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中国オルタナティブ農業ネットワーク訪問(上)

有機農業、社区支持農業の先駆的な取り組み

昨年11月、中国・北京市と山東省の計4ヶ所を訪問し、中国におけるオルタナティブ農業ネットワークの一端を見学する機会を得た。そのうち、今回は北京市の2ヶ所について報告する。

はじめに

2016年11月2日から8日にかけて、中国・北京市と山東省の計4ヶ所を訪問し、中国における有機農業、社区支持農業(註1)の一端を見学する機会を得た。案内していただいたのは、中国社会科学院社会発展戦略研究院の潘傑さん。

潘さんは香港大学大学院に在籍中の6年前、よつ葉グループの取り組みを研究題材として1年弱にわたり、よつ葉のフィールドワークを行った経歴がある。それ以降も折に触れて連絡を取り合う中で、中国における有機農業や産直運動の状況に関する情報を耳にしてきた。今回の訪問は、それを実体験するものとなった。

さらに遡れば、潘さんとよつ葉との接点を形成したのは、当研究所が2006年に参加した、「草の根の農村復興の潮流に触れる中国農村交流ツアー」(主催:ピープルズ・プラン研究所)である。その際には、どちらかと言えば、中国と日本における農業問題の社会的位置の違いについて強く印象に残った記憶がある。それから10年。今回の訪問は、むしろ中国と日本との同時代性を感じさせるものとなった。

(註1)CSA(Community Supported Agriculture、地域が支える農業)の中国版。「社区」はコミュニティ・地域を意味する。CSAは米国で90年代以降に広がった、小規模農家を地域の消費者が買い支える取り組み。消費者が1年分の農作物を前払いで契約し、生産者は収穫した作物を直接消費者に届ける。日本における「産直提携」に相当する。

(1)小毛驢市民農園

都市の中の農村

北京の繁華街・西単から地下鉄4号線の北行きに乗り、約1時間で終点の安河橋北駅に到着する。そこからさらに車で1時間弱。北京市の北西部、海淀区蘇家坨鎮後沙澗村(註1)にある小毛驢市民農園を目指す。農園に向かう道は直線でだだっ広い舗装道路。車窓から見える風景は、たまに果樹園や耕地が見える以外は、真新しい高層住宅群や住宅建設を待つ更地などが目につく。このあたりはもともと(行政上は今も)農村でありながら、都市近郊という地の利から多くが売却され、工業用地や住宅地に姿を変えている。(註2)

私たちを乗せた車はいわゆる「白タク」で、運転手はたまに農園に頼まれて訪問者のために車を走らせるという。もとは農園近くに住む農家だったが、農地や居宅を再開発業者に売却し、新築の高層マンションに3部屋を入手。1つは自宅、あとの2つは賃貸で運用しているという。途中で目にした高層住宅群には、こうした元農民が住んでいるのだろう。

運転手の話では、再開発のために売却されていない村でも、そもそも農業をする農民はほとんどいなくなっているらしい。観光農園のようなところを除けば、従来型の農業では生計を持続していくのは難しいようだ。というより、北京の近郊で仕事はいくらでもあるのだから、わざわざ農業にしがみつく必要もないのだろう。

(註1)地名に含まれる「鎮」や「村」は農村を意味する。北京市という都市の中にある農村だ。日本では都市と農村は人口や農地の多寡による相対的な違いに過ぎないが、中国では行政上の明確な違いがある。農村/非農村(都市)で戸籍が異なり、それに伴って就学条件や社会保障、行政サービスに違いがある。 (註2)中国では都市の土地は国家所有、農村の土地は村民全世帯による集団所有であり、村の総意で売却の可否が決まる。ただ、総意とは言っても、有力者の考えが影響力を発揮しがちなため、村民の同意がないまま売却されたり、同意があっても納得できる売却額ではなかったり、さらには有力者たちが不正に売却額を差配するといった出来事が後を絶たず、各地で紛争が生じている。

その由来

小毛驢市民農園の前身は、前記の「中国農村交流ツアー」で訪れ、本誌37号(2007年2月20日)で報告したことがある晏陽初郷村建設学院である。同学院は03年7月、中国における「三農問題」(註1)研究の第一人者である中国人民大学の温鉄軍氏を中心に、大学や研究機関、香港のNGO(非政府組織)、行政機関などが協力し、河北省定州市の農村地帯に設立された。

