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地域から政治を考える

オウム真理教13人に死刑執行

民主主義から逸脱する日本の死刑制度



 7月6日に麻原をはじめとする7人、26日に6人とオウムの死刑囚たちは、一挙に処刑された。13人もの大量処刑は、1911年の大逆事件での12名の処刑を超えている。大逆事件の際には、明治から大正への改元前に行われた。今回も同様に、来年の天皇の代替わりを前に行われた。今回執行した上川法相は、歴代最多の16人を執行したことになった。

 この執行に対して、EU(欧州連合)などは、死刑廃止を訴える共同声明をだした。

 声明では、事件の被害者や家族に「心からの同情を表し、テロ行為を断じて非難する」とした上で、死刑については「いかなる状況下での極刑の使用にも強くまた明白に反対し、その全世界での廃止を目指している」と言及。日本政府に対し、死刑を廃止することを視野に入れた死刑の執行停止の導入を呼びかけた。

 人権問題に関する国際的なNGO(非政府組織)アムネスティ・インターナショナルは、前代未聞として、「信者たちが、なぜカリスマ教祖に命じられるままに犯行に及んだのか。報復で彼らの命を奪っても、真相解明にはつながらないし、日本社会が安全になるわけでもない」と批判した。

 さらに、異様であったのは、従来は執行されてから執行の事実が発表されるが、今回はテレビで、リアルタイムで報じられ、まさに見せしめ的な刑の執行となっていたことである。過去の時代にもどったような気にさせる。

 また、今回の処刑に限らないが、死刑囚が再審請求中であっても、お構いなしに執行されるようになっている。今回も4人が再審請求中であったといわれている。

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 6日の執行の前日に上川法相らが、安倍首相らともに、処刑を祝うように酒盛りをしていたことなど言語道断であるが、政治的な意図をもって行われたことは明確である。憎悪のまとであったオウム幹部を一挙に処刑することで、政権の「正義」を示し、かつ、来年の天皇の代替わりをすすめるために、平成のうちに片付けてしまうためである。

 死刑については、一般的に、人道上の問題もあるが、民主政のもとでは、人間は間違いを犯すものであることが前提であり、人が人を裁く裁判においても同じである。とくに、日本のように自白偏重の取り調べにおいては、冤罪の可能性を含んでいる。冤罪で判決を言い渡されたとしても、死刑が執行されてしまえば、それを覆す可能性はなくなってしまう。

 いわゆる死刑の抑止効果も否定されている。死刑がある国でも、死刑がない国でも犯罪率において違いがないことが事実と証明されており、見せしめ的に死刑を行っても。それが犯罪の抑止力となるということは証明されていない。

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 今回の場合で言えば、指摘されているように、オウム事件そのものの真相が解明されないまま、当事者たちを処刑してしまったことで、真相は闇に葬られてしまった。また、今回の事件の被害者も、死刑の執行によってすべてが終わるわけではない。

 日本の世論においては、死刑を支持する人々の方が多いが、死刑廃止は国際的な流れになっており、民主主義を実践する諸国は死刑を廃止している。EUにしろアムネスティにしろ、民主主義の価値観から日本の死刑制度は逸脱しているとして批判しているのである。

 圧倒的に国民が反対している参議院の議席増法案、労働法制の改悪、カジノ法案などの採決を強行し、モリカケ問題をはじめとする不祥事に嘘とごまかしで居直り続けている安倍政権に、死刑制度の廃止をする立場がでてくるはずはない。

                      (戸平和夫:北摂反戦民主政治連盟)

         


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