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廣瀬純さん講演学習会(2016.7.22)

『資本の専制、奴隷の叛逆』をめぐって
~現代南欧政治思想への招待~

 グローバリゼーション研究会ではこの数ヶ月、廣瀬純さんの著書『資本の専制、奴隷の叛逆』(2016年航思社刊)をテキストにして議論を行ってきた。最近のギリシア、スペイン情勢をめぐって、先端的な思想家たちへのインタビューをまとめたものだが、さらにこの1年のあいだに注目すべきいくつかの出来事があった。この間の情況の推移と、現時点でのヨーロッパ、とりわけイギリス(EU離脱)、スペイン(ポデモス)、フランス(ニュイ・ドゥブー)について、幾人かの思想家たちの見解を廣瀬さんに解説していただき、さらに日本の情況も含めて語っていただいた。(事務局)


 僕の本『資本の専制、奴隷の叛逆―「南欧」先鋭思想家8人に訊くヨーロッパ情勢徹底分析』(航思社)を使って勉強会をしてくれていたそうなので、本の話から始めます。この本は2015年の8、9月にイタリア、スペイン、ギリシャの8人の人たちを相手に行ったヨーロッパ情勢についてのインタビューをまとめたものです。その相手は、本にして売ろうとか、有名になろうとか、そういうことは一切考えずに、とにかく起きている状況についてなにかを言ったり、書いたりしている人たちです。そういう人たちが言っていることを吸い上げて、アントニオ・ネグリみたいに有名な人が語るという感じです。特にイタリア、スペインではいろんな歳の人が、とにかくワイワイ言ったり書いたりしていて、みんながそれを読み合うみたいな状況があります。そういう言説を日本語で紹介したいと思いました。

 この国では、アベノミクスひとつ取ってもテレビレベルのことしか誰も話していません。成功しているとかいないとか。新書もいくつか出ているけれども、まったく刺激的ではありません。正しいことを言うだけで、面白いものがない。沖縄で警察や海上保安庁が住民を弾圧していることに対しても、原発再稼働の強行に対しても、正しい声が挙げられています。正しい、その通りです、と僕も共感します。しかし、正しいこと以上の何かが展開するような言葉が溢れているようには思われません。イタリアやスペインでは、正しいかどうかはともかく、いろんな言葉が溢れている。そういう感じを伝えたいということもありました。

●ギリシャ国民投票-難民問題をとおしたドイツの覇権確立

 インタビューをしたのは、ギリシャの債務問題あるいは緊縮策問題が大詰めを迎えた時期です。2015年7月5日に、ギリシャ政府とEUとの新しい取り決めについて賛成か反対かという国民投票がありました。投票者のうち60%の人が緊縮財政に反対したにもかかわらず、その国民投票の結果が顧みられることなく、緊縮財政の継続が決定されます。インタビューは8月15日くらいから9月15日くらいまでに行いましたが、こういう流れをどう考えるかということが話のポイントのひとつです。

 もう一つ大きな出来事は、2015年の8月、9月頃から、シリアの難民がヨーロッパにどんどん来るようになって、大移動を始めた。子どもが海岸で死んでいたということもありました。ブダペストの駅では、溢れた難民がハンガリー政府に弾圧され、受け入れなければいけないという雰囲気が一気にヨーロッパの多くの人たちのあいだに広がります。ヨーロッパ側の難民に対する反応は、町のおばちゃんたちが駅に服や靴や食べものなどを持って迎える一方で、ドイツのメルケル首相が100万人の受け入れを早速表明しました。

 同時に、ギリシャに対してはドイツの財務大臣ヴォルフガング・ショイブレが非常に厳しい態度を取りました。彼はヨーロッパ全体のギリシャに対する厳しい態度を体現する人でした。ドイツは良い面でヨーロッパのイニシアティブを取るけれども、悪い面、厳しい面でもヨーロッパのイニシアティブを取るということで、完全にドイツの覇権がヨーロッパで確立される。しかも、悪い面は男の大臣に任せて、良い面は女の首相が引き受ける。この組み合わせは狡猾と言えるかもしれません。

●広場占拠運動とポデモス、シリザ

昨年12月のスペイン総選挙で、ポデモスは得票率20%を超える500万票以上を獲得して第三党となった(拳をあげているのが党首のパブロ・イグレシアス)
 このようなヨーロッパの状況の中で、スペインでは2014年にポデモスが出てきました。

