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よつばの学校 全職員向け講座 報告④

「異質な他者」との協同の可能性


 「よつばの学校」全職員向け講座、2017年のテーマは「能勢農場・よつ葉の活動を通して、社会を考える」。よつ葉グループの第一線で長く活動してこられた津田道夫さんを講師に、能勢農場・よつ葉の40年以上にわたる実践をめぐって考えます。以下、7月14日に行われた第4回目、「異質な他者との協同の可能性」の概要および参加者の感想を掲載します。



だからこそ理想、理念を

 まずは前回「生産・流通・消費という分断」の補足として、参加者の意見が紹介された。要点としては「津田さんの話はいつも理想論ばかりで、それだけ言っても意味がない」という手厳しい批判である。「まずは目の前に生じる現実に対応していくことが必要なんだ」というわけだ。

 これに対して津田さんは、「当然その指摘は当たっている。現実対応の積み重ねが重要だというのは、その通りだと思う」としつつも、「しかし同時に、現実対応の積み重ねがどこへ向かうのか、それを自分の頭で考えないと、この社会をよりよいものにしていくことはできないのではないか」と反論した。

 つまり、日々の仕事に対して誠実に向き合いながらも、その先に何があるのか、どんな飛躍を目指すのか、理想、理念を考えなくなってしまえば、逆に日々の仕事の意味やそれを取り巻く世の中のあり方を見失いかねない、ということである。

 とはいえ現在、目指すべき理想、理念を具体的にイメージするのは難しい時代だ。世間を見渡しても、“世の中を変える”“次の社会を構想する”といった大きな話よりも、既存の枠組みを前提に、その中でいかにうまく立ち回るかが重視されがちである。

 この点について、津田さんは「かつて学生運動の渦中で世界に向き合いはじめたころは、まだ目指すべき社会の理念や理想という点で一つのモデルが残っていました」と振り返る。すなわち、資本主義が生み出す悲惨な状況を変革するカギとして社会主義への期待が存在していた時代である。

 奇しくも、今年は1917年のロシア革命から100年に当たるが、ロシアでの社会主義革命を皮切りに、第二次世界大戦を挟んで中国でも社会主義革命が起こり、東ヨーロッパでも社会主義政権が次々と誕生した。その後もアジア、アフリカ、ラテンアメリカで、民族解放闘争と社会主義が結びついて進展した。そうした歴史、時代状況の中で、日本でも社会変革の選択肢として社会主義の理念が語られていたのである。

 しかし、その後、さまざまな形で社会主義諸国の実情が分かってくると、現存の日本社会よりも平等に、幸せに、より豊かに暮らしていけるという社会主義のイメージは色あせていった。最終的に、1989年の中国・六四天安門事件、90年の東欧諸国の変革、91年のソ連崩壊によって終止符を打たれたと言えるだろう。

 津田さんは「それ以降、社会主義に代わって資本主義社会を変革する理念となり得るようなものは未だ見えない状況が続いています。これからもますます混迷を深めていく予感がする」と言う。つまり、これまでのルーチンを繰り返していけば何とかなるような状態ではなくなるはずだ。

 そうした状況認識の上で、「だからこそ、理想や理念を模索し、論議することが必要になってくるのではないか。しかも、日常的な対抗的活動や実践を積み重ねている人たちの間で。簡単に見つかるものではないが、ぜひ理想や理念について考え、議論してほしいと思います」と訴えた。


自我への執着と自己嫌悪

 本題に入って、まず今回のテーマ「異質な他者との協同の可能性」に関する説明がなされた。わざわざ「異質な他者」という表現にしたのは、文字どおり他者の異質性を強調したかったからだという。

 というのも、一般に「仕事をする上でも、社会運動をする上でも、相互の人間関係をより心地よいものにすることは大事なはずだけれども、なかなか思うようには行かないのが現実だから」である。たとえば、相手の考えていることが理解できなかったり、自分の感じ方と違ったり、そもそも何を一番大事にするのか、価値観も異なる。当たり前と言えば当たり前だが、そんな異質な他者とどう協同していけるのか、津田さん自身も長い間、自分の周りの人たちが自分と違った存在であることにぶつかって、うまく関係を作れないシンドさを感じてきたらしい。

 津田さんがこうした問題を考えるに至ったのは学生時代。大学に入って初めて、自分が社会に向き合うのを自覚したという。それまで、身の回りのことを除けば社会についてほとんど考えたことがなく、中学・高校時代はバスケットボールに明け暮れていたらしい。ところが、大学に入ってみると、まだ学生運動が活発で、バリケード・ストライキのためにほとんど授業がない状態。そうした中で先輩の話を聞いたり、友だちと議論したりしながら、学生運動に飛び込んでいったという。

