title
HOME過去号>145号

中国オルタナティブ農業ネットワーク訪問(中)

中国北京でよつ葉の取り組みを話す

昨年11月、中国・北京市と山東省の計4ヶ所を訪問し、中国におけるオルタナティブ農業ネットワークの一端を見学する機会を得た。今回は、北京におけるファーマーズ・マーケットの取り組みについて報告する。

(3)背景をめぐって

輸出から始まった有機農業

前号で、中国北京郊外における有機農業、社区支持農業の先駆的な取り組み事例を紹介したが、その背景などについて簡単に触れておきたい。

中国最大の検索サイト「百度」のオンライン事典『百度百科』には、次のように記されている。

「我が国の有機農業の発展は80年代に始まる。1984年に中国農業大学が生態農業と有機食品の研究と開発を開始し、1988年に国家環境保護局南京環境科学研究所が有機食品の科学研究事業を開始するとともに国際有機農業運動連盟の会員になった。1994年10月に国家環境保護局が正式に有機食品発展センターを設立し、我が国の有機食品開発はようやく制度化に向かった。1994年に遼寧省が開発した有機大豆が日本に輸出された。以後、我が国の各地では多くの有機食品基地が陸続と発展し、東北三省や雲南、江西などの辺鄙な山岳地帯では有機農業が比較的速く発展し、この数年、すでに数多くの外国貿易会社と連携した生産基地が、たとえば有機豆類、落花生、茶、ヒマワリの種、蜂蜜など、多くの種類の製品開発を行い、同時に国内の有機食品の電子商取引のウェブサイトは、たとえば代表的なものとして「郷土公社網」「有機厨房網」など、雨後の筍のように盛んに発展している。現在、圧倒的部分の有機食品はヨーロッパ、米国、日本などの国々に輸出されている。全体の情況から見れば、我が国の有機食品の生産は現在、依然として初歩段階であり、生産規模はかなり小さく、しかもほぼすべて国際市場に向かうため、国内市場はほとんどゼロに近い。」(註1)

有機農産品が何よりも海外輸出用の商品作物として栽培されたことは、私たちが有機農業に関して抱きがちなイメージとは大きく異なる。この点については、次のような指摘もある。

「中国の有機農業は1990年代に輸出向け農産物生産として始まった。有機農産物とその加工品には生産から流通に至る一貫した厳密な生産管理が求められるため、国内市場と完全に隔離された流通経路が形成された。有機農産物は契約農家が企業の指示に従って生産し、品質検査を経て出荷される。経済発展にともない、次第に国内の富裕層向け市場でも販売されるようになった。」(註2)

当初から市場化の中で形成されてきただけに、その進展と規模は相当なものである。

「現在、中国における有機製品の認証機構数は24で、有効な認証証書を10,478枚発行しており、証書を獲得した企業は7,266社で、全国1,614の県に分布している。中国における有機農業の生産面積は既に272万ヘクタールに達し、全国の耕地面積の0.9%を占めており、世界第4位である。有機製品の国内取引額は約800億元であり、年間輸出額は約4億ドルである。」(註3)

交差する日本と中国の状況

日本や欧米諸国における有機農業は、ほとんどが市場化とは無縁なところから、むしろ農業の市場化を批判し、それに対抗する運動として取り組まれてきたことを考えれば、彼我の違いは歴然としている。日本で言えば、1971年に日本有機農業研究会が設立されて以降も、有機農業は長らく周縁化され続けてきた。農協や農政といった主流から一定の認知を得るようになったのは90年代以降。2000年の「有機JAS」成立に至って、ようやく制度化が行われることになる。もちろん、その背景には有機農産品市場の成立、中国を含む諸外国から輸入される有機農産品の増大といった事情があった。つまり、日本では運動に始まり後になって有機の市場化が進んだのに対して、中国では当初から有機は市場化されていたのである。

