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アソシ研 リレーエッセイ

SEALsや若者たちが問いかけるもの


 前号のリレーエッセイの見出し「SEALDsの事」で、この間、SEALDsに関して繰り返してきた論議のあれやこれやを改めて思い出した。一番まいったというか苦笑せざるを得なかったのが、私も編集部に参加している『人民新聞』が「反SEALDs」とのレッテルを貼られてしまったことだった。きっかけは、東京でSEALDsの行動に参加していた同世代の若者が感じた違和感(「警察官の指示への過剰順応」「従わない参加者への攻撃的排除」etc.)を寄稿してくれた一文。

 編集部の基本姿勢としては、若者たちが直面し抱えている困難・現実をベースに「自らが変える力となることで未来は切り拓かれていく」「特別のことじゃない。私はただ、当たり前のことをしているだけ」と立ち上がり始めたことを積極的に評価した上で、参加者が感じる問題点についても論議していこうよ、ということだった。ところがこれに、「防衛隊」を認じ批判者への攻撃や誹謗を繰り返していた連中がかみつき、ネットで「人民新聞=反SEALDs」と拡散したものだから、一部でその評価が定着してしまった、という次第。そんなレッテル自体はどうでもいい話なのだが、「SEALDsには一定の距離を置きつつも同世代として問題を共有し共に考えていきたい」と取材を続けた編集部のR君は、無用・不毛な配慮を強いられることになってしまった。

 もともとSEALDs自体、当事者の一人が「はじめて気づいたのは、SEALDsは個人の集まりであるということだ。そこでは、沖縄出身の子も、東北から来た子も、在日の子も、『わたし』として法案に反対する理由を語っていた」と述べているように、若者たちの自然発生的な立ち上がり、新たな動き・動向であり、その意味では「組織」として見るよりは「社会現象」として考えた方がいいのではないかと思ってきた。そのことは誰よりも当事者たちが自覚していたであろうし、戦争法案反対の闘いの後、自ら参院選後の解散を決め、見事にその通り実行に移したのも、彼らが自分たちの闘いの限界も含めての意味や意義を充分に自覚していたことの表れなのだろうと思う。だとすれば、私たちが注目し留意すべきは、SEALDsの闘いに参加した若者たちが今後どのように社会・現実に向き合い、生きていこうとするのかであり、彼らと「問題を共有し共に考えて」いくことではないか…。

 そんなことをつらつらと思っていたところで、先日、「関西仕事づくりセンター」の若手(と言っても20代~50代まで色々だが)から要望の出た「仕事づくりの中間総括」の学習会の内容や持ち方について、若手のK君を交え、本誌でもおなじみの田畑稔さん(大阪哲学学校世話人)と相談を兼ねて懇談する機会があった。K君は最近「仕事づくり」の活動に積極的に参加してくれている言わば「バリバリの」若手活動家で、ゆっくり話すのは私も初めてだったのだが、SEALDsから左翼運動の現状まで田畑さんとの話は大いに盛り上がった。仕事づくりセンターの活動に参加する若者は何故か「僕はSEALDsから排除される方なので…」というのが多く、K君もSEALDsについては辛口の評価なのだが、それよりも印象に残ったのは左翼運動への辛辣というか悲壮なというか、いずれにせよ不信感だった。「僕らは何も期待していない。自分たちでやるしかないのだから」…立場の違いはあれ、それはSEALDsの若者たちにも共通する感覚なのかもしれない。

 そんなこともあって田畑さんからは「全共闘運動の社会的視点からの総括が必要なんじゃないですか」との提起を受けた。一般的に「問題を共有し共に考える」というのではなく、無論、経験談義や説教に堕するのではなく、我々は我々自身の歴史と実践を総括し、その総括を通じて若者たちと向き合い一致点を模索していくこと。う~ん、またひとつ重たい課題を背負ってしまったのかな。    
                     (津林邦夫)



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