農民を対象とした各種の研修講座や自然と調和した循環型農業モデルの確立、中国内外における農村復興の実践例に関する研究と交流、地元の村との共同作業など、意欲的な活動を展開していたが、ほどなく諸事情から閉鎖を余儀なくされる。理由の一つとして、活動の継続には財政面での自立が必要だが、そのためには農産物の売り先一つとっても、あまりに田舎では限界があったらしい。

いずれにせよ小毛驢市民農園は2008年4月、晏陽初郷村建設学院を継承する形で、北京市海淀区政府と中国人民大学農業与農村発展学院の共同で建設された(ちなみに、名称の小毛驢[小さなロバ]とは、定州一帯が古来からロバの産地だったことに由来する)。運営を担当するのは、中国人民大学郷村建設センターに所属するNGO国仁城郷(北京)科学技術発展センターである。

とはいえ、地元政府からは敷地や建物の無償提供を受け、人民大学からは基本理念や運営方針を受けつつも、運営そのものは独立採算だ。当初の敷地は230ムー(註2)、日本式に換算すれば約15町歩という広大さだが、耕地面積そのものは半分強といったところだろうか。2012年には同じ鎮の柳林村で地元と協力し、新たに「小毛驢柳林社区農園」を開設した。こちらの敷地は10町歩ほどで、およそ8割が耕地面積と見られる。

(註1)農業に付随する諸問題を概括する概念。具体的には、①農業の低収益性、②農村の疲弊、③農民の低所得および都市住民との所得格差の拡大などを指す。 (註2)中国固有の農地面積単位。1ムー(畝)=667平方メートル。

その方針

農園では、創設メンバーの一人であり、現在は副所長を務める黄志友さんから説明を受けた。黄さんは1980年生まれのいわゆる「80後」(註1)だ。2003年に陝西省の農業大学を卒業した後、国仁城郷(北京)科学技術発展センターに参加し、晏陽初郷村建設学院での活動にかかわった。2006年の訪問のことも覚えているという。

黄さんによると、小毛驢市民農園の基本方針は「人民の生計を基本とし、互助協同を要とし、多元文化を根とする」という農村建設思想を軸に、「生態農業を発展させ、健康な消費を支持し、都市と農村の互助を推進し、生態(エコロジー)文明に向かう」との行動原則を堅持し、「農村に関心を払い、土地を熱愛し、自然と協同し、土地をもって生となす」という生活理念に基づき、都市と農村の互助事業の健全な発展を促すことにあるという。

その上で、農法としては有機農業・自然農業の技術を採用し、自然界の多様性を尊重した有畜複合の循環原理に従い、伝統的な農耕文化と郷土の知識の伝承を重視する。また、運営モデルとしては社区支持農業の理念を採用し、健康・自然な生活様式を提唱するとともに、農村と都市社区との調和ある発展、相互の信頼関係の再建を展望するとのことである。

中国では大都市でも一歩路地裏に入れば、野菜を露天で販売している農民の姿を目にするのは珍しくない。現在でも総人口の半分近くを農村人口が占め、また農民を主体とした中国革命の歴史的イメージも残存している。そんなことから、日本に比べてまだしも都市と農村が近い関係にあるのではないかと想像してしまいがちだが、実際には、両者の間には大きな隔たりがある。小毛驢市民農園は、都市住民に対して農業や農村文化に触れる機会を提供することを通じて都市と農村が互いに支え合う関係をつくり、それを基盤として農村の復興、農業の持続発展、農民の生活向上を目指そうとしていると言える。

なお、農園のスタッフは15人。そのうち栽培実務などを担当する農業部門は7人。庶務的な部門に3人。いずれも地元の村から雇用した農民であり、これと引き替えに農園は農地の無料使用権を得ている。また企画管理部門として、黄さんを含む大卒の若者が5人。いずれも学生時代に活動に触れ、卒業後に本格的に参加した人々である。さらに毎年、若者中心の実習生や主に学生のボランティアを受け入れ、農業部門の補助に充てている。