 ポデモスは、初期は非常に温かく迎えられたのですが、僕がインタビューした頃には、既にポデモスに対して批判的な言説が、左派の側からもたくさん出るようになってきていました。ポデモスの人気は2014年の10月から2015年の3、4月くらいまでは支持率30%ほどで、ひょっとして政権を取るのかという感じにすらなっていましたが、2015年5月の地方自治体選挙では、ポデモスとは違った種類の運動系の出自を持つ団体がさまざまな都市で躍進し、バルセロナとマドリードでは、そのグループの人が市長になるということが起きます。一方、ポデモスの支持率は同選挙後に13%まで急降下しました。そこからポデモスとは何だったのだという雰囲気がスペインで起き始めていました。

 ポデモスが何だったのだということをスペインの人たちが問題にするときに、多かれ少なかれ参照しているのが2011年の5月にマドリードを中心に始まった「キンセエメ(15M)」と呼ばれている運動です。それが何なのかというのは正直よくわからないのですが、とにかくみんながワイワイ町に繰り出すということが何週間も続く。そういうことがあって、その人たちが帰ったあとも、各自それぞれの地域で活動を続ける。それを土台にしてポデモスが出てくるという図式は、ほぼ共有されています。そのときに問題なのは、ポデモスと、もともとの「キンセエメ(15M)」という運動の関係が上手くいってないことがポデモスの弱体化、あるいは人気の低下を招いているのではないかということです。

 僕がインタビューした人たちは大きく2つに分かれていて、1つはやはりポデモスに期待したいけれども、ちょっと間違っているところがあるという態度。もう1つは、はっきり言って選挙政治には全く興味ありません。ポデモスがどうなろうが知ったことではないという態度の人だったと思います。

 スペインでのポデモスと「キンセエメ(15M)」の関係というのは、ギリシャの話に別の側面から戻すことができます。ギリシャでも2011年の5月に国会議事堂前のシンダグマ広場に人々が溢れ出しました。シリザという団体はもともとあったのですが、そのシンダグマ広場の運動が下地になって、シリザは2015年1月の選挙で勝つところまで行った。

 だから、2011年のマドリードのプエルタ・デル・ソル広場を中心としてスペイン全土へ広がった「キンセエメ(15M)」とポデモスとの関係と、ギリシャでのシンダグマ広場の運動とその後のシリザ政権というのはパラレルに考えることもできます。もちろん、2011年にはスペインとギリシャだけではなくて、オキュパイ・ウォール・ストリート(OWS)があったし、それ以前にはエジプトのタハリール広場、2013年にはイスタンブールのゲジ公園の占拠もありました。世界各地で、もともとは一緒にいられるはずのないさまざまな人たちによる大規模な占拠運動が起きていたわけです。

●難民問題、安全保障問題とイギリスEU離脱国民投票

 インタビューでは触れませんでしたが、2015年1月、シャルリーエブド襲撃事件がありました。その後、インタビューを終えた9月のあとにシリア難民についてさまざまなことが起きます。たとえば、シリア難民をどの国がどのくらい受け持たなければならないかという議論があったり、うちは受け持ってもいいけど、キリスト教徒しか受け入れませんという国が出てきたりもします。また、シリア難民の中に「イスラム国」の戦闘員がまじっているというような話になって、難民問題と安全保障問題とがごちゃごちゃにされる。そうした流れのなかで、2016年6月にはイギリスのEU離脱国民投票がありました。これについてはあとでふれます。

 それから、やはり安全保障の問題に絡んで、2015年の11月にはパリのサッカー場のあたりからパリ中心の町中に至るまで、90人くらいが「イスラム国」によって殺されるということがありました。それまでと違うのは、スタッド・ド・フランス(サッカースタジアム)は別として、本来襲撃されるはずのない所が襲撃されたということです。この襲撃のあたりから、「イスラム国」は、要するに誰がやっても「イスラム国」の名前でそれをやったということにしてくれる仕組みだということで、アルカイダとは一線を画すことがはっきりしてきました。その後、2016年7月には、ニースで90人くらいをトラックで轢き殺すという事件が起き、これについても「イスラム国」が犯行声明を出しています。

 スペインに話をもどすと、2015年12月と2016年6月に総選挙がありました。2015年12月の総選挙では、首相の指名が結局できなくて、もう一回総選挙をしなおさなければならなくなり、それが2016年6月26日の総選挙です。そこでポデモスは政権を取るはずだったけれども、取れませんでした。

