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北摂ワーカーズ(若者労働者協同組合)インタビュー報告

分断と競争でなく団結と協同を求めて

みんなのためにみんなで働く場を創りたい


 雇用・労働をめぐる状況は、依然として厳しい。とくに若者層では、使い捨て、パワハラ、長時間残業など、さらなる劣化が指摘されている。そんな中、雇い―雇われる関係に飽きたらず、働く者自らが仕事を創り出し、働き、運営していこうとする試みが、各地で行われている。ここ大阪でも、このたび「北摂ワーカーズ(若者労働者協同組合)」という一つの試みが始まった。背景となる問題意識や今後の展望などについて、鈴木耕生さんと木澤寛二さんのお二人にお話をうかがった。


はじめに


――まず、いま取り組んでいる業務について、紹介をお願いします。


 【木澤寛二】10月から年内は植木剪定のシーズンです。NPO関西仕事づくりセンター(※)と組んで、仕事をもらう形で一緒に現場に出ているという感じです。

(※)2008年、「みんなで創ろう、みんなの仕事」を合い言葉に、連帯ユニオン、管理職ユニオン・関西、北大阪合同労働組合、釜ヶ崎パトロールの会などが中心となって設立。当時、派遣・契約社員が企業の都合で簡単に首切りされる「派遣切り」が社会問題となっていた。労働者自身が自ら仕事を創出していくことで、こうした状況の転換、相互扶助を軸とした地域社会を展望。

 【鈴木耕生】木澤君はもともと北摂ワーカーズを立ち上げる前から、1年くらい仕事づくりセンターに関わって、仕事をもらっていたんだよね。

 【木澤】そうです。それ以外にも、もともと僕は高校に入ってすぐに中退して、大工をしている父親の仕事の手伝いや、中学時代の先輩の会社で外壁塗装の仕事もしたことがあったので、現場経験はいくつかあります。なので、知り合った人との間でそうした話をすると、「だったら、これやってくれないか」と相談されるようになりました。たとえば、箕面市の桜井市場という商店街から、商店主の皆さんが高齢化しているので、電球の取り替えや重いものの移動、ちょっとした修繕など便利屋仕事の要請があります。もともと家が近く、ちょくちょく遊びに行っていて人間関係ができ、そこから出てきたものです。

 もう一つは、いま住んでいる家を紹介してくれた不動産屋さんとの話の中で、住人が退去した後の片付けやリフォームの手伝いなどを頼まれるということもありました。

 ただ、植木や大工の仕事というのは職人仕事の面があります。僕としては、もっと多くの人に関わってもらいたいという気持ちがあり、ポスティングや引っ越しの片づけといった専門性がなくてもできる便利屋仕事も開拓し、周囲の仲間とともに仕事を創って生活していくところまで持っていきたいと思っています。

 【鈴木】現状はほとんど木澤君の伝手で仕事をもらっている状態です。ようやく案内のチラシを作って、一般のお客さんから依頼をもらえるよう撒きはじめているところです。一応、定款上は9月1日で設立となっていますが、実質的にはまだまだ準備段階です。来春から本格始動を目指しています。

 【木澤】鈴木さんとの間で、協同組合という形で取り組みをしようと議論をはじめたのが、今年の2月頃でした。僕はその時、父親と一緒に大阪のリフォームの現場をしていたので、鈴木さんにそこに入ってもらって仕事を覚えてもらいながら議論を重ね、徐々に構想を固めていきました。

 【鈴木】具体的にどうしたらいいのか分からないので、「協同組合の作り方」といった本を買って勉強したりもしました。ちなみに現状は任意団体です。

 【木澤】いま組合員としては2人ですが、仕事の内容によって呼びかける対象は6~7人います。みんな20代半ばから30代。フリーターなど、わりと時間が自由になる人たちというか、そもそもこうした活動に興味を持ってくれる人は、いまの社会で働きづらさ・生きづらさを感じている場合が多いですから。
 
「どう生きていくのか?」考える中で

――こうした活動に至った背景や問題意識について教えて下さい。


 【鈴木】僕は福井の出身で、いま31歳です。高校を卒業する段階で、就職にも進学にも魅力を感じることができず、結局親のカネで2年ぐらいカナダに留学していました。帰ってきてからは、1年ぐらいフリーターをしながら受験勉強をして、大学の夜間部に入りました。

