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難民とテロに揺れる欧州 -EUとは一体何ものなのか-

公開講座【地域と国家を考える】③


 「地域と国家を考える」公開講座では、現代世界の各地で生じつつある近代国民国家体制の崩壊過程を、その地域で社会を成し歴史を生きて来た人々の生活視点から把え、考えることをテーマにしてきました。第1回のウクライナ、第2回の中東・アラブに続いて、第3回目の今回はヨーロッパを取り上げました。

 イラク、シリア、リビアで今も続く内戦の結果、祖国を逃れヨーロッパをめざす難民の流入はEU諸国に大きな衝撃を与え、ISによるテロ攻撃の衝撃と重なって、ヨーロッパ全体が大きな激動を迎えています。“ヨーロッパの統合”という理念をかかげたEUとは一体何だったのかが根底から問われている今、ヨーロッパに生じている地域と国家をめぐる動きを、フランス思想史が専門の西谷修氏(立教大学大学院特任教授)に、フランスを中心としてお話しいただきました。(事務局)



世界戦争と文学

西谷修さん
 私の出身はフランス文学です。20世紀フランス文学でいちばん興味深いのは、文学と哲学の区別がなくなるようなところで書いた作家たちです。文学は言葉で人間の経験を表現するのですが、とんでもない経験があると、それに対しては新しい言葉を作りださないと表現できないし、伝えられない。それは反省的な思考についても同様です。

 20世紀のヨーロッパは、二度の世界戦争を経験し、二度目は完全な殲滅戦になりました。大都市を壊滅させる絨毯爆撃もありましたが、一人種その他を大量に殲滅するという作戦もありました。しかしこれは計算してみると大変なことです。100人殺すと死体が残る。始末しやすいように焼こうとするのですが、焼き場が足りない。一つの収容所に10基焼き場があったとしても、1回燃やすのに何時間もかかる。焼いたら灰は川に捨てればいいけれど、1000人を処理するというのはそれだけでも大変。そして何百万人もを2年半ぐらいでやる。間に合わなくなって、どうするかというと、生きている人間に穴を掘らせ、銃殺して次から次へと埋めていく。大量生産で物をつくるのと同じような発想と仕組みで、ガス室に入れるとか、並べておいて撃ち殺すとか。日本軍が南京大虐殺をできたのは、大きな川があったからでしょう。

 ドイツの強制収容所は何を作り出したのかというと、死を作り出すのです。すると死体という産業廃棄物ができてしまう。その処理をどうするのかということは、この頃から重要になってくる。リサイクルして、金歯を取るとか、あるいは髪の毛で絨毯をつくる、皮膚で電灯の傘をつくるとか。リサイクルというのはこの時から始まるのです。文明が進んで産業化した社会になって、オートメーションでいろいろなことができるようになった。そういうシステムを使ってこういうことが実現できる、というのをネガでやってしまったのが世界戦争の影の部分です。

 そういうことを経験した世代の人たちは、それをどのように表現したらいいのか、表現しうるのかを考えざるをえない。表現するというのは意味を与えるということでもありますから。文明が素晴らしいなどとはとても言っていられない。そういうところで焼却される、人間が死の原料になってしまうような状況を生きるというのはどういうことなのか。それを生き延びてしまったら、以後の世界をどう描いたらいいのか。それは表現の問題でもあるし、何より思想の問題でもあります。言葉がなくなってしまうような状況から再びやり始めるということで、20世紀中ごろの経験を潜った人たちの表現とか思想上の格闘というのは、人類の大遺産でしょう。それが私の専門です。そこから戦争のこと、歴史のことなどいろいろなことを考えていくうちに「テロとの戦争」にぶつかって、なかなかそういうことを大風呂敷を広げてやる人はいないものですから、いつの間にか「テロと戦争の専門家」みたいな、変なことになってしまいました。

 戦争やテロについて考えたり、論じたりしているのですが、そういうことが起こってきたのはヨーロッパからです。歴史では、第一次世界大戦、第二次世界大戦と言いますが、第一次世界大戦というのは主役も、主な戦場もヨーロッパです。それ以外のところは直接は関係がありません。だからヨーロッパの人たちは、Great War(大戦争)と言っていました。当時ヨーロッパは全世界の80%くらいを統治し、地球上を分割して植民地にしていた。だからヨーロッパ諸国が戦争するということは、実質的に世界が戦争になるということだったのです。あとはだいたい植民地だから、芋づる式に連なってくるだけ。この文字どおりのGreat Warが、あとになって整理して、World War、それもWorld War Iだということになった。

 第一次大戦を引き起こしたのは、ヨーロッパ諸国間のいわば格差問題です。先進国というか先にアジアやアフリカを植民地として取った国と、遅れてしまって取れなかったドイツなどとの争いなのですが、遅れていた国のほうが負けてしまったので、全然問題は解決されなかった。だから必ずもう一度あるというのは予見されていて、それも今度は双方とも準備してやる。それが二回目の戦争で、このときは実際世界中が戦争になりました。

 ただ空間的に世界中に戦場が広がっただけではなくて、哲学でいう「生活世界」(フッサール)というのが全部、戦争に動員されました。人間は自分の周りの、他の人とか、この部屋とか、この街とか、そういうもののなかに生活していて、地理的な広がりだけではなくて、自分たちの環境や生存条件をつくっている総体を生活世界としています。二回目の世界戦争のときには、この生活世界全部が戦争化したということです。そのことを別の言葉では「総動員」とか「総力戦体制」とか言いますね。何が「総」なのかというと、服を作る工場、食料を作るところ、郵便局やその他のサービス業など、社会の組織や活動の全部が戦争のために動員されていく。人間の生活世界全体が戦争化してしまったということです。「世界戦争」というのはそういうことを言います。人間の世界全体が戦争のなかに飲み込まれた。

ヨーロッパの近代とは

 そういう世界に導いたのは、他でもないヨーロッパです。ヨーロッパと言ってしまうとアメリカが抜けてしまうので、そこをどうフォローするのかはちょっと面倒な問題なのですが、今日の話に関係するところだけで言うと、アメリカも含めて「オクシデント」、その訳語が「西洋」です。アメリカは西洋の出先で、出奔した放蕩息子がやがて成長してケンカに強くなり、年取ったおじいちゃんおばあちゃんのヨーロッパを、俺が面倒みてやるからお前らは寝ていろ、みたいな感じで世界を領導するようになった。だから西洋の出世した放蕩息子がアメリカというわけです。