 ところが、その中で自らが抱える大きな問題に突き当たる。

 「社会とは? 変革とは? 革命とは? 世のため人のための議論を大きな声で口にしながら、ふと気がつくと、一方で自分のことしか考えていない自分の存在にすぐ気づいてしまい、自己嫌悪に陥った。そんな自分とどう付き合っていけばいいのか、悩みました。」

 「自我」への執着に対する嫌悪。そこには青年特有の潔癖さもあっただろうし、独特の時代状況が影響していたのかもしれない。周囲には、おそらく同じような問いを抱え、突き詰めて自殺した人もいたという。また、「革命を担い得る人間に生まれ変わらなければ」と思い込むあまり、暴力的な手段を使ってメンバーの行動や思想を変えようとし、最終的に同士殺しに至った事例もあった。

 当時の状況について、津田さんは「底流に『完璧な人間が変革を導いていく』という考えがあったと思います。それはある意味で甚だしい思い上がりでした」と振り返る。しかし、そう思い至るまでには、さらに10年以上にわたる彷徨が必要だった。

 「偉そうに社会変革がどうのこうの言いながら、一皮むけば自分のことしか考えていない自分の存在に対する自己嫌悪。それを克服するために、最初に飛びついたのが『階級』という考え方です。当時の革命論では、労働者階級こそが資本主義社会を変革し、次の社会を作る主体だとされていました。
 でも、自分は地方公務員の家に生まれた“プチブル”。生粋の労働者の子弟ではない。だから自分はダメなんだ。そう思うと、ちょっとほっとできた。ダメな自分でも生きてもいいんだと思えたんです。」

 「その次の逃げ場所は『恋愛』でした。」

 とはいえ、「忘我の愛」もそれほど長く続くものではなく、やはり一時しのぎの逃避でしかなかったという。

 「その次は、社会変革を目指す組織の中で仲間と一緒に日々闘うことを通じて自分を鍛えていけるのではないかと考えました。そこで、実際に政治組織にも参加しました。」

 しかし、こうした試行錯誤を経ても「本音のところでは自分のことしか考えていない自分」を抱えたまま、能勢農場に帰ってきたという。ある意味で「失意の帰還」と言えるかもしれない。しかし、結果的には、それが大きな画期となったようだ。

 「能勢農場に戻ってみて、それまでと大きく変わったのは、本当にいろいろな人がいるということ。そして、そうした人たちと四六時中一緒に過ごさなくてはいけないことです。

 創設当初の厳しい時代から農場を支えてきた人たちはもちろん、登校拒否の少年、借金取りから逃れてきたり、精神科の病院から頼まれて引き受けたり、釜ヶ崎からやってきたりと、自分とは生きてきた道筋がまったく異なる人たちも少なくなく、まさに『異質な他者』ばかり。その多様な人たちをどう受け入れられるかが自分の課題となりました。」

 そうした多様な人たちと自然の中で働き、暮らすうちに、いつしか変化が訪れた。

 「最初はどのように一緒にやっていくのか悩んでケンカもたびたびしましたが、そのうち、『誰もが自分のことを大切に考えるのがそんなに悪いことなのか』『自分の存在、自我をもっと前向きに捉えてもいいのではないか』と考えられるようになりました。それ以降、いろいろな人とつきあう際にも、少しずつ突っ張ったりトンがったりしなくてもいいようになっていったと思います。」


『自我の起源』と『利己的な遺伝子』

 津田さんにとって、こうした経験を、個人的な資質の問題としてだけではなく、普遍的な視点から捉え返すきっかけを与えたのが、見田宗介=真木悠介の『自我の起原―愛とエゴイズムの動物社会学』(岩波現代文庫、2008年)だったという。

 見田が取り上げるのは、イギリスの進化生物学者・動物行動学者リチャード・ドーキンスの主著『利己的な遺伝子』(増補新装版、紀伊國屋書店、2006年)である。

 ダーウィンの進化論では、個体が遺伝子よりも優先し、利己的な個体であるほど生存しやすく、子孫を残す機会が多いと主張した。しかし、実際には多くの動物で自分を犠牲にして他の個体を生存させようとする「利他的行動」が見られ、矛盾が生じる。

 これに対して、ドーキンスは個体よりも遺伝子が優先すると考える。自分と共通の遺伝子を含む子孫を生存させられれば、自分が犠牲になっても自らの遺伝子を残す機会は増える。このように個体を犠牲にしてでも自分のコピーを残そうとするのが「利己的な遺伝子」であり、生物(個体)はそのための道具にすぎない、というわけである。

 津田さんによれば、ここから人間の利己主義を“遺伝子のせいだ”と擁護するような俗論も出てくるが、見田はドーキンスの言う生命進化の基本原理は肯定しつつも、遺伝子理論や動物行動学など当時の最先端の考え方を援用し、生物(個体)の利己主義に直結させるのは間違いだと主張しているという。

