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よつ葉会員と生産農家による討論・交流会 報告

よつ葉の地場野菜、
           現状と今後を考える


 去る3月18日、大阪・千里中央で「『よつ葉の地場野菜』がめざすもの~よつ葉会員と生産農家による討論・交流会」と題する催しが行われた。関西よつ葉連絡会の地場野菜を生産する四地区の農家のグループ「摂丹百姓つなぎの会」、農産物の企画・仕分けを担当する㈱よつば農産の共催である。以下、よつ葉の地場野菜に関する説明とあわせて当日の模様を簡単に紹介し、参加者の感想を掲載する。

よつ葉の地場野菜について


 よつ葉の地場野菜は、大阪府能勢町、大阪府高槻市の原・樫田地域、京都府亀岡市東別院町、京都府南丹市日吉町胡麻という四つの地区で生産されている。いずれも近い位置にあり、中山間地として気候風土も似通っている。四地区をつなぐ組織として「摂丹百姓つなぎの会」がある。

 それぞれ、能勢は北摂協同農場、高槻は高槻地場農産組合、亀岡は別院協同農場、胡麻はアグロス胡麻郷というように、生産者組織および集荷組織がある(高槻の集荷組織は高槻農産)。各地区の農家は、昔からの地元農家、定年で実家に帰って農業をはじめた人、Iターンの新規就農者など背景も営農状況も多様だが、個々の農家というよりも一定の地域的なまとまりをもって集まっている。

 各地区とよつば農産との間では毎年2回、1月に春夏期、6月に秋冬期と、栽培する野菜の品目や量、値段を協議する作付け会議をはじめ、毎月1回の定例会、日々の入荷をめぐるやりとりなどが行われる。

 関西よつ葉連絡会では、二つの系統で農産物のカタログ企画および集荷を行っている。一つは、全国の生産者・団体との間での取り引き。これは、カタログを通じて会員からの注文を受け、その数に応じて発注し、指定の期日に納品してもらう、一般的な取り引きである。農産物は気象条件の影響で出来不出来があるが、豊作になったからといって引き取り量は変わらない。

 これに対して、地場野菜の場合は会員からの受注数に応じた発注、納品という関係ではない。あらかじめ農家側との間で作付け数や買い取り価格などを合意した上で、作物の出荷については農家の判断に任せる。豊作になった場合でも基本的に作物の引き取りは拒否しない。その意味で、両者の間には際立った違いがある。

 よつば農産では、作物ごとの過去数年にわたる作付け数と実際の出荷量、1日単位での出荷傾向、カタログ企画の際の受注数といったデータをもとに、作物ごとに作付けしてもらう数を概算する。各地区からは農家ごとの作付け希望数が集約されてくるので、地区ごとの総数、各農家のこれまでの実績などを踏まえて、作付け数の増減をお願いする。各地区との間でおよそ1ヶ月にわたって交渉を重ね、最終的な作付け数が確定する。カタログ企画では、作物ごとの最盛期に受注数が多くなるよう、逆に出始めと終わりには注文が集中しないよう価格や売り方を考える。

 ただし、実際の栽培過程では自然条件が大きく影響するため、こうした予想が外れることは珍しくない。長雨や日照不足で成長が遅れれば最盛期も遅れる。その結果、受注数が多い時期には欠品となり、入荷減少を見込んで販売価格を上げた時期に入荷がズレ込み、よつば農産に野菜が溢れることになる。

 よつば農産側ではほとんどの品目について、予想される受注数に対して、おおむね3倍の範囲で作付けをお願いしている。不作となった場合のリスクを避けるためだ。もちろん、幸いにも豊作になれば受注数の3倍の野菜が入荷することになる。そうした状況に合わせて、注文なしで登録会員に自動的に出荷する「野菜大好き会員」を発動したり、また野菜セットへ規定品目以上の野菜を入れたり、さらには配送センターに配達時の野菜引き売りをお願いするなどして、無駄なく捌くための対策を講じている。

