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よつばの学校 全職員向け講座 報告③

生産・流通・消費という分断

 「よつばの学校」全職員向け講座、2017年のテーマは「能勢農場・よつ葉の活動を通して、社会を考える」。よつ葉グループの第一線で長く活動してこられた津田道夫さんを講師に、能勢農場・よつ葉の40年以上にわたる実践をめぐって考えます。以下、6月9日に行われた第3回目、「生産・集通・消費という分断」の概要および参加者の感想を掲載します。


前回の補足と働く者の「顔」について

 本題に入る前に、例によって前回、参加者から提出されたレポートをふまえて、津田さんから2,3点の補足があった。ひとつは能勢農場の全職員同一賃金制について、レポートの中には「そういうのは自分はついていけない」とか、「そういう考え方はちょっと自分的には難しい」という感想があったが、少し誤解を招いたようだと津田さんは言い、全職員同一賃金というのが私たちがめざすべき理想的な賃金システムだと、決して言いたかったわけではないということを改めて強調した。

 それぞれの人の生活環境や生活のあり方というのは千差万別で、画一的な賃金システムが本当の意味での平等を保証するとは言えない。能勢農場が今も堅持している賃金システムをひとつの素材として、労働とその対価としての賃金ということに含まれている歴史的な問題や生き方の問題、人間労働そのものの価値とはなにかということを考えてほしいというのが伝えたかった趣旨だということだ。

 理想的な賃金システムということで言えば、マルクスは「能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」のが理想的な社会の形だと言っている。それに関しては「必要」と「欲望」との関係など、悩む部分はあるけれども、社会に生を受けた人間がすべて自らの能力に応じて働いて、それぞれの生き方に見合って必要な報酬を受け取るという社会を理想として考えてもいいと思う。だからそういう観点からも、一律同一賃金という仕組みが決して理想的な賃金システムではないのだということを確認しておきたいと、津田さんは語った。

 もうひとつ、前回提出されたレポートの中で、京滋センター代表の光久さんのレポートが興味深かったので、それについてみんなで考えたいということで、ぜひ本人から直接報告をお願いしたいと、光久さんに発言を促した。

 光久さんのレポートについては本誌の前号に紹介したので、そちらを参照してもらうことにして、その補足として光久さんが語ったのは、「顔」のことだ。川西産直の元代表が辞任されたとき、総会を終えたあと、荷物を下ろしてほっとしたような顔をしていた。それを見て、これから自分が京滋センターの代表としてやっていこうとしていることはどういうことなのかと不安になったり、また新代表の谷さんの緊張した顔を見て、どちらがいい顔なのか戸惑ったことなど。レポートの中で本当に言いたかったことは、使命感を持って前に進んで行くときに、本当に自分の腑に落ちているのか、本当に自分はこれで頑張っていきたいと思っているのかということは、その時にはなかなか見えにくいものだということ。光久さんは代表として、京滋センターをみんなと一緒につくっているつもりだけれど、みんなの顔をちゃんと見られているか、自分はちゃんとした顔をできているのか、そういうことを同一賃金というテーマとは外れるかもしれないけれども、考えたということだった。

 光久さんの言葉を受けて津田さんは、すごく考えさせられる話だと応えた。よつ葉で働いている人が、配送の仕事を責任感をもって一生懸命やって、会員のところに行ったときにどんな顔をしていて、会員がそれをどう受け止めているのかということを、逆の側から考えさせられる話だ。仕事を一生懸命まじめにやる、そういう働き方の大切さと、そのなかでその人が自己形成をしていくということ、一方で、それがまわりの人にどのように見えているのかということも、やはり考えておかなければならないことではないか、と。

 さらに昔、政治組織で活動していた時期の経験について語った。みんなまじめで、一生懸命に、自分のことより世の中のこと、労働者のことを必死に考えて活動していたけれども、その顔つきがみんな同じようになり、同じようなしゃべり方になっていたのを見て、極端に言うと、ある怖ろしさを感じたということだ。人はひとりひとり個性もあるし、それぞれの考え方もある。そういう違いを失わないで、ともに協同して仕事をしていくのが、本当の意味での協同労働、あるいは一緒に働くということの理想なのではないか。

 よつ葉で働くということ、そのことの意味を、働いている一人一人が自分の生き方と結びつけてどう考えていけるのか、つくり出していけるのか、違いがあることをきちんと主張したり、対立したり、議論したりしながら、なおかつどのように人と一緒に楽しく仕事ができるか。そのことを考えてほしいと語り、前回の補足とした。


