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市民環境研究所から

京大の「立て看(テテカン)」撤去が示すもの


 京都市左京区で最も人通りが多いのは百万遍の交差点である。それもそのはずで、交差点の北西部以外は京大の構内である。昼間人口は1万人以上だろうし、夜間の人通りも多いから、人々に向って自分たちの主張を伝える絶好の場所である。何かを伝えたい、訴えたいと思う人間がこの四つ角を放っておくことはない。戦争法反対、改憲阻止の毎月19 日デモも、この交差点から市役所に向って歩き出す。

 ついでに言えば、この交差点は文化の香りが消え去ってしまったゾーンである。本屋も古本屋も良質の喫茶店も消え去り、全国チェーン店の安メシ屋ばかりである。

 ただし、南東の角から南の歩道は「立て看」が並び、上手下手はあっても学生たちの思いが表現され、季節ごとのメッセージが放たれてきた。ところが、京大は突然、この立て看を強行撤去すると発表し、日曜日の早朝に職員か業者か分からない連中を動員してすべての立て看を持ち去った。

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 5月10 日の各紙には、「大学だけを例外とするわけにはいかない。市民の共有財産である景観を守り、突風で倒れる危険性も考慮しないといけない」との門川市長の談話が載った。どこが古都の景観を壊しているのか。もしそうなら、なぜ10年以上も放っておいたのか。京大の立て看は去年から現れたものではなく、そこにあるのが普通の景観だと地域住民が認識している。このコーナーを毎日見慣れている地域住民からは、立て看撤去への抗議の声が大学に寄せられている。

 ところで、その百万遍交差点から北に行くと、何本ものノボリ旗が立っている。直径40センチもあるコンクリート・ブロックに支柱を立てて括られている。5月11日に確認したところ、百万遍から北の里ノ前交差点までに15本も立っていた。1ケ月ほど前に市役所の担当部署に電話をし、こうしたノボリ旗は放置しながら京大の立て看を撤去するとはどういう意図なのか訊いた。このノボリ旗も違法であり、注意勧告を出してはいるが撤去されないとのこと。担当部署には強制撤去する権限はないから、何度も、何年も言い続けるだけだという。

 歩道の一部を占拠するノボリ旗を立てた主が、そこの商店ならば、商店街の組合に対応させたらどうかと尋ねると、あくまで個別商店の問題だから、そうした対応はしないし、個々の勧告・警告の詳細はプライバシー保護のため教えるわけにはいかないと言う。ならば、京大周辺の立て看はそれぞれの団体の所有物だから、撤去が必要なら各団体に言うべきであり、京大という組織は関係ないのではと尋ねると、明快な回答はなかった。これが立て看撤去を京大に申し入れた担当係長とのやりとりである。

 立て看が接地しているのは公道であり、京大の敷地ではない。立て看が寄りかかっている支点が京大の石垣だというだけである。ならば、まず各団体に撤去あるいは補強策を求めるべきではないかと係長に問い続けているうち、はたして京都市が京大に撤去を要請したのか疑い始めた。京大が「撤去勧告を出してくれ」と頼んだのではないのかとさえ思えてきた。

 個々の立て看が条例のどの規定に違反しているのかも明示されてないし、京大も個々の立て看について違反事項を明示せずに、公道に接地していないものまで、一律に同じ内容の警告文を貼っただけである。ついには労働組合の看板までも取り外してしまっていた。筆者が40 年前に結成し、退職後も関係している「京大農薬ゼミ」が理学部敷地内で道路に向けて立てていた看板も撤去された。そして、京大のホームページには、大学が公認した団体以外の看板は許さないと掲示されていた。

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 この一連の動きを見てみると、要は大学当局の統制できない輩の活動は許さない、ということである。昨日、京大出身の弁護士140 人が連名で、「立て看撤去は思想弾圧」と訴える声明を発表した。ところが学内に何千人もいる教員たちからは、数名の動きを除き、何の声明も出てこない。

 大学は「臨終」というよりも「葬式が終わった」と言わざるを得ない。立て看撤去は葬式終了のお報せなのだろう。

                       (石田紀郎:市民環境研究所) 



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