とはいえ、前号の張志敏さんの事例に見られるように、いま中国で行われている有機農業の中には、日本や欧米の有機農業運動とも共通する問題意識も見られる。これは、中国側が先行する諸外国の事例から学んだということもあるが、何よりも改革開放政策に伴う農業や食の分野における市場化・産業化への反省がある。つまり、農薬や化学肥料などを多用する近代農業の弊害が、食品の安全性に対する懸念や自然環境に対する汚染として、現実的な脅威になってきたのである。

実際、中国国内では食の安全にかかわる数多くの事件が発生している。とくに社会的に大きな問題となったものだけでも、メラミンが混入された粉ミルクによって乳児に死者、腎臓結石などの健康被害をもたらした事件(2008年)、市場に流通する豚肉の中から広範囲に成長促進剤が検出され、畜産全体にわたって抗生物質や消毒薬の多用が指摘された事件(2011年)などが挙げられる。

あるいは、ここ数年にわって排水溝や下水溝から食用油をリサイクルする「地溝油」が話題となり、産地や成分の偽装、残留農薬などの問題にいたっては枚挙に暇がない。

さらに目を転じれば、大気や河川、地下水の汚染といった、食品生産の基盤にかかわる問題もある。中国における大気汚染については以前から耳にしていたが、今回の中国訪問の際には、現実の一端を垣間見ることになった。地域や時間帯によって違いはあるが、いずれにせよ「抜けるような青空」は望めない。酷い場合には昼過ぎにもかかわらず辺り一面を灰白色の霧が覆い、前の車の姿すらおぼつかない。街を行き交うのもマスクをかけた人が多い。

朝のテレビでは、気象情報の中にPM2.5の濃度や霧の発生状況を知らせるコーナーあり、北京市をはじめ河北省、天津市、山西省、山東省にかけて汚染が広範囲に滞留している状況が見て取れる。人間の健康に対する影響はもちろんだが、日照時間の減少によって農作物の生育にも悪影響が出ているとのことだ。

もっとも、歴史を振り返れば、水俣病や四日市ぜんそく、イタイイタイ病、森永ヒ素ミルク事件やカネミ油症事件、農薬による被害、食品添加物の多用、各種の偽装など、日本でも同様の問題が発生している。そうした少なからぬ犠牲者と引き替えに、近代農業あるいはその背景にある世の中のあり方を批判し、その変革を展望する各種の試みが生まれた。有機農業運動もその一つである。

その意味では、現在の中国もかつての日本と同じ道をたどっている面がたしかにある。歴史的経過や社会的状況は大きく異なるものの、中国でも運動としての有機農業ないし社区支持農業が現れ、市場化の中での持続可能性を模索する段階という点で、日本の私たちと交差している状況なのではなかろうか。

(註1)「有机农业」『百度百科』 http://baike.baidu.com/item/有机农业/1831282

(註2)山田七絵「知られざる有機農業大国」『フジサンケイビジネスアイ』2015年11月10日付 http://www.sankeibiz.jp/macro/news/151110/mcb1511100500008-n1.htm

(註3)李顕軍「中国における有機農業発展の現状と展望」、田中仁・思沁夫・豊田岐聡 編『中国の食・健康・環境の現状から導く東アジアの未来』OUFC BOOKLET, vol.8、2016年2月、23~24頁。

(4)北京有機農夫市集

ファーマーズ・マーケット

さて、事例の紹介に戻ろう。「農夫市集」とはファーマーズ・マーケットを意味する。その名のとおり、有機農家や小規模な加工業者が集まり、北京市内の各地で定期的に即売会を開催する取り組みである。

2010年9月に創設された北京有機農夫市集(以下、市集と略す)は、当初は月1回の開催に始まり、現在は週3回、北京市内のショッピングモールなどで定期市を開催するとともに2ヶ所の店舗を構えている。北京市の東北、三環路と空港への高速道路が重なる三元橋には、本部を兼ねた店舗「集室」がある。地下鉄駅に続く開放型ショッピングモール鳳凰商街の一角。スモッグで煙る景色の中、辺りには高層マンションが建ち並んでいる。大阪で言えば、江坂や千里中央のような感じだろうか、都心に勤める中流層が多く住んでいる地区である。