オッチャンもつけて野菜を届けたい

 さて、今回のテーマ「生産・流通・消費という分断」という話に入るきっかけとして、津田さんは、資料として配布した『農場だより』(2000年6月1日号)の一面の記事を取り上げた。タイトルは「×月×日……石投げジイチャンの日記 オッチャンもつけて野菜を届けたい」というもの。津田さんの文章なのだが、表題の由来は「石投げ兄ちゃんの日記」。

■資料」『農場だより』39便(200.6.1)
 石投げ兄ちゃんは当時、高校生だった洋平君。何が面白かったのか、逆に頭に来たのか判らないけれど、そこらへんの家に石を投げて、警察に捕まって、本来なら少年院に送られるところを、保護観察2年とか1年とかということで、能勢農場が預かることになった。津田さんが「石投げ兄ちゃん」というあだ名を付けたということだ。この石投げ兄ちゃんに、お前もちょっと文章を書いた方がいいからと、農場だよりに毎号スペースを与えて、「石投げ兄ちゃんの日記」というコラムが始まった。そのコラムをもじって、津田さんが書いたのが「石投げジイチャンの日記」。津田さんも昔、街頭で石を投げていたことがあるので、同じ「石投げ」のジイチャンだ。

 さて、その「石投げジイチャンの日記」には、野菜の集荷場での漫才のようなやり取りがある。……「これはキヌサヤとちがうやろ」「そうかいな」「そうかいなて、おっちゃん百姓やろう。つくり手がこれでは困るやん」「そうかいな」「……」、「おっちゃん、このホウレン草、もうトウダチしてるわ」「ヘェー。いつのまに」「いつのまて、持ってくる間にトウはたたんと思うけど」「ヘェー。きょうび、はやいもんでんなぁー」……、というように能勢農場あたりに出入りする人たちをめぐっての点描が記されている。

 この農場だよりはいろいろなところから反響があったということだが、その中のひとつに、よつ葉の店舗をずっとやっていた佐々木さんという女性からの反応があった。彼女は店舗で仕事をしてきたので、能勢から下りてくる野菜に対して非常に厳しい指摘をしていたのだけれども、このたよりを読んで彼女から連絡があり、「もう私、農場の野菜にとやかく言うのを諦めるわ。これを読んだら、そんなこともうどちらでもいいわ」というような感想だった。

 生産・流通・消費という分断を乗り越えるイメージとしては、そういう乗り越え方しかないのではないかと津田さんは言う。


「生産・流通・消費という分断」と貨幣

 生産・流通・消費という分断は、人間社会が現代に至るまでの発展の過程の中で作り出してきた、ひとつの越えがたい社会の分断のありかただと思う。だから、よつ葉がそれを乗り越えたいといくら思っても、根源的にはなかなか乗り越えられない。それはある意味で、必然なのではないかというのが基本的な考え方だ。

 その分断の基礎にあるのが貨幣。人間社会が貨幣を作り出して、物の交換をよりスムーズに、より便利に、見ず知らずの人間同士が物を交換しあう可能性を拡大した結果が、今日の人間社会の発展、豊かさにつながっている。貨幣による交換を基礎にした社会の豊かさを享受しながら、この分断を乗り越えていくのは、考えるとすごく難しい。もしも生産・流通・消費がストレートにつながっていたら、作ったものを全部食べる、近くでお互いに交換しながらその季節、その地域のものをお互い食べるという生活がベースになる。

 だから、分断されてよかったのは、時間的にも空間的にも自由が拡大したことだ。分断されているからこそ自由にお金を使っていろいろなものをやり取りできるし、生活を豊かにできる。だから、よつ葉が一生懸命、生産・流通・消費をつなごうと言っても、なかなかハードルが高いというか、乗り越えがたい構造だというのが、この分断に関する津田さんの一番基本的な捉え方だと言う。

 しかし、一方でこの分断の結果、不都合なことがたくさん出てきている。お金で全てが媒介されるために、作っている人の苦労や思いがお金でしか表現されないし、消費者には価格としてしか伝わらない。結局、価格をめぐって、生産者と消費者は対立の関係になってしまう。実際、今の世の中の商品流通は、そういう方向にどんどん進んでいる。作っている人の状況や労働などはもう見えないから、売る方は適当にごまかそうとするし、買う方も価格と表示でしか判断ができない。そういうことが、分断されていることの良くない点で、よつ葉としてはそういう関係をもう一回作り直したいというのが、生産・流通・消費のつながりをとりもどすということをよつ葉憲章として掲げたポイントなのだと思っている。