●占拠運動のフランスへの到来

 インタビュー後のヨーロッパで、もうひとつの大きな動きがありました。パリの大衆運動である「ニュイ・ドゥブー(立ったまま夜を過ごす)」です。2016年2月にヴァルス首相の内閣のミリアム・エル・コムリという女性の労働大臣が労働法改正案を出しました。それに対して2016年2月から3月にかけてさまざまなデモやストライキが起きます。いくつかの団体が集まったプラットフォームの呼びかけで、3月31日のデモは「デモのあとも家にはかえらないぞ」というスローガンのもと、みんながパリのレピュブリック広場に残りました。それが毎晩のように続いて、大勢が集まるようになった。それが4月、5月と続きます。どんどん大きな規模になって、フランス全土で100カ所ぐらいに広がった。2011年のさまざまな占拠運動、オキュパイ運動の遅ればせながらのフランス到来だったといえます。

 そのレピュブリックの運動というのは、労働法改正に対する反対だけではない、それをきっかけとして、なにか一度みんなで考えてみようよというような、そういう側面も最初から強くもっていた。僕自身は現場に行ったことがないのですが、いろいろなものを読む限りそういうものらしい。

 それで、労働法はどうなったかというと、フランスの憲法には場合によっては議会で可否を取らなくても内閣の決定で法律を作ることができるという有名な条項があって、5月に、それに基づいて改正案を採決なしで強行可決してしまいました。そうすると、それまでの労働者の権利の崩壊に対して抗うというだけじゃなくて、デモクラシーみたいなことが問題にならざるをえない。ほとんど閣議決定ですから。

 と同時に考えなければならないことは、3月31日からフランスで広場を占拠するというのは、違う都市の違う日付で広場を占拠することとは意味が違うということです。なぜかというと2015年11月に起きた大量殺人事件以来、フランスではオランド政権が非常事態宣言を出していて、その中で公共の広場を占拠するというのは、それなりに勇気のいることで、ほとんど違法すれすれの行為です。だから夜だけしか集まらないのです。

 フランス、特にパリは、つい最近90人も死んだばかりの所です。またどういうことが起きるか分かりません。町がすごく不安定な状態にある。そういうときに、政権と「イスラム国」という存在が強く感じられるパリという土地において、レピュブリック広場を占拠するということの意味を考えさせられる出来事です。



●連合王国のEU離脱をどう捉えるか

「EU離脱」への投票を呼びかける英国男性
 というわけで、この本に収録したインタビューを行った2015年9月以降、ヨーロッパではさまざまな出来事が起きたわけですが、当のヨーロッパの人たちはそれらをどう捉えているのか紹介しておきます。1つめは、英国、連合王国におけるEU離脱国民投票について。2つめは、ポデモスのその後の展開。要するに12月と6月の選挙でのポデモスのふるまいについて。3つめは、さきほど述べたパリのレピュブリック広場の「Nuit debout(ニュイ・ドゥブー)」。これは訳がむつかしいのですが、普通のフランス語の訳としては「寝ないで夜を過ごす」「立ったまま夜を過ごす」、でも「夜が立っている」ようにも聞こえる。ダブルミーニングだと思います。

 以上3つの件について、僕の本に登場してくれている人を含めたさまざまな人の見解を紹介します。その後で、彼らの現状把握も踏まえながら、日本の状況について僕が思っていることもお話しできたらと思います。

 1つめは、大英帝国、連合王国の離脱問題についてです。

 フランスの有名な政治哲学者、エティエンヌ・バリバールはつぎのように言っています。

 「欧州政治では近年、国民投票の結果は現実に反映されたためしがない」

 いきなりすごい発言ですが、その通りです。だから国民投票で離脱支持が多数派だったからといって、すでに離脱したかのように言うのはおかしいと言っています。イタリアでの水の民営化についての国民投票も、昨年のギリシャの国民投票も、その結果は実現されなかったじゃないか、というわけです。

 「王国内で今日『新たな貧困層』が増大することになったその原因である経済的かつ社会的な破壊は、ネオリベラル政策の効果の累積によって生じたものだが、これはEUが連合王国に押し付けたというだけのものではない。反対に、連合王国こそ、サッチャー時代、次いで労働党時代に、欧州でのネオリベラリズム導入を最も積極的に支持した国のひとつだった」

