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アソシ研リレーエッセイ

性別分業と性差別を歴史の底流から見れば

小さな会社を経営することになって社会保険の事務を自分でやって初めて知ったのだが、独身の社員と妻帯者とは給料が同じなら保険金は同じである。それでいて専業主婦は健康保険も使えるし、一定の年齢になれば年金もちゃんと支給される。共働きの夫婦と比較してもいい。彼らはふたり分の保険金を払っても、支給される健康保険や年金は専業主婦とその夫の場合とさして変わらない。いわば専業主婦を保険制度にただ乗りさせているわけだ。年金財政が破綻するのはこのためだ。高度成長を支えた企業戦士たちが次から次へと退職し、また、企業戦士を支えた専業主婦にも年金の支給が始まった。つまりひとり分の保険金しかもらってなかったのに、ふたり分の年金を支給するのだから、財政がもつわけがない。

税金もそう。扶養控除などというのも、本来は企業が妻の家内労働に対して支払うべき報酬を政府が肩代わりしているわけだ。ただし前々回の高木くんによると「専業主婦の評価額はひとり年間300万円になる」そうだが、政府が控除するのはたった120万円だ。これがまた、主婦を安いパート労働に駆り出す基盤になっているのだから、企業は二重どころか三重に搾取している。

専業主婦を必要としたのは企業である。自分たちの政府によって専業主婦を支援する保険制度と税金制度を作らせた。そして企業戦士とか社畜とか呼ばれる夫には24時間365日の貢献を求めた。家政婦のように身のまわりの世話をしてくれて、グチまで聞いてくれる専業主婦の妻がいて初めて可能である。

専業主婦の歴史は意外と短くて、戦後の企業社会が生み出した。農業にしても商業にしても妻も夫と同じように働かざるを得ない。あるいは夫の給料が少なければ妻も働かなければならないから、専業主婦になりようがない。勿論そんな場合でも家事労働は妻の負担が大きいから、それは搾取の問題というよりは性別分業と性差別の問題だと思う。

歴史家の網野善彦さんは日本の歴史の底流には東日本と西日本を起源とする2つの文化があることを提唱した。東は縄文文化、狩猟採集文化、男権文化。西は弥生文化、農耕文化、女権文化。これが南北朝時代にガラガラポンされたが、今でも根強く底流を形成している。

ここからは筆者の独断だが、武士は男権文化、商家は女権文化。住み込みで従業員を抱えていた商家や職人家庭にすれば、家事労働は大事な家業の一部であり、そもそも「女将(おかみさん)」という呼び名は敬称である。明治維新が薩摩と長州の武士によって達成されたことで、明治政府は非常に男権的な文化をもつことになる。近代化以降に生まれた企業もまた男権的である。大阪ではしっかり者の妻がだらしない夫を支える話が定番として定着しているし、東京都議会は今でも自民党が第1党の座を守っている。

日本では古くから女性が文字をもった。このことが女性の地位の向上につながった。たとえば江戸時代の関東の養蚕地帯では、商売は妻が行い、農業部門を夫が担っていたことが報告されている。養蚕だけではなく各地で商品生産農業が発達しており、それらの地域でも女性が大事な役割を担っていたのではないか。当時の商売は掛売が中心だから文字は不可欠である。

そもそも、男も女も同じように歌を詠み、万葉仮名が生まれ、女性も中国伝来の漢字に触れることができた。男性にとっては漢字は中国語のものだが、女性は中国語から遠かった分、漢字に対して柔軟で、万葉仮名から平仮名を作り出した。

女性問題も明治以降の鏡に映るものだけを見ると、それ以前の日本の姿を見誤ることになる。

(河合左千夫:やさい村)

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