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よつばの学校 全職員向け講座 報告①

能勢農場憲章とよつ葉憲章をめぐって

 大阪府の北端、能勢町にある能勢農場と、近畿全域、約4万世帯の会員に食品の宅配事業を展開している関西よつ葉連絡会は、設立から40年余り、協同して生産・流通・消費を結ぶ活動を続けてきました。さまざまな矛盾、困難に直面しながらも、より善き人間社会を自分たちの活動を通して多少なりとも実現したいという目標を今も掲げ続けています。その40年の実践から何を考え、何を学ぶことができたのか。今期の『よつばの学校』全職員講座のテーマです。(研究所事務局)

はじめに


 『よつばの学校』は2007年の開始以来、関西よつ葉連絡会の職員研修として連続講演会や講座学習会、産地研修などを行ってきました。最近3年ほどは、主としてよつ葉会員向けの「公開講座」、各社の責任者対象の「責任者講座」、よつ葉職員向けの「全職員講座」、そして「産地研修」を4つの柱として運営しています。

 今期の全職員向け講座は、「能勢農場・よつ葉の活動を通して、社会を考える」と題して、月に一度のペースで開催することになりました。全7回の講師は津田道夫さん。当研究所の前代表でもありますが、能勢農場をはじめとして、食肉センター、よつば農産、北摂協同農場の代表を歴任され、よつ葉グループの第一線で長く活動してこられました。津田さんの目から見た能勢農場・よつ葉の40年、その実践から何を考え、何を学ぶことができたのか。たっぷりと語っていただきます。4月14日にその第1回目が、「能勢農場憲章とよつ葉憲章」をテーマに行われたので、その概要を報告します。



いまという時代のことから


 お話への導入として、まず津田さんが語ったのは、いまがどういう時代なのかということです。第二次世界大戦から70余年、その間、世界にはさまざまな戦争や争いが絶えたことはなかったけれども、私たちの社会はだいたいにおいて「平和」だった。ここに参加しているみんなも「平和」のなかを生きてきて、このような暮らしがずっと続くと思っているかもしれない。しかし今、世界は確実に戦争の時代へと向かっている。すごく好戦的な人たちが世界で権力をにぎり、武力によって支配を維持するという発想が世界中に広がっている。そういう時代の動きにどう対抗していくのかということが問われていると強く感じている。日々の仕事、暮らしのなかで、できることは限られているけれども、そういう世界全体のありようについて考えることが能勢農場・よつ葉で働くこととつながっている。そんなことをこのよつばの学校を通じて感じてもらえたらうれしい。そのように語り、よつばの学校で学ぶことは、そのような大きな時代の流れと深いつながりがあるのだということを示唆しました。


運動理念と事業理念をめぐって

 さて、本題の「能勢農場憲章とよつ葉憲章」について、その制定は能勢農場憲章(以下、農場憲章)が1991年、よつ葉憲章が1994年(2011年に第1項を改定)。能勢農場・よつ葉がその活動を20年近く続けてきて、時代や社会との関わりのなかで、それぞれの活動も否応なく変化、発展し、それぞれの理念をしっかりと言葉で書き表さなければならないという問題意識に基づいてのことだということです。理念とは「それがどうあるべきかという根本的な考え方」です。

■津田道夫さん
 しかし同じよつ葉グループであると言っても、農場憲章とよつ葉憲章とは切り口というか書き方が異質です。津田さんによると、能勢農場はもともと畜産や農業を事業として展開するために始めたものではなく、世の中を少しでも善いものに変えたいという運動として始まり、従って、農場憲章は運動としての理念の性格が強い。それに対して、よつ葉はおいしい牛乳を求める消費者の共同購入運動として始まったけれども、商品としての牛乳や食べものをあつかう事業という側面が強い。従って、よつ葉憲章はいわば事業理念として、こうあるべきだということを謳っている。

 農場憲章とよつ葉憲章は、このように運動と事業という二つの人間活動のあり方を切り口として、その理念を語っている。しかし、運動と事業というのは本来、人と人との関係として、別個のものではない。いま、世間では事業もどんどん巨大化して、効率化することによって、人と人との関係が見えなくなっている。だから運動と事業とはまったく別個のものとして捉えられてしまいがちだけれども、それが本来は同質のものであることを二つの憲章を読むことによって感じてほしい。