 西洋がこの世界の動き全体をつくってきた。今日の話のタイトルは「難民とテロに揺れる欧州 - EUとは何ものか」ということになっていますが、その前提で、ヨーロッパとはどういうところなのかを簡単に見てみると、まず15世紀くらいまではひどい田舎でした。熊と狼とせいぜいリス、ウサギくらいがいて、そういうものを食べていた。地中海の東側、アラブ・イスラム世界、あるいはインド、中国といった文明国からすると、野蛮な森と川だけの、作物もあまりとれない場所でした。とにかくみんな当時は表玄関の地中海に出たがった。地中海に出ると、アラブ、インドと貿易ができる。それでいろいろ豪勢なものを買い集めて、森のなかの城を飾ったりしていた。

 それがあるとき、地中海に面していないひとつの小さな国、ポルトガルが「俺が一番のキリスト教国だ、俺がインドに行く」と言って、アフリカ沿岸から南下して、どうにかしてインドに行こうとした。何とかそのめどが立った頃に、スペインにイタリアから思い込みの強い山師みたいな冒険家がやって来て、「いや、西に行ったらインドに行けるはずだから、俺に船団を付けてくれ」と言って、金を無心に来た。当時イスラーム勢力を追い出して気をよくしていたイザベラという女王が、「それでは、お前を援助しよう。ご祝儀だ」と言って、気まぐれでそのコロンブスというやつに船を4隻買い与えてやった。

 それでコロンブスは出航し、とうとうどこかに着いた。コロンブス本人は、インド周辺に着いたと思っていた。「北に陸があるようだが、そこは中国に違いない」と当人は思っていたわけです。けれども他の連中は「そんな訳はない、あれはまったく新しい、今まで知られていなかった大陸だ」と考えた。約30年後にマゼランがずっと周ってみたら、やはりその大陸の向こう側にもっと大きな海があり、それを越して進んだらやっとインドにたどりつき、地球一周ということになった(マゼランは途中で死にます)。

 ヨーロッパは、もともと地中海を中心にした世界の北側だったのですが、その時から、地中海ではなくて、大西洋を中心にして広大な世界が開けてきた。ポルトガルを蝶番にして、それまでは地中海が中心だったのが、大西洋中心に一度にひっくりかえり、ヨーロッパと地球大に広がった世界に目を開いたということです。

 そのときからヨーロッパは世界中に進出した。どこにでもつばをつけて、俺たちの領土だと宣言しました。その根拠は、ローマ法以外にはありません。ローマというのは、法律と土木工事で有名で、それで帝国を築いた。現代の世界の法律の原型になっているのはローマ法です。そのローマ法に、先占取得という、権利がどのように発生するのかという理論があった。先に手を付けた者が権利を持つということです。

 ローマ法にのっとり、先に手をつけたところが「これは自分の領土だ」と言って獲っていく。それで領有宣言したところに勝手に「アメリカ」などと名前を付けてしまう。でも、そこに住んでいる人は、そんなことは全然知らないわけです。いつのまにか「アメリカ人」というのがやってくる。アメリカ人とはなにかというと、あの大陸に名前をつけて、そこに住むようになった連中のことです。そういうことが世界中で展開されていく。そのように、15世紀末のコロンブス以後、16世紀から4~5世紀かかって、世界はヨーロッパ基準で形作られて、というより整形されていったのです。

 ヨーロッパが広がって今の世界を作ってきたのですが、そのおおもとのヨーロッパが今どうなっているのか。今日の話のテーマはEUと移民・難民でした。メディア、ジャーナリズムは特にそうですが、ヨーロッパとEUを混同して、EU、EUと言っています。でもあそこはヨーロッパであって、EUではない。EUというのは、新しく作られた機構・国家横断組織です。そして、ヨーロッパの現下の問題はなにかというと、まさにEUなのです。それと、移民・難民です。

 ヨーロッパはさきほど述べたように、そこから全世界に進出し、人や文物、制度などを送り出してきた。アフリカなどでは、手に入るところから人間を捕まえてきて、大陸から大陸への大規模移動、生きた人間の輸出入をやり、アメリカに送って増やしていった。ところが今度は、自分たちが進出して行った先から、人が逆流して大勢ヨーロッパに来るようになった。逆の流れができた。それですごくオタオタしている。そのふたつが問題なのです。EU、移民・難民というのが、ヨーロッパ社会を揺るがしている、あるいは変容を迫っているふたつの要因です。

 先ほど司会の方から、国家や地域がいろいろなところで問題になっている、と話していただきました。なぜ問題になっているかというと、まさにグローバル化ということによってです。ヨーロッパの問題を考えるときにグローバル化は前提となります。グローバル化が何を変えたのか。「人・物・金の国境を超えた自由な行き来」というのは表面的なことです。そこで言われていない大事なこと、それは世界で、統治のレベルが、政治から完全に経済に移ったということです。

ちょっと翻訳について

講演会の模様
 政治、経済という言葉についてですが、日本は昔から翻訳を操作して世論とか、一般的な社会の考えかたを方向付けていくということをやってきました。少し原理的な話になりますが、ヨーロッパが世界に進出していくときに、日本以外の国がどうしたかというと、だいたいは植民地になってしまうので、宗主国の言葉で話さないといけなくなる。特に高等教育は宗主国の言葉(英語、フランス語、スペイン語など)になる。フランスの植民地だったら、みんなフランスの概念を使い、フランスの基準でものを考えるようになるわけです。

 日本はどうしたかというと、西洋の言葉、概念を日本語で表現できるように、幕末から明治にかけて、日本語というものを大々的に作りなおした。私はふだん、翻訳語よりも、他に言葉があれば日常的な言葉を使うようにしていますが、それは単にやさしく分かってもらうためというようなことではなくて、翻訳語というのはそれ自体が違う働きをするので、意識して使わないといけないと思っているからです。

 とくにわれわれが学校に入ってから使う言葉の80%くらいは翻訳語です。「社会」という言葉も、「政治」という言葉も「国家」、「宗教」もみなそうです。政治的、思想的な言葉、学問で使っている言葉は全部翻訳語です。ヨーロッパで使われている言葉を、翻訳語を作って輸入して、すべて日本語で表現できるようにした。そのときに、いつも都合のいい日本語があるわけではないから、漢字を使って造語したのです。初めはなかなか通用しなくても、それでも20年もすればだいたい定着する。だから私たちは「社会」という言葉を使うことに何の抵抗もないのですが、はっきり言ってこれは翻訳語です。

 柳父章という人が『翻訳語成立事情』という本を岩波新書で出しています。40年ほど前の本ですが、翻訳の問題をきちんと考えて作業したのはこの人だけでしょう。例えば、われわれは小さいときに家で「からだ」ということばを覚えます。「たまには風呂に入って、からだをきれいにしなさい」とか「からだに気をつけなさい」とか言われるわけです。そのときに、おかあさん、おとうさんが「身体(シンタイ)を清潔に保ちなさい」とか「身体(シンタイ)に配慮しなさい」なんて言ったら、おかしい。われわれがまず覚えるのは「からだ」という言葉です。

