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市民環境研究所から

市民運動の新たな地平を開く京都府知事選


 例年ならば3月にはこの古びたアパートにやって来るのだが、今年は4月半ばの到着となった。早朝に京都の自宅を出て関空に行き、韓国・仁川を経てカザフスタンのアルマティ空港に到着したのは真夜中である。出迎えの車に乗って我が宿に着くと、倒れこむようにベットに入る。目覚めると、雨が霙となり雪となったが、わずかに緑を見せる樹々の新芽に積もるほどではなく、昼間には晴れ間が見えた。春が近いと感じさせてくれる朝の出迎えである。

 1997年に購入したこの家のおかげで、日本カザフ研究会の多くの仲間がこの地にやって来てくれた。今は二、三人が時々使う程度であるが、当分は手離さないでおこうと思っている。今回はアラル海旧湖底砂漠での植林に出かけてきた。

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 倒れこむように寝てしまったのには訳がある。3月23日から始まった京都府知事選挙は4月8日に投票日で、夜には当落が判明した。選挙の公示日の前から選挙戦は始まっており、筆者も70歳を過ぎて初めて宣伝車に乗り込み、何箇所かで慣れない街頭演説をした。街宣車に乗らない時間はチラシのポスティングや集会と結構な日程で過ごしてきた日々だった。かなり疲れているのは事実だが、帰国前にこの原稿は書き終えたいと異郷の地で書き始めた。

 この40年ほど、京都府の知事選挙は各党相乗りの非共産党陣営と共産党との対決として展開されてきた。今回も自民公明が安倍政権下の復興庁で事務次官をやっていた西脇を連れてきて、財界のボスを代表とする選挙組織を立ち上げると、希望に民進に立憲民主までが加わり、前知事の山田と京都市長が応援する布陣が現れた。フクシマの被災者に対して避難解除区域への強制帰還政策を強行し、中央政府との太いパイプだけを売り物にする人物である。太いパイプが地方自治体にもっとも必要というならば、もはや選挙などは必要ない催しで、定年になった高級官僚を物色して連れてくるだけでよい。そのような候補者に野党が乗るのなら、地方には政党など要らないのではないかと思えるほどの振る舞いである。地方自治を自ら捨て去る政党こそ捨て去られるべき存在であろう。

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 福島の悲劇が発生した時もまた筆者はこのアパートで、言葉の分からないカザフのテレビ画面でフクシマを見続けていた。そして2週間後に帰国し、反原発の仲間に、これからの反原発運動はオール京都を合言葉に進めようと提案した。そして7年間、今年の「バイバイ原発3.11集会」も大集会となった。しかし、自公はもとより、希望、民進、立憲からも誰一人として参加しなかった。中央との太いパイプだけを求めるこれらの人々にとっては、難民生活を続けさせられているフクシマ被災者よりも、中央の金が投入される事業の甘い汁がよいのだろう。それなら、彼らは解党して自民にでも公明にでも入ればよいだろう。

 選挙に向かっても、オール京都の考えのもと、市民主導で選挙母体「つなぐ京都」の立ち上げに参加した。立憲民主党にも呼びかけたが、賛同を得られなかったばかりか相手方陣営に入ってしまった。せめて自主投票ぐらいはと思って話したがダメだった。まあ筆者の力量では、と納得した。そして福山和人候補が名乗りをあげ、市民運動関係と共産党との協力体制で選挙は戦われた。

 それにしても、西脇候補の公約を見れば、その程度の悪さは近年稀だと誰でも思うだろう。ひたすら名前を連呼するだけで、候補者間の議論を避けてか、大衆の前に現れないままだった。組織票だけで得票した結果、太いパイプ派の勝利となり、西脇を囲む経済界の大物や知事・市長が当選バンザイする後ろで、捏造、改竄、虚言の安倍政権と対決しているはずの野党代表がバンザイをしている哀れな姿があった。一方、市民と共産党との連携は破れたはとはいえ、京都の歴史に残るほど肉迫したことだけは確かであり、市民運動の新たな地平を開いたと思う。

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 カザフの3月は例年にない厳寒で、マイナス30度の旧アラル海の湖底砂漠での植林を遅らせて、春の到来を待っていた村へと夜行列車で出発する。10日後にこのアパートに帰ってくる頃には、向かいの館が隠れるほどに緑が増えていることだろう。

                         (石田紀郎:市民環境研究所)



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