 「そのエッセンスを言うと、遺伝子が利己的なことによって生命が進化していくのは確かだとしても、たくさんの遺伝子が集まって生物は個体を作っている。遺伝子そのものではなく、遺伝子が自分の遺伝子を残していくために、より有利な振る舞いをするために個体を作り、多細胞生物に発展してきたのが地球上の生物進化の一番大きな流れです。だから遺伝子が利己的に振る舞うことと個体が利己的に振る舞うことの間には、それほど完璧なイコールはなく、自我の起源を個体生物の進化の中で積極的に位置づけています。僕のように自我に悩んでいる人には、ぜひ読んで欲しい本です。」

 その上で、津田さんはさらに「ホルモン、フェロモン、カイロモン」という生物が持つ3種類の情報伝達物質について紹介する。

 「ホルモン」とは馴染みのある言葉だが、一つの個体の中で、臓器の間で情報を伝達する物質である。「フェロモン」もよく耳にする。これは同種間の異なる個体の間で情報を伝達する物質である。「カイロモン」はあまり知られていない言葉だが、異種の生物の間で情報を伝達する物質だという。たとえば、森林浴で人間が癒されるのは、樹木が発散するカイロモンが人間に働きかけた結果だと考えられる。

 見田宗介によれば、カイロモンの存在こそ、生命体の中で異種の生物同士が情報を伝達する機能が形成されていることを証明している。つまり、利己的な遺伝子だからといって、その遺伝子だけが他の遺伝子をはねのけ、利己的に振る舞って存続しているわけではない。地球上の生命体は、カイロモンという物質を通じて、異種の生物間にも相互に情報伝達し、相互に刺激しあう関係を形成している。

 ここから、津田さんは次のように結論づける。

 「逆説的なようですが、人間の自己意識は、周りに他者がいることで生まれてくる。つまり、人間の自己意識は自分の利己心、自我への執着というように必ずしも否定的に捉えるべきではないということです。自分の生存は自分にとって大事なこと、それは否定できません。それと同じように他者の存在を大事にすることは、決して対立するものではない。

 若い時にはそれに気づきませんでしたが、農場での経験とともに、見田宗介の本からこうした考え方を学んだことで、一緒に仕事をするということは、相手のことを考えることだけれども、それは自分があってはじめてできる、と分かりました。自分がなければ本当に他人と一緒に協同して仕事をすることにはならない、自分のことしか考えていない自分を無理やり否定したり抑圧したりするのではなく、そういう自分でも他人のことを考え、他人と協同することが可能なのだと思えるようになったんです。」

 こうしてみると、「異質な他者」との関わりの中で自己を肯定するに至ったということだろう。では「協同」はどうか。

 これについて、津田さんは偶然目にしたテレビ番組『和風総本家』の特集「世界で見つけたメイドインジャパン」を例に挙げた。世界の思わぬ場所で活躍する日本製品を発見し、日本の職人と異国の使い手との心の交流を描く内容である。日本の職人、異国の使い手が、互いの製作状況、使用状況をビデオで見るシーンがあり、双方とも感極まって涙ぐむ。使い手側は「この製品がなければ自分たちの仕事は成り立たない」と言い。職人は「使ってもらってありがたい。もっといいものをつくりたい」と言う。

 もちろん製作サイドの演出もあるとはいえ、このシーンを見て、津田さんは次のように感じたという。

 「最初、これは何だろうと考えました。お互い見ず知らずで交わることのない人たちが互いに励まされているわけです。ふと、これは協同の一番基本的なあり方なのではないか、と思いました。」

 さらに敷衍して、次のような結論に至る。

 「つまり、協同はそれ自体が目的ではないのではないか、協同を目的にして何かするというのは、逆におかしいのではないか、と感じました。むしろ、自分のやりたいことがあって、それを貫く中で、そうした仕事を必要とする人が現れ、相互に必要とし合う関係が生まれるのではないか。その意味で、協同は目的でも手段でもなく、『結果』なのだろうと思います。」

 「よく『競争ではなく協同』と言われますが、僕は協同の対義語は競争ではないと思います。互いに切磋琢磨し合うという意味で、競争を含んだ協同はあり得ます。競争を排除してしまうことで、むしろ、もたれ合いや責任回避が生まれることもあります。」

 とすれば、協同に対立するのは何か。

 「僕は、協同の対義語は『自己の絶対化』だと思います。というのも、自己を絶対化すると『異質な他者』は必要なくなってしまうからです。たとえ自分以外の人間がいるとしても、それは自己の一部としてしか見なくなります。『自己の絶対化』を壊さないと『協同』は出てこないと思います。

