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地域から政治を考える

改めて憲法9条を考える

人類史的な矛盾に耐える覚悟が
次の世界を開く


 7月9日、北民連の呼びかけで、「憲法9条の哲学」と題して、君島東彦さん(立命館大学教授、日本平和学会会長)の講演会を行った。講演では、現在の憲法をめぐる現状分析と「六面体としての憲法9条」という9条論が語られた。

 現状分析では、「5月3日の衝撃」と「7月2日の衝撃」について説明された。前者は、もちろん9条をそのままに新たに3項として自衛隊を明記する安倍の改憲案が突然出されたこと。しかも、これまでのアナクロな自民党改憲案を捨て、民進党の一部、公明、そして、リベラルの新9条論まで含むコンセンサスに近い、改憲の合意をとりつけやすいものを提起した。まさに「先制攻撃」(君島さん)だ。

 君島さんの大学での経験から、若者たちの間では改憲が当たり前になっており、これまでとは反対に、反改憲派こそ、憲法を変えないことへの説明責任が問われていると指摘された。それなしには反改憲論は受け入れられないと強調された。

 後者は都議選での自民党の大敗だ。そこでは以下の事実が明らかになった。一つは、受け皿があれば自民党への批判票が流れること。今回は小池の都民ファーストに流れた。もう一つは、公明党がいなければ自民党は勝てないこと。公明は都民ファーストを支持し、自らも全員当選を果たした。これで国政での発言力も増した。さらに、自民党内の反安倍派が声を上げはじめたこと。加えて、民進が受け皿にならず惨敗したため野党再編の可能性も浮上した。

 これらの要素によって、改憲は安倍が思うようにはいかないという。もちろん、改憲基調はかわらないが、ペースダウンは避けられないとのこと。問われるのは、この流れ中で反改憲派がどれだけ説得力のある説明責任を果たすかだという。

 「六面体としての憲法9条」は、この間の君島さんの持論である。9条をかつての戦争からの解放、戦争への反省という側面だけで捉えるのではなく、米国の世界戦略という側面、大日本帝国の継承という側面、日本民衆の実感という側面、沖縄の戦後史という側面、東アジア諸国からの側面、世界の民衆という側面――から、広く世界全体、人類史の中で位置づけるものだ。

 このように、憲法9条は実際にはさまざまな歴史的経緯を含んで生まれてきた。その意味で、9条の出発が他律的なものだったことは確かである。しかし、その後の歴史の中で、すでに日本民衆は9条を自分たちのものとしている。君島さんによれば、そこに書かれた絶対平和主義は世界的な普遍性をも持つものであり、変えることは「もったいない」のだ。

 君島さんは最後に、絶対平和主義と漸進的平和主義について触れた。日本には、この二つが憲法9条と自衛隊の存在として共存してきたという。これをどう考えるか。

 これまではもっぱら憲法学の立場だけで語られてきたが、君島さんによれば、それでは不十分だという。というのも、立憲主義の立場からすれば、憲法と現実との間に矛盾があってはならず、もしあるとすれば、それは解消されなければならないからだ。

 9条と自衛隊の問題で言えば、憲法上の位置づけが曖昧な自衛隊は解消するか、あるいは憲法に明記すべきだ、となる。もっとも、現実に解消は難しい。とすれば、それこそ安倍のように3項を加えたものになるだろう。しかし、そうだとしても、2項との間に矛盾が生じるため、結局は2項が空証文になる。

 では、どうすればいいのか。君島さんは、9条改憲に対抗するために必要なのは立憲主義ではなく、平和主義の立場だという。

 「現実にある自衛隊と9条とは矛盾している。でも、この矛盾は意味がある。人類史的な視点で見れば、矛盾に耐えることがわれわれの使命である。」

 国家である限り軍事力を保有するのが当然という世界から、軍事力がなくても人々が安心して生きられる世界へ。憲法9条はその過渡期にあるのだ。 

                                         (戸平和夫:北摂反戦民主政治連盟)




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