 ところが小学校に入ったとたんに、「明日、身体検査やるから」と言われ、「先生、シンタイってなあに」と尋ねると、「『からだ』のことだよ」と言われ、「身体」という言葉を使うようになる。教科書で勉強するときにも「健全なる精神は健全なる肉体に宿る」「運動選手は身体機能がすぐれている」など、「身体」という言葉を使うようになる。

 でも「身体」ということばは、ヨーロッパのbodyとかcorpsという言葉を、日本語に翻訳する際に作った言葉です。そのときに、「からだ」ということばを充てるとなかなか西洋的概念にマッチしない。そこでbodyに「身体」という訳語を作ったのですが、たしかに「からだ」と「身体」というのは別の言葉としていまも使われます。もし同じだとしたら、今日まで残っているわけがない。われわれはいちいち考えないけれども、明らかに使い分けているのです。

 「身体」はヨーロッパ的な概念です。「からだ」はわれわれが日常的に感じているからだを指す。それは違います。医療現場などではそれが出てきてしまう。「身体」というのは、物であり機械であり、組み立てたり分解したりできる。近代の科学的医療というのはそういう了解の上に成り立っています。でも、われわれは日常経験のなかで、なんとかこの「からだ」とうまく付き合って生きていきたい。その「からだ」というのは、部品に分解できません。そういう意識を持って「からだ」を生きている。患者のほうとしては「俺のからだをなんとかしてくれ、物みたいに扱うなよ」と思うのだけれど、お医者さんのほうは「近代医学としては注射を打って麻痺させておいて、ばらばらにしてうまくつぎはぎしてやればあんたは元気になるんだ」と言ったりする。近代医学はそういう機械的な扱いを要求し、それで病気が治るとしているのですが、からだをそういうふうに扱われる側としては、機械の故障は治るかもしれないが、俺のからだは具合が悪いんだ、というふうになってしまう。だから医療現場ではすごく齟齬をきたすということになる。

 翻訳語の話をすると長くなりますが。本当に、ヨーロッパのこと、西洋のことを考えるときには、このずれというのをいつも意識しておかないといけない。物事の実情がわからなくなってしまいますから。

政治、経済とグローバル化について

 「政治」とは何なのか。英語ではpoliticsです。ポリスに関わることがらということです。ポリスというのは、古代ギリシアで、ひとつの町が国であるような単位ですね。「経済」とはなにか。economicsといって、これはヨーロッパでも昔と近代では大きく意味が変わっているので、ちょっと面倒ですが、ごく簡単に言えば、もともとはオイコノミアという、ある部族とか家族、一族をどううまくやりくりしていくか、というart、術でもあり技でもある。それがeconomicsのもともとの意味です。

 politicsはポリスのことがらです。一族や家族が集まってできた集団で、その集まったレベル、つまりポリスで問題になることを処理する、それがpoliticsです。いろいろな家族がいるけれども、その利害の調整をどうするか、なにか事業をやるときにみんなでどうするか、決まりをどうするか。あるいは他のポリスとの関係をどうするか、ケンカするのかどうかとか、それがpoliticsです。だから必ず境界がある。つまり、あるまとまりがあり、内と外があります。敵と味方、あるいは連携がある。境界があり、常に単位、ユニットができる。そのユニットを前提にpoliticsは成り立つのです。

 現在のわれわれにとっての経済とはどういうものか。politicsとは違って、まさにあらゆる境界を越えて展開するものです。通商は内でやっていても限度があります。外とやると広がる。境界を越えていくわけです。そのときにあらゆるもの、たとえば肉と着物が同じ尺度で取引される。ということは、地理的な境界が越えられるだけではなくて、物の質の違いも越えていきます。そうして、境界を越えて広がれば広がるほど活動が活発になる、というのが経済です。

 さて、世界戦争(第二次大戦)までは国ごとの対立があって、それ以後は世界が二大陣営に分かれて対立していました。対立の軸は、資本主義と社会主義ということでした。簡単にいえば、富の分配をどうするかという話です。資本主義というのは私的所有原理で金持ちがどんどん儲けて、富の生産や財の蓄積がうまくいけばいい、そこでみんなが競争するから全体的に効果があがる、というしくみです。もう一方は社会主義。この社会にそんなに富があるわけではない。だから、資源もできた物もみんなに行き渡るように、計画したり統制したりして合理的に分配していく、富は全体で管理するというやり方です。では双方で何を競っているのかというと、結局はそれぞれのシステムの経済効率を競っているわけです。どっちが豊かで進んだ社会になるかを競っている。それで結局、資本主義が勝ったということになりました。両者を隔てる壁が崩れたとき、民主主義の勝利などと言われましたが、それはデマゴギーです。社会主義が潰れてできたのは、一元的な自由市場、世界中が経済をベースにひとつの市場になったのです。そして、これがグローバリゼーションと言われるものの内実です。

 「グローバル化には政治的なグローバル化も、文化的なグローバル化もある」などと言われますが、それはおめでたい話です。グローバリゼーションというのは、もはや政治、つまりある領域の統治が問題なのではなくて、経済の原理がおおもとですべてを律するようになるという事態です。経済というのは広ければ広いほど活動が活発になる。規模がものを言います。鉛筆1本について特許料1円とする。市場の人口が1万人だったら、鉛筆をみんなが買って特許料収入は1万円です。しかし10億人だったら、同じ特許のあがりが1万円どころか10億円になります。このように、市場は広がれば広がるほど儲かります。その最大化がグローバリゼーション、つまり地球規模の拡大ということです。そこで自由に競争しろという。そうすると、その経済原理によって、ポリティクスというのは(それは枠を作りますから)邪魔扱いされるわけです。

 そのようにして、1980年代から、政治なんていらない、政府が介入すると経済の活動が抑えられて阻害されるから、できるだけ小さな政府がいいと言われるようになった。政策的になにかをしようとしたとき、たとえば介護施設を増やそうというときに、国がやると非効率だと言われる。民営化して、競争させて、生き残るのにやらせればいいのだと。そうするとろくな介護施設はできない。利益を上げようとするから、介護士の賃金は抑えられ、設備もいい加減、年寄りの面倒もろくに看られないような施設ばかりになる。ひどい場合には、すさんだ介護士に年寄りが始末されたりする。

 ともかく、政治はいらないという話になります。市場がすべてを決めるから。今日はEUの話をするはずなのですが、たとえばEUのようなグループをつくったときに、それぞれの国は本当は自分の事情に合ったポリティクスをやらなければいけないのだけれど、それをやると域内の競争にとって不正だと言われる。他の国と同じようにしないと不公平だとして、各国に独自の政治をやらせないということになる。これがいまグローバル化のもとで、世界中で起こっていることです。