 ネオリベラル政策を本格的に欧州に導入したのは、他でもない英国のサッチャーだという指摘です。

 つぎに引用するのは、70年代イタリア・アウトノミア運動の時代からの活動家・哲学者フランコ・ベラルディです。

 「欧州連合を再浮上不可能なやり方で沈めてしまうというイギリス労働者の選択は、何年にもわたって欧州全土の労働者を貧困化させてきた暴力的攻撃の果てになされた〈絶望の振舞い〉だ」

 「欧州の将来は戦争だ。欧州の現在はすでに移民に対する戦争となっている。古臭くきこえるかもしれないが、雲が嵐を引き連れているように資本主義が戦争を引き連れているというのは私にとっては今日もなお真理だ。そうだとしたら何をなすべきか。戦争を終結させるべきなのか、金融の利益に抗い社会の利益を実現するべきなのか。それが可能なら、もちろんそうするべきだろう。しかし今日、戦争を終わらせることは不可能だ。〔…〕帝国主義戦争を革命的内戦へと転じなければならない。しかしそれは具体的にはどうすればよいのか。いまはまだ誰にもわからない。これから数年のうちにはこの点について考えなければならなくなるはずだ」

 フランコさんほどレーニン主義的でない人もいないんですけれど、「帝国主義戦争を内乱へ」というレーニンのテーゼを引いています。そして、考えるべきことは、欧州を救うことでもデモクラシーを救うことでもないと言い、こう続けています。

 「どうしたら帝国主義戦争を革命的内戦へと転じ得るのか。できれば、武器なしに平和的なやり方で。指令と私有化とに抗する自律的な知たちによる戦争。〔…〕10月から100 年が経った今日の我々の責務は、インターネット時代の10月とはいかなるものか、認知労働と不安定労働の時代の10月とはいかなるものかと自問することにある」

●その後のポデモス-身体と政治

 2つめはポデモスのその後の展開についてです。

 ブリュッセル在住の哲学者ファン=ドミンゴ・サンチェス=エストップは、つぎのように分析しています。

 「政治とは、身体の出会いが節合あるいは衝突へと転じたものであり、身体を欠いたまま政治的闘いに参入するのはばかげたことだ。ポデモスの戦略仮説では身体とその空間は不必要なものとされたが、これは15M とは正反対だ。15M の主たる特徴は、まさに、現場にしっかりと根差していたこと、互いに出会う身体たちのその物質性にこそあった。エレホン主義(イニゴ・エレホン、ポデモスを理論的に支えているといわれる指導的メンバー)が最初に行ったのは、ポデモス創設直後に物理的な出会いの場、誰もが政治に参加できる場、プロジェクトを現場に根付かせるための場として生まれた無数のサークルのそのネットワークを、「総書記」たちからなる寡頭集団による支配の下での官僚主義的機関のぼんやりとした広がりに変えてしまうということだった」

 15Mを担った人たちはその後地元に帰り、アサンブレア(地区評議会)で活動していました。ところがこのアサンブレアがポデモスの登場とともに、ポデモスのシルクロス(サークル)に再編されていった。そこまではまだよかったのですが、選挙に勝ちにいった段階でシルクロスの実質的な権力を認めなくなり、中央集権化していったのです。

 ポデモスと「社会民主主義」との関係についてはつぎのように言っています。

 「ポデモスがこの2度の総選挙で望んだのは、これまでPSOE(スペイン社会労働党)が占めてきた場をおのれのものにするということだったが、ポデモスはそれを身体なしにやろうとした。現場での節合なしに、物質的な権力ネットワークなしにやろうとしたのだ。〔…〕ポデモスは「社会民主主義」の名とその空間とをPSOE と争おうとしたのだが、その闘いは敗北に終わるほかなかった。社民の座を奪うのに成功しなかったというだけではない。それ以上の失敗をした。社民への信頼喪失が広く一般に浸透していたなかで、ポデモスが不用心にも社民に自己同一化したことによって、今日ではすでに死んでいる社民へのある種の信仰を復活させることになり、この信仰が死に瀕していたPSOE に新たな生を与えることになったのだ」

 面白い分析だと思います。PSOEには労働組合などの身体があります。ポデモスもシルクロスが身体として機能するはずだったのに、中央集権化しすぎたために身体が切り離されてしまった。身体のあるものを、身体のないものが横取りできるはずがないというわけですね。

