title
HOME過去号>144号

ネパール・タライ平原の村から(63)

廃れていくモノ語り

ネパール大地震(2015年)の被災地で、彼方にランタン(7234m)がいつも見えるラスワ郡ガッタランの集落を訪問した時。庭先で、穂刈りして乾燥させたシコクビエを叩き、穂粒の脱粒に使われる道具、殻棹を見かけました。訪問する先々で、何気に軒に立てかけてあり、壊れて転がっていたりしてあるモノです。地域のタマン語で「ジャルピ」と言うらしいのですが、ネパール語では何というのか?僕の周囲には、そもそも殻棹を知る人、使ったことある人がいないのでわかりません。日本では、脱穀に使われた農具で殻棹と書いて、カラサンとも読むそうです。

殻棹は、竹棒に、叩きつける部分が回転させられるよう、丸い木のネジで留めてあります。力を入れず、リズム良く穂を打ちます。叩く部分には、尾根沿いに自生してある堅木の枝を4~5本。なめした1本のチョウリガイ(ヤクと牛の交配種)の革で、結び付けられてあります。こうした手作りの農具や竹編のカゴ等が、干し肉らと共に、大抵が囲炉裏やカマドのあるところの天井やらに吊るされて、自然と燻されうっすら煤けてあるものです。殻棹も煙で燻されて、革が頑丈に引き締まってあったりもしますが、傷むのも早く、数年で壊れてしまうとのこと。大豆・麦作を放棄した日本では、早々に廃れたと思われますが、雑穀が豊富で、機械が入りにくいここでは、なくてはならないモノであるようです。

集落を離れる時、宿泊先の人に今度来る時まで、「あれを1つ買いたいので、どうしても準備して置いてほしい」とお願いしたところ、「わざわざ準備しなくても(買わなくても)、今からもらって来ましょうか」と軽く言います。そしてすぐ、裏の家から、殻棹を譲り受けて来てくれました。そのまま貰って帰るのは、申し訳ないので、裏手の家を訪問させてもらいました。室内に様々な手作りの農具が他の家と同じようにあります。どこで材料を手に入れ、誰がどのように作ったのかと聞くうち、その地域に広く普及してある技術・資源を知ることにもなります。それで、いくらか払いたいと尋ねて見たところ、困った表情を浮かべておられました。殻棹というモノは、自分で作ったり、隣近所で借りるモノであって、お金を払って買うモノじゃないからです。

以前に、50年前ネパールに来られ、農業に携わる日本の方から、“自給用の道具は、もう日本では廃れて見かけることがなくなった”という話を聞きました。また、日本の博物館の館員さんから、“ネパールの民俗技術の保存の急務を共有していただければ。地の利を生かし、身の回りの廃れていくモノを残していって下さればと思います”とメッセージをいただいたこともありました。

ネパールには、何気にその辺に転がっていそうなモノ、いつのまにか機械化されて捨てられてあるようなモノの中に、人が自然環境に適応するため作った、物質文化の魅力、豊かな暮らしを発見する手がかりがあるのでは。と、そんなことを教えていただいたような気がします。 *      *      *

地元に立ち戻って、納屋に放置されてある丸型の石。牛舎の床に敷かれてある不要な廃材の中に、明らかに手が加えられてあるような木材を見かけることがあります。それで、隣家の妻の母親らの記憶を頼りに、軒に足踏み杵と石臼を復活させて見ることにしました。新年はまず、自分らの家でしっかり活用できるよう、もう少し修復を加え、それから、近所のおばちゃんらにも活用してもらい、使いながら保存できれば幸いと思っております。      (藤井牧人)


200×40バナー
©2002-2017 地域・アソシエーション研究所 All rights reserved.