市集の縁起は非情に興味深い。設立の中心になったのは、前号で紹介した小毛驢市民農園で土地を借り、農作業を楽しんでいた日本人の芸術家や米国人の学者であり、参加者の多くはその友人たち。つまり、「農夫市集」と言いながら、農家や消費者の取り組みというより、むしろ外国人や文化人によるイベントに近いものだったようだ。その後、現在の中心的な世話人である常天楽さんが参加したことで、市集は今日のような形に発展していった。

常天楽さんは当時、米国のNGO農業貿易政策研究所の北京駐在員として中国の食品システムについて研究していたが、米国留学時代に体験したファーマーズ・マーケットを思い出し、参加するようになった。ただ、先に触れたように、当初の市集は一般の中国人とは隔絶されたような状況だったため、できるだけ一般の中国人が消費者の主体となるような運営にしていくことが課題となった。

転機となったのが、微博(註1)のアカウントに登録したことだ。微博を通じて、市集は急速に大衆的な認知を獲得するだけでなく、運営を担うボランティア志望者をも集めることになった。とはいえ、微博はあくまできっかけに過ぎない。中国の経済成長に伴う中間層の拡大、食品の安全をめぐる社会的不安の拡大といった基底要因が存在してこそ、大衆的な関心を呼び得たと言える。

現在、市集が開催する定期市に参加する農家や加工業者はおよそ30軒、来場する参加者は数千人を数えるまでになった。

(註1)中国のSNS。ミニブログとも言われる。「微」は「マイクロ」を意味し、「博」は「博客(中国語でブログ)」の頭文字。中国では、Twitter、Facebook、YouTubeなど海外のSNSが政府によって規制されている。

北京有機農夫市集の事業

市集の運営は当初、常天楽さんをはじめボランティアの手弁当によって担われていた。ところが、2~3年で急速に発展したのに従って必要な業務は質量ともに増え、ボランティアに頼った組織運営では立ちゆかなくなった。2013年になって、ようやくフルタイムの3人に限り1月3000元の給料を出せるようになったが、一般的な労賃にはほど遠い(現在は一律ではなく、労働時間に応じて額を決めているという)。その後の模索を経て、現在は次の四部門を収入源とすることになった。

①定期市の出展者が拠出する出展料。出展者のほとんどが経営の初歩段階にあることから、市集は長らく出展料を徴収していなかったが、2013年5月から徴収を始めた。出展者は規模の大きさや内容によって、小規模生産者(微型生产者)、家庭農場・加工場(作坊)、生産業者と大型企業(业生产者和大型企业)3つの部類に分けられ、毎月200元~1500元を拠出する。ただ、やはり生産者の支援・育成が必要だとの主旨から、一般に生産者の市集での販売収入の5%を超えない、安価な額だという。

②定期市の企画・開催による収入。2012年あたりから市集の集客力が次第に高まるにつれて、市集に料金を払って定期市の開設をもちかける業者が現れ始めたという。

③店舗からの収入。一つは、先に挙げた三元橋の「集室」。2013年末に開設され、会議スペースとキッチンがついており、「コミュニティセンター」という位置づけである。後述するようにイベントの開催も可能だ。もう一つは北京北郊、オリンピック森林公園の西に位置する「集室堂」。これは、閉鎖型ショッピングモール華潤五彩城の地階にあるため、「コミュニティセンター」の機能はない。

どちらの店舗も、明るくおしゃれな「ロハス系」で、いかにも都市の中間層が好みそうな雰囲気を醸し出している。野菜などの生鮮品は地元北京の生産者から入荷し、肉類(冷凍)や油、米、調味料などの加工品、化粧品や手工芸のクラフトは、中国全土から入荷している。

