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ネパール・タライ平原の村から(59)

農村的なるものが減って都市的なものが増える

 去年、4つの行政村、ピトゥリ・カワソティ・シヴァマンディル・アガゥリ村が合併し、自治単位が村(村落開発委員会)から市(municipality)へと替わった地元カワソティ市。先月は、修復と拡張を繰り返していた、家の前の凸凹道が市の予算で舗装されました。5年前の道路拡張時は、妻の実家である隣家のマンゴーと、センダンやイピルイピル等の家畜用飼料木、それと誤って我が家の地中の水道管ごと、ブルドーザーでなぎ倒されました。それから、またすぐ、家の道路側に植えた飼料木は、生長したのですが、以前と比べて家畜用の有用樹より、鑑賞用の樹木を植える家が増えました。

 それから5年後。舗装道路になると、今度は水捌けが良すぎて、雨季の豪雨が軒先(家の前)に流れ込み、排水路がまだないため、水が溜まってしまいます。それで、妻の実家である隣家は近々、他の家と同じように軒先もコンクリートで固めてしまうとのことです。これまで軒先の床は、牛糞と赤土を水で混ぜ固め、主に米や麦を脱穀する作業場でした。が、機械化や農業離れで最近は、駐車スペースへと近辺では変わって来ています。以前からのバイクに、最近はスクーター、充電式のオートリキシャも登場し、交通量も増えて来ました。道路が舗装され、憧れの便利な都市生活者に、また一歩近づいた、そんな感じでもあります。

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 アサール月(6月中旬~7月中旬)の雨季となり、途中まで舗装された道を通って、田植え前の準備で、家と水田を往復する毎日。早朝は畔かきをしながら、裏作で植えた家畜用のトウモロコシと、その幹にツルを絡め、播種収穫期が重なるため、混植すると良いとされる品種のササゲ豆を採ったり、ゴマを刈って家に戻ります。

 日中は、陽当たりの良い道路に、シートや古着のサリーや腰巻、ベットシーツと何でも敷いて、ゴマを干します。ひっくり返したり、叩いて種実を落とし、蓑をふるって、ゴミ・塵を分けたり、雨が降りそうなら、慌てて撤収する、そんな細かい作業を繰り返します。

 そこで簡単な作業は、子どもらを使います。隣家の方で1年前、母親がマレーシア出稼ぎで預かった、親戚の子(写真手前)含め、3人の子どもに、学校が休みの期間、機械化されていないゴマの脱穀作業を一緒に。しかめた表情ですが、奮起してもらっております。

ゴマの脱穀作業
 猛暑の中、竹棒でゴマの枝を叩きながら、子ども同士で「おい!バッテリー不足か?(手が休んでいるぞという意味)」。「ディディにチャージしてもらえ!(ディディは、僕の妻で姉さんの意味で、姉さんにもっと働くよう叱ってもらえという意味)」。と、会話を交わしております。

 道路網より通信網が先を行くネパールでも、ケータイ・デジカメの時代はもう過ぎそうで、スマートフォンが流行り、子どもらが交わす冗談も、ポータブルなデジタル通信商品ネタです。

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 ともあれ、ここでは、子どもらが農作業を手伝うことを教育とか、意義ある体験として語ろうとはしません。あまりに当り前すぎて、誰も語ろうとしないのですが、そういうところが良いと思うのです。

 都市的なものがどんどん増える中、こういう農村的なるものも、まだまだここにはあると思うのです。

 (藤井牧人)

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