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市民環境研究所から

自然災害に追われ続けた一年
農山村を消滅させてはならない


 酷暑の夏がいつまでも続くかと錯覚するような10月から気温が一気に下がり、紅葉の季節になった。四季という言葉の四を三か二にしたほうが今年の風景が思い出しやすいと思うほどの異常気象の年だった。地震や台風や大雨が幾つも日本列島を襲い、各地の災害発生の月日が分からないほどである。

 そのうちの一つが台風21号である。1961年の第二室戸台風とよく似た進路をたどってやってきた。第二室戸は9月16日に四国高知の室戸岬付近に上陸し、京都滋賀に向ってやってきた。今のように気象情報も少ない中であれこれと予想し、対策を練っていたように思う。

 その頃、筆者は大学の3回生で、滋賀県大津市に住んでおり、1959年から1960年にかけての反安保運動のまっただ中にいた生活が終わり、大学生の勉強らしきことを始めた頃だった。京都と滋賀県の境にある比叡山を台風の目が通過し、目が通過すると風の向きが180度変わることを初めて経験し、屋根瓦が手裏剣のように飛んで行くのを見ていた。後から知ったのだが、びわ湖の南湖の水がすべて北湖に押し流され、湖底が露呈して歩いて湖を渡れるようだったという。琵琶湖の北端にある菅浦集落では倉の屋根下の壁にまで水がついたという。

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 それから57年後のこの夏に同じような台風に出合ったということである。そして、びわ湖南湖の水は台風通過時には水位が1mも下がったという。この台風は京都市内でも大きな被害をもたらした。筆者が毎朝イヌと散歩に行く琵琶湖疎水沿いの道は天智天皇陵の北側にある。この道沿いの樹木が大量に倒れ、その数は御陵内だけでも200本は優に越えるだろう。京都市の北端に近い鞍馬山では無数としか言いようのないほどの倒木があり、道は通れず、電車も不通となった。

 10月といえば京都名物の時代祭と鞍馬の火祭があるが、台風による倒木や土砂崩れで道路や線路が使えないので火祭は中止になった。先日、鞍馬に住むジャーナリストの女性から現状を聞いたが、道路と線路は11月上旬にやっと開通したものの、倒木は放置されたままで、倒木処理は膨大な経費がかかるから個人所有の山林でなんともし難い状況だという。京都の銘木・北山杉の林も同様の状態である。

 この台風の前に、鞍馬の西にある雲ヶ畑を訪ねた。2、3ヶ所に通行注意の看板が出ていたが、なんとか鴨川の源流にある志明院まで車で到着した。幾つもの谷には倒木が折り重なったままである。住職によると、台風12号は異常な進路で西日本を通過したから、倒木のさまは今までとは異なるという。

 日本列島にやって来る台風は偏西風の影響で西南から東北へと列島を縦断して行くが、12号は三重県伊勢市に上陸し、西進して九州を南下して東シナ海に出た。全く逆のルートをたどったため、逆走台風と呼ばれるようになった。倒木発生は通常と異なる場所に出たという。地球環境の異変か、それとも自然界の振れの範囲内のことかは知らないが、次々と発生する自然災害に追われ続けた1年だった。

 こうした災害の報道で、山村や農村の被害者として登場されるのは筆者と同じか、それ以上の後期高齢者ばかりである。損壊した家屋の再建などとても無理だろうと思わざるを得ず、5軒の集落のうちの2軒がつぶれた風景からは、この集落の消滅しか思い描けない。こうして日本の山村がなくなっていくのだろうと思う。山村農村が住めなくなり、人も物も金も都市へ、大都市への集中を進めてきたこの国の未来は、風景のまずしいだけの国になっていくのだろう。倒木を処理し、道を直し、人が住める地域を支えなければと思う。

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 今年の京都府知事選では市民主導の野党連合を呼びかけ、京都府知事選としては自公の候補者を8万票差まではじめて追いつめ、市民研のある左京区では勝ち、農村部では相当に得票率を上げた。人口が減り、活性低下の農村部の怒りの現れと思う。

 年が明ければ地方選である。自公にくっつく野党ではなく、市民と野党の連合を模索する人々と連帯し、農山村切捨政治への怒りを表現できればと願っている。

                                               (石田紀郎:市民環境研究所)



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