(註1)改革開放後に生まれ育った世代を指す。一人っ子政策の施行後に生まれたため、世間では「新人類」と見なされがちである。

主な事業

小毛驢市民農園の事業としては、大きく次の3つがある。

①労働会員(註1)

これは、日本で言えば「貸し農園」のようなものである。寒さのために農作業ができなくなる12月~3月を除いた4月~11月を一つの単位として会員登録を行い、小毛驢市民農園が園内の30平方メートルを貸し出すものだ。この中には「自主労働」と「委託労働」の二つのタイプがある。

「自主労働」は年会費が2000元。栽培計画から播種、管理から収穫まで会員自らが行う。農園側は農具や資材、有機肥料や種子、苗、用水などを提供し、技術指導も行う。

「委託労働」は年会費が3600元。播種や収穫は会員自らが行うが、その間の管理は農園側に委託するものである。農具や資材、技術指導については自主労働と変わらない。

ちなみに、自主労働の年会費は2012年の1500元から2016年には2000元へ、委託労働の年会費は2012年の3000元から2016年には3600元へ、一般的な物価の上昇に応じて引き上げられている。中国国家統計局によると、全国の都市部を対象とした2015年の非私営単位(国有企業、株式会社、外商投資企業などを含む)の従業員1人当たりの平均賃金は6万2029元とのことである(註2)。会費と平均賃金の関係は単純計算で1/31ないし1/17となり、かなり高めの設定に感じられる。

しかしながら、労働会員の数は2009年の17戸から2010年の107戸へ、さらに2011年は263戸、2015年には400戸近くへと着実に増えている。

②配送会員

これは文字通り農園で栽培・収穫された野菜の宅配システムである。会員は夏季・冬季のはじめに該当季分の費用全額を予め支払い、農園は予定の計画どおりに責任をもって農産物を生産し、会員の家庭に配送する。ただし、単なる生産物のやりとりにとどまらず、生産過程で生じる各種のリスクは双方が共同で引き受けるのが基本方針だ。そのため、会員は不定期に農園を訪れ24週間のうち計10時間以上は労働奉仕に参加することが望ましいとされる。また農園における生産の各部分や農園が定期的に開催するイベントへの参加も要請されている。

会員用の野菜ボックスの配送方法には、次の四種類がある。①毎週決まった時間に、直接農園まで取りに来る方法。②農園が市街地の5ヶ所に開設した配送拠点で受け取る方法。③5世帯以上が集まってできた指定の配送場所で受け取る方法。現在、そうした地域の共同購入拠点が3ヶ所、団地配送拠点が11ヶ所あるという。④会員宅への戸別配送。ただし、範囲は北京市街地に限定される。

配送会員の基本的な構成は下表の通りである。

2015年夏季(5月~10月)

2015年冬季(11月~来年4月)

また、一例として、農園のホームページから配送された野菜の内容を記せば、以下の通りである。 ◎夏季:2013年7月6日(土)第9週

タマネギ、丸なす、長なす、ジャガイモ、インゲンマメ、ピーマン、唐辛子、キクラゲナ、ユーマーサイ、ニラ、トマト、プチトマト、ニガウリ、パクチー ◎冬季:2014年2月22日(土)第14週

白菜、青長大根、豆腐、シャクシナ、サニーレタス、カラシナ、ラディッシュ、春菊、しろ菜

配送会員の数で言えば、2009年には37戸だったのが2010年には一挙に280戸まで増加。当初は困難だった冬季の供給も2010年冬から可能となり、2011年には460戸へと増えた。しかし、それ以降は伸び悩んでいるようだ。

ちなみに、農園で栽培される野菜は基本的に化学肥料や農薬を使わず、肥料については発酵床を使った養豚や平飼いの養鶏からもたらされる畜糞および一部は購入した牛糞を利用した有機堆肥を主体に、油かすなどを追肥している。また病害虫の防除については、まずは農園全体の生態系の多様化を追求し、次に輪作や間作、混植や休耕などの方法を通じて可能な限りリスクを減らし、さらに天然植物から製造した栄養液など、いくつかの物理的方法を利用して防除を行っているという。