④大口団体購入からの収入。旬の農産物、とくに足の速い果物などは、定期市や店舗で売り切れない場合があるため、事前に予約を募り、団体購入の方法を通じて消費者に販売する。

「PGS」を軸とする関係を目指す

「有機農業に従事する農家が消費者と直接関係を持ち、交流できるようにすることで、消費者が安全・安心な製品を探すのを助け、また農家が市場の販路を拡大するのを助け、さらに多くの農家が有機農業に従事するよう励まし、それによって化学肥料と農薬のもたらす環境汚染を減らし、食の安全を守り、公平な交易を実践する。」

市集の案内には、そう記されている。ここで問題となるのは、消費者への大きな訴求力となる産品の安全性や安心の担保だろう。同じく市集の案内には、参加する生産者の基準として、以下の5点が挙げられている。

「①有機理念を認め、栽培過程で農薬と化学肥料を使わず、合理的な飼育密度で、放し飼いを主とし、抗生物質とホルモン剤を含む飼料を与えない。②独立した中小規模の農家。③透明な公開、生産様式と方法(種・肥料・飼料の出所、病気や害虫を防ぐ方法、動物の生活空間と密度、ビニールハウスの使用不使用を含む)を消費者に伝達する意思、消費者の情報獲得を支援、消費者権益の保護。④合理的な規模、持続可能な発展と経営。⑤協同の精神を備え、その他の農家や消費者と共に問題を解決する意思。」

この点で市集が拠り所としているのは「PGS(Participatory Guarantee System)」(註1)という考え方である。中国語で「参与式保障体系」、日本語では「参加型有機認証制度」と呼ばれるが、もとは国際有機農業運動連盟(IFORM)が提唱した概念であり、簡単に言うと、たとえばJAS有機のような第三者認証とは違い、生産者と消費者が共に参加して農産物の品質を保証するしくみである。 というより、農産物を媒介として生産者と消費者が緊密に結びつく関係そのものと言ってよいだろう。

政府など公的機関が認可する第三者の有機認証システムは、もともと産業的で輸出型の生産者・企業を対象としたものである。そのため、認証の基準は科学的な成分分析が中心となる一方、個々の抱える事情、たとえば地域や風土との関係、環境に与える影響などは省みられることはない。認証費用は高額に、手続きは複雑になった結果、小規模な生産者は必然的に排除されざるを得ない。

また、少数の当事者による認証よりも、むしろ消費者など利害関係団体の広範な参加を促し、生産の過程を共有することによって、主流の認証システム以上の安心を確保でき、より広範囲に品質に対する信用を発信できる。「PGS」の背景には、こうした問題意識がある。

(註1)有機農業と参加型認証システム(PGS) http://www.ifoam.bio/sites/default/files/pgs_brochure_japanese.pdf

よつ葉の取り組みを紹介する

ここで少し話を変えよう。今回の中国訪問にあたっては、紹介者の潘傑さんから一つの依頼を受けていた。それは「日本の有機農業の歴史とよつ葉の取り組みについて1時間ほどセミナーをしてほしい」というものだ。明らかに適性を欠いてはいるが、同行者もいないので仕方なく引き受けることになった。言葉は通訳で何とかなるが、問題は考え方だ。よつ葉はもともと有機農業を目指したわけでもなく、とりわけ地場野菜の取り組みを見れば、農産物の生産基準は正直ゆるい。もちろん、それには相応の理由があるとはいえ、それが中国の人々に通じるのか、心許ない部分も大きかった。

また、訪問前の段階では、聴衆がどんな人たちか、どんな考え方を持っているかよく分からない。食品の安全性が社会問題となっている中国の事情を考えれば、もしかすると非常に厳格な基準を指向する人々かも知れない。そうなると相互了解は難しいのではないか。そうした懸念もあった。