 農産物を一定の規格で大量に流通させ、消費側の「需要」に応じて生産側の「供給」を調整することが可能な一般の市場流通ならば、そもそもこうした問題は生じない。にもかかわらず、なぜこうした一風変わったやり方を続けているかといえば、やはりいくつかの背景がある。


その背景にあるもの

①「地場と旬」を農の中心に


 食べものの「安全・安心」が問題となってきたのは、農業に農薬や化学肥料が大量に使用されるようになったことがきっかけである。しかし、なぜ農薬や化学肥料を使うのか。突き詰めて考えると、単に農家の問題だけでは済まないことが分かる。

 簡単に言えば、社会や食生活の変化によって、自然の恵みである農産物を人間の都合に合わせようとする傾向が強まってきたことが大きな要因だ。現在では、世界各地から好きなように、旬とは無関係な野菜を求めたがる。しかし、その一方で農薬や化学肥料だけは排斥しようとする。そんな考え方そのものに、大きな勘違いがあるのではないか。

 逆に、「地場と旬」を軸にすれば、作物や自然に無理をしない農業が可能となり、結果として「安全・安心」につながるはずである。


②対等な関係を目指す

 一般の市場流通では、基本的に流通・販売の側が有利で、生産の側が不利になる歪んだ関係がある。市場の規格に合わない農家は淘汰され、産地間の競合によって生産価格は引き下げられがちである。消費者にとっては「合理的」でも、生産者にとってはそうではない。作る側と食べる側、生産と消費が分断されてしまった結果だろう。

 逆にお互いが対等な関係でつながり、各々の事情を知ることができれば、問題点やリスクを共有することもできる。地場野菜では、基本的に農家側が品目の選定、出荷時期の判断を行い、作付け数や価格で合意すれば、出荷される野菜は原則としてすべて引き取る。

 その結果、消費者は持続的に「地場と旬」を享受することができ、生産者は持続的な生産の条件を享受することができるのである。


③「地域」から農業を見る

 地場野菜では特定の農家個人とつながるのではなく、地域を単位に多様な農家とつながり、それを広げようとしている。それは、そもそも農業が地域的な営みであると同時に、農村が生活の場だからである。

 地域には多様な暮らしがあり、多様な農業がある。たとえば特定の大規模な専業農家とつながれば、たしかに入荷は安定するかもしれないが、リスクも集中する。また、それによって他の農家の参入が制限されれば地域の中で対立を招き、結果として農業の基盤を損なわせる可能性もある。

 多様な農家が持てる力を発揮することができれば地域もバランスよく持続でき、それは農業の持続性にも跳ね返ってくるだろう。

 ちなみに、こうした考え方は、単に地場野菜の取り組みに留まらず、関西よつ葉連絡会の全体的な方向性とも重なっている。


会員と生産農家による討論・交流会

 討論・交流会では、最初に、よつば農産の深谷さんから、「地場野菜の取り組みを20年続ける中で、生産者も消費者の顔ぶれも少しずつ変わってきた。今後よりよい形でさらに続けていけるよう、今日の討論会を進めていきたい」との挨拶があった。

【生産者から①】

橋本 昭さん(アグロス胡麻郷)


 これを受け、まずは農家の側から、京都府南丹市日吉町胡麻にあるアグロス胡麻郷の橋本昭さん。橋本さんは、摂丹百姓つなぎの会の代表でもあり、地場野菜の基本的な考え方の提唱者でもある。

橋本昭さん
  ■橋本昭さん(アグロス胡麻郷)
 橋本さんは、「生産者、消費者、流通それぞれの努力によって20年続いていることが地場野菜の成果の一つ」とした上で、地域の農家が地場野菜に加わったのは、必ずしも有機農業や産直活動に入れ込んだからではないと指摘した。地場野菜をはじめた20年前、日本の農政の基本は「コメが余っているので減反せよ」というものだった。だから、地場野菜の呼びかけは、“コメが作れないのだったら、その代わりに野菜を作ろう”という提案として、農家側の需要とうまくマッチしたのではないかという。