その意味で、小毛驢市民農園の生産物は有機農産品と言えるものだが、あえて公的機関による認証を求めていない。その理由は、認証費用が高価だったり、毎年認証を取る必要があったり、認証の単位ロットが大きすぎるなど小規模営農にとってコストが嵩むこと、また世間で“有機認証は金銭で売買される”といった公的認証に対する不信が存在することなどがある。

そこで、農園では国仁城郷(北京)科学技術発展センターと協力し、生産者と消費者の交流を通じて形成された信頼関係に基づき一定の準則を設定する認証のあり方を採用している。これは「感情認証」と呼ばれる。

(註1)会員は原文では「份额」。CSAで消費者を「Share Holder」と呼ぶので、同義の中国語を適用した模様。「Share」には「分かち合い」の他に「参加」や「負担」の意味もある。 (註2)http://www.stats.gov.cn/tjsj/zxfb/201605/t20160513_1356091.html (註3)斤は中国の重量表記で500gに相当。

③市民向けイベント活動

都市と農村との連携に基づく農村復興という基本的な目標の下、小毛驢市民農園では農業が持つ「教育機能」を重視し、児童の自然教育と市民の生活教育を展開している。たとえば、鍬入れ祭、立夏の粥、端午の節句、豊作祭といった農業暦に基づく祝日の祭典、ファーマーズ・マーケット、サマーキャンプの開催。

あるいは、親と子の体験教育活動として、各種の農耕体験、日曜大工講座など、また添加物に関する学習や農園の食材を使った料理教室などの食育講座、発酵の原理を学び実習する発酵講座など、さらに植物や昆虫、動物の生態を学習したり、野外でのサバイバル技術を学ぶ自然活動。

こうした活動を通じて、都市の消費者が農業や自然を尊重するよう促し、都市と農村の互助協同意識を高めていくことが狙いである。今回の訪問時にも、農園の水田では子どもたちの稲刈り体験が行われていた。

④そのほか ◎農業人材の育成

いわゆる新規就農養成塾と言えるだろう。先に触れたように、農園では全国の大学、NGO団体、青年社会人に呼びかけて生態(エコロジー)農業と社区支持農業の運営に興味を持つ若者を実習生として募集している。

冬季を除く9カ月のカリキュラムで実際に農業生産に携わり、生産周期を一渡り経験することが主な内容である。また農園が目指す都市と農村との連携、農村復興の方針を学習することも重要だ。

毎年10人程度受け入れ、これまでに110人が巣立ったという。その中には、農園および関連する諸団体で働いたり、故郷へ帰って就農する若者(返郷青年)もいるそうだ。

◎ネットワークの形成 生産者の連合の推進:北京近郊の生態(エコロジー)農場と農民協同組織を組織して「市民農業CSA連盟」を設立した。 消費者の連合の推進:農園の会員が主要メンバーや組織者となった消費者団体を後援している。 全国的ネットワークの推進:重慶市、山東省、上海市、遼寧省、河南省、福建省などでCSAモデルの農場の設立を支援し、社区支持農業の全国的な交流の場を設定している。

課題など

以上のように、小毛驢市民農園は中国における社区支持農業の先駆的な取り組みとして社会的な役割を果たしている。詳しく聞いたわけではないが、経営面でもいまのところ持続可能な水準で運営できているようである。

とはいえ中国社会の変化は極めて速く、その振れ幅も大きい。社区支持農業すら飲み込むように商業化が進む中で、いかにコストを低減し市場占有率を確保するか、消費者への働きかけを行うかといった商売としての側面がますます問われてくる。

同時に、小毛驢市民農園が単なる商売ではなく、都市と農業の連携を通じた農村復興という社会的な目的を追求している以上、どのようにそこへ進んでいくのか、商売との相克が避けられない場面も増えてくるだろう。

会員から寄せられた質問に答える「Q&A」を見ると、「野菜に病虫害があったらどうするか? なぜあなたたちの野菜はあんなに虫食いが多く、甚だしきは虫の卵や動いている虫がいるのか?」「あなたたちの野菜の品種が比較的単一だと感じた。なぜハウス野菜を栽培し、配送品種を豊かにしないのか?」といった質問が見られる。どの国も似たり寄ったりだと思う半面、そこから農村復興へ至る道のりはあたかも「長征」を感じさせる。