 日本の場合はアメリカの勢力圏だから、いまTPPが問題になっています。いまのアメリカの大統領候補はみんなTPPはダメだと言っていて、今後アメリカはどうなるか分からないけれど、日本の政府はTPPを推し進めようとしています。TPPによってなにが起こるかというと、TPPで決められた経済ルールが、いまわれわれの日本の国で行われている法律とか、さまざまな裁判のやり方に優先するようになります。それぞれの国のやりかたは許されなくなる。日本の政府はTPPに制約されてもはや今後、独自の経済政策などはできなくなる。ということは、主権を剥奪されるということです。

 これと比較すると分かりやすいのです。EUというものが何なのかというと、基本的にはヨーロッパ規模のTPPのような組織です。グローバル化にともない、ヨーロッパ域内全体の利益を確保しようという意図があるのでしょうが、それがヨーロッパ諸国に対してもつ意味というのは、TPPと同じようなものです。

 グローバル化によってなにが起こったかというと、いま言ったように、政治的なファクターがだんだん縮減されて、経済のルールがグローバル次元でものを言うようになる。では、それを動かしているのは何かというと、多国籍企業と投資家です。ウォール街とか、投資ファンドとか、メガ銀行とか、それらが見えない決定アクターになります。そして見えないままにグローバル経済のルールを決めていく。そのルールがそれぞれの国の手足を縛っていき、きみら政治なんかやらなくてもいい、いずれ市場が決定するのだから、というふうになっていく。

 政治の代表を選ばなければ、というような段になると、君たちは分かっていないね、と言われる。たとえばどこかの首長選挙でグローバル経済のルールに楯突くような人物が選ばれたりする。するとテレビではしたり顔のコメンテーターが、「こういう市長が登場しました。しかしその結果はやがて市場が判断するでしょう」とか解説するわけです。市場がすべてを決める王様だよと言っているのです。その市場の主要なアクターが多国籍企業や銀行だということです。

 政治というのは、先ほど言ったように地域性と切り離せないものです。地域で人がどうやって生きるかというのを、法制度をつくったり、人を差配したりしてやっていく、それが政治です。ところが今、経済によってそういう政治がなぎ倒されている。だから課題は「政治を立て直す」ということなのです。かつての社会主義と資本主義の対立だとか、フランス革命以降の右翼と左翼の対立だとかの図式がありましたが、もはやそんなものは関係ない。人びとの生活というのは、ある一定の広がりのなかで作っていかないといけない。グローバルな次元では成り立たないのです。グローバルというのは枠がないということなので、処置のしようがない。枠をつくる、地域がまとまると、そこには必ずポリティクスが必要になる。そのポリティクスを取り戻して、ここの生活、あそこの生活を作り直していくということをやらないと、世界中総崩れになってしまいます。

 グローバル経済でみんなが繁栄すればいいではないかと言われたりしますが、おっとどっこいで、生活の主体はわれわれ生きた人間、個人です。それをreal personといいます。現実の生きた人格です。ところが経済を動かしているアクターは何かというと、これはjuridical person、法人というやつです。日本語で「法人」というと、われわれはすぐ企業とかそういうものを思い浮かべるわけですが、向こうの言葉でいうと、juridicalという形容詞がつくpersonで、それが法律的には人格なのです。

 経済の領域では、経済のルールはすべて法規で決められます。われわれのように生きている具体的な人も、法人も、法律上の権利を持つから人格だ、というように同じように扱われる。juridical personもreal personも同等に扱われるのです。それは不当なのではないかとも思えますが、実は19世紀末のアメリカの連邦裁判所で、同等に扱え、差別はいけない!という判例ができて、それ以降その考えが世界の基準になっています。

 そうすると、法的な争いになったときに、ひとりひとりの人間は法人との闘いを避けられなくなる。そして法人のほうが圧倒的に強い。われわれはreal personなので、お金がなくなると生活できなくなるし、何も食べないと飢えて死にます。でもjuridical personはそんなことはない。うまくいかなくて破綻したら解散してしまえばいい。解散してどうなるかというと、消えてしまう。しかし権利を持っていた資本家、投資家はその法人から資本を引き上げて、また新しいjuridical personを作って活動しはじめる。法人と普通の生きた人というのはそれくらい違うわけです。けれども法律的には同じように扱われる。

 今のグローバル経済の主要なアクターは全て法人です。その法人に雇われて、法人の稼ぎのためにreal personは低賃金で働かされ、貧困に苦しむわけです。グローバルに経済が拡張して、いろいろな形で利益を複合的に生み出す自由なシステムになった、だからルールは自由にしよう、ということが主張されて、法人は「最も活躍できる」ようになるわけですが、その利益を享受できるのは法人だけ、あるいは投資家だということです。法人が栄えて、生きた人間は「万骨枯る」というのがグローバル経済の実情です。

 日本のいまのとんでもない政府は、「企業がいちばん活躍しやすい国にする」とか言っています。企業が活躍すればするほどreal personはどんどん職が不安定になり、給料は安くなり、若者は仕事を見つけられず、子どもは保育園に入れられなくなる。だからもう頭にきて、誰でもいいから殺してみたかった、みたいな社会になるわけです。

EUとは一体何ものなのか

 以上の話を踏まえると、EUというのはヨーロッパにとって何なのかというのがよく分かるでしょう。EUがどうしてできたかというと、実はフランスとドイツの歴史的な関係が重要です。

 フランスは19世紀の後半から、ずっといわば後進国のドイツに何度も国土を蹂躙され、負け続けてきました。しかしフランスにはフランスの誇りがあります。ナポレオンは、ロシアで失敗したけれども、ヨーロッパ中を征服して帝国をつくったではないか。フランスは革命以来の素晴らしい伝統があるのだ。それなのに、野蛮で熊しかいない、食べ物と言えばじゃがいもとソーセージしかないと蔑んでいたドイツに、普仏戦争で負け、第一次大戦で攻め込まれ、第二次大戦では最終的には戦勝国にはなるものの、完全に支配されていたわけです。フランスは北半分はドイツに占領され、南半分にはナチスと協力するビシー政府ができていた。戦後正統性を持つことになるのはイギリスに亡命していたドゴールの臨時政府です。最終的にそれがフランスを取り戻したということになっています。

 だからフランスはとにかく二度とドイツを危険な隣人にはしないようにした。ドイツには絶対に核を与えず、自分は核を持つ。両国をかすがいで留めて、反抗しないように囲いこんでいく。そのためにヨーロッパの復興の際に顕在共同体を組み、しだいにそれを強化しよとしてきました。

 その一方でフランスはアメリカからも独自性を保とうとしました。伝統的にアメリカは海賊とか、次男三男で居場所のない荒くれ者どもが作った国で、文化もなにもないだろうというので、アメリカも蔑視していました。しかしアメリカは強大になった。そのおかげで「解放」を助けてもらったりもしますが、イギリスとは違う。アメリカ依存にはなりたくないというので、アメリカとも距離をとりつつ、とにかくドイツを抑えこんでいく。NATОの集団安全保障という軍事面だけではなくて、二度とドイツが突出した国にならないように、EUを作ったのです。