 一方、この20年間での農村の変化については、なかなか厳しいものとなる。すなわち、胡麻ではこの5~6年で農業人口が1割くらい減り、「この先どうなるんやろか」という状況になっているという。地場野菜をはじめたとき、基本となったのは、父ちゃんは週末に田圃、母ちゃんと婆ちゃんは畑で野菜という兼業農家イメージだった。当時は皆50歳から60歳くらいだったのが、現在は70歳から80歳で高齢化によるリタイヤを迎えているという。

 橋本さんによれば、高齢化そのものは自然なことだが、問題は後継者がいないこと。新規就農者がいることはいるが、農家の子どもが帰ってこなくなったという。

 ここで司会の津田道夫さん(北摂協同農場)から、「当初『地場野菜の活動の先に見ようとしていたもの』が、20年経ってどのように見えているか」との合いの手が入った。

 橋本さんの応答は、ここでもホロ苦いものだった。すなわち、日本とくに関西の場合、都市と田舎の距離が近く、地場の四地区のような中山間地と都会とがうまくハーモニーを奏でられるような日本になってほしいと思っていた。しかし、20年経った現状は、逃げ遅れた田舎の人たちが下向いて草刈りしているようなもので、「こんなはずじゃなかった」というのが率直なところだという。よつ葉の関係している中では、田んぼや畑が維持され、都市と農村がお互いの必要性を認め合うような関係ができているのかも知れないが、全国的に見ればできていないのではないか、と指摘された。


【生産者から②】

吉村次郎さん(北摂協同農場)

 続いての発言は、北摂協同農場に出荷する新規就農者の吉村次郎さん。現在39歳の吉村さんが能勢にきたのは15年前。学生時代が就職氷河期だったため勤め人は目指さず、「人間にとって一番大切なものは?」と考えて農業を志したという。能勢にきたのは、農業の師匠がいたためだ。

 新規就農者が独立し、まず突き当たるのは売り先の問題だ。ここで吉村さんは師匠から北摂協同農場を紹介してもらう。と同時に、師匠の助言により、大阪市内で場所を借りて自分の作物を売ってきた。小売りのためには、少量多品目の栽培が欠かせず、週の1日を潰す一方で、そうした労力をなかなか値段に乗せられない。10年以上続けてきたが、3年前に限界になって辞めたとのことだ。

吉村次郎さん
 ■吉村次郎さん(北摂協同農場)
 その間、年間の売り上げは200~300万。経費が約半分だったという。それでは持続的な営農生活ができない。周囲に若い新規就農者が増えたこともあり、新たな展開の必要を感じ、3年前から国の補助金を活用し、夏場のトマトを柱にしている。実際、地場のトマトでは5本の指に入る出荷量を誇る。

 吉村さんによれば、地場野菜のメリットは、近くに集荷場があること、基本的に好きなものを好きなときに好きなだけ出荷できることだという。市場と比べて値段も安定しており、その点でも生産に集中できる。その意味で「お礼の言葉しかない」としながら、あえて一点だけデメリットを指摘した。

 それは、少量を生産する農家の割合が多いため、専業で大量に作る農家は参入しづらく、作付けの段階で減らされがちなことである。“個々の売上を高めるより多数の参加を重視する”よつ葉の方針は「いいことだとは思うが、自分の生活から考えると厳しい面がある」と率直に吐露された。

 そのため、吉村さんはこの間、徐々に出荷先を他にも広げているという。


【消費者会員から】

 この後、消費者側から二人の会員がお話しされた。お二人とも、自身や子どもの体調不良をきっかけに食べ物に関心を持つようになり、よつ葉への入会につながったという。

 とくにAさんは、8年前にポリープができ、治療方針として食事療法を選択したことから、現在は動物性の食材や砂糖を摂らない生活を続けている。そのため、野菜の持つ力が非常に大きいことを実感しているという。不足分をスーパーなどで買ったりしてもおいしくないが、地場の野菜はそれ自体にうま味がとてもあり、基本的な調味料でじゅうぶん料理になるとのことだ。

