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「避難の権利」を掲げて


 猛暑の夏もさすがに終わったようである。夏の疲れがジワジワと出て来るのを感じながら、身体と気持ちを立て直して、諸課題に取り組まねばならないと思っている。

 今年はじめの本欄で書かせてもらったように、フクシマから京都に避難された原発被災者の方々が提訴された「原発賠償訴訟」原告団から声をかけていただいて、裁判を支援する会の共同世話人代表の一人に入れてもらった。今も京都を避難先として住み続けておられる方が400人前後と聞いている。住宅問題や就労就学などの多くの困難の中で、この訴訟を始められたのだから、京都の住民として精一杯の支援をしなければとは思ってはいたが、眺めているだけだった。

 原告団が掲げる裁判の意義と目標は、「国に法定被爆限度(年間1mSv)を超える放射能汚染地域の住民には「避難の権利」があることを認めさせる。原発事故を引き起こした東京電力と国の加害責任を明らかにする。元の生活を奪われたことに伴う損害を東京電力と国に賠償させる。被災者全員に対する放射能検診、医療保障、住宅提供、雇用対策などの恒久対策を国と東京電力に実施させる」ことである。

 きわめて当たり前の要求である。今月中に結審になり、来年には判決が下されるだろう。原告の証言を聞きながら、「避難の権利」を認めるのは当たり前だと思った。

 ところが、9月22日に京都の訴訟よりも先に千葉地裁で原発避難者訴訟の判決が下された。京都新聞がまとめた判決骨子は、①国に賠償責任はない。巨大津波を予想できたが、対策をとっても事故を回避できなかった可能性があった。②東電は原告42人に3億7600万円を支払え。③東電も巨大津波を予見できたが対策を放置したとまで言えず、重大な過失はなかった。④生活基盤を喪失した精神的苦痛はふるさと喪失慰謝料と呼ぶかどうかはともかく、賠償の対象である、というものである。

 この判決を分析しきる能力が筆者にはないが、原発建設は国の責任の下で展開された政策であり、諸基準なども国の責任で決定されたものであり、その下での大事故だから国に責任がないなどとどうして言えるのだろうか。原告団でも、「ふるさとの喪失への慰謝料」を認めたことは一歩前進だと捉えながら、国の責任を認めなかったことへの怒りは深い。

 さて、京都地裁は「避難の権利」を認めるだろうかと不安である。東電や国の代理人が発する原告への尋問では、「あなたは京都に避難して来ているが、両親や兄弟は福島にいるのはなぜか」と聞く。「避難する権利」を認めるどころか、「避難したことを非難」し続けていた。裁判官の良識に期待する以外にない。

 58世帯、175人の原告の人々が、避難先の京都で何を感じ考えてこられたかを集めた冊子、題して『私たちの決断、あの日を境に…』が刊行された。40名ほどの避難者の心の苦しみを読み、共有できたらと、何度も読み返しているうちに、「避難する権利」を掲げての裁判で、問われるのは国だけではなく、京都という地域社会、地域政治、地域住民でもあると思えてきた。

 まさに、50年以上住んでいるこの京都で、避難者にどのような支援ができたのかと筆者自身が問われている。この京都の地にやって来た避難者から、京都に避難して来てよかったと言ってもらえるような地域づくりをしっかりやれよ、ということである。

                        (石田紀郎:市民環境研究所)



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