 そう語った後、津田さんは、能勢農場での誤りも含めたこれまでの活動の経験から、どのようにしてそのことを考え、学んできたのかを話しました。つまり最初の頃、能勢農場は運動を目的としていたので、事業活動としてはかなりいいかげんなこともしていた。運動のためには他のことはどうでもいいというような。運動という目的のためには、手段としての事業は適当にやればいいというような。そういう発想の傲慢さ、誤りに気づき、そのことを考えてきたのが、能勢農場の歴史であり、農場憲章やよつ葉憲章をつくるに至った経緯だということです。

 農場憲章とよつ葉憲章の、運動理念と事業理念、運動と事業の分けられない構造をどのようにとらえて、どのように自分たちのめざすものをつくっていくのかが、これからみんなに問われてくる課題だということを津田さんは強調し、集まった職員たちに投げかけました。

 農場憲章では、人間解放というのがテーマになっています。そして人間解放のいちばんの基本は自己解放だというのが、津田さんのもう一つの指摘でした。自分を解放することなしに、社会の解放とか、階級の解放とか、人間解放など語れないのではないかと、自分の経験をふり返って語りました。自己解放といっても、その内実は人はそれぞれ違って、千差万別。そういう豊かさを損なわないで、それを労働者の解放が第一だというようなパターン的な発想や、こうあるべきだという独断で裁断しないで、人間解放を考えること。一人ひとり違う人間が、一人ひとり自分自身の解放を考えること、それが自分だけで完結するのではなくて、社会全体としてどう実現していけるのかということ、そんなことを考えながら、ぜひふたつの憲章を、これを機会に読み直してほしい、という言葉で今回のテーマの講演を結びました。


■会場のようす

天皇の人権と戦争責任について


 最後に、ちょっと目先を変えて、人間解放や人権というテーマに関わる問題として、天皇の退位をめぐる問題が、津田さんから出されました。材料は「もう年だから、天皇を辞めたい」という平成天皇の表明と、今年初めの『朝日新聞』紙上での高橋源一郎さんの「天皇に人権はあるのか?」という論考、そして戦争責任について昭和天皇に直接問いかけたジャーナリストの質問に対する「そういう言葉のアヤについては……お答えできかねます」という昭和天皇の答え。

 この昭和天皇と平成天皇との間のギャップ、その意味を考えてほしい。いま安倍政権が憲法第9条、平和憲法を変えることに前のめりになっているなかで、決して天皇制が良いということではないけれども、平和憲法を擁護し、また日本のかつての戦争責任を、アジアの人々に対しても認める、そういう存在として平成天皇は現れている。生前退位の問題が世間で話題になっているいま、この天皇制の問題はぜひ考えていただきたいテーマであるということを付け加えて、第1回目の講座を終えました。

 質疑応答では農場憲章制定に至る能勢農場の具体的な動きや、関わった人たちのそれぞれの関わりのあり方、農場建設を主導した先行世代の活動、それから津田さん自身が運動に関わるようになった学生時代の経験などが話されました。



参加者の感想と講師の応答



少しずつでも追いつきたい


 農場憲章の第二章の「めざすべき人間解放」。まさに人が人として生きていくために必要だと思います。

 話の途中に、事業の基本である人と人との関係がなくなっているという言葉がありましたが、その通りだと思います。また、事業の中だけではなく、日々生活する中で、または地域の中でも、その意識は薄れているように感じています。

 関西よつ葉連絡会で日々過ごす中で、すべての動きが活動、運動に直結していると思っています。

 社会運動をしている中でよつ葉と出会ったのではなく、はじめは生活をするための職場としてよつ葉と出会ったので、ずっとやってきた方々との温度差は感じていますが、少しずつでも追いつきたいと思います。
                                       (石原陽一:淀川産直センター)


