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市民環境研究所から

「原発賠償京都訴訟」に注目を!


 今年を表す言葉は「災」だという。岡山や広島、北海道ではこの選定をまさに「そうだ」と思われるだろう。そして、自然災害と同時に安倍政権の「災」を感じている人も多いだろう。7年前の原発崩壊の災難もすべて隠せるのは2020年のオリンピックだ、と宣伝する政府そのものが「災」である。

 そんな一年の終わりに、福島県やその近辺から京都に避難した人々が提訴した「原発賠償京都訴訟団」が京都地裁判決を不服として大阪高裁に上告し、第1回裁判の傍聴に出かけた。久しぶりの大阪裁判所のビルを見上げて、40年近く前のことを思い出した。和歌山のミカン農家が息子の農薬中毒死の損害賠償裁判を起こし、和歌山地裁での完全敗訴の後に控訴し、この大阪高裁で始まった。その裁判の支援する会の一員だった筆者は毎回傍聴した。和歌山地裁の法廷は傍聴者も少なく、最初は3人だったが、判決の日には数十名になっていた。そして大阪高裁になってからは、冷たかった村人もバスを仕立てて大阪まで来てくれ、毎回、傍聴席を埋めてくれた。

 裁判長が会社に毒性実験ノートの提出を求めてくれたおかげで、驚くような資料が提出された。当該農薬の毒性試験を猿3頭でやったが、どの猿も死ななかったと会社は主張していたが、実は飲ませた毒物を猿が吐き出したと実験ノートに記されていた。傍聴席が埋まり、社会が注目しているとなれば、こんな資料まで公開される。

 その裁判所で「原発賠償京都訴訟」も始まるのだと思い、40年近く前の記憶が甦り、京都の支援者にもがんばって大阪に来てもらおうと思った。第2回口頭弁論は3月13日(水)11:00からである。

 原告代表の福島敦子さんが法廷で読み上げた意見陳述書を紹介する。

                           ※     ※     ※

 『国と東電は,私達原告を見捨てようとしています。

 そんな中,私たち原告は,この裁判に絶対に勝たなければならない理由があります。放射性物質拡散による放射能の被ばくから逃れる権利はこの裁判に勝たなければ得ることはできないからです。私たちは,自主的に避難したのではありません。逃げざるを得なかったのです。私たちが後ろ髪引かれるように後にした「水は清き故郷」は,放射能に汚染されていますが,国や東電は健康影響が確認できない程度の被ばくだと言い,そして,避難指示区域外からの避難者はゼロリスクを求めているのだと冷たく笑っています。

 しかし,どうして私たちだけが健康被害が出るまで,被ばくを受け入れないといけないのでしょうか。3月11日の福島第一原子力発電所の爆発事故による放射性物質の拡散が始まった直後から国と東電は放射能汚染,被ばくをないことにするために,行政はもちろん,マスメディア,教育をとおして人々の心をコントロールしてきました。まず,「避難者はただ不安から逃れるために逃げた特別な人たち」というイメージを植え付けさせました。1日でも早く原発事故は無かったものにしたいがために,避難者たちの命を育む避難者用住宅から強制的に追い出し,世界から国際法違反だと批判されても,国民に知らされることはありません。

 放射能汚染による人々の甲状腺ガンの多発においては,国が子ども達の多発をようやく認めても,原因を福島第一原子力発電所の爆発事故による放射性物質の拡散とは認めていません。3人の原審裁判官を含む国民の「命」よりも経済最優先のこの国のあり方を,私たち原告は到底許すことはできません。ならぬものは,ならぬのです。原告の私たちは,未来ある子ども達さえ守らない国だと知った時,家族とりわけ子ども達を守るのは自分しかいないと思いました。(中略)

 原発事故当時,しきりに言われていた「ただちに健康に影響はありません。」さて,ただちに,はいつまでなのでしょうか。すでに,影響があるかもしれない時期に来ていると国さえもようやく認めてきたのですから,出来るだけ追加被ばくを避け,安心して暮らしたいと願うのは当然の事です。国と東電は,事故そのものの責任を認め,すべての国民の命を守ることに舵をきっていただきたい。裁判官の皆さんも決して他人事ではないのですから,我が身に置き換えて考えてほしいです。』

                                                   (石田紀郎:市民環境研究所)



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