結果から見て、少なくとも市集関係者にかかわる限り懸念は杞憂だったが、ともあれ簡単に状況を紹介したい。

時間は午後8時から、場所は三元橋の「集室」会議スペースで行われた。15畳ほどの空間に参加者はおよそ20~25人ほどだったと思う。最初に簡単な自己紹介があったが、市集関係者のほかにも微博の告知で知ったという消費者や農家の人々が参加しており、緊張感は高まらざるを得ない。もっとも、まずは潘傑さんが中国語で簡単によつ葉の紹介をしてくれたので、だいぶ気が楽になった。

話の前に、参考までに持参したよつ葉のカタログ『life』を配布すると、たちまち飛ぶように吸い込まれ、関心を持って見てくれている。宣伝効果は抜群だ。売り上げにはつながらないが……。

さて、話の内容は、日本の戦後史を振り返りながら工業化の進展と農業の衰退、農政の変化、有機農業運動や産消提携の背景について触れ、要点として日本有機農研の「提携10ヶ条」を指摘し、それとの関連でよつ葉の地場野菜の取り組みを紹介するものだった。思い描いていたようには話せず、文字どおり「汗顔の至り」だったが、質疑応答も含めて2時間ほど、何とか凌ぐことができた。

会場からの質問としては、「“奇跡のリンゴ”の木村さんのリンゴをどう評価するか?」という返答に困るものもあったが、おおむね「販売されている農産物の中で有機の割合はどれくらいか?」「日本には生協という組織があるそうだが、価格や運営の上でよつ葉とどう違うのか?」「一般の農産物と有機農産物の価格差はどれくらいか?」、さらには有機栽培に関する基準や違反に対する処分の内容といった専門的なものもあり、関心の高さが伺われた。

大阪に帰ってから、改めて市集について文献を当たってみると、上述のように、事業目的や有機認証に対する考え方などの面で、共通する部分が大きいのではないかと気づいた次第である。

「よつ葉」が目標?

ところで、市集に関する文献の中で目にとまったのが「農夫市集の進化論 無料の公益はどこまで行けるか?」(【参照】③)と題する文章である。ここでは非営利の公益事業を目指す市集の立場と、それを持続するために必要とされる商業性との相克が問題にされ、その解決の方向性として「社会的企業(Social Enterprise)」の概念が参照されている。

「私たちは新たな制度の建設を試み続けます。たとえば農家・消費者・第三者の共同参加による管理委員会の建設を計画し、この管理委員会からいくつかのNGO組織に権限を与えて農夫市集の管理を計画し、こうして徐々に規範に合わせるというように」。

文献の時点では、遠からずこうした観点から法人の設立・登記を行うつもりだと記されている。また、北京だけでなく、上海、広州、成都、南京、武漢など民間公益組織が呼びかけて運営する農夫市集があり、未だ市集を展開していない都市にも、常天楽さんらが働きかけを行っていることを踏まえ、全国的な公益組織ないし社会的企業のネットワーク(原文は「联盟」)形成が展望されている。

驚くべきことに、そうしたネットワークのモデルとして取り上げられているのが、「日本关西地区的“四叶草联盟”」すなわち関西よつ葉連絡会だ。

「国内の農夫市集について言えば、『よつ葉連絡会』の提起する『小農家と小生産者の社区支持ネットワークとセーフティネットの建設』が、『地域を基礎にした、安全な食品と自然環境の保護』、『各種の消費者間および消費者と生産者の間の交流活動を提供する』といった理念は、いずれも学習と参考にする意義を高く備えている。」

「さらに参考に値するのは、『よつ葉連絡会』がトップダウンの大企業ではないことである。それは1つのネットワークのようであり、その中の配送センター、牧場、農場、工場、商店など、それぞれがすべて独立した会社として運営され、ただそれらはまた同時に1つの協力メンバーとして『よつ葉連絡会』というネットワークに参加する。このネットワークの中で、それらは統一の情報提供、物流、社会福祉を共有し、市場、自然災害、政府の政策がもたらすリスクを共同で引き受ける。」

