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市民環境研究所から
省農薬ミカン園に後継者ができた


 7月20日の朝も、室内気温は午前9時には32度を超えて上昇中である。昨日は最高気温が40度を超えた。気象台の発表では、観測開始からの100年以上で最も高温だという。しかも、この酷暑は一週間も続いており、中休みがなく、8月初旬まで続くという。酷暑の前には豪雨が西日本を襲い、我が家のバケツを用いた降水量調査でも2日半で300ミリの雨が降った。広島や岡山の豪雨被害は甚大で、愛媛ではミカン園の崩壊が広範囲に発生したという。

 河川の氾濫による住宅への土砂の流入や家の倒壊を見るのはつらいものである。多くのボランティアが救援に駆けつけているとはいうものの、この酷暑下での泥かき作業は厳し過ぎる。水害、土砂崩れによる死者は200人を越えた。人の死を聞くのはつらいことであるが、その背景にある水田やミカン山などの死の風景を見るのもつらい。いまの日本の農業と農村が置かれている状況では、これらの農地の耕作者の多くは高齢者であり、ここでもう一歩がんばろう、とはならないだろう。

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 私が40年間通っている和歌山県は降水量もそれほどにはならなかったのでほっとした。これで我がミカン園の後継者探しも進められるだろう。今年の2月号の本欄に書かせていただいた、省農薬ミカン園の農民の悲劇を再録する。

 「……あとは年明けの数十箱の出荷だけになったと安堵していた12月29日に信じられない電話がかかってきた。故仲田芳樹さんの息子で、会社を定年前に退職して、省農薬ミカン栽培に情熱を燃やし、この5年間をがんばって来られた仲田尚志さん(2017年11月発行の本誌に登場)が亡くなったと。12月27日に今年度の収穫と出荷作業を終えた翌日の深夜のできごとであり、61才の悲しい別れであった。」

 それから半年、省農薬ミカン園の栽培を続けてくれる後継者探しはなんとか目処が立ってきた。昔の農村なら、後継者が見つかるまでは、親戚が面倒を見てくれるので心配いらないよとなっただろうが、今はとても無理である。亡くなった仲田さんの従姉妹の旦那が同じ集落内のミカン農家なので、彼なら助けてくれるだろうと思っていたが、肝臓ガンでこの4月に他界された。60歳代の別れだった。段々畑が広がるミカン産地には廃園、放棄園がいっぱいある。省農薬園のことを理解してくれている村人が助けてくれる状況ではない。

 知人・友人・支援者に声をかけての後継者探しの結果、大阪在住の新規就農の中年男性が後継者になってもよいと名乗りをあげてくれた。農業に関してはまったくの素人であるが、人生の切り替えと思って、農業をやり始めたという。何度か会い、省農薬ミカン園の歴史や現状を、調査を続けている農薬ゼミの学生も交じえて話し合い、ミカン園の雑草刈りを一緒にやった。村の中の親戚筋の百姓が技術指導くらいなら手助けするよと言ってくれた。

 隣の集落で農薬を減らしたミカン栽培をしている百姓も技術面で助けてくれるという。さらに、20年前にこの省農薬園で、筆者たちと一緒に病害虫の調査をしながら省農薬栽培のやり方を学び、今は三重県でミカン農家になった知人が助っ人として駆けつけてくれ、丸一日、ミカンの木を見ながら、触れながら後継者に話をしてくれた。農薬ゼミの学生は、年1回だけの農薬散布を農家に教わりながら実践してくれた。6月中にこれだけのことができたので、7月末には再びミカン園に行き、枝ごとの果実数を適切にするための摘果作業に入る。

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 栽培の目処がなんとか立ってきたので、消費者側もそれぞれの組織内での議論を進めた。生産者が代わることによる生産物の出来具合は心配だが、今までと同じように購入し、省農薬ミカン園存続を支援してくれるという。不安いっぱいの再出発ではあるが、半年後にはおいしいミカンを届けたいものである。崩壊する農業、農村の支援策を何も示さない現政府を批判する動きを、素人集団、消費者団体の踏ん張りで見せたいと豪雨・酷暑の中でもがいている。

                       (石田紀郎:市民環境研究所)



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