分断に対抗するための三つの取り組み

 農産物について生産・流通・消費をつなぐ試みとして、津田さんは有機農業運動における「提携」をあげた。有機農業を実践する農家が農作物を都会の提携している消費者に直接届ける。消費者はその生産者の生産物を丸ごといただく。過不足とか価格とか、そういうことはお互いの話し合いで決めるけれども、基本的にその生産者の農業を消費者が丸ごと支えることで、お互いの関係を作っていこうというのが、有機農業運動における「提携」だ。しかしこれは消費者にとってすごくハードルが高く、なかなか広がらない。消費者のほうがだんだん疲れて、数も減って、勢いがなくなってくるという傾向が強い。よつ葉の地場野菜の取り組みは、「提携」という考え方をもう少し緩やかに、軽やかに、ルーズにしていきたいと考えて、生み出されたやり方ではないか。

 生産・流通・消費という分断とそれが生み出す矛盾に対抗するために、よつ葉がやってきたことは、三つぐらいに整理できるだろうと津田さんは言う。一つ目は、空間的距離をできるだけ小さくするということ。貨幣が媒介することによって空間的距離が大きく広がり、今や、グローバリゼーションと言われるまでになっている。そういう時代のなかにあって、よつ葉はできるだけ空間的距離を小さく持って商売をしていこうとした。だから、地場野菜の取り組みもあるし、配送センターを小さく地域に密着した形にしようとしてきた。できるだけ人びとの生活空間のなかで自分たちの活動を積み重ねていこうとしてきた。

 二つ目は、一つ目とつながっているが、人間的関係の積み重ねを大切にするということだ。距離が近ければ、なにかあればすぐに行って、現場で顔を合わせて話ができる。産地交流をして、顔を合わせる。にんじんくらぶで一緒に農作業をしたり、だいずくらぶで交流をする。また配送職員は1週間に1回の配達で顔を合わせて、会員とコミュニケーションをして、仲良くなっていく。よつ葉の配送センターを比較的小さくしているのは、配送エリアのなかで会員との人的交流を積み重ねようという基本的な考え方があるからだ。

 そして、三つ目がカタログをおもしろくすること。よつ葉はカタログで商売をしているが、これでいくら売上を上げるかという発想でカタログをつくっていたら、価格で負けてしまうことになる。そうではなくて、カタログをいかに面白くするのかということが大事だ。別に大きなスペースでなくても、生産者や会員のコメント一つでも、それで笑えたりほっとしたりできたらいい。読んでおもしろいと思ってもらえるようなカタログをつくることが、価格を乗り越えるひとつの手段ではないかと思っている。

 生産・流通・消費という分断を乗り越えていく手だてとして、よつ葉が今までやってきたことを整理して、津田さんはこの三つをあげた。このような努力を重ねることで、分断の基本構造を変えるというところまでは、なかなかいかないけれども、それぞれの立場が対立的になって、価格をめぐっていがみ合ったり、嘘やごまかしが生まれたり、お互いの立場、気持ちが想像できないということがないようにしていきたいというのが、よつ葉がめざす、生産・流通・消費という分断の乗り越え方なのではないかと、その考え方をまとめた。

 そのことを津田さんに感じさせたのが、「オッチャンもつけて野菜を届けたい」という石投げジイチャンの日記を読んで、あれだけ能勢の野菜に怒りまくっていた佐々木さんの、「まあ、しかたがないか」という感想だった。それで物事が解決したわけではないけれど、それによってお互いが相手の立場を想像する、日々働いている人の苦労とか顔つきとかを想像してつきあえるようになる、そういうことが、よつ葉がやろうとしている取り組みの一番基本ではないかということだ。


出生率とエンゲル係数から考える

 最後に、恒例の時事ネタ、今回は、エンゲル係数と出生率について。補足資料は平川克美さんの「人口減少に対する筋違いの俗論」という文章(『転換期を生きるきみたちへ』所収。内田樹編、晶文社刊)。少子高齢化、出生率の低下というのを、安倍政権は断固打ち破るという方針で立ち向かうと言っているのだが、そんなものは政権が立ち向かって変えられるようなことではない、そのことを安倍政権はまったく分かっていない、ということを平川さんは書いている。参考にしてほしいということだ。


  ■資料:出生率および合計特殊出生率の年次推移(厚生労働省)

 さて、6月3日付の朝日新聞に、出生数初の百万人割れという見出しで、16年の出生率が1.44で、前年よりも下回ったという記事が載っていた。日本の出生率の最低は2005年の1.26。2005年からは少しずつ上がってきていたのだが、この2016年になって再び低下し始めたという。

 また、もう一つ、エマニュエル・トッドというフランスの人口学者による世界の出生率の変化の数字。近くは2013年の数字しかないが、1.4というドイツはほぼ日本と同じぐらい。出生率が低いということは、その社会の人口が徐々に減少していくということで、それをどう評価するかというのはまた別の問題だが、その国の社会的な状況とある程度リンクしているというのが、エマニュエル・トッドの説。ところで、ロシアの出生率は、2005年1.4だったのが、2013年に1.7に増えてきている。エマニュエル・トッドは、プーチンのロシアは政権としてどうなのかということは別にして、ロシア社会が元気になってきているということが、この出生率の上昇から見て取れるということを分析している。このように出生率から見てみると、日本の社会にはなんとなく元気を欠く状況が出てきている。