【津田】そんな温度差なんて、気にすることはありません。これからは石原さん達の時代なんだから。淀川産直の雰囲気を外からですが見ていて、すごく人づきあいがうまくいっているように感じます。そこからどう深めていけるのか。がんばって下さい。



時間の流れに身をおくことの大切さ

 人間解放ということを今も考えています。ただ多忙だったよつ葉の配達時代から、いったんすべてやめて農場に常駐したころ、毎日がすがすがしく、木々を観察したり、夕陽をゆっくり眺める時間を感じたり、時間の流れを空間も含めすなおに受け入れていたころ、すごく解放された自分があった。

 人間解放という意味とは少し違うかもしれないが、あのころほど自分のことをじっくり考えられた時間はなかった。それから約9ヶ月で代表になったが、今もあのころの自分が基本になっている。

 自然の中での時間の流れや空間は、人間の生活、活動にすごく合っている。時間に追われるのではなく、時間の流れに身をおけることの大切さが、農場にはあると感じている。今農場で働く若い人たちがどんなことを感じているのか。最近は仕事のことばかりで、今日津田さんが話していたようなことをあまり話し合っていないなあと思いました。もう一度、農場に常駐したころの自分を思い返してみたいと思います。
                                                   (寺本陽一郎:能勢農場)

【津田】仕事の細部に考え方が表れるのは事実だけれど、仕事の細部からだけつめていっては、人は救われないこともあるので、大きな、ボヤッとしたところの話も大切だと思います。



運動と事業、もう一度結びつけるために


 私がひょんなきっかけでよつ葉の配送センターのひとつである「島本町牛乳配達センター」で働き始めたのは、いまから30年ちょっと前。だいたい20代も終わりの頃です。その前は、アルバイトをしながら市民運動に関わっていました。自分で選んだ生活とはいえ、どこか中途半端というか、毎日に煮えきらなさを感じていました。

 津田さんは能勢農場の話をされましたが、当時のよつ葉もまたいいかげんと言えばいいかげんで、ただ無我夢中で動き回っていたというのが一介の配送員としての私の印象です。朝は暗いうちから保冷車を走らせて、京都のヘルプの会から届く野菜と地元の養鶏場の卵を積んで北大阪センターへ。各配送センターから集まった担当者で手分けして、10トントラックのよつ葉牛乳や日配品を積み込み。身体をぶつけ合うようにして働いていました。

 傾いた飯場のような事務所でわいわい言いながら飯を食い、それぞれのセンターへ飛ばす。センターでは配送車への仕分けと積み込み、各会員への配達と引き売り。学校給食などもありました。自分がなにをしているのか、この仕事にどういう意味があるのかなど、考えようもないままに、毎日毎日をくるくると働いていました。

 ただ、言うならば、それなりに充実していました。よつ葉に来て、それがなにかは良く分かりませんが、「まるごと」になったような気がしました。よつ葉牛乳や有機野菜、安全な食べものを求め、届ける運動であり、暮らしを成り立たせる稼ぎでもあり、暮らしそのものでもありました。

 運動と事業が未分化なまま、ただみんなひたすら走り続けていたのかもしれません。未分化な分だけ整理されていなくて、エネルギーがあちこちで衝突していたようでもありました。衝突して、袂を分かって、新しい産直センターができたということもありました。たった一人の産直。せいぜい、プラス事務一人。大きな産直でも職員は数人だったと思います。

 組織としてのさまざまな事件や食べものをめぐってのさまざまな事件があり、その対応をめぐっての模索もあり、安全な食べ物を求める世間の時流にも乗って、事業として成り立ってきたころに生み出されたのがよつ葉憲章なのでしょう。よつ葉全体として、またさまざまな場所で事業として整理されていく一方で、運動としての意識はある部分で薄れてきたのかもしれません。

 運動と事業という、ともすればそれぞれの論理に従って効率化、専門化しようとするものを、もういちどなんとかして結びあわそうという試み。整理されないままよつ葉がやってきたこと、やろうとしてきたことを次の世代に伝えるということ。その試みのために、憲章が、理念が、言葉が必要なのでしょう。
                                           (下前幸一:研究所事務局)



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