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市民環境研究所から

「アユモドキ」からの警告!?


 8月中旬をすぎても今年の酷暑はまだまだ終わりそうもない。狭い庭の何本かの木は酷暑の上に水不足で枯れてしまった。この異常気象が地球温暖化現象のせいなのかどうかは分からないが、地球規模で今まで遭遇したことがない気象現象が発生していることだけは事実であり、しっかりと受け止めておかねばならないだろう。そして、小さな生き物に人間が与えた苛酷な環境変化に想いを至らせねばと思う。

 京大を退官した後に数年間勤務したのが亀岡市にある大学で、そこでは少ない教員で多くの学生を教育しなければならなかった。創立当初から関係していたので、この弱点をいかに解決すべきかと思いあぐねた末に到達したのは、地域の人々に学生を教育してもらおうという、厚かましい思いである。しかし、そのためには地域が求めることに協力しなければと覚悟を決めた。その結果、委員会を7つも引き受けることとなり、退職後も4つの委員会のメンバーを続けている。

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 その一つが絶滅危惧種の魚アユモドキの調査委員会である。他のメンバーはアユモドキに詳しい研究者で、素人は委員長の筆者だけという奇妙な構成である。岡山と京都にしかいない、この変哲な名前の魚がなぜ亀岡市で保津川に流れ込む曽我谷川流域でしか生き延びられなかったのかを究明し、そこに存続している水環境(生息環境)を解明し、アユモドキがこれからも生き続けてくれる地帯を保持するというのがこの委員会の使命である。この魚の命運を心配し、もう何十年もこの流域に通い続けている京大時代の同僚の岩田さんに、なぜ亀岡にアユモドキが生き残れたのか、その条件は何かと尋ねた。

 彼の答えは次のようである。曽我谷川流域には水田が広がり、在来農法による稲作が連綿と続けられてきたことが第一要因であるという。ここでは曽我谷川が保津川に合流する直前に、風船ダム(ファブリダム)が備えられ、ファブリダムが起立することにより、その上流部に堪水域が出現し、アユモドキの繁殖および仔魚の成育が可能となる一時的水域が創出されてきたのが大きな要因である。もちろんこの水域の出現時期はアユモドキの繁殖時期と一致していることが重要である。

 すなわち、この流域で栽培されるイネの品種の田植え適期が6月上旬であることが大事であり、そのような品種を現在でも作付していることにより、アユモドキの繁殖のタイミングとファブリダムの起立が一致していた。孵化した稚魚は堪水域から移動し、周辺の水田地帯にある多くの農業用水路に入り、そこを成育場所として利用する。ということは、広大な水田環境が存在することがアユモドキの保全には重要という。さらに冬になり、無事に越冬するためには流水よりも水温が高い地下水が湧出してくる場所が必要で、そのような湧水のある保津川の存在もまたアユモドキがこの地で生き延びられた条件であるという。

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 そんな希少な環境の中で生き延びてくれていたアユモドキが危機に陥っている。一つは上流にある溜池に無断放流され、繁殖した外来魚オオクチバスである。7月の大雨で、溜池の流出口に備えられていた網が崩壊し、大量のオオクチバスが曽我谷川に流下した。アユモドキの生息地帯では、アユモドキを食べるオオクチバス捕獲作戦が続けられているが、完全に退治できるかどうかが危ぶまれている。もう一つは、アユモドキ生息域に計画されていたサッカー場計画である。多くの反対により、生息域から少し離れたところで建設されているが、元の計画地の利用がいろいろと取りざたされ、アユモドキの生存を脅かす試案もあるのではと危惧されている。

 その上、このサッカー場を拠点とするプロチームのパープルサンガが二部から三部へと転落しそうであり、仮にサッカー場が建設されても、それほど集客は見込めず、亀岡市は赤字を抱えるだけになりそうだ。計画当初から予想されたことなので、筆者は驚かないが、絶滅危惧種を危うくし、その上に亀岡市の財政をも困難に落とし込むかもしれないと今朝の京都新聞が報じている。箱ものに依拠する将来計画ではなく、亀岡の自然を大事にする将来計画を立てろというアユモドキからの警告かもしれない。

                        (石田紀郎:市民環境研究所)



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