 大学の中に新左翼党派のやっているサークルがあり、誘われて反戦反核の集会、三里塚や釜ヶ崎、フィリピンのスタディーツアーにも参加しました。それまで平凡に生きてきたので、「世の中にこんなことがあるのか!」と驚き、それ以降は活動の世界にのめり込み、さらに党派のメンバーにもなりました。その頃は3・11の原発事故が起きて被災地支援のボランティアサークルを作ったり、それ以降も特定秘密保護法などを課題として大学内で学習会やデモをしていました。

 こうした活動の中で知り合ったのが木澤君でした。ところが、そうこうするうちに党派と折り合いが悪くなり、活動から離れて何もしない時期を過ごすことになります。その際に木澤君から誘われていまに至るという感じですかね。

 問題意識としては、フリーターをしていた時の原体験があると思います。パチンコ屋で働いたり、NTTのインターネット回線の営業をしていました。自転車で大阪市内のマンションを回って一軒一軒ピンポンを押して「インターネットつなぎませんか?」と勧誘するわけですが、これがシンドかったですね。契約は取れないし、最初から敵対的でキレている人もいたし。

 そもそも当時、あえて営業してインターネット回線が必要な人を開拓する必要があるのか、この仕事にどんな意味があるのか、考え出すと辛くなりました。ずーっと瞼が痙攣していたくらい、すごいストレスでした。

 そんなこともあって、就職活動も気乗りしませんでした。大学時代はバイトで介護の仕事をして、卒業後もそれを続けてきました。

 【木澤】僕は北海道出身で、いま25歳です。先ほど言ったように、15歳で高校を辞めて父親の元で大工仕事の手伝いなどをしていましたが、父親の仕事のスタイルに大きな影響を受けたと思います。自営の一人親方で30年以上続けているんですが、アメリカのカーペンターみたいな作業服を着て、お客さんとの距離も近くていいな、と。

 その後、再び高校に入り直し、結局それも1年ほどで辞めてしまいますが、高校に行きながら中学の先輩がやっていた外壁塗装の会社で働いてもいました。ただ、そこは下請けだったので、自分の裁量で仕事を組み立てられる自営の父親とはまったく違ったんですね。常に元請けの会社を気にしながら仕事をしないといけない。服装一つにも規定があるわけです。工賃も確実に中抜きされていて、場合によっては作業員に賃金を払うと会社は赤字になることもありました。それでも受けないと次に仕事を回してもらえるかどうか分からない。力関係の差は歴然としていました。だから、自分がどんな仕事をしようか考えた時に、下請けのシンドさについては常に念頭にありました。

 そんな経験もあって、この社会ではまず学歴が必要だと思い直し、大学に入ることにしました。入学時のサークル案内で出会ったのが、鈴木さんのやっていた被災地支援のボランティアサークルでした。現地の仮設住宅でのコミュニティづくりを支援する一方、反原発の立場から原発労働(被曝労働)の問題にも取り組もうとしていたんですね。これについては、現地のフィールドワークの報告や当事者の話を聞いたりする中で、自分がかつて経験していた建設業界に特有の重層的下請け構造が、さらに鮮明かつ激烈な形で現れていると感じました。そこで、原発労働の問題を通じて建設業界の重層的下請け構造を明るみに出し、変えていくような活動ができないかということで、そのサークルに入って鈴木さんと知り合ったわけです。

 大学内では2年ほど活動しましたが、なかなか構造全体を変えていくような道筋は見えません。とくに大学の中での活動には限界があります。社会的な影響力を持つにはどうしたいいのか考える中で、それなら、むしろ自分たちが好ましく思うような仕事のあり方を具体化し、実際に仕事を創り出していく方がいいのではないかと思うようになったんです。

 【鈴木】思い返してみると、学生時代の活動で他大学の学生と知り合うようになったんですが、やはり就職ということになると、みんな抵抗しつつも就活するわけです。結局、「○○の会社に就職しました」ということで関係もバラけてしまう。自分たちで仕事を創り出すことができれば、「活動か就職か」みたいな選択をしなくてもいいのではないか。そんなところもあったように思います。