たまたま一昨年、小毛驢市民農園の創設者の一人で現在は香港にいる厳暁輝さんと遇う機会があったが、厳さんは会員との間でなかなか商売の関係から抜け出せない苛立ちを吐露していた。

小毛驢市民農園からの帰路、その際の情景を思い起こしながら、しかしこれはまさしく日本の私たちにも問われていることであり、彼我の条件に多少の違いはあっても直面している問題は本質的に変わらないのではないか、そんな同時代性を感じたのだった。

【参照】

小毛驢市民農園ホームページ http://www.littledonkeyfarm.com/

潘傑「中国における「地域が支える農業(CSA)」の実践-小毛驢農場の簡単な紹介」『地域・アソシエーション』No.77、2010年7月

山田七絵「中国におけるコミュニティ支援型農業の広がり-北京市小毛驢市民農園の事例」『アジ研・ワールドトレンド』No.193、2011年10月 http://d-arch.ide.go.jp/idedp/ZWT/ZWT201110_010.pdf

『小毛驴市民农园2012年CSA社员手册(网络版)』 http://www.chinadevelopmentbrief.org.cn/userfiles/CSA.pdf

百度百科「小毛驴市民农园」 http://baike.baidu.com/view/3489482.htm

严晓辉、温铁军「小毛驴市民农园-北京市海淀区/中国人民大学共建产学研基地项目总结报告1(2009~2011)」 http://our-global-u.org/oguorg/zhs/?wpfb_dl=2008

严晓辉「小毛驴农业�­历漫谈」 http://www.ngocn.net/news/361342.html

(2)天福園有機農場

「別天地」の雰囲気

地図を見ると、北京は故宮を中心に何層かにわたって環状道路が取り巻いているのが分かる。いまのところ最も外側に位置する「六環」の南東角をさらに南に進むと、北京市房山区良郷鎮江村に到着する。北京の市街地から高速道路を使って車で1時間30分ほどだ。

同じ北京の郊外でも、この辺りは工場こそ多いものの宅地開発はそれほど進んでおらず、昔からの集落がある一方で果樹園やトウモロコシ畑などの農地が目につく。そうした一角に天福園有機農場は位置している。

農場の総面積は150ムー、日本で言えば約10町歩に相当する広大な敷地はすべてレンガ塀で覆われている。鉄製の門が開かれて中に入ると、白髪の小柄な老女が出迎えてくれた。農場主の張志敏さんだ。

塀の外からは想像もつかないが、農場にはたくさんの果樹が立ち並び、その間に野菜が植えられるとともに、別の区画には一面に小麦が小さな芽をのぞかせ、鶏やアヒル、山羊が行き交うなど、ある種「別天地」の雰囲気を醸し出している。端から端が見通せないほどだ。

張さんによれば、栽培している果樹は十数種類、野菜は数十種類、ほかにトウモロコシと小麦。家畜は乳牛が10頭ほど、山羊が20頭、豚が10頭ほど、また鶏とアヒルが数十羽。さらに養魚池もある。ここから得られる生産物は、生鮮品の果物や野菜や肉、卵、牛乳はもちろん、ハーブや「醤」と総称される調味料、干し果物、果実酒といった加工品にまで及ぶ。

後でも触れるが、栽培方法は自然農に近い有畜複合農業で、用水こそもともと設置されていた地下水のパイプラインだが、それ以外は農業機械をほぼ使わず、基本的には張さん以外に60歳以上の女性4人、さらに訳あって預かっている中高生風の子ども3人の計8人で回しているという。にわかに信じがたい話だが、そこには張さんの人生が色濃く反映されている。

農業への関心

現在は自らを農民と位置づける張志敏さんは、もともと農民だったわけではなく、農家の出身でもない。それどころか、「高級国際商務師」の資格を持つビジネスウーマンとして20数年にわたって農産物の輸出入貿易に従事し、英語、フランス語、スペイン語などに精通して世界各国を訪れたという。河北省や山東省のモモやナツメのために海上輸送による輸出販路を開拓し、国際的な専門雑誌で中国果物を紹介宣伝する第1人者となったこともあったらしい。