●制度化、代表制なしに政治は不可能か

 3つめの「ニュイ・ドゥブー」については、フランスの経済学者、フレデリック・ロルドンを引いておきましょう。

 「左派を自称する現政権は、実際には、第五共和政下のどんな政権よりも右寄りの政策を行っている。〔…〕我々がいま目にしているのはフランス社会民主主義の歴史的崩壊だ」

 社会党出身のオランド大統領の政権をこのように評価しています。そのうえで、つぎのように言っています。僕自身はこの人の言っていることの善良な感じに興味をもてないところがあるのですが、引用を続けます。

 「マクロな規模においては、政治は何らかの制度化、何らかの代表制なしには不可能であると私自身は考えている。ニュイ・ドゥブーの総会にしても、たとえ運動自身がそうであると主張していても、純粋な水平性モデルに適ったものではやはりない。〔…〕真の問題は「制度の有無」あるいは「垂直か水平か」といった馬鹿げた二項対立にあるのではなく、どのように制度を組み立てるか、集団を組織している以上必然的に産み出されることになる垂直性をそれでもなおどのように制御するかという点にこそある。〔…〕実際にはけっして互いに矛盾しない二つの考え方を同時に維持する必要がある。第一に、マクロな規模(たとえば全国民規模)の集団のその制度形態は、レピュブリック広場規模で実験されたモデルのたんなる引き写しではあり得ない。しかし第二に、それでもなおニュイ・ドゥブーはそれ自身において、より大域的な規模で制度形態を考案する際にそのガイドとされるべき幾つかの一般原理を描き出している」

 「ニュイ・ドゥブーのような運動にできることは、政治状況全体のなかに、左派からの真の提案を導入するということだ。この提案は、導入に成功すれば、今日FN(国民戦線、反EU・移民排斥を掲げている)が唯一のオルタナティヴだと考えているすべての人々から実現可能だと思われるような新たなオルタナティヴとなるだろう」

 「今日では、要求が何らかの枠組において表現されても、その枠組自体は問われぬままに残されている。実際には、その枠組こそが要求の可能性(あるいは不可能性)を決定する条件となっているにもかかわらず。たとえば、最低賃金の引き上げ要求が成功するかどうかを考えるには、ネオリベラル的グローバル化の構造を問題にしなければならない。〔…〕枠組それ自体を作り直さなければならないのだ。枠組を作り直すことは何かを要求することと同じではない。〔…〕このプロセスは新憲法制定の次元にまで引き上げられ、よりいっそう広い射程をもつものとなる。枠組よりもさらにひとつ高い次元だ。〔…〕なぜそのようにほとんど非現実的な地平〔憲法制定議会創設の要求〕にまで身を投じなければならないのか。なぜなら、それが、さまざまな問題を国民議論の論題へとあげる方法だからである。エル=コムリ法(労働法改定法)がこの上なくはっきりと我々に示している通り、資本による社会の支配には問題があるということを公共空間においてしっかりと示す方法だからである」

 「『すべてを始めるためにはすべてを止めなければならない』と我々は言っている。憲法制定を可能にする条件が革命プロセスなのであるなら、運動はこの革命プロセスの始まりの創出を目指さなければならないということになるだろう。ニュイ・ドゥブーの特に素晴らしいスローガンのひとつは「諸闘争の合流」というものだ。我々はそれを実践しなければならない。若者、都市中心部の活動家、労組の労働者階級といったもののその合流を組織し、その上で、ゼネストへと向えるかどうかその可能性を検討しなければならない」

 要するにゼネストだ、と言っています。そして、すべてを止めることが現行諸制度の変革につながるためには、制度のメタ次元にある憲法制定議会創設を呼びかける必要があると言っている。左派が改憲反対の立場をとる日本とはまったく逆の主張になっているのが興味深いところです。

●浮遊する言葉、叛逆する身体

 ポデモスにふれた箇所で「ポデモスの戦略仮説では身体とその空間は不必要なものとされた」という分析を紹介しました。政権奪取が視野に入ってきたときに、ポデモスはより広範な層の支持を獲得しようと党を運動から切り離し、マスメディアを通じたシニフィアン(記号表現)操作による「政治」に移行した結果、現場に根差した身体の物質性を喪失したという指摘でした。これに関連して、日本でも言葉のレベルと身体のレベルの乖離が著しいという話をしたいと思います。