――昔なら、大学を出てからも活動を続けようと思えば、バイトなどでギリギリの生活費を稼いで後は活動する、もっと前なら、中小の工場に入って労働組合を作るとか、教員や公務員になって仕事しつつ組合活動をするとか、いずれにしても、自分たちで仕事を創っていくという考え方は少なかったように思います。

 【木澤】僕らの場合は、すでに労働運動が弱体化していたので、逆にかつてのような発想はなかったですね。僕としては、労働者というよりも生産者というか、自分たちでモノやサービスを作り出すことの強さみたいなところに惹かれる部分があります。僕はいま「大阪労働学校アソシエ」の事務局にも関わっていますが、その動機も、労働者協同組合に関する問題意識で労働者と議論できるんじゃないかと思っているからなんです。

 【鈴木】いまの日本では若者の半数近くが非正規で働いていると言われていて、そうした職場の多くにユニオンなんてないし、労働者自身が労働組合という言葉すら知らないのが現状だと思います。たしかに各地に地域ユニオンはありますが、どんどん職場を変わっていくような若い労働者の層を捉えられていないんじゃないかと思いますね。

 相談にきても、何らかの解決がつけば、それでサヨナラというのがほとんどだと聞きます。非正規の若い労働者は一ヶ所の職場に留まらないし、生活の地域も移動する、その中で職場だけを軸に層として組織するのはキビシいと思います。もっと生活全体を含めて若い世代が団結できるような場所というか、団結体のようなものとして協同組合が必要なんじゃないでしょうか。

 実は、僕は最近、北大阪合同労働組合(北合同)の執行委員にもなりました。相談を待つよりは、たとえば特定の派遣の現場に入っていって、そこで組織するような動きも必要かなと思っています。北摂ワーカーズの活動と絡めて、何ができるか考えていきたいですね。

――労働者協同組合、ワーカーズコレクティブ、ワーカーズコープ……、名称はいろいろありますが、そうした発想・考え方に関心を持ったきっかけは何でしょうか。

 【鈴木】僕は木澤君から「協同組合という形でやらないか」と誘われ、それからいろいろ勉強したという感じですね。

 【木澤】僕の場合、自分たちで生きると考えた時に、最初に思いついたのは「コミューン」とか自給自足の共同体のようなものでした。実は、かつて僕の両親が農業を基礎とした自給自足の職能集団に参加していたこともあって、僕自身コミューン的な価値観には親近感を抱いていたし、興味もあります。友人や知人、問題関心を同じくする人たちと仕事を共にしながら議論し、一緒に生活を作り上げていくというところですね。

北摂ワーカーズ
 ■仕事募集の募集のちらし
 ただ、農村や地方には若者が少なく出会う機会も少ないのと、地方に引きこもって閉鎖的になりかねないという危惧があって、都市部でのグループ作りに関心が向いていました。

 そんな時、知人を通じて関西仕事づくりセンターに出会い、「こういう働き方、事業の回し方があるのか」と気づかされたんですね。

 当時、僕は派遣で日雇いの現場仕事をしていましたが、その日にならないと現場が分からない、交通費も出ない、賃金は中抜きされている、誰と仕事をするのかも分からず緊張を強いられる――そんなシンドい毎日でした。だから、余計に興味を持って深く関わるようになった。それがきっかけでしょうね。

 仕事づくりセンターと関係そのものは2年前ぐらいからですが、当初は単発で仕事をもらうだけの関係でした。単価もいいし、それほどキツくもない。面識もあるので、安心して働ける。

 【鈴木】派遣だと「日給6000円で交通費なし」って感じだからね。

 【木澤】そうなんです。ただ、何回か単発で仕事を受ける中で、自分自身の方向性がはっきりしてきたことも重なって、去年の春くらいから深く関わるようになりました。単に仕事を受けるだけじゃなくて、この活動そのものを主体的に広げる側、運営する側に回ろうと思ったんです。