その張さんが、商業ではない農業、商品ではない作物に関心を持つようになったのは1995年ごろ。きっかけは体調不良だったという。頭痛、動悸、消化不良、不眠など、頻繁に病院通いを続けるうち、どうやら自分の身体よりも自分が食べている食べ物に問題があるのではないか、と考えるようになった。振り返れば、それは自らが仕事を通じて経験している領域でもある。張さんは、生命と関係する五大業界の巨大な変化によって私たちの食べ物に巨大な変化が発生していることに気がつく。すなわち、農業の化学化と工業化、畜産業の集約工業化とバイオテクノロジー化、食品加工業と飲料加工業の添加剤模造化、飲食業のファストフード・チェーン化、流通業のスーパーマーケット化である。

その後、張さんは姑の故郷(河北省)に農民の親戚がいることを思い出し、必要な経費を支払う代わりに安心して食べられる穀物や野菜や果物を栽培してくれるよう相談をもちかけた。親戚たちは、喜んで耕作に励むと言いつつも、しかし農薬・化学肥料を使わなくては不可能だ、と答えを返したという。やる気がないわけではなく、逆に営農意欲に溢れた農民ですら、現在は農薬・化学肥料を離れて農業できない。この事実に驚愕した張さんは、農業技術を教えてもらうべく、伝手をたどって農業の専門家を探したが、たどり着いた専門家はいずれも近代農業の科学技術しか知らなかった。この試みは安全な食糧や果実の1粒も得られなかった代わりに、現代における農民の困難、農業の困難、安全な食物を獲得することの困難を思い知る結果になったという。

新たな農民の道

この失敗にめげず、張さんは2001年、現在の場所に農地を借りた。とはいえ、農村の土地は村民の集団所有に帰せられ、都市住民が農地を借りることは村民の集団利益を侵害するとして法律の保護を受けられないことになっていた。そのため、借りられたのは元果樹園ながら経営困難となって耕作放棄されていた土地だという。村民外への賃貸ということで年間の借地料は高めの1ムーあたり200元。計150ムーを20年契約なので、総額は60万元にものぼる。一括支払いか年ごとの支払いかはともかく、一定の蓄えがなければ不可能な話である。

当初、張さんは従来の仕事を継続しながら農場の建設を進めた。農場の周囲を塀で囲ったのは、一つには周辺から受ける農薬や化学肥料の汚染をできるだけ減らすため、もう一つは村民とのトラブルが発生するのを避けるためだったという。多額の費用が必要なので、建設人員を雇う一方、砂やセメント、レンガなど必要な建材は自らトラックを駆って調達した。

河北省での失敗を踏まえ、張さんは今回、農民を雇用した上で栽培方法などを予め設定し、依頼通りに栽培してもらう段取りで望んだ。いわば企業管理の手法である。ところが、雇用された農民たちは自らの農地ではないため、ともすれば手を抜こうとし、意のままに動いてはくれない。それでも給料を払わなければならないため、従来の仕事を辞めるわけにもいかず、農場に張り付くこともできない。しばらくはこうしたジレンマから抜け出すことができなかった。

そんな中、2003年に「SARS(重症急性呼吸器症候群)事件」(註1)が起こる。北京でもパニックが生じ、人々は病気の蔓延を恐れて家に閉じこもった。この状況は張さんにとって、これまでやってきた都市での仕事が本当に必要なものなのか、省みる機会を与えるものとなった。望外に訪れた休暇によって、はじめて農場で「日が昇れば働き、日が沈めば休む」時間を過ごすことになった結果、張さんは、農業が自然と協力する一種の芸術であり、労働者は単なる労働力の行商人に過ぎないこと、生命は仕事よりも重要であり、農耕こそ生命を取り扱うものであることに思い至る。いわば一種の回心体験と言えよう。かくして張さんは仕事を辞め、新たな農民の道を踏み出した。

(註1)2002年11月、中国広東省での発症例が最初とみられ、2003年以降、中国、香港、台湾や東南アジアを中心に猛威をふるった。数多くの重症患者、死者が発生し、当該地域を中心に社会的なパニックを引き起こした。