 たとえばアベノミクスというのは言葉のレベルではデフレ脱却です。デフレ脱却というのは、みんなが経済的に幸せになるという、ある種の社会的な言説です。それに対して身体のレベルでは、デフレ脱却などは最初から目指していない。なぜかというと、日銀がマネーを民間金融機関に出し、民間金融機関が市中にそのお金を出すのは貸付です。でも貸付をするためには銀行の側に利息がとれるという動機がいります。けれどもアベノミクスのもう一方の金融政策はゼロ金利です。そうすると金利が取れない。だからゼロ金利と量的緩和を合体させてやるというのは、要するに市中には金は流さなくてもいいということです。ではどこに流すのか。金融市場に流すのが一番良いに決まっています。誰だってそう判断する。だから、身体レベルではアベノミクスはまったくデフレ脱却など目指していません。でも言葉のレベルではそう言っている。

 言葉の上でなぜそう言うのでしょうか。「いつかはあなたのところにも恩恵が届きますから」ということで納得させるために言っているのでしょうか。昔だったらそうだったかもしれません。けれど「納得していないです。届いていないです」とテレビの中で繰り返されています。東大阪の町工場で聞きました。大田区蒲田の町工場で聞きました。あなたのところにアベノミクスの恩恵は来ていますか? 「まだ来ていません」と答えているけれど、町工場のおっさんはあとで来るとは思っていないと思う。だけど、来ましたかと聞かれるから「まだ来ていません」と言葉の上では答えているだけ。だれも来るなんて思っていません。

 金融政策は身体のレベルでは最初からデフレ脱却なんて少しも目指していない。それなのにリフレ派(緩慢なインフレの継続により、経済成長を図ることができるとするマクロ経済学理論を提唱する)と呼ばれる経済学者までまわりに集めて、デフレ脱却をしますと口では言うし、学者にも言わせる。なぜ言葉でそんなことを言うのかというと、昔の戦略だったら、人びとをどう納得させて、どう目くらましに合わせながら、違うことをやるかだったのです。しかしいまはそんなことで騙される人はいない。でもテレビの中ではみんなだまされた振りをしている。何のためか。それも金融マーケットのためです。金融マーケットの中で社会的な方策を打つというのはパフォーマティブなのです。そういう発言が株価を上げたり下げたりするのです。

 とにかく言っていることとやっていることは全然違います。アベノミクスにとってはそれで良いのです。失敗したという批判がありますが、言っていることを鵜呑みにすれば失敗したということになるのでしょうけれど、最初から言っているとおりのことをやろうとは思っていません。それどころか大成功なのです。最初からそんなに長続きするとは思っていないわけですから。まあ2、3年続いて、すごく潤った人たちがいたら、それで大成功なのです。

 運動についても、言葉で言われていることは、必ずしも身体レベルで起きていることではありません。だから身体レベルで起きていることも言葉にしておきましょうというのは、ある意味で「前衛」の役割だと思います。僕はそれをやらなければいけないと思っています。僕みたいに暇な人が気がついたら言う、そういう人がいた方がいいのではないかと思っています。

 この5年間の日本の運動を振り返っても、言葉のレベルと身体のレベルでは全然違うことが起きていると思います。話を簡単にするために原発再稼働反対と軍事化の問題に絞りますけれど、言葉のレベルでは基本的には、民主主義だと思います。原発再稼働反対運動でいちばん盛り上がったのは、野田首相が運動の代表者を官邸にまで呼んだ日本の近代史上まれにみる出来事です。にもかかわらず再稼働が決定された。参加する人数が増えたのはそこからです。民主主義の問題として増えたのです。

 軍事化、集団的自衛権も基本的には閣議決定です。武器輸出三原則も見直され、いまは防衛装備移転三原則というお手柔らかな名前に変わりましたけれども、これも閣議決定です。そんなことが閣議決定で良いわけがないというのが、いちばんみんなが怒っていることです。言葉のレベルでは、だから民主主義なのです。たとえば高橋源一郎がシールズの人たちと一緒に出した本でも「僕らの民主主義なんだぜ」という。そのほかの運動のまわりにいる学者たちもみんな民主主義です。

 だけどぜんぜん違うことが身体レベルでは起きていると僕は思います。どういうことかと言いますと、原発再稼働も軍事化も、ただ単に日本国内の資本を利するという政策ではない。それのみならず、労働にとっても非常に利益のある政策だと思います。その証拠に連合は、内容としては一度たりとも再稼働にも軍事化にも反対したことがありません。手続きに反対しているだけです。安倍首相のやり方は非民主主義的だと。国民の納得がまだ進んでいないと。けれども連合のどんな文章を読んでも、内容に反対したことは一度もありません。

