

 ともあれ、争議の拡大を恐れた警察当局は7月27日、佳士の労働者7人に加え、沈夢雨も含めた支援の学生など計29人を逮捕した。ところが、支援者たちはその後ほどなく釈放されたものの佳士労働者は引き続き拘束されたため、弾圧に反発した学生たちはむしろ奮い立ち、労働者の釈放を求める活動を活発化させた。これを受けた警察当局の強硬策こそ、先に紹介した報道記事にある集団拘束だ。

 しかも、これに先立つ8月11日、沈夢雨は公安当局と見られる者たちに連行され、数ヶ月にわたって消息不明の状況が続くことになる。動静が判明したのは今年の1月下旬。沈夢雨をはじめ4人の中心的な活動家が自らの誤りを認め、自己批判する音源が公開されたことによってである。その内容は、異口同音に社会秩序の攪乱を目的とした「外部勢力」の煽動を背景要因とするなど、公安当局のお膳立てによるものであるのは明白だ。

 強大な共産党=国家の力をもってすれば、青年・学生たちの活動など、赤子の手をひねるようなものかもしれない。むしろ、なぜここまでしなければならないのか、というのが正直な感想だ。

 もちろん、それは危機感のなせる業だろう。共産党=国家は圧倒的な支配力を持つがゆえに、それを少しでも傷つけかねない動きに対しては“蟻の一穴”として過剰に警戒せざるを得ないのだ。とくに今回の場合、問題が自主管理労組による労働争議だったこと、そこに青年・学生が支援するなど垣根を越えた横のつながりが生まれたこと、支援活動に参加した青年・学生たちが共産党=国家の専売特許とする左派的な価値観を掲げたことなど、共産党=国家にとっては敏感な部分に影響する可能性があったと言えるだろう。だからこそ、ありもしない「外部組織」の煽動に責任転嫁し、事態の封じ込めを図ったのだ。

                                         ※     ※     ※

 中国の共産党=国家はもちろんのこと、日本にいる私たちも、世の中の動きを「国対国」の構図で捉えた結果、中国そのものも一枚岩のように見てしまう傾向があるように思う。もちろん、そうした側面はないわけではない。だが、人々の考え方や動きは日本以上に多様でアナーキーな面もある。そうした動向が社会にどう反映しているのか。外側からはなかなか見えづらいが、共産党や国家の動きを見ているだけでは、私たち自身と中国のつながり、彼我の同時代性や異質性を見失うことになるのではないだろうか。(つづく)
 
                                                                             (山口協:当研究所代表)


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