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連載 ネパール・タライ平原の村から(78)

水牛の言いたいことを聞いてみる


ネパールの農村で暮らす、元よつば農産職員の藤井牧人君の定期報告。その78回目。


 つないである乳牛(水牛)が起き上がり、視線は僕を追いかけています。「ホーケホーケ」(わかったわかった)と答えて、僕はワラを与えてやります。隣の仔牛が僕を見るなり“ウィ、ウィ”と呼ぶ時は、「アァーイ」と答えてやります。そうすると、仔牛も“ウィ、ウィ”と答えて、嬉しそうに飛び跳ねます。そろそろ哺乳の時間だからです。

 仔牛をつないだ縄を外すと、この瞬間を待っていたかのように、母乳を吸いたい一心で、勢いよく乳牛に向かって突進します。が、乳牛が“フーン、フーン”と首を上下させながら鼻息荒く、我が子に母乳を吸わせるのを拒絶し、突き放しました。実子である仔牛に哺乳させないと言うことは、その後、人間にも手しぼりさせないことを意味します。背後に気配を感じると、後足で蹴飛ばすぞ、と不満露わです。

 何かリズムが普段と違う、何かが足らぬと言っている…ような気がしました。そしてワラではなく、旨い青草がほしいと言っている…ような気がしたので、青刈りしたエンバクをやって、しばらく様子を見ては、仕切り直しです。

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 乳牛は、人の都合で搾乳させてはくれません。適度に空腹を満たし、それから隣につないである仔牛に乳を吸わせて、仔牛の匂いを嗅がせることで、ようやく乳汁を排出します。しばらくして、仔牛の鼻に通した鼻ヒモを引いては離し、そばにつなぎ留めます。そうして、乳牛には、仔牛に乳をやっている気分にさせて、その隙に僕らは、手早く乳を横取りします。

牛舎の様子
 ■牛舎の様子、日中放し飼いの鶏も休んでいる
 こういうのを日本語では、「分けていただく」とも言いますが、『モンゴルの春』(1991年)の著者、小長谷有紀さん(文化人類学者)は、人も動物も共に生かされる「共生関係」、あるいは「母子関係の介入」と表現していました。

 山岳部では、仔牛が事故や病気で死んだ場合、仔牛の毛皮に籾を敷詰めて縫った、着ぐるみの匂いを乳牛に嗅がせて搾乳します。また、死んだ仔牛の毛皮の一部(背中など)を乳牛のそばに置き、搾乳していたりもします。そういうのを見て来た妻の場合、体験から、ただ乳牛を「騙す」とか、乳牛から「盗む」と言っています。そんな乳牛や仔牛を夕食後、妻は懐中電灯で照らして、ノミ取りをしながら会話をし、僕もそれに付き合わされます。そんなことに多くの時間を費やし、仔牛は、気分良さそうに両足を投げ出しては、床に寝転がります。

 わずか1~2頭の水牛。それに費やした時間コストを換算すると…などとは聞かないことにして下さい。ただ、こうした日々のやりとりから、水牛がなついたり、扱いやすくもなるものです。水牛の言いたいことがだいたいわかる…ような間柄にもなれるものです。

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 冒頭の乳牛とのやりとりは、うまく乳牛を「騙せなかった」時のことです。夕方、買いに来たご近所さんらには、しばらく待ってもらうか、一旦、家に戻ってもらったりしながら、十分な青草を与えて、ようやく仔牛に哺乳させ、乳を搾った次第です。


                                                                                         
  (藤井牧人)


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