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地域・アソシエーション研究所がめざすもの

切実な怒りと・根源に迫ろうとする思考と・地域に根ざした方法

地域・アソシエーション研究所は2002年の設立より15年目を迎えました。当時を思い起こしてみれば、前年の9月11日に起こったニューヨークの「同時多発テロ」の衝撃が甦ってきます。ソ連、東欧の社会主義政権の崩壊と中国の資本主義市場経済への積極参入によって、第2次世界大戦後の世界秩序が大きく変動を遂げつつあるなかで、それは始まりつつあったアメリカンヘゲモニー終焉後の世界の奥深い困難さを感じさせるに十分なものでした。そして、私達にとっても、自らが依拠してきた社会変革への基本構想、主体形成にむけた思想根拠の再構築を強くつきつけるものだったと思います。

そんなに深く学習して来たわけでもないのに、マルクスの分析した資本主義批判を拠り所として、より善き社会の実現には資本主義市場経済システムに換わる経済システムが不可欠であり、その手段としての国家権力掌握、その中心的主体としての党建設、という思想で1980年代までは走っていました。薄々は、手段であるはずの組織づくりが、自己目的化してしまっているのではないか、とか、こんなにも資本主義経済の実態に無知で本当にその変革が可能なのか、とか疑問符だらけだったことに気付き始めてはいたのですが。1989年のベルリンの壁崩壊、中国での天安門事件、1991年のソ連・東欧諸国の崩壊が決定的一撃となって、自分達が漠然と支えにしてきた社会変革のモデル、理念そのものを再構築しなければという思いは確信となりました。

同時に、その時期には政治活動を持続的に続けていく手段として、会社組織を創って取り組んできた、主に食にかかわる事業活動が大阪府の北摂地域を中心として、小さくはあっても、人を雇用し、会社組織を運営し、零細中小企業として協同していく組織づくりが進む状況までに発展しつつありました。資本主義システムに組み込まれてある事業活動と社会変革にむかう理念を、手段と目的という二元論で片付けてしまうわけには、もはやいかなくなっていたわけです。自分達が経営に責任を持つ会社での労働のあり方。自分達が販売する食品の質。農業のあり方や畜産のあり方。自分達自身の消費のあり方。資本主義システムの中にあって自分達が創り出しつつある経済活動が、それを越える質を持ちうる可能性を萌芽的にも生み出すものとして意識されねばならない段階に至っていたのだと思います。

そうした問題意識の中から、いくつかの、今日に受け継がれている事業活動の形態が生まれています。会社規模をあまり大きくせず、職場における人間関係をできる限り豊かなものとしていく努力。食品を販売する方法も、購入してもらう家族の生活丸ごととかかわっていく意識と方法を大切にすること。食べ物が生産される現場を、できる限り自分達でつくり出し運営していくことで、生産と消費の遊離、対立をむしろ積極的に抱え込み、その根源を問い詰めていくこと。都市生活に必要な食品流通以外のサービス業、コンピュータ関連の会社等を自分達で起業し、異業種の中小零細企業の協同化をすすめていくこと。これらの試みは、多くの矛盾や不十分さを持ちつつも、私達がめざす社会の質につながっていくはずの、それらの基礎となる試行錯誤でした。そして、これらの形態に意図された私達の思考をより歴史的、普遍的な視点から吟味し、検証していく活動の場として、研究機能を持続的に持つ研究所の設立が構想されました。

社会変革の究極の目標は、その社会に生きる1人1人の全ての人間の解放です。1人1人の人間にとって、解放の内実は千差万別であるし、あっていい。でも自分だけが解放されても、その結果、他者が抑圧や差別を被っていては、その社会変革は未だ成ってはいないわけです。マルクスのかかげた解放論を中途半端な形式的な階級論としてしか理解できていなかった私達に、その再読を通じて、もう一度、原点に戻って思考する道を示してくれたのは『マルクスとアソシエーション』の著者である田畑稔さんでした。そして、私達の先達である元日本共産党の活動家達が、北摂という地域に根付いて、そこから日本社会の変革を模索し、主体づくりを始めようとして積み重ねて来たさまざまな地域活動とその考え方を受け継いで、2002年「地域・アソシエーション研究所」の設立を呼びかけることになりました。