 僕らの仲間内にも、協同自動車、北摂協同農場など『協同』を冠した会社がいくつもあります。それは、人を競争にかき立てて勝者と敗者を創り出し、差別し合うような資本主義社会に対する批判が背景にあるわけですが、名前を付けたからといって本当に協同できるわけではありません。本当の協同とはどんなものか、どうすれば『結果』として生み出されるのか、皆さんも考えてほしいと思います。」


キューバの国際主義

 最後に、最近のトピックスからとして、キューバに関する新聞記事を紹介した。

 「2015年、米国とキューバは54年ぶりに国交を回復しました。それ自体はいいことですが、米国から観光客やドルが大量に入ってくることで、キューバがこれまで築き上げてきた“貧しくても平等を重視する”といった価値観が大きな影響を受けているようです。しかし、一方ではキューバらしさをうかがわせるものがありました。」

 南米コロンビアでは昨年、半世紀続いた内戦の末に、左翼ゲリラ・コロンビア革命軍(FARC)と政府との間で和平合意が成立した。

 とはいえ、元ゲリラ兵士が職に就くのは難しく、貧しさから麻薬取引などに走るなど、社会復帰は容易ではない。こうした人々をいかに社会復帰させるか、今後の課題となっている。

 これを受け、キューバのラウル・カストロ議長はこのほど、コロンビアに対して政府側500人、元ゲリラ側500人、計1000人の医学生受け入れを表明した。政府側は辞退したため、元ゲリラ側を対象に、今年9月から200人ずつ5年間にわたって受け入れるという。学費、食費、滞在費は無償だ。

 まさにキューバが国是とする「国際主義」の実践と言えるだろう。実際、キューバが革命以降に育成した医者は、およそ49000人だが、キューバで学び医者になった外国人は84ヵ国、25000人に上る。その多くは自国の無医地域などに戻って活動しているという。

 とはいえ、キューバも決して豊かではない。むしろ長年にわたる米国の経済制裁のせいで、物質的には貧困国と言ってよい。そのため、今回の方針についても、自国の医学生や医者からは、「自分たちさえ十分に学べる状況にはないのに、他の国の人々を受け入れる場合ではない」とか、「カッコつけて他国の人を助ける前に、自分たちの医療制度を整えるべきだ」など不満も聞かれるようだ。

 「そんな中でもあえてコロンビアから受け入れるところに、キューバらしさがきちんと残っていると思いました。日本も僕らの力でこうした政府に作り替えなければ、と思いました。ひさびさに気持ちのいいニュースでした。」

 それこそ「結果としての協同」だろう。かくして、ほっこりした雰囲気の中で講座は幕を閉じた。


参加者の感想

異質な他者を受け入れられる社会を


 「自分さえ良ければイイ」という利己主義的考えで40年近く生きた。ただし、そこで津田さんみたいに自己批判することはなく、利己主義の何が悪いのか!と反発していた時代があった。今、振り返ればおかしいくらいです。
 異質な他者は、自分以外は全て異質な他者である。人からみれば自分自身が異質な他者であるように、能勢農場でよく聞かされたのが「人に変われ変われと言っても、いくら正論で問い詰めてもダメなんだと。人を変えるのは、人に変わってもらうのは、自分が変わらなければならないと。人は自分ではないのだから」。今でこそそうやなあと思える。色んな人とやる中で、その積み重ねで、いろんな人がいてる社会が当たり前で、いろんな人がいてるからこそ楽しいと思える自分は幸せな感じがする。
 異質な他者を受け入れない世の中にどんどん進んでいくことに危険を感じるし、身近である職場やよつ葉や地域でどんなふうに伝え、自分が何か本当にできるのかという不安も一方である。とは言え、一人一人みんな違うということを受け入れられているであろう自分になれたことは良かったかなと。あぁ何かやっぱり自分が良ければイイというふうになってる。 
                                      (嶋吉孝保:㈱安全食品流通センター)


日々の暮らしの延長線上に変革がある

 他者と交わることが苦手だし、他者の存在だけが自己を生むと言われても何だかなあ……って感じです。
 人は皆違ってあたりまえだし、そんなリクツっぽく言えないし、その人がどんな気持ちなのか、どんな背景があるのか、どんな考えをしているのか感じることができて想像できれば、垣根はこえられるかなあ。
 苦手な人もいるけれど、必ずその人と協同しなければならないって訳ではないし、自分がここを引き受けると決めたことは必ずやろうと思うけれど、たくさんは引き受けられないし。
 今ある現実をどうやったら変えられるのか考えた時に、とりあえず響き合える人に呼びかけて動きを起こす。どんな方法が成功するのか道筋が見えない時は学ぶ、聞く、見てみる。日々の暮らしがあって、その延長線上に変革があるんだと思う。毎日のごはんを作るように楽しんで変わっていきたいです。すみません、何も役に立てなくて。

                                      (村上美和子:よつ葉ホームデリバリー京滋)



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