「常天楽らのボランティア組織の見るところ、『よつ葉連絡会』は彼女らの目指す目標の一つであり……」

これは多分に潘傑さんの理解するよつ葉のイメージが元になっていると思われるが、こうした側面での交流や意見交換が可能な状況を迎えていることは間違いない。残念ながら、今回の訪問では事前の情報収集も不十分で、突っ込んだ話をする時間もとれなかった。

ちなみに、当該文献の最後は、次のように記されている。

「しかし、ネットワークに到達する途中、商業モデルによってプロジェクトが徐々に公益の道から背離することはないだろうか。規模拡大の後、製品の供給と消費需要の間の平衡は壊れないだろうか。……この過程でどれほど未知の挑戦に直面するだろうか? いずれもさらに探求が必要である。」

市集に参加する「新農民」

散会後、いずれも流暢な日本語を話す二人の参加者と話をする機会を得た。一人は清華大学の先生をされている女性(お名前を失念)で、ご自分の周囲で生協のような組織を立ち上げようと考えているとのこと。すでに日本の事情などは十分ご存じのようである。よつ葉の有機基準などについて質問をいただいた。

もう一人は柳剛さんという48歳の男性で、かつては日本企業に勤め、日本での生活経験もあるが、しばらく前に退職して農家に転身、現在は北京空港の近くで軟弱野菜を中心に有機栽培を行っているという。宿泊先への帰路、地下鉄に乗りながら伺ったところでは、「小柳樹農園」と名付けた自らの農園は面積およそ100ムー(日本で言えば7町歩)、栽培品目は約70種類だという。スマホで野菜の写真を見せていただいたが、どれも端正で丁寧に手をかけている様子が伺える。

「日本に行く機会があると、農業の専門書をたくさん買うんですよ。『現代農業』とか。重ねると1メートルくらいになります」

ちなみに、住んでいるのは北京の中心部だそうだ。農場の近くでのどかに暮らしたいとは思うものの、まだ小さい子どもの教育を考えると、教育水準の高い市内から離れられないらしい。そのため、農場には毎日通勤しているという。中国らしい話ではある。

実は、市集に出荷している有機農家のほとんどは柳剛さんのような「新農民」である。

「現在、北京有機農夫市集に参加する農家、店舗経営者、社会企業、NGOは全部で40軒あまり、毎回市集に来るのはだいたい30軒くらい。そのうち農業に従事しているのはおよそ20軒あまりである。その他は手作業の食品加工場や環境にやさしい日用品を作っている町工場、さらに市集の理念に一致した食堂や喫茶店、社会企業などである。大部分の農家は「新農民」であり、以前は必ずしも農業をしていたわけではないが、環境汚染や食品安全、三農問題などの社会問題に対する反省から、彼らは転じて生態農業に従事した。そのうち3分の1は「半農半X」の状態で、農業をする以外に他の仕事を持ち、仕事を通じた収入を農業に補填している。農村の出身者もいるが、しかし他の業界で働いた経験があり、あるいは一般の農業(例えば飼料業界、大規模な農業企業など)に従事したことがある。むしろ伝統的な意味での農民は1軒だけ。しかし、大部分の小農場は仕事の手助けに地元の農民を雇い、地元の農民を引っ張っていけるよう望んでいる。」(【参照】④)

「現在、農夫市集の毎回の売上高はおよそ15万元~25万元くらいであり、こうした「新農民」にとってみれば、基本的に損を出さない状態の維持に始まり、時が経つにつれて、大部分の農家は市集という場所を通じて、同じ水準の維持から利益が上がり始めるが、しかし本当に投資を回収することができ、適正な収入があるのは3~4軒にすぎない。一方、毎回の市集の顧客は一般的に1000~2000人に達し、そのうち数百人はほとんど毎週来場し、毎週の市集もさらに多くの新たな客をもたらすことができる。持続的に増加する顧客もまた、農家たちが市集に参加する最大の原動力だ。」(同前)

