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アソシ研リレーエッセイ

本田廣一さんを偲ぶ会に参加して
理念を生き方として受け継ぐということ


 今年5月末に死去された北海道興農ファームの創設者、本田廣一さんの偲ぶ会が12月16日、札幌で行われたので参加してきました。有機農業運動の中核を担っていた本田さんだっただけに、全国各地から同志や友人の皆さんが100人以上集まっておられ、故人を偲んで、思い出話におおいに盛り上がった集まりでした。

 長野県選出の衆議院議員、篠原孝さんが献杯の音頭をとられたのですが、後で御挨拶に伺って名刺をいただいたのを見てみると、「国民民主党」だったので、ビックリしました。きっと地元の事情がいろいろおありなのだろうとは推察いたしますが、あの歯切れのいい主張と国民民主党はちょっと不釣り合いの印象で……。

 事前に興農ファームの清水多恵さんから、「挨拶を」と依頼されたのですが、「諸先輩や御高名な方々が多く御臨席の場に僕なんかがしゃべる言葉はありません」とお断りしました。でも、清水さんから、「地域・アソシエーション研究所のニュースに本田さんが1970年代に北海道に入植した経緯をしゃべった座談会の記事が載っているのを、偲ぶ会の記念集に掲載させていただいたこともあるので是非に」と強く要請され、断り切れずにお受けしました。

 献杯の後の雑談の間、会場に設置された受像器からは、作家の戸井十月氏のインタビューを受ける本田さんの若かりし日の映像が流れて、日大全共闘の闘争にかかわった本田さんが当時を振り返って楽しそうに語っていました。

 それが終わってすぐ、「本田さんを偲んでパートⅡに移ります。では関西よつ葉連絡会の津田さんよろしく」となって、すっかりあわててしまいました。日大全共闘時代の余韻に会場全体が包まれている中で、「この僕が?」という感じです。で、何を話したのかよく覚えていません。でも最近は、何事においてもよく覚えていないことが多いので……。

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 会の最後に、東京で仕事をされていると、いつか本田さん本人から聞かされたことのある娘さんの本田一さんが親族を代表して御挨拶されました。その内容は非常に研ぎ澄まされたもので、父である本田廣一さんの資質が確かに受け継がれていることを感じ、強く心を動かされるものでした。

 両親と共に北海道中標津に入植し農場で育ち、やがて別れて都会で成人した彼女が、父親の掲げた理念、それを貫く生き方をどのように受け止めて来たのか、僕には知る由もありません。しかし、偲ぶ会で、東京で共に暮らす連れ合いの男性と2人並んで、それぞれ自分の言葉で父親の生き方や理念を受け継いで行きたいと語る若い2人を見ていると、本田廣一が今も確かに生きていることを思い知らされる思いでした。

 そして、会の最後は、これから、本田さんが遺した興農ファームを引き受けて行く2人、清水多恵さんと息子さんの信吾さんの挨拶でした。

 先にマイクを持った信吾さんは、興農ファームで何度か話をさせてもらった時とまったく変わらずに、淡々と、「まだまだ判らないことが多い自分だけれど、本田さんの思いを受け、精一杯やっていきます」と話され、後を受けて、母親である多恵さんが、「こんな息子だけれど、これからの時代を考えると、興農ファームにとっても、息子のような性格がいいのではと考えることにしています」と締めくくられました。

 異能な人が創造した現場を引き継ぐ者の大変さは、身に染みて良く判ります。ましてやこれからの時代、北海道の畜産、農業が直面せざるを得ない状況を考える時、清水信吾さんにとって、どれほど厳しい道のりが待っているのだろうかと。その現場で、本田廣一の理念はどのように受け継がれていくのだろうかと。

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 父と娘。母と息子。やがて50年が過ぎる農場に入植した2組の家族が、さまざまな思いの中で、大地とその上に生きる生命を大切にしたいという理念を、それぞれの生き方として受け継いでいこうとしている。ひるがえって、自分たちの農場はどうなのかと、思いをめぐらせながら帰途につきました。

                                               (津田道夫:当研究所事務局)



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