 戦後のドイツをどう処理するかというときに、アメリカから最初に出たのはモーゲンソー・プランでした。これは、ドイツの工業地帯を全部潰す。基本的にドイツを農業国に変えしてまうというプランです。しかしこれをやるとドイツ人は恨んで、また厄介なことになりかねないと考えるチャーチルなどとの綱引きがあった。ところが第二次大戦が終わって、すぐに米ソの対立が顕在化し、ドイツは分割占領ということになり、ベルリンも分割される。そこで西半分を占領することになったアメリカは、米ソ対立の前線である西ドイツを援助して再工業化するために、マーシャル・プランに取り替えた。モーゲンソー・プランを引っ込めて、西ドイツの復興に投資したのです。復興したドイツはやがてまたアメリカ製品を買うようになるだろうと。このように、戦後ドイツの処理にはいろいろな思惑があったのです。

 フランスとしてはしかし、とにかく仏独の一帯をもう戦争ができないような状況に持っていく。まずは経済からということで、ヨーロッパ経済共同体、EECをつくり、次第に政治的統合にも進んでいこうとして、ある種の連邦のような形でやっていきたいという思惑もあった。しかし冷戦が終わると、東西ドイツが統一して巨大になった。そこでフランスは困ってしまった。フランスがいつまでも核を捨てない理由にはこのことがあります。だから今、核発電というか、核湯沸かし発電をやめられないのは、フランスと日本だけです。フランスはやらざるを得ないと思っている。

 ドイツが大きくなってしまったけれども、その東方にロシアの影響圏を脱したいいろいろな国がある。そこも含めて一大経済圏をつくるという方針をEUはとってきた。グローバル化のなかの一大市場ユニットですね。しかし政治統合ということはなかなかできません。ポリティクスとして、ある地域をまとめたユニットにしようとすると、そこの文化とか伝統とか土地の状況とか、あらゆるものが関係してくるから、簡単に人工的な統合はできない。

 政治的統合がだめだということは分かっているから、できるだけ経済統合を進めようとして、統一通貨、ユーロの導入ということになった。そうすると、浸透圧、つまり濃い食塩水と薄い食塩水を膜で隔てておくと、濃い食塩水のほうに水が集まってくるという現象がありますが、EU内部の国境が浸透膜のようになって、塩分の濃いドイツにお金が集まるようになってしまった。ユーロがいまや姿を変えたマルクのようになり、他の国がマルクを使っているという感じになってきた。それが今の状況で、ドイツが圧倒的な力を持ってしまっているのです。

 そこで他の国にどういう問題が出てくるかというと、周辺の国は全部ドイツにお金を吸い寄せられて、たとえばギリシャでは一番いい場所、海岸沿いとか遺跡の周辺とか、全部ドイツ人とロシア人が所有しているようです。優秀な産業は全部ドイツ資本に買われている。人間も職と待遇を求めてドイツに流出してしまう。すると、もうその地域が成り立っていかない。シェンゲン協定というのがあって、国境検査が廃止されて人は自由に行き来できますから、出稼ぎとか移住で、お金儲けができる人たちはドイツに集まってくる。これは域内移民といって、中東やアフリカからのものとは別の移民問題なのですが。

 ギリシアやイタリアのように周辺地域で国家財政が破綻するような状況になると、EUの中央銀行が介入してきて、ちゃんと借金を払えるようにしろ、公的支出を減らせ、身の丈に合った運営をしろ、と強い圧力をかけてくる。80年代に途上国支援ですごく評判の悪かった、世界銀行やIMFの構造調整というのと基本的に同じことです。誰がそれをやらせているかというと、諸国にお金を貸していることになっている、つまり債権者の、銀行、金融資本とか投資家のグループです、自分たちがお金を貸しているから。国なら貸し倒れはないだろうと、銀行は初めは甘いことを言って借りさせたのですね。その先は借りた方の地獄です。

 彼らのやりたい放題にさせているのはEU官僚です。EU官僚はEUの機構がうまくいけばいい、それが職務です。EU全体が財政均衡とか、いろいろなところで利権の構造ができているので、それをうまく機能させるため、EUのために働く。彼らはそれぞれの国に帰属しているわけではなくて、EUに帰属しています。そのようにしてそれぞれの国が締めあげられていく。その結果、地域経済というのはまったく成り立たなくなってしまう。

現在の政治状況は

 EU域内で効率的に分業しなさい、ということで、たとえばここは豚がいちばん安価に効率的に生産できるからここは豚をやれと。それが競争力のある商品だということですね。それで、よその豚生産は全部駆逐されてしまう。自由競争です。ここはトマト、ここでは自動車産業を有利な条件で誘致して、とか。昔からいろいろな野菜ができて、お金がなくてもそれなりに食べていけたようなところでも、みんなだめになってしまう。そこで必要なものを作っても、価格競争で勝てなくて、潰されてしまう。生活の基盤だとか社会の機能が全部市場に合わせて経済化されて、その土地に根ざしてとか、共同基盤の生活の上でみんなが生きていくという構造が崩されてしまうわけです。

 だから、問題の根深い周辺のところから、あるいはいろいろ伝統があってさまざまなことができるところから、新しい動きが出てくるわけです。それがギリシアのシリザであり、イタリアの五つ星運動であり、スペインのポデモスなどです。これらは基本的に地域運動だと言っていいでしょう。EUの経済統合が破壊した、地域の生活基盤を取り戻そう、あるいは編み直そうとする運動です。新しい左翼の形とか、新しい市民運動だとか言われるが、そういう図式で見ない方がいい。

 グローバル化は、近代のいろいろな社会を規定してきた条件を全部崩してしまう。そして本当に人が共同で生きていく、その基礎のレベルまでブルドーザーがかかってきた。だからそこが戦線になるのです。いろいろなところで、ではどうしたら大きな資本とか、大きな機構に頼らずに生きていけるか、市場経済原理の全能に対して、どうやって人びとの生活を確保させる「政治」というものを取り戻すか、という動きが出てくる。それを共同で、地域的にやっていくということです。

 冷戦構造のイデオロギーを抱えたまま、時代遅れの政党がずっと残っていて、グローバル化に対応できないでいます。フランスの社会党などは、インターナショナル幻想がEUに重なって、EUを推進しようとしますが、そのためにかえって保守党以上にいわゆる新自由主義、ヨーロッパ合理主義になってしまいます。保守党にはむかしの領主とか名士とかの流れがあったりして、殿様気取りというのも一方ではありますが、地元意識とか地域の基盤についての感覚が残っていたりして、逆にまともな対応をする人たちがいる。

