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ネパール・タライ平原の村から(72)

暮らしの中で、ふと思い巡らすこと


ネパールの農村で暮らす、元よつば農産職員の藤井牧人君の定期報告。その72回目。



 「ディディ、田植えはもう終わりましたか? どんな品種を植えましたか? 妹らは今日、田植えだったそうです(7月末)。こっちは、(いつも)同じルーティンに沿って、食べて、働いて、食べて、寝る。それだけ…」

 僕が暮らす地域の、プンマガルの女性が日本へ留学中です。先の文は、彼女がコンビニのアルバイト先から休憩時間、ディディ(姉や年上女性に対する呼び方)である妻に時々送って来るメールの一文です。少子高齢化の日本は、今やネパールの若年層にとって、最も人気の移住・就労先です。東京郊外で暮らす20代前半の彼女の場合、日本語学校に1年通い、今は専門学校に通っています。

 日本へ来た当初、言葉が分からないままアルバイト先で、店長の言うことに何でもハイハイと答えて、叱られていることにも気付かないまま、いつまでもハイハイと答えてしまったとのことです。切り詰めた生活をしながら、自分で方々から集めた留学経費の借金返済もすでに終わり、ネパールにいる家族を一人で背負う稼ぎ頭となっています。他のネパール人同様、異国での暮らしに戸惑い、適応しながら一生懸命働いています。

 一方で、先のメール「ルーティンに沿って、食べて、働いて、食べて、寝る。それだけ…」との言葉。彼女の目に映る日本での暮らし、働くということ。それはどう考えたらいいのだろうかと思うのです。

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 田植えが終わって数日もすれば、今度はほぼ毎日、草取りで8月が過ぎてしまいます。家の裏手にある田んぼの一つは、いつも水が乾いてしまうので、乾ききった田んぼにしゃがみ込んで、朝夕草取りです。ここで僕が描いてみたいと思うのは、その昔ながらの田んぼの手作業ではなくて、その先に見える風景の方です。

 僕が暮らす家の裏手にある水田、その奥にある屋敷林に変化はなくても、毎年、だんだんとその周囲の景観は変わって来ております。とくに妻の実家である隣家の2軒隣に見える、地価が高騰した農地を売って建てたという、新築3階建ての飛び抜けて高い家。田んぼから見えるその景観には、格別な違和感を覚えます。

 ■ご近所に来てもらって草取り
 重ねて思い出されるのが、プンマガルのある人が、山岳部からの移住者が多く住むポカラ(ネパール第2の都市)に滞在した時のこと。湾岸戦争後のイラクで、非正規の雇用で警備員の仕事をしていた親戚の、新築の大きな家に泊まった時、農家である自分の家が恥ずかしくなったと語っていたことです。

 こういう景色の変化、暮らし方の変化、考え方の変化をただ都市化とかいう一言で片付けてしまっていいのだろうか、あれは一体どう捉えたらいいのだろうかと思うのです。

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 草取りも終わって、雨季も終わりを感じる9月20日。この日は新憲法発布2周年の記念日でした。カトマンドゥでは、式典があったとのことです。

 7年以上、未成立だった新憲法が、2015年4月の大地震から、復興が謳われるのを機に、国民が一致団結しなければと成立が急がれました。結果、西部タライのインド国境沿いの都市では、反対運動により、46名(治安部隊10名)が犠牲となりました。

 その数日後、憲法が公布され、亡くなった人たちとはほぼ無関係のように各地でイベントがあり、夜はキャンドルに火が灯され、みなで新憲法発布が祝われました。問題含みのまま発布された憲法は、その内容、改正について今、大いに議論されているところです。

 一方で、そもそも46人もの犠牲の上に発布される憲法そのもの、国家の最高法規とは、一体何なのだろうかと思うのです。

 新しくなる、変わるネパールの暮らし。日々の中で時おり、ふうっと思いを巡らせることがあります。
                                                           (藤井牧人)




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