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市民環境研究所から
国・東電の賠償責任認めた判決
早咲きの桜を見ながら、毎日の日課であるイヌとの散歩を楽しんでいる。コースは自宅から大通りを横切って、琵琶湖から流れ来る疎水に沿って、緑ゆたかな歩道を歩く。御陵の林の中には、いつの間にか住みついた鹿の家族が見えることもあるし、夜間に出て来たイノシシが地面を掘った痕もある。この散歩道は後期高齢者にはありがたい。5000歩程度を歩いて帰宅し、コーヒーをいれる。そんな朝を終えた3月15日は筆者の誕生日である。
自分の誕生日など意識することは少なく、数日あとに気付く程度だったが、今年はこの日を待っていた。というのは、関心は持ちながらも、忙しさにまぎれて傍聴にも行けなかった原発賠償・京都訴訟の原告団を支援する会の共同世話人代表になるように言われ、なにが出来るのか分からないままに承諾した。原告の方々は福島県に居られる時は、それぞれ自慢の散歩道を持って、子供やイヌと散歩されていたのだろうと思う。そんな故郷を捨てさせられ、避難先で苦労されていると思うと、何かしなければと引き受けた。
この訴訟の争点は、以下のようである。
第1は、国に法定被曝限度(年間1ミリシーベルト)を遵守させ、少なくともその法定被曝限度を超える放射能汚染地域の住民について「避難の権利」を認めさせること。
第2は、原発事故を引き起こした東京電力と国の加害責任を明らかにすること。
第3は、原発事故によって元の生活を奪われたことに伴う損害を東京電力と国に賠償させること。
第4は、子どもはもちろん、原発事故被災者全員への放射能検診、医療保障、住宅提供、雇用対策などの恒久対策を国と東京電力に実施させること。
その判決が3月15日、京都地裁であった。筆者の感想として、以下のように高く評価したい。
①判決が国の賠償責任を認めたこと。
②被告東電の過失責任と賠償責任を認めたこと。
③原告の多数を占める「区域外避難者」について、避難の相当性を広範に認め、救済の途を開いたこと。
④賠償額には不満があるが、賠償を命じたことは大きな前進である。
原告のみなさんがどんな気持ちでこの判決を聞かれたかは計り知れないので、原告団共同代表から送られてきたメッセージを転載・紹介する。
『世界中からみなさまがお心を寄せてくださり、結果は、東電のみならず国の責任を明確に認めた「一部勝訴」というものでした。主張を棄却された原告世帯もいる中で、この5年間の様々な思いが交錯して、私たち原告の顔には涙がつたいました。
判決では、避難の正当性が2年間という期限付きではありますが初めて認められました。また、損害論においても柔軟な態度を示してくださいました。避難の相当性があると認められた地域も、会津、千葉、茨城、栃木と広がりました。避難の相当性が認められなかった仙台市、つくば市の原告が居ること、認められたとは言えそれぞれの認容額はあまりにも低額であり、納得出来ない所はあります。しかしながら、支援の会のみなさまをはじめ全国に広がる原告、支援者の皆さまのネットワークのお力添え、時間ある限り細部にもこだわり被告へ切り込んでいった弁護団の専門的、技術的な対策、一丸となり勇気を振り絞り、声をあげてきた原告たち、京都訴訟ならではの「三つ巴」で頑張ってきた提訴からの5年間が認められたことは深い意義があります。
2ヶ月に3回行われた本人尋問の時でも、天候が荒れた日の署名活動でも、避難者の住宅打ち切りに対する議会への働きかけでも、原告の声を民意へ訴えるためのイベントの数々を企画し、呼んでくださったり、サポートしてくださったりと、この訴訟を「我がこととして」いっしょに今日まで寄り添ってくださいました。
あらたな闘志をもって、原告全員への賠償、「避難の権利」の獲得に向け、大阪高等裁判所へ控訴する意向です。どうか原告とともに完全な勝ちをつかむその日まで歩んでくださいますよう心からお願い申し上げます。』
高裁に移っても、大阪まで足を運び続けようと思っている。多くの方々の変わらない支援をお願いする。
(石田紀郎:市民環境研究所)