 現在の社会党政権はEU式の緊縮財政をやるし、雇用の自由化、つまり労働時間の制限を緩めたり、解雇をしやすくしたりとか、企業優先の政策を平気で採ります。だから党内から反発も出ますが、首相もネオリベ、鳴り物入りで入閣した今の財務相などはゴールドマン・サックス系列出身の人物だったりします。結局、銀行家にまかせている。アメリカがイラクと戦争をするというときに、保守党のドミニク・ド・ビルパンが首相だったのですが、国連で大演説をやり、アメリカはそんな戦争はやっちゃいかん、フランスは協力しないと言って最後まで反対しました。そんなことは社会党はできません。

 去年「テロ事件」が重なったけれども、オランドはそれまで支持率がすごく低かった。大統領宮殿のエリゼ宮から大型スクーターの後ろに愛人を乗せて帰ったというのがスクープされて話題になるくらいで、支持率20%くらいの低空飛行だった。そこで「テロ」が起こり、フランス自慢のヨーロッパで唯一の原子力空母、シャルル・ド・ゴールを地中海に出張らせて、艦上から「フランスは戦争をする」と演説したら、支持率が40%以上になった。年末の「テロ事件」でも戒厳令、正確に言うと緊急事態令を敷いて、「強い大統領」を演出している。これを最初三ヶ月延ばし、またこの間三ヶ月延長して、半年以上の非常事態です。それが社会党の大統領。それに対して、年末の非常事態宣言のときに、唯一、「戦争で対応してもこの問題は解決できない」と、テレビなどでもあらゆる攻撃に耐えて声を上げていたのは、保守党のドミニク・ド・ビルパンです。そういう状況です。

 ヨーロッパの現在の問題をお話しするつもりでしたが、現状のこまかい情報を並べるより、おおもとから状況を話したほうが事態が分かりやすくなるだろうということで、おおもとの話が少し長くなりました。このあたりで切り上げて、ご質問をお受けしたいと思います。

質疑応答

司会:どうもありがとうございました。基本的なところから話をいただきました。あとはみなさんから質問を出していただければと思います。

質問:グローバル化というか、市場経済にすれば秩序が乱れる。生物でもそうですが、ある膜で区切って、入力をコントロールしているからその中の秩序が維持できる。市場経済で、社会的価値を問わず、個人価値だけを取ったら、それは個人でも法人でも社会的価値と矛盾する。個々の個体にとって利益があることと、生物の種全体にとっての利益が矛盾することはたくさんあって、むしろ矛盾するほうが普通だと考えます。だとすれば、もっと本当はどうすればいいか、ということを出すべきなのではないか。特に問題なのは、環境を壊すことが自由にできてしまうこと。環境に対する制約を守らせるために、グローバルに統治をしないといけない。逆にいうと、経済のシステムを自由に選べるように地球政府が担保すべきだと考えているのですが、どうですか。

西谷:それは地球大魔王を待望するということですね。ちょっと私はその話には乗れません。世界政府のようなものができたら、とんでもない全体主義になると思う。

質問:これまで歴史的に、世界各地で暴力の結果としての民族大移動があった。今回についても、結果としてヨーロッパは民族移動で多様化するでしょうか。

西谷:ちょっとそうはいかない気がします。移民・難民ということで、とりわけ去年問題になったのは、100万人単位で、シリア・イラクからトルコ経由で海を渡ってきた。人口500万、あるいは2、3000万という小さな国にとって、何十万という移民が来てしまうというのは、それだけで大変なことです。

 しかし今回の原因は明らかなので、解決の方法はある。アメリカやEUは絶対にやりたがりませんが、「テロとの戦争」をやめることです。とにかくイラクにしろシリアにしろ、空爆なんかで生活空間を破壊するより、手の出し方を変えて、その地域に安定的な統治の素地ができるよう手伝うべきです。そこでみんな生活ができれば、誰もよそにはこない。どうせ排斥されるに決まっているのだから。自分たちの生まれ育ったところ、あるいはその近くで暮らしたいに決まっている。

 なぜそれができないかというと、イラクもシリアも、もう一切統治がされず、いつ爆弾が飛んで来るか分からない。水道とか生活のベースも壊れてしまっているし、学校は崩壊してしまっている。生きられる場所がないから、苦労して出てきてしまうわけです。

 シリアという国が、ヨーロッパ、西洋から見て、どんなに都合の悪い政権であったとしても、徐々に変えていくように圧力をかけるならまだしも、潰そうとして戦乱になってしまった。その戦乱が何年も続いている。その収拾に責任を持つのはEUとアメリカです。それをやらないといけない。ちゃんと面倒を見て、人が住めるような地域にしろ、ということです。時間はかかるかもしれないが、それをやらないと難民が来るのはどうしようもない。直近の難民についてはそういうことです。

 もう少し長期の難民については、フランスが主に悪いのですが、フランスはアフリカの何ヶ所かで戦争していて、内戦状態になっている。そこはもともとイスラム圏でしたが、それが過激化しています。ゴタゴタになり、秩序が立たないところがあって、そういうところでは暮らせないから、とにかくヨーロッパに行けば、という人たちが無理してサハラ砂漠を越えたり、海を渡ったりしてやってくる。

 今はリビアが完全に崩壊しています。南方からの難民の通過点にもなっているし、イスラム国やアルカイダの人材供給源、訓練基地にもなっています。リビアは無政府状態ですが、どうしてそういうことになったかというと、フランスが爆撃し、自分の都合の悪い政権を倒してしまったからです。そのあおりで難民がたくさん来ている。

 その前は、フランスの場合は19世紀の中頃から北アフリカを植民地にしていました。1962年に終ったアルジェリア戦争を最後にして、一帯は独立したのですが、高等教育をフランス語で受けた人材は、全部フランスへ行ってしまう。ベトナム戦争と同じですが、熾烈な独立戦争(フランスにとっては対テロ戦争)のすえに、資材も人材も収奪されたところがどうやって復興していくかというと、大変なことです。

 独立後も、軍事的な勢力と、ソ連が援助した社会主義的な勢力と、一番社会の基盤にあったムスリムの宗教勢力の利害対立が出てきて、はじめは一緒にやっていたけれども、いつのまにか暗殺の繰り返しになっていく。とうとう1990年代の10年間は、アルジェリアは血の海です。それは植民地支配のツケなのです。

 果てしのない混乱の中で、こんなことならフランスに行こうと、フランスに行けば差別されるのは避けられないけれど、しかし覚悟して移民してくるわけです。それで一生懸命いろいろな社会の下層の仕事をやって、ちょうどフランスも戦後復興の時期で安い労働力がいるというので、どんどん迎え入れたわけです。しかし、安い労働力として使うだけ使って、その後きちんとフランス国民として統合したかというと、ヨーロッパ内からの移民に比べてそうはならなかった。移民は貧しいまま、都市の周辺に集まって住むわけです。