研究所設立からの15年間を振り返ってみると、2008年のいわゆるリーマンショックを境として、世界の資本主義市場経済システムがその危機的状況を急激に加速させつつあるようです。世界全体の富の格差がますます拡大して、貧困と抑圧は地球全体に拡散しています。南と北という把え方がもはや意味を失うほどに、先進資本主義諸国の社会危機は深刻化しているのです。日本国内では2011年の東日本大震災、福島原発事故が社会に及ぼした影響がそれに重なります。

戦後の日本社会にあって、さまざまな階層の利害を代表する役割を担って政治的に主体となってきた政党、社会運動団体は、ほぼその機能を喪失する時代が生じています。そして、その結果、近代に生まれた政治単位としての国民国家のワク組みそのものが世界の全地域において大きく揺らぎ始めています。経済的には、新自由主義の徹底により国民国家のワク組みは狭すぎるものとなり、EUのごとき国境を取り払う試みが始まり、政治的には、社会の格差拡大によって代議制の機能不全が深刻化する中で国民国家のワク組みは拡すぎるものとなって、各地で地域分離、独立をめざす人々の動きが強まっています。国家という政治のワク組み自体が、改めて問われる時代に入ったと言えるでしょう。

混迷を深める資本主義市場経済をどの様に乗り越えていくのか。政治的ワク組みとしての国家をどう乗り越えていくのか。もとより私達にそんな知力も能力もあるわけはないし、そんなに簡単にその理念や過程が見通せるものではありません。けれども、地域・アソシエーション研究所の活動は、いつも、そうした根源にせまろうとする思考を失わずに、研究所を支えている多くの人達の日々の生活、事業活動、社会運動をつないでいきたいと考えています。

国家という政治のワク組みが揺らぎつつある時代にあって、政治変革の主体となりうる組織の形態、理念はいかなるものとなるのか。政治が言葉の力で空間を越えていく営みだとするなら、その言葉はどのようにして生み出されてくるのか。人々の生活の現場、生産の現場をより人間的な営みに組み変えていく、地域を基礎とする経済活動の先にいかなる経済システムを構想しうるのか。不明なことばかりではあるのですが、まちがいなく思うのは、これらの政治的試行錯誤と経済的試行錯誤は決して別々の試みではなく、相互に連関し、統一的に把え、追求されなければ展望は開けないというところです。

社会学者の見田宗介さんがその著書『社会学入門』の中で「社会構想の発想の2つの様式」として示した定式があります。①関係の積極的な実質を創出する課題、②関係の消極的な形式を設定する課題という問題提起です。そして彼は、①は「魂」にかかわるもので、②は「権力」「言葉」にかかわる課題であり、これらの2つの課題は異質なものではあるけれど常に同時に追求されるべきものだと述べています。悲惨な現実をわずかにではあっても積極的な実質に変革する日々の努力を、未来構想の実現という課題を言い訳として先延ばしにしないで、現に今、生じている切実な怒り、たとえそれが小さな個人の小さな怒りであったとしても、その怒りを共に闘っていくことを大切にしたいと思っています。そうした小さな闘いの積み重ねの中からしか、地域・アソシエーション研究所のめざす理念や社会変革の構想は生まれてはこないと思うからです。

昨年11月に開いた研究所の総会で、代表の役割を次の世代に受けわたすことができました。今後も、何世代にもわたって試行錯誤が続くであろう研究所の活動とそれを支えてもらっている事業活動、社会運動が、たとわずかであっても、日本社会、いや人類世界のより善き未来づくりに貢献しうることを強く願っています。

(津田道夫:研究所前代表)

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