若者と仕事をめぐる厳しい状況

――活動を広げる対象は若者世代ですね。お二人自身も若者世代ですが、いまの若者の置かれた状況や考え方の特徴などについて、何か思うところがあればお願いします。

 【木澤】よく「仕事なんか選ばなければいくらでもある」と言われたりしますが、それは、その仕事が長期的に続けられたり、その仕事によってそれなりに安定した生活が送れるという状況があればこその話だと思います。いまは、むしろ仕事を選ばないといけない時代です。「ブラックバイト」や「ブラック企業」という言葉が普通に話されるような世の中ですからね。それと、企業の側から「仕事を通じて自己実現しよう」という誘い方が増えてきました。そちらの面でも、何が自分に適しているのか選ばないといけないようになっている。「選ばせる」という社会的な圧力がある中で、でも選べる仕事は少ない。そうなると競争は激化しますよね。自分だけは安定して給料もいい仕事を獲得するために。

 【鈴木】学生の会話でも「社畜」とか「ブラック」といった言葉が普通に使われていますね。ネットの書き込みなんかを見ても、自分がいかに社畜化されているか、自嘲を含めてネタにしているようなものがたくさんあります。就職が決まった人に「おめでとう」と言うと、「社畜ですわ」と返すみたいな感覚は普通になっています。逆に言えば、就職した後は基本的に不幸しか待っていない、ということですね。「明るい未来が待っている」なんて思うのは、本当に一握り、大学の中でもエリート中のエリートでしょうね。むしろ「待っているのは不幸」というのが、一定の共通感覚だと思いますね。

 僕の行っていた大学は、なんだかんだ言ってそこそこの会社に就職するようなところでしたが、そこの学生ですら共通認識になっていたように思いますね。言ってしまえば、判断基準が「よりよいところ」というより「いかに不幸が少ないところに入れるか」という状態なっている。しかも「不幸が少ないところ」は限られているわけですから、そこでの競争、奪い合いになっている。だから、喜び勇んで就職活動している学生なんて、まずいないんじゃないでしょうか。

 【木澤】ここ何年か求人倍率は上がっているようですが、そんな状況です。「選ばなければ仕事はある」というのは、選ぶ側が主体的に選んでいるわけでしょう。でも、いまの若い人は仕事に選ばれるというか、会社の人事担当者に選ばれる。だから、求められる人格にすり寄っていく。

 【鈴木】「派遣で働いても働いても食えない」とか「ネットカフェ難民」とか、メディアでさんざん取り上げられましたよね。そういうのが強烈に効いているように思います。「ああなったらおしまいだ」と。「自分もそうなるかも知れない」という恐怖感から、ブラックと分かっていても行かざるを得ない。その意味では冷めていると言えば冷めていますね。

 この前、友人に聞いた話では、彼の父親の知人の会社で新入社員に入社動機を聞いたら、20人中2人が「生活のため」、後の18人は「採用されたから」だったそうです。その感覚はよく分かりますね。その職種や会社に賭けるものが自分の中にないので、事実関係をそのまま書いてしまう。何も期待していないというか。もちろん、学生で世界が狭いために、それ以外の選択肢を思いつかないというのもあるでしょうけど。

――どのみちそんな状況なら、“自分のやりたいようにやったるわい!”という人が増えてもよさそうなものですが。

 【木澤】たしかに一方ではそういう人も増えてはいると思います。ベンチャー志向の人は多いと思います。僕の知り合いでもゲストハウスを経営しはじめた人がいます。ここ5年ぐらい、起業するということも当たり前の選択になりつつあるようですね。

 ただ、そうした人たちというのは、もともと能力があって、企業社会でもいいところへいけるような人たちなんです。企業社会から排除されたり、馴染めなかったりして鬱屈している人たちが起業しているわけではありません。そういう人たちの選択肢が増えているわけでは決してない。「新しい働き方」みたいに言われていても、もともとバリバリ働きたい人、働ける人なので、普通のバリバリ働く会社の働き方と変わらなかったりします。

 それに比べて、僕らの周りには選択肢のない状況の中でもがきながら、力量も技術も知識もなく、けれども企業社会には何か違うと感じている人たちが結構います。こうした人たちは、バリバリ稼ぐ気もないけれども、お金を使って消費することに価値を置かない、言い換えると低消費志向なんですね。