 Aさんの実感では、その土地に合った野菜はおいしいという。逆に、よつ葉でも、消費者の要求に合わせて無理をしているようなものは、「見かけはいいがおいしくない」と厳しい指摘。

 総じて、「そこそこの値段でおいしい野菜がいただける、よつ葉の地場野菜はありがたい存在」という評価をいただいた。

 Bさんは夫婦二人世帯にもかかわらず、最大品目の「よつばの野菜セット」を毎週注文され、さらに「野菜大好き会員」にも登録されている。届いた野菜セットをどうにかこうにか調理して食べきるのが基本だという。

 その結果、この時期には何が届く、端境期には何も届かない、旬の時期には同じものが大量に届く、何年経ってもそれは変わらない、と思い知らされた。むしろ「それを受け入れ、それに沿って暮らしていけば健康になると分かった」という。

 実際、健康診断などでも、数値が良すぎて医者から何を食べているのか驚かれるほどらしい。「サプリメントを摂ったり、医者へ行ったりすることを考えれば、一番安価で簡単な健康法だと思います」。これがBさんの結論だ。


【地場以外から】

佐藤隆さん(やさか共同農場)

 最後に、地場以外の農家から見たよつ葉の地場野菜ということで、島根県・やさか共同農場の佐藤隆さん。冬は雪深く、都会からも遠く離れているという、地場の四地区に比べて条件のよくない弥栄で40年以上にわたって農業を続けてきた佐藤さんにとって、農業は「地域を背負っているつもりでやるもの」だという。

佐藤隆さん
 ■佐藤隆さん(やさか共同農場)
 そうした佐藤さんからすれば、地場の四地区には弥栄に比べてはるかに多くの選択肢と恵まれた条件がある。だから「生産者として、もっとありがたいと受け止め、会員さんの要望に200%応えた上で自分のやりたいことやって下さい」となる。

 さらに佐藤さんは畳みかける。

 「農業を農法とか自分の夢とか、そんなもので語るのはバカでもできる。プロならば地域の一つぐらい背負うべきだ」。

 「国の補助金は自分で使うだけではダメ。10人でも100人でも後に続く人を育てていきなさいよ」。

 「作物を育てることと同時に会員さんとの交流も農業の仕事の一つだと位置づけよう」。

 いずれも佐藤さん自らが実践されてきたのだ。

 最後は「こんなにしっかりした流通システムがあり、すばらしい会員さんもいる。生産者側が自分たちで10年後のビジョンを持つべき。しっかり担っていってほしいと思う」とエールで締めくくられた。


農村・農家の大きな変化

 ひとわたり発言が済んだ後、司会から、以下のような論題が提案された。すなわち、地場野菜の取り組みがはじまって20年が経ち、農村や農家の状況に大きな変化が生まれている。そうした現状についてどう考えるか、というものだ。

 アグロスの橋本さんは、先ほどの自らの発言を引き継ぎ、「いま、田舎で若い人たちが暮らせる条件があるかといえば、ないんですな」と指摘した。

 もともと近畿の中山間地の農業は兼業農家が中心で、親が高齢化すれば、子ども世帯が都会から帰ってきて、勤めながら親を支えて農業に取り組む事例がよく見られた。ところが、現在では農協も郵便局も役所も広域合併してしまい、人口減少で商売も成り立たない。

 かといって、農業中心でも暮らしは成り立たない。田舎で農業と言えば中心はコメだが、コメの値段は年を追うごとに下がっている。むしろ、これまでは兼業や年金を収入の軸として、コメ作りの実際の目的は田圃を維持することだった。しかし、今後は経費を賄うことすら難しくなるだろうとのことだ。

 この点は、津田さんの実感とも重なる。能勢でも、かつては地元で生まれ育った農家の子弟が都会で就職し、定年で実家に帰って60歳から80歳くらいまで農業に励む事例がよく見られ、これまではそうした農家が北摂協同農場への出荷の中心を担ってきた。ところが、ここ10年ほど、そうした構図が徐々に再生産しなくなってきているという。