 もう一つの数字がエンゲル係数の上昇ということだ。エンゲル係数というのは、所得の中で食費に使うお金の比率。1950年、終戦直後57.4%だったエンゲル係数は、一番低くなった1991年、バブルの崩壊直後に、23.3%、それが2013年に25%に増えたという統計の数字だ。これはみんなが高い食べ物をどんどん食べて、贅沢し始めたからかというと、決してそうではなく、若年層と高齢者の所得がどんどん減って、その結果、全体の所得の中に占める食費の比率が上がってきたというのが、この数字。つまり日本の今の社会は若者と高齢者の貧困化が進んで、ついにそれがエンゲル係数を上昇させるところまできているということだ。

 補足資料の平川さんの文章中に、日本の人口統計のグラフが出ている。これを見ると、日本の人口のピークは統計にもよるが、2009年で1億2800万人。そこから減少に転じて、2050年には、9700万人という推定が出ている。これが、日本のこれからの社会がまちがいなく進んでいく社会の基礎であり、そのなかでどんな社会を築いていけるのかが、これからのみなさんの課題であるということを津田さんは指摘し、そういう社会の中で、よつ葉はどうしていけるのかということも考えてみてほしいと語り、今回の講座を結んだ。



参加者の感想と講師の応答

楽しみながら向き合っていきたい

 淀川産直の事務員のつながりで始まった「せっつキャロットくらぶ」(にんじんくらぶ)ですが、今では、1年を通して会員さんと一緒に畑作業を楽しんでいます。畑を貸してもらっている渡辺さんは兼業農家ですが、摂津の伝統野菜「鳥飼なす」の栽培を始められ、淀川産直の独自企画で取り扱うことになりました。

 渡辺さんとは、畑のアドバイスを受けるだけではなく、野菜を通じて関係をつくっていくことになりました。自分で農業教室まで行うバイタリティーに触れて、農業体験や産地交流会などで会員さんと生産者を少しでも近づけようとする今の活動の先が、少し見えてきたような気がします。

 また、週に一度の配達ですが、入社当時と比べると、当たり前ですが、会員さんといろいろな話をするようになりました。担当地域があまり変わらない恵まれた環境で、自由に活動できるのは、産直のみんなとの関係があるからこそだと、改めて感じています。

 生産者と話せる。消費者の気持ちもわかる。でも流通の都合もある。産直だからできること。産直だからこそ、すべきこと。課題はいろいろありますが、楽しみながら、周りを巻き込みながら、向きあっていきたいと思います。
                                                (田野浩幸:淀川産直センター)

【津田】淀川産直の職場関係の良さを、是非、地域の関係づくり、会員さんとの関係づくりに、もっともっと生かしていけるような取り組みを期待しています。

悩みながらカタログをつくっています

 “この3つの立場の分断を、どう乗り越えるのか”というのは、課題として、よつ葉が取り組んできている考え方としてあるのですが、その中で、自分が関わっているカタログ作りのあり方にも、やはり責任の一端を感じています。

 具体的には、おもしろいと感じてもらう、一緒に社会的な背景にある問題を考えてもらう、そして生産者の人となりを感じてもらう……が、もう少し表現し足りないかな、と。

 毎号、たくさんの(1200点を超える)商品に埋もれている中から、ここを紹介したい、と思う生産者や食べものを掘り下げて、それぞれの企画担当と一緒に、あーだこーだ、と悩みながらカタログを作っているのですが、なかなか充分な取材やつきつめ方ができているものばかりでもなく……。

 正直なところ、丸ごとでないにせよ、担当と生産者が余談を含めてつきあいを深め、人間的なつながりを築いていく余裕が、昔に比べて難しくなっているんだろうな……とも感じています。

 でも、この分断をつなぎ直すのを、生産者に対しても、会員さんに対しても、諦めることなく心していくことは、結局、前回の講座にもつながることで、自分や人の生き方をどう充実したものにしていけるか、を実現していくことになるのだと、改めて実感しています。
                                                 (下村純子:ひこばえ)

【津田】下村さん。前はもっといろんな所にどんどん取材や交流に出かけて、論議に加わっておられたように記憶しているのですが、年齢を重ねた人間にしか見えない関係や、人と自然のつきあい方もあると思うので、制作の現場は若い人たちに預けて、また、外へ出てきて下さい。



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