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アソシ研リレーエッセイ


大学という空間が残したもの



 ぼくの通っていた大学はあまり知られていないが、フェミニズムが盛んな学校だった。フェミニズムを専門としている先生が何人もいたし、フェミニズムがやりたくてこの学校を選んだという輩もいた。なかには男子禁制の研究室もあった。

 男子禁制の研究室は明らかに〈いきすぎ〉(まあ、そういう一致団結!士気を高めるみたいな場がひとつくらいはあってもいいのかもしれないが)で、ある意味、批難の対象であったし、その研究室に行き来している彼女たちのあいだにも、そこだけに籠るのではなく、踏み台としてのひとつの研究室という認識があったように思う。ぼくたちは放課後や授業の合間などの時間を見つけてよく話をしたと思う。

 この頃、後輩たちとミニコミを作っていた。先輩という権力(?)のおかげか、編集や製本作業などにはまったくと言っていいほど参加しなかったが、原稿依頼をしてくれていた。

 そのなかにY君というひとがいた。Y君が作っていたのは『blueberry』という個人誌のようなものだった。そこには彼の旅行記や音楽批評が載っていたし、彼のレシピも載せていた。そこには毎号といっていいほど「gender」のコーナーがあって、彼が書いていた。そしてそれと並行して出された『スージーはぬいぐるみを脱げない』はフェミニズムについて書かれた、ぼくにとっては大きな影響を及ぼした名著だと思っている。

 もう三年ほど前になるが、ある雑誌にフェミニズムについて書いたとき、参考にした。そしてそのちょっとあとにY君は女性学関連の本を出版したことを耳にした。初めての本だったという。「相変わらず、Y君はフェミニズムなんだなあ」と思った。

 フェミニズムといえば、フェミニズムにとっては所詮、男は〈敵〉だし、男にとってはフェミニズムなんて目の上のたんこぶのようなもので、あまり関わりたくないものである。そんな状況のなかでなぜY君はフェミニズムについて書き続けられるのだろうと思って、話がしたくなった。およそ20年ぶりの再会であった。

 聞くと、学生時代にはあまり考えたことがなかったという。その頃は構造主義が流行っていて自らのアイデンティティについて考えることさえ無意味とする風潮があった。自己なんてものは環境によって左右されるもので、それを問うことさえ時間の無駄というか、ナンセンスとされていた。なので考えたことがなかったという。

 ただ、彼がアメリカに留学をしたときにLGBTへの差別発言がトイレに落書きされていたという事件があった。大学内がそのことでしばらくザワついていたらしいが、言葉の通じないY君はまったく相手にされずその議論に参加できなかった。そのときに自分はなんのためにフェミニズムについて書き続けてきたのかと初めて自らを振り返ったのだそうだ。

 結局、なぜY君が書き続けてきたのか、というぼくの問いへの回答は、そこにフェミニストたちとの対話があったからということで落ち着いた。対話が下敷きにあり、その返答として書くという行為がある。その文章からの応答がまた彼女たちからある。そのようなコミュニケーション空間が存在していたということになろう。

 それは実社会ではありえない大学という特異なコミュニケーション空間ならではの話なのかもしれないが、逆に多くの可能性を含んでいるようにも思えるのだ。

                  (矢板 進:よつ葉ホームデリバリー京滋)




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