 実際、80歳を迎えてそろそろ農業から引退を考える農家が現れる一方、その子弟が代わりに実家で農業するかといえば、そうでない方が圧倒的に多い。

 そうした状況の中で、いわば穴を埋めているのが吉村さんのような新規就農者であり、いくつかの地区では現在こうした人々に地場野菜の出荷の中心が移りつつある。とはいえ、彼らはこれから結婚したり子どもを育てたりする時期を迎えるため、稼ぎを得ることが農業の基本軸となる。従来の地場農家の中心だった定年帰農者の層とはスタイルが異なる。

 津田さんは「こうした変化の中で、これから先どうなっていくのか、というのが現状だと思う」と捉えた上で、「地場野菜が20年続いたことは大きな成果だが、一方で、これが次につながるようなものを生み出しているのか、という問題もある」と、次の論題を提案した。

                                   ★    ★    ★

 直接この点をめぐる論議はなかったものの、参加した会員からは、農家や地域、作物に関するいっそうの情報提供、生産者と消費者の交流機会のさらなる拡大といった、地場野菜に関わるいくつかの要望が挙げられた。その中で、「よつ葉の野菜はスーパーはもちろん、ほかの生協などと比べても高い。これから続けていくなら値段も考えてみてはどうか」との意見が論議を呼んだ。

会場のようす
 ■会場のようす
 会場の農家からは、豊作と不作で乱高下する市場価格に対して、地場野菜の買い取り価格が一定であることのメリットを指摘し、同時に会員でもあることから「年間を通してみれば、それほど高くはないと感じている」との実感が語られた。別の農家も、栽培する前に年間収入が想定できることの意義を強調した上で、「消費者が安いものだけを求めてしまうと、安い外国の農産物がどんどん入ってくる」と危険性を指摘。「農家が踏ん張れるのは、喜んで食べてもらえる消費者がいること。だから、よつ葉の地場野菜に参加している」と語った。

 また、先に発言された会員のAさんからは「たしかに市場価格よりは高いが、安全な食べ物を買うことはプラスの支出。マイナスを埋める支出ではない。その意味で高いとは言えない」。Bさんからは「年間を通じてみると安い。しかも、医者も薬局も必要ない。圧倒的に安い」との意見が寄せられた。

 かつては流通側のよつば農産に、現在は生産側に位置する津田さんは、農家に対する買い取り価格は再生産可能な水準を軸としており、正当な価格であると強調。よつ葉が中間に介在することで販売価格が高くなっているのは確かだが、それは地場野菜のシステムを維持するために必要なものであり、またよつ葉で人間らしい職場環境をつくることも、食の事業や地場野菜の取り組みと関連している、との事情が説明された。


参加者からの感想

魅力を感じられる野菜を


 就農して20年程になりますが、安心・安全という思いのもと無農薬・無化学肥料で栽培をしています。

 不揃いであったり形がいびつなもの、時には全滅ということも多々あります。

 年間100種類以上の野菜を作っている中、試みた作物は更に多岐に亘りますが就農当初より作付けの種類は減りつつある現状です。

 売上げを増やそうとすると、売れ筋であったり確実に多くの量を栽培できるものに収束化する傾向となり、結果、栽培種類は減り、四季折々の豊かさが感じられない魅力のないものとなりがちです。

 今回、よつ葉の野菜が大好きな方々の声を直接聴き、また、よつ葉の野菜を中心に献立を考えてくれる人がいて、とても嬉しく思うと同時にすごく勇気づけられました。

 そういう方々の期待に応え、目先の現状に流されることなくより一層魅力を感じられる野菜を作り続けていきたいと強く思いました。
                 (森下智裕:アグロス胡麻郷)