芸術としての農業

天福園有機農場は、北京近郊で最初に有機農業を実践した農場として知られている。実際、中国内で初めて耕種と畜産で同時に2つの有機認証を獲得した経験もある。しかし、生産物が多品種にわたり認証にかかるコストも嵩むこと、また現状の認証基準は統一性に欠けるとの評価から、現在は認証を取得せず、むしろ小毛驢市民農園と同じく、消費者の参加による認証を実践している。自ら農場に来て見学し、興味があれば畑仕事も体験し、野菜をおみやげにもらえることもある。

とはいえ、天福園の会員になるのは簡単ではない。張さんは会員希望者に対して、まずはじっくり話し合い、なぜ有機食品を購入したいかを把握し、自然と協同する気があるかどうか、「自然の規律に順応して節制する」生活を営むことができるかどうかを観察する。その上で、真に縁のある人とだけ、「農場が生産する食べ物をようやく分かち合うことができる」のだ。

有機農業と言えば、一般には農薬を使わず、化学肥料を与えないことだと考えられがちである。しかし、張さんにとっては「種の多様化、耕種・畜産の生態(エコロジー)化」こそ有機農業に不可欠な原則である。実際、農場では耕種と畜産が循環した生物連鎖が目指されている。この生産体系の中で、耕種においては作物の輪作を採用し、豆科作物を栽培したり、雑草や作物残渣と畜糞の堆肥を利用したり、生物的物理的方法を採用して病虫害と雑草を防ぐことで、土壌の生産力を維持しているという。また畜産においては動物本来の成長法則を尊重し、過度に干渉しないことを原則としている。例えば、乳牛の生命規律を尊重するため搾乳には1~2頭の牛しか用いない。また、乳牛は各々の身体状況が違い乳量も一定ではないが、あえて均一化することもない。

「先駆者」であるがゆえに

「農業は一種の生活であり、人と自然が協力する芸術です」。張さんの考えを一言で示せば、こうなるだろう。

日本を含め、各国の有機農業運動の歴史をひもとけば、張さんのように強烈な回心体験、それに基づく思想的な確信、さらには一種宗教的とも言える境地を持った明確な個人が鍵となる役割を果たしていることが分かる。もちろん、背景にそうした個人の出現を促す歴史的、社会的な条件があることは間違いないが、決して自然成長的に事態が推移するわけではない。生き方を賭けて常識に楔を打ち込むような具体的な動きが現れなければ、世の中の変化を呼び寄せることはできないだろう。その意味で、張さんは間違いなく先駆者である。

しかし、そうであるがゆえに孤独でもある。張さんには家族がいるが、農場で一緒には暮らしておらず、北京の都市部に住んでいるという。関係は良好だが、家族は農業に関心がないらしい。それも含めて、いまのところ張さんの後を継ごうという人はいないようだ。

張さんの当面の気がかりは、農場が法律・制度の面で不安定なことだ。農場の借地期限も残すところ5年ほど。それ以降に更新できるかどうか、賃貸料がどうなるか不透明だという。そもそも、中国では土地建物の借り手側の権利は非常に弱く、貸し主の都合で一方的に約束が反故にされる場合も少なくない。現在、張さんと村との関係は良好で、人格的にも尊敬されているようだが、アウトサイダーであることに変わりはなく、基本的には薄氷を踏むような状態にあるという。

今後の希望や目標について尋ねたところ、張さんは「私の活動と考えを理解してくれる人が広がり、少しでも生物多様性を尊重する社会になっていくことです」と明言された。この点について言えば、張さんは決して孤独ではない。十数年前、張さんが一人で踏み出した新たな農民の道は現在、多くの人が歩み始めている。分岐点も多く平坦な道でもないが、歩く人が絶えることはないだろう。

「思うに希望とは、もともとあるものとも言えぬし、ないものとも言えない。それは地上の道のようなものである。もともと地上には道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ。」(魯迅『故郷』竹内好訳)

【参照】

张志敏「我为什么要做农民」 http://www.zgxcfx.com/zhubiantuijian/85160.html

张志敏「天福园有机农业俱乐部倡议书」 http://blog.sina.com.cn/s/blog_3fdebb160101740v.html

张璐瑶「为有机农场正名」 http://epaper.comnews.cn/news-5952.html

有机会记者Jing「天福园有机农庄实地探访」 http://www.yogeev.com/inspect/天福园有机农庄实地探访

(山口 協:研究所事務局)


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