 そこで生まれ育った子たちはというと、制度上、国籍はもらえますが、生まれたときからフランス人だといっても、成長するにつれて「こんなのウソだろ」みたいな現実ばかりに出会う。職がないから電話して応募すると、名前を言っただけでアルジェリア系だと分かってガチャンと切られるとか。

 物心つくころから、フランス社会は自分たちにとって壁だと、さんざん思い知らされて、グレたり、麻薬の密売をしたり、そういうふうにして成長した連中が吹き溜まる地域はほとんど警察も入れない。そういうところがフランス全土で100ヶ所以上あると言われています。去年のはじめ、シャルリーエブド事件が起きたあとで、メディアが調査しました。そのいくつかに警察、憲兵隊が踏み込んだのだけれど、だいたい麻薬の巣窟になっていたり、武器の密売の巣窟になっていたりします。行政的には見捨てられています。

 こういう状況になっているのは、移民政策の失敗です。統合するためには、本当はフランス人のスタンダードにしていかないとだめなのです。そういう体制をつくっていかないといけないのですが、やってこなかった。

 シャルリーエブド事件を起こしたクアシ兄弟は、知っていた人の証言を聞くと、ちょっと気の弱い、内気な優しい子たちだったのではないかと言われます。小さい時から孤児になって、十全に認められてきたことなど一度もない。お前らはクズだとか言われて、自己肯定なんてできたことがない。悪いのは自分だと思いながら生きてきた。パン屋に行くのもいつも他の人たちの後。あるとき、小さな女の子が親にパンを買ってこいと言われてきたのだけど、お金が足りなかった。そこで僕が払うからと言って、パンを持たせてやった。そういう子たちなのです。あと楽しみとしてはラップを聴く。多少友だちと麻薬くらいはやったかもしれないけれども。

 そういう子たちが「この世の中はおかしい、変えよう、アラーのために献身すればお前たちは天国に行ける」と言われて、本当に真面目にそう思ってしまった。他には日本にもいますけれども、もう筋金入りの、誰でもいいから殺してやるというのもいる。いろいろいるのだろうけれども、それがみんなアルカイダ系やイスラム国のコマンドになるのです。

 このままだと、中東からもアフリカからも難民の波は絶えない。どんなバリアがあっても、越えさせるだけの圧力があるから、越えてくる。そうすると、ヨーロッパはどんどんバリアを高めていく。今いる者を追い出すことはできないから、どうなるかというと、イスラエルのようになるでしょう。つまりゲットー化したり、分離壁をつくったり。ヨーロッパそのものが、自分たちが人権の名においてさんざん批判してきた南アフリカのようになります。

 そうすると、内部対立はさらに先鋭化します。潜在的な戦争状態になる。非常事態が恒常化することになる。今フランスでは社会党政権が非常事態宣言をしています。半年以上に伸ばすことが決まっていて、それが解けるかというと、ベルギーでまた事件が起こったし、さらにまた起こったりすれば、もう三ヶ月、半年と恒常化していく。

 さらにフランスの場合、国民戦線が政権を取る可能性がある。もしフランスで国民戦線が政権を取れば、思いのままにこの非常事態令を使うでしょう。それは潜在的な内戦状態です。これはすごく現実性が高い。もっと大局的に言うと、グローバル経済を回していくためには物をどんどん作らないといけないし、その防衛のために核は準備しておかなければならない、物は壊していかないといけない。あらゆる科学者が、ここ二、三十年のあいだに地球環境はめちゃくちゃになると言っています。そうすると今度は生き残り競争になります。きれいな空気を誰が吸えるか、誰が汚染水ではない水を確保できるかとか。それでヨーロッパは固まり、難民を排除します。そうするとそこでまた衝突が起こります。

 だから見通しはすごく暗いのです。そのくらい危機だということです。本当に西側は「テロとの戦争」をやめなくてはいけない。今の戦争状況を解除しないといけない。あらゆるところで平和構築の努力をしないといけない。

 平和も、生活の立て直しも、全部地域基盤、地域協働でないとできない。今日の講演の依頼は地域・アソシエーション研究所からいただきました。生協運動はだいたい地域的なものですが、これしかないのです。ここからいろいろなものを作って、組み上げていく。それを加速する必要がある。

質問:Great Warという話がありましたが、民族大移動がヨーロッパで第三次世界大戦の引き金を引くのかどうか。

西谷:「ナウシカ」の世界ですね。つまり核戦争後の世界。ナウシカもそうだけど、去年「マッドマックス4 怒りのデス・ロード」という映画がありました。あれは観ないとダメですよ(笑)。近未来映画です。地球は荒廃してしまい、巨大な地域権力を統合したイモーター・ジョンという首領がいるのですが、その権力基盤は水です。水を押さえているからみんなが従う。あとは石油を獲得するとか。全部砂漠で、壮烈なバトルになる(笑)。

質問:ヨーロッパに広がるイスラム嫌悪についてお伺いしたい。先日、鵜飼哲さんの講演会があって、フランスの中で相当イスラム嫌悪が広がっていて、しかも左翼のなかで分裂解体が起こっているという。僕らにとってイスラム嫌悪というのはちょっと実感が湧きにくい部分がある。フランスの左翼がなぜイスラム嫌悪に取り込まれて解体しつつあるのか、という点について解説をお願いします。

西谷:フランスの左翼はいい加減なんですよ(笑)。例えばヴィシー政権に協力したのはどこかというと、フランス社会党の前身です。フランソワ・ミッテランはパリのレジスタンスの中核にいたのですが、出身基盤は古い伝統的なカトリックの地域で、そこで出てくる社会主義のイメージというのは、普通の合理的な、理論的な社会主義とは違います。

 フランスの社会党が今のようになるのは、ミッテランが当選したときで、左翼合同によってできたのですが、アルジェリア戦争をいちばん熾烈にやったのは社会党です。それで、1958年に革命以後ではフランス史上最大数、2、3000人の犯罪者、テロリストが処刑されています。そのときの法務大臣がフランソワ・ミッテランです。社会党がアルジェリア戦争をやってきて、収めたのは結局、保守派をバックにしたド・ゴールだったのです。

 社会党のほうに流れている左翼を支えてきた人たちの中には、そのトラウマもある。結局それは、植民地の問題とか、植民地から独立した国と宗主国との問題であるはずなのですが、それを植民地支配のトラウマだと言いたくないがために、それを文化概念化して、彼らはムスリムだから、イスラムは違う、と正当化する傾向もあるのだと思います。左翼・右翼を通してです。

 移民問題の話をするときに、私はべつに宗教概念で話す必要はないと思っています。今日は一度もイスラムとか、ムスリムの話はしていません。でも基本的なことは全部伝えられます。それをイスラムの問題だとすると、なにかを正当化できてしまう。それが公共議論のなかですでにたくさん盛り込まれているから、いろいろ錯綜してしまう。

