HOME過去号>157号  

市民環境研究所から

「研究とは?」議論なき大学


 東京の大雪のニュースばかり流されているテレビを見ていたら、東京の知人から電話が入った。挨拶代わりに“大雪ですか?”と訊ねたら、“ちょっと白くなっただけで大したことはない”との返事。それはそうだろう。フクシマ原発事故後に東京から滋賀県の湖西地方に避難し、数年間雪国に住んでいた人には大したことはないだろう、と互いに大笑いした。それにしても本格的に寒い冬である。

 そんな季節に改憲反対、原発再稼働反対を唱えながら、正月からデモや集会に参加している。シベリアの寒気団の襲来よりもはるかに寒々しい安倍政府の下での新年が始まった。今年も本欄に駄文を書かせていただけるとのことで、編者に感謝である。

             *      *      *

 そんな寒波襲来の朝、京都新聞の一面記事は「京大iPS研で論文不正」「助教、データ改ざん」「脳血管モデル研究」「山中氏、辞任も検討」と大見出しで書かれている。要約すれば、京都大学が先端科学の中でももっとも先端科学であると宣伝している部門での研究者の堕落ということであろう。数年前にあった、理研の若き女性研究者のデータ改ざんと同じ分野の同じ堕落である。

 もちろん、この女性研究者だけが起こしたとは到底思えない事件であった。まさに今回も、先端科学などと吹聴している分野の共通的欠陥が露呈しただけのように筆者には思える。昨年1月号の本欄に次のような文を書いているので引用する。

 「京大構内に先端科学研究棟なるビルがある。iPS細胞関連分野やエネルギー研究部門などがここに入っている。金儲けの出来る科学分野とはさすがに恥ずかしくて言えないから先端科学などと名付けている。科学のどの分野も先端なのに。こんな恥ずかしい命名が横行している日本の大学では、文科省関係の研究費予算は激減され、特に、研究室維持すなわち学生教育に必要な資金はほとんどないという。研究費がないことは大問題であるが、現場の研究室単位で自由裁量ができる教育費のないことはもっと問題である。研究を研究者の自由な発想で実行することなどもはや不可能な状況であり、教員は競争的資金を取得するために知恵を絞っている。」

 まさにこの分野で発生した事件である。研究費の問題と若き研究者が任期付雇用の職しかない現在の文科省の政策の中で、若き研究者の研究成果への焦りから発生する事態であろう。理研、京大、その他の大学の若手研究者に多発する研究データの改ざんや不正の根底には、もうひとつの理由があると思う。

 筆者が京大の現職のころ、大学院生獲得のために学部生への説明会があった。その説明会で先端科学分野の教授の発言に驚愕した。それは、「皆さん、うちの研究科に来てください。研究テーマはいっぱいあります。お金もいっぱいあります。ただひたすら働いてくれたらよいのです」というものだった。次に発言に立った筆者は、「皆さん、うちの研究科に来てください。研究テーマは自分で考えてください。お金はほとんどありません。海外の研究フィールドに放し飼いです。ときどき帰国して議論します」と。聴衆の学生は大笑いしていた。

 なぜ、その研究をするのかが大事であって、結果を要求するだけの大学教育の破綻としての改ざん事件である。若き研究者に責任があることを否定はしないが、彼にそのようなことまでさせた原因は「先端科学」などという恥ずかしい命名をして、もっとも大事な「研究とは」を議論しない先輩教員たちにあるのではなかろうか。

             *      *      *

 山中研究所長は談話の中で、実験ノートの管理やチック体制の不備が原因だったと述べているが、理由はそんなことではない。こんなところに原因を求める姿勢そのものが大問題である。本来、実験ノートなどは他人がチェックするべきものではなく、研究者本人の責任の下にあればよいものである。「金をいっぱい出しているのだから、お前は働き、全ては上司の言うとおりにしろ」と言っているようなものである。

 「先端科学分野」とは「金で縛り、金儲けのために働かせる研究分野」であり、不正に対しての本質的議論もできない連中が、「管理と監視」で乗り切ろうとしているとしか思えない。シベリヤ寒波よりもお寒い先端の人たちである。

                                        (石田紀郎:市民環境研究所)




©2002-2017 地域・アソシエーション研究所 All rights reserved.