「農民」と「新農民」

後日、華潤五彩城の「集室堂」前で行われた定期市を見学した際、上で「1軒だけ」と記されている「伝統的な意味での農民」陳艶紅さんに話を聞くことができた。

陳さんは北京市の東北郊外、順義区に住む農家である。行政上は北京市に含まれるが、北京空港があることからも分かるように、ほとんどが農村地帯である。2ムー(1町歩弱)の菜園と3ムー(1.3町歩)の耕地で野菜やトウモロコシを作り、裏庭で放し飼いの養鶏をしているという。

代々の農家だが、すでに家業としての農業はしておらず、野菜作りや養鶏はもっぱら自家用だった。そのため、わざわざ化学肥料や農薬を使う必要もなく、鶏糞などを積み上げて堆肥をつくり、昔ながらの方法で季節に応じた野菜を植え続けてきたという。大学生だった親戚の子どもが市集の噂を聞いて連絡を取ったことが市集との接点らしく、かなり早い段階から参加したらしい。

定期市で即売すれば、一回当たりの売り上げはおよそ2000~3000元になるが、だからといって陳さんは営農面積を拡大しようとはしない。これまでどおり自家用の余剰分を販売するというスタイルを継続している。鶏肉や卵にしても、基本的に馴染みの客を相手にし、とくに請われれば販売する程度だ。

というのも、営農面積を増やせばそれだけ投資や経費が必要になり、手をかけるのが難しい部分も出てくる。そうなれば、品質の水準を維持できなくなり、これまでの信用が失われてしまうからだという。

市集に参加してよかったこと、苦労することを尋ねると、「自分がつくったものを食べてくれる人ができたのはよかったけれど、とにかく農業は天候に左右されるし、たくさん手をかけなくちゃならないから大変だよ」との答え返ってきた。

よつ葉の地場野菜に携わった経験から考えてみると、陳艶紅さんのような「農民」は古くからの地場の農家、柳剛さんのような「新農民」は才覚溢れる新規就農者といった感じで、比較的想像しやすい。ただし、日本の場合なら、市集のような定期市をするにしても、軸となるのは圧倒的に「農民」ではなかろうか。陳さんに限らず、自家用に野菜をつくり、余れば友人知人にお裾分けしているような農家は、おそらく他にもいるはずだろう。

そうした「農民」は市集には参加しないのだろうか。あるいは別に自分たちで市集のような取り組みをしないのだろうか。「農民」と「新農民」との関係は、いったいどのようなものなのか。

現実の一片を知ることで新たに考えるべき問題が生まれてきたが、残念ながら、この点については後の課題とせざるを得ない。(つづく)

【参照】

①北京有机农夫市集的博客 http://blog.sina.com.cn/farmersmarketbj

②蒋亦凡「一个共同的农夫市集的PGS之路──参与式保障体系促进CSA发展的�­验」『比邻泥土香』第八期、社区伙伴出版、2016年4月 http://www.pcd.org.hk/sites/default/files/publications/Fragrant_Soil_8.pdf

③张逢「农夫市集进化论 免费的公益能走多远?」『公益时报』2012年2月21日 http://gongyi.163.com/12/0221/10/7QPFMIF400933KC8.html

④殳俏「北京农夫市集:构建“食物共同体”的尝试」『华尔街日报』2012年10月29日 http://cn.wsj.com/gb/20121029/TRV082620.asp

⑤何姗「北京那个有机农夫市集,到底是怎么办起来的?」『好奇心日报』2015年6月12日 https://www.qdaily.com/articles/10587.html

⑥张薇「有机农夫市集的中国现实」『新商务周刊』2013年第6期 (転載)http://www.yogeev.com/article/29783.html

⑦北京小柳树农园 http://www.yogeev.com/ugc/62923.html

(山口協:研究所代表)


200×40バナー
©2002-2017 地域・アソシエーション研究所 All rights reserved.