 その意味では、オルタナティブな価値観の方向性もベンチャー系と低消費系に二極化しているように思います。いま北摂ワーカーズの関連で働いているのは低消費系で、できるだけ働かずに、家賃の安いシェアハウスみたいなところにみんなで住んだりしている人が多いです。僕自身も基本的にはその方向です。仕事も生活もシェアする部分が多ければ、ムダに消費する必要もないですし。

 【鈴木】北摂ワーカーズは、組合員一人あたり月10万円稼ぐことができればいいかな、という話をしています。奨学金とか借金の返済があったりすれば、15万円くらい必要かも知れませんが、いずれにしても、それくらい稼げれば何とか暮らせるよね、という感覚です。それくらいの収入が得られる仕事をできるだけ多くの組合員で、という発想ですね。だから、今後は食の面でも協同の取り組みをしていけたら、生活全体のコストも下げていけるかも知れないし、そういうのも合わせて考えていきたいと思います。若者の間では、これからますます低消費の傾向が強まっていかざるを得ないでしょう。自己防衛ですよね。

――いろいろ耳にしてはいましたが、改めてキビシい状況ですね。

 【鈴木】実際、学生でも追いつめられている人は多いです。キャンパスで石を投げればウツの人に当たるというくらい、精神疾患を抱えた人は多い。基本的にストレスしかない。生きるということに不安しかない。いい会社に入っても過労死、そうでなければブラック。生活まるまる人質に取られているようなものですからね。人間関係もかなり壊れていて、一度でも人間関係で躓くと、そこからガクッと行ってしまう。これまで蓄積されてきた社会の矛盾みたいなものが、若い世代に押しつけられて、最終的には個人の心の中で溜まり溜まって爆発する、そんな状況かなと思います。

 社会がよくなっていくような展望も、個人の生活がよくなっていくような展望もないですよね。結局耐える。人生=耐える、みたいな状況だと思います。にもかかわらず、親の世代の「家庭を持って、家を持って」みたいな価値規範が強く残っている。もう社会構造は大きく変わってしまっているのに……。そういうシンドさもあるんじゃないでしょうか。

事業と理念を両輪に

――そうした状況だからこそ北摂ワーカーズを設立せざるを得なかったということでしょうか。それでは、今後の展望についてお願いします。


 【鈴木】組合員を10人に!(笑)。当面はメンバー集めも含めて活動基盤の確立が第一だと思います。もっと仕事をとってこないとダメですね。

 【木澤】関わらせてほしいという人は増えてはいるんですが、そういう人たちにもっと深く関わってもらうために、どんどん仕事を回していく必要がありますね。そこで、いまは仕事の傍ら手弁当で御用聞きのポスティングをしているところです。メンバーが5人になったとして、1人あたり月10万円で考えると、1月に現場が50ヶ所あれば何とかやっていけると思います。

 事業内容をどうしていくかという点では、可能性は大きいと思います。いまはなるべく多くの人に関わってもらいたいと思って、すぐできて技術もいらないような便利仕事を増やすようにしていますが、まずそうした入り口から入ってもらって、その後徐々に「自分はこういう仕事がしたい」「こうやって食っていきたい」というところを事業化していければと思います。

 実際、知り合いの中に植木剪定の仕事を希望している人がいて、いまはほかのところで修行中です。彼が経験を積んで帰ってくれば北摂ワーカーズの植木部門として、あるいはパソコン関係が得意な人もいるので、パソコン部門として展開するといったような形で事業を成り立たせていきたいと思っています。僕自身としては大工の部門をしっかりやっていきたいですね。
 ■植木選定作業の様子

 【鈴木】いまのところ、事業運営の具体的な行程表みたいなものがあるわけではありません。関わっている人たちの中からどのように事業として立ち上げていけるのか、試行錯誤の段階です。

 【木澤】たぶんこの3年から5年は、いまいる関係者の生活を成り立たせるだけの仕事をつくることで精一杯だと思います。

 【鈴木】それと、北摂ワーカーズの運営も、既存の企業のような形ではなく協同組合として、平等にみんなのためにみんなで働くという形でしていくことですね。意志決定の部分も民主的にするとか、勉強しながらつくりだしていく。そのための期間にもなるだろうと思っています。その辺は本当に手探りですね。