地場野菜のこれからを考えるために


 お話を聞きながら、昨秋まで3年間、よつば農産で地場野菜を担当した際のことを想起していた。

 その際に感じたのは、野菜が自然の産物だということだ。品種改良や栽培技術によって一定の管理はできるとしても、無から有を生み出したり、土から生まれ・成長し・土に返るという生命の営みを離れることはできない。これは当然と言えば当然だが、野菜を単なる商品として見てしまえば、予定どおりに成長しなかったり、形や味がバラバラだったりすることがおかしいという、倒錯した捉え方になってしまう。私もそうなりがちだった。

 とはいえ、現実には商品として売買しており、それによって生産と消費の関係をつないでいることも事実である。だから、一定の規格に合わせたり、数量や姿形を問題にしたり、栽培方法について云々しなければならない。本来は商品でないものを商品として売買するのは、それだけ見れば矛盾した行為になる。もちろん、よつば農産だけの話ではない。農家も会員も含め、大なり小なり矛盾を抱えている。それは簡単に解消できるようなものではない。

 よつ葉の地場野菜とは、各々が潜在的に抱えているこうした矛盾を自覚的に共有していくための装置なのかも知れない。とすれば、その向かう先は生産・流通・消費がさらに密接に結びつき、矛盾を超えるための取り組みを協同して行うことにあると思う。この点では、まだまだやるべきことがあるはずだ。

 たとえば、地場野菜は袋に生産者名が書かれていない。いまどきスーパーの一角でさえ、農家の顔写真入りの野菜が置かれるような時代だ。消費者にとって地場野菜は、物理的な距離はともかく心理的な距離は遠いのかも知れない。しかし、本当にそうか。個人名が特定できれば近いのか。むしろ個人名や顔写真が一種の「記号」となり、農業を個人の営みとしてのみ捉えることにつながる可能性もある。あえて個人名などを記していないのは、野菜を作った農家個人だけではなく、その野菜が生まれた地域の状況、またそうした地域と自らが暮らす場所との関係について考えてもらう仕掛けでもあるだろう。

 もちろん、それを言うだけでは“お題目”に留まることも確かである。よつ葉の会員も世代交代が進む中、地場野菜に込められた理念や主張をどう伝えられるのか、よつば農産にも摂丹百姓つなぎの会としても、消費者と生産者の間を取り持ちながら、地域の有り様を含めて共有していけるような取り組みがいっそう求められるだろう。

 さて最近、地場の四地区にも近い田舎にある我が家の周囲では、コメ作りに向けてにわかにあわただしさを増している。ただし、田圃で耕耘機に乗ったり、畦で刈り払い機を動かしているのは、ほとんどが高齢者だ。現在、私の隣組は3軒。昔はもっといたそうだ。その中で農業をしているのは60代の隣家のみ。子どもは町に暮らしており、手伝いに顔を見せることもない。この世代が引退してしまえば、おそらくそれに代わる担い手は現れてこないだろう。地場の四地区とも、おそらく事情は似たり寄ったりだろう。

 橋本さんが言われたように、こうした世の中の流れに対して、よつ葉の地場野菜が、これまで何らかの形で部分的な防波堤となり、地域の農業を下支えする役割を果たしてきたことは間違いない。と同時に、これも橋本さんが言われたように、農業衰退に向かう世の中の流れはあまりに強く、地場野菜の取り組みだけでは押しとどめようもない状況にあることも事実である。しかし、だからこそ、これまでの成果を踏まえ、現状を正確に知った上で、今度どのような役割を果たしていけるのか、改めて考えるべき時期にさしかかっていると言える。

                                ※

 そうした意味も含め、このたび当研究所では地場野菜に関する研究会を設立します。

 専門的な知識とノウハウを持った研究者を軸に、客観的なデータを蓄積し、地場野菜の現状を多角的に分析するための基礎を固めていく予定です。よつ葉全体にとっても、今後の方向性を探っていく上でも、重要な作業となるはずです。

 多くの皆さんの積極的な参加と協力をお願いします。       
                                
(山口 協:研究所代表)

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