 連合が自分のやるべきことをやっていないとか、そういうことではない。もちろん連合の中でも、日教組みたいな教員セクターは反対したりしています。けれど連合は産業セクターが中心で、800万人の組合員のほぼ90%が産業セクターの人だと思いますが、その人たちはデモにも来ないし、ゼネストをするわけでもない。なにもしない。連合は労働者の名において、2つの出来事には反対しなかった。それはとても理解できることです。やはり原発が止まってしまったら、動いている時ほどには産業が活性化しないのはたぶん本当です。原発がなくても大丈夫とよく言いますが、大丈夫という水準の問題があるにせよ、もっと日本の産業が発達するには、あるいは安定的に運営されるには、中東などの状況になんの影響も受けずに、安定的に電力を供給する原発があった方がいいに決まっています。

 軍事化ということも、日本の産業資本が斜陽化する中で、日本に武器以外にこれからまた新たに売れる物があるのか。自動車の販売台数が1台でも増えているのか。誰もが全てを持っている時代に、戦争もしないで、どうやって莫大な消費をもう一度ゼロから作るのか。戦争みたいなごみ箱がなければ、消費はもう活性化しません。

 いまはまだ日本ではあまり話題になりませんが、どうにか消費を維持するために、洗濯機などを500回までしか使えないようにしている。壊れるのではなくて500回までしか使えないように作っている。フランスなどでは洗濯機を買うときに何回までしか使えませんという説明を受けるらしいのです。そういう時代に消費自体がなっている。

 昔は、いろんな所に工場を移転しました。日本から製造工場を移転するのは、安価な労働力を求めてだとよく言われる。でもそれだけが理由ではない。まだなにか買いたい人たちが住んでいる所で、自分たちで作らせて、自分たちで買わせて、その差額を本国で横取りするというのが工場移転の基本的な発想です。買ってもらうというのが重要です。だから労働組合が組織されてしまったから、賃金が安くできなくなったからということだけが工場移転の理由ではなくて、消費のマーケットが飽和してしまうことも工場移転のすごく重要な理由になると思います。そういう意味でももう一段落してしまった。誰に何を売ったらいいのかまったくわからない状態です。トヨタだってもう、稼ぎは為替差益によるもので、クルマの台数が増えたわけではありません。

 そして、このことは単に資本の側の問題だけではなくて、労働の側の問題でもあります。原発も止めなければならないかもしれない。そんな中で三菱重工、日立、東芝、川崎重工、石川島播磨重工、あるいはNEC、富士通だとか、そういう連中はもう何もやることがない。そういう人たちがやることがなければ、雇用もない。下請け会社の雇用もない。だから連合が反対しないに決まっているのです。

●身体レベルですすむ新たな人民の形成

 ひるがえって、反対している人たちは何をしているのか。反対している人たちは労働者です。あるいはシールズも含めて、学生は労働者予備軍なのです。その人たちが、連合が賛成していることに反対しているのです。これはどういうことか。自分たちが自分たちの階級利益に反対しているわけです。これはすごいことだと思います。自分たちが自分たちの階級利益に反対するということは、要するに新たな階級の形成なのです。新たな人民の形成なのです。もう我々は雇用のない、雇用に頼らない生活に踏み出しますよと、我々は賃労働に頼らない生活に踏み出しますよ、それがどんなものだかはまったく分からないけれども、踏み出しますよと。それが、彼らがしていることなのです。

 民主主義がどうのこうのなどというのは言葉の話なのです。「僕らの民主主義なんだぜ」なんて、そんなことはいまの時代なんの問題でもありません。僕は民主主義に関して、フランコ・ベラルディさんと同じで、なんの期待もしていません。いま起きているのはもっと身体的なレベルの出来事です。たとえば原発事故をきっかけに東京を離れていった人たちがいます。なにか違う生活に入りたい。だからみんな行くのです。原発再稼働で雇用が守られなくたって私は生きていける。軍国化してくれなくても、それによって日本の産業資本がガタガタになって、私も、私の息子も、娘も、どこにも就職できなくても、我々は必ずや生きていけると、そういうことが身体のレベルで起きていることを見るべきなのです。 (文責・グローバリゼーション研究会)


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