 【木澤】難しいのは、かつて僕が仕事づくりセンターと最初に知り合った時に感じたような、「そこそこいい賃金、そこそこ楽な仕事」を振ってくれる団体というように受け取られないようにすることですね。関わってもらう以上、理念を共有して運営にも参加してもらいたい。そのための学習の場も準備しなくてはならないと思います。その中で、本当の意味でともに働ける人を増やしていきたいです。

 現状、その点では難しさを感じています。「何か仕事ない、日給1万円だよね?」みたいな、一般のバイト感覚で来る人もいて、相手の事情も分かるので、そのまま受け入れていたこともありました。でも、僕らは賃金から組合費も払って手弁当で営業活動もしているわけなので、それを放置していては活動自体が回っていきません。なので、最近は仕事を振る人については踏み込んで、「組合費をプールしてほしい」と念を押しています。当初は齟齬が生まれたりもしましたが、きちんと説明すれば納得してもらえますね。

 【鈴木】一つ一つ直面しながら試行錯誤を重ねているという現状です。やはり協同組合として運営し、拡大していくこと自体が自分たちの運動なので、まずはそこをみんなで作り込んでいくということですね。そこから先については、現状ではなかなか語れません。

 とはいえ、一方では、社会情勢と切り離されたものであってはならないとも思うし、そのあたりは本当に手探りで進むしかないですね。

 一つの運動体が何か完璧だったり充足していたりすることはないと思いますが、経済基盤を自分たちつくったり、民主的な意志決定を自分たちでしていくというのは、基本的な足腰の部分だと思います。だから、あくまで軸はここに置きながら、いろいろな領域に足を突っ込む、首を突っ込むというイメージが浮かびますね。

 【木澤】北摂ワーカーズそのものが運動でありながら、ほかの運動の支えにもなるような展開ができればいいと思います。

――お2人とも、若いわりに堅実ですね。

 【木澤】バーンと大きな展望でもブチあげられたらいいんでしょうけど。

 【鈴木】いや、この間アイデアと見栄え先行の運動や取り組みをさんざん見せられてきたので。ネットの中だと、そんなのばっかりですねからね。借り物の話でもブチあげれば「そういう人」と見られるわけです。中身はないんですけど。

 【木澤】そういうのに嫌気がさした面がありますね。それよりも、個別いろんな問題にどう向き合ってきたか、向き合っていくかということで展望を示していくしかないのかな、と感じています。

 【鈴木】かっこいいこと言ったね(笑)。

 【木澤】いま北摂ワーカーズはホームページもなくて。それは僕らがIT関係に馴染めないということもあるんですが、もう一つ、身体感覚のところで人とつながっていきたいという思いもあるんです。もちろん、現状では組合員希望者がたくさん集まっても割り振る仕事がないというのも事実です。

 【鈴木】少なくとも立ち上げ当初は手の届く範囲でちょっとずつ展開していく方がいいんじゃないか、と。

 【木澤】お客さんとの間でも、もちろん最初から僕らの問題意識を介在させるつもりはありませんが、やはり関係ができていく中で、理念みたいなものを伝えていければと思います。

 【鈴木】望むべくは共鳴者になってもらえたら、そういう想いはありますね。

――事業や活動の発展を期待しています。お忙しい中、ありがとうございました。 

                                                              (終わり)


【参考資料】

北摂ワーカーズ設立趣意書(抜粋)


 …前略…
 私たちはこの協同組合を、まずもってこの過酷な社会環境で自らが生きる手段として設立する。ただし、それは日々を食いつないでいく収入源という意味だけではない。

 第一に、私たちはこの協同組合を、自分の人生を他の誰かに消費させるのではなく、自分自身で生きるための手段として設立する。
 …中略…

 第二に、私たちはこの協同組合を、分断と競争に代わる、団結と協同の実践の場として設立する。
 …中略…

 第三に、私たちはこの協同組合を、民主主義の訓練の場として設立する。
 …中略…

 私たちは、搾取と奪い合いを前提とする現状の市場経済に代わって、自らの発展が社会全体の発展となるような、平等と協力を前提とした経済を求める。
 …後略…



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