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市民環境研究所から

豪雨の中の大文字送り火に思う

 京の夏の終わりの行事は五山の送り火である。昨夜も、連日の35度、36度、ときには38度という猛暑に疲れた人々が、送り火を境に秋の気配でも感じられるかと、夕方6時ごろから如意が岳が正面に見える鴨川・出町柳界隈に集まっていた。

 ところが、点火時刻の夜8時を待っていたかのように激しい雨が京都盆地を襲い、土砂降りの中で大文字、妙法、舟形、鳥居、左大文字へとなんとか五山の送り火は燃えたが、我が市民環境研究所付近からでも如意が岳の燃え盛る大文字は豪雨に霞んで見えなかった。これでは戻って来てくれた「お精霊さん」を見送り、あの世に帰って行ってもらえたかどうか。きっとこの世のひどさに呆れ果てて来年からは戻って来ないぞと思った御霊も、これではあの世に帰れないからこの世に止まって世を変える手助けと思わざるを得なかった御霊もあったのではなかろうか。

 それもそのはずである。敗戦記念の8月15日の全国戦没者追悼式でのアベ首相の式辞では「不戦の決意と加害の反省」に触れずに終わった。そして、翌日の朝日新聞夕刊は、「オバマ大統領が検討している核兵器の先制不使用政策について、安倍首相は北朝鮮に対する抑止力が弱体化するとアメリカ太平洋軍司令官に異議を伝えた」と報じた。その10日前の広島平和式典でアベは「71年前に広島及び長崎で起こった悲惨な経験を二度と繰り返させてはならない。そのための努力を絶え間なく積み重ねていくことは、今を生きる私たちの責任であります。唯一の戦争被爆国として、非核三原則を堅持しつつ、核兵器不拡散条約(NPT)体制の維持及び強化の重要性を訴えてまいります」と述べている。アベがいかに嘘つきか分かる。いつまでこの国の民はこんな首相を放置しておくのだろうか。北朝鮮がロケットを発射したと大騒ぎをして、それに乗せられた者達が戦争法を認めていくこの時代である。世界でロケットを発射しているのは北朝鮮だけなのか。日本は宇宙ロケットと呼んでロケットを発射しているではないか。それは平和のためだと強弁するだろうが、ちょっと変えれば兵器にもなるものだ。そして、中谷防衛大臣は、米軍の兵器運搬中に仮に核兵器と分かっても日本はアメリカのためにそれを運搬する、と国会で明言し、「非核三原則」を廃棄したではないか。中谷の後任の稲田朋美も「将来の核保有を否定しない」発言を続けている。もはや戦後の日本社会が大事にしてきた原則はすべて反故にされていく。

 戦後71年の今年、筆者も76才となった。戦争中の軍部の偽りの戦果放送も、敗戦の「玉音放送」も覚えている。琵琶湖西岸にあった少年航空兵養成基地を米軍戦闘機が攻撃する様を、小さな橋の下に隠れて眺めたことも覚えている。陸軍騎馬部隊基地から占領軍基地になった「饗庭野演習場」に、「オネストジョン」という名前のアメリカの核弾頭搭載地対地ロケットが運び込まれた日のことも覚えている。学徒出陣で呉の軍港で人間魚雷・回天の乗り組み訓練を受けていた兄が、夕焼けの中を我が家に戻って来た風景も覚えている。そんな自分が生きて来た戦後71年を踏みにじる「アベ政治を許さない」思いを強くした見えない送り火の夜だった。

(市民環境研究所代表 石田紀郎)


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