 基本的にはこの問題は、ヨーロッパ諸国と周辺諸国の植民地支配の歴史と、その後をフランスがどうやってコントロールしようとしてきたかという問題、それとグローバル化によって引き起こされる社会解体で全部説明はつきます。

 冷戦構造が解体したあとで、色分けするのにどうするかということで、そこで宗教の問題が出てきました。現実のいろいろな地域の活動というのはそうなっています。例えばパレスチナでPFLPとかPLOが信用を失ってしまって、オスロ合意になったときに、民衆のベースを支えるのはもうウンマ共同体しかないわけです。それでイスラム同胞団系統のハマスが出てきて、みんなそちらに流れる。

 ハマスが選挙に勝ったときに、西側がハマス政権を認めて、なんとか舵取りして、自分たちの要求も出しながら、ハマスの政権を穏健に育てていたら、こんなことにはならなかった。自由選挙で選ばれた政権を西側は認めなくて、パレスチナを雪隠詰めにしていく。そのときに、パレスチナ過激派だ、イスラムテロリストだという図式でやる。

 そうして宗教的要素が入ってきてしまいますが、それはある種のアイデンティティ・ポリティクスをどこがどう利用しているか、ということです。実際に殺し合いになると、押し付けられたものであれ、そのアイデンティティを引き受けてやらなくてはならないのです。

 イラクでもそうです。スンニ派がどうこう、シーア派がどうこうなどと言っていますが、1980年代までそういう言葉であそこの状況を分析したり記述したりすることはほとんどなかった。アメリカが湾岸戦争をやるとき、そしてイラクをどう処分するかという戦略をつくるときに、イギリスの統治を参考にしたのです。

 もともとイラクのあたりはイギリスの信託統治領で、ある部族の王を持ってきてヨルダンにする、そうすると安定するので、直接傀儡にすればいい。もうひとつはコントロールしにくいから、クルド人とスンナ派とシーア派をくっつけてひとつの国にしておけば、絶対にひとつにまとまれない。だからイギリスは調停役としていつでもコントロールできる。イラクはそうして作った国です。

 そのようなイギリスによる分割統治をアメリカは参考にし、ではこうしてクルド人を使ってけしかけて、分割させて統治すればいいだろうと。それ以降、抗争がクルドとスンニ派、シーア派の抗争ということになったのです。

 ただ、ご質問のフランスに戻れば、これはフランスだけでなく、ヨーロッパというのは抜き難くキリスト教的です。だからイスラムとはそりが悪い。これは、宗教とは何かということを考えてみないとわかりません。ヨーロッパは宗教から脱皮して近代になったと言われていますが、それ自体がきわめてキリスト教的な話なのに、ヨーロッパ人はその話が普遍的だと思い込んでいますから、無意識的に他の宗教文化を排除したり、あるいは逆に幻想をもって憧れたりします。

 シャルリーエブド紙を「言論の自由」の象徴にして、みんなが「私はシャルリー」とか書いて掲げて、それがフランス人だ、みたいなパフォーマンスがありましたが、そうすると、ムハンマドの顔を男性器の形に書いて笑わないとフランス人でない、みたいなことになります。ムスリム文化をもつ人びとにそれを平気で強要しようというのは何という無神経、と言わざるを得ません。フランスのイスラム嫌いというのは、そういうふうに本人たちには意識されない構造になっています。それは左派でも右派でも関係ないでしょう。

質問:保守派が宗教的なものを持ちだして物事を説明しようとするのは理解できます。そもそもそれとは違うところで世界観をつくってきた左翼がなぜ、というのが理解できない。

西谷:それは左翼に対する幻想ではないですか(笑)。左翼の一番の盲点は、宗教を否定し、宗教など持たないのがまともな人間だというのがひとつの信仰である、ということに気づかないこと。ソ連でレーニンのミイラを飾って、全国津々浦々から巡礼するとか。スターリンは大聖堂とか爆破していますが、レーニンを仏像以上に奉っている。

 人間のある集まり、地域でもそうですが、一緒に暮らすというときに、分かち合うやり方とか、ひとつになるためにこれを飾っておこうというものがやはり出てきてしまいます。別にみんな一緒になって抱き合わなくてもいいけれども、でも分かち合ってつながるという、何かは必要です。それは社会と人間のドグマ的構成というのですが、そういうものがあるということ。社会主義は近代の合理性を信頼しすぎているから、それがしばしば左翼の自己認識を曇らせていると思います。

質問:質問ではないのですが、アメリカの大統領選挙でトランプというのが出て、移民・難民の排撃をしている。最近はISに対して限定的な核を用いて殲滅せよなんて言い出している。ああいう人物が登場してくることの明確な根拠が分かりました。もうひとつは、トランプの言っていることを一番理解しているのはオランドなのではないかと。オランドとトランプは、本質的には変わらないのではないかという印象も、話を聞いて思いました。

西谷:私はトランプというのはまだ分からないというか、そんなに分かろうともしていないですけれど、いろいろ極端なことを言いますよね。限定核を使うとか聞くと、本当にこいつは無知なのか、あるいはどういう計算をして言っているのだろう、ということを考えてしまう。

 限定核なんて、ゲリラ戦のところで使えるわけがない。使ったら後が困る。トランプを賢い人間と見るか、とんでもないアホと見るかはいろいろありますが、ああいうのがアメリカの大統領に選ばれるということを異常だと思うのは、われわれの無知のせいだと思います。

 19世紀のあいだは、めちゃくちゃな人物ばかりが大統領になっています。リンカーンなんてまともなほうです。若いころから食い詰めてプロレスラーになったり、いろいろ苦労して勉強して大統領になった。私は彼はプロレスラーだったということで多少評価していますが、基本的にリンカーンがいい大統領だとは思っていない。そしてその後の大統領なんて本当にひどい。別にアメリカを統治するのに知性なんていらないのです(笑)。ブッシュだってそうです。ゴアみたいに、IQが異常に高いやつは大統領になれないのです。

 だからトランプが大統領になっても不思議はない。けれども、ひとついいのは、アメリカの大統領なんて偉いと思ったら大間違いだ、ということが世界中の人びとに示されてよく分かるようになるでしょう。とんでもない国だということを、世界中が確認できるわけです。それがひとつの利点です。

 トランプはとんでもないことを言っているけれども、アメリカの国家機構というのはすごく巨大で、オバマだって自分がやろうとしたことは全然できていない。最後にシリア、ウクライナに関してロシアと若干角の突き合わせを中止するというのと、イランとの国交回復、それとキューバです。

 これらは全部、ブッシュが作った「テロとの戦争」という路線とは違う方向に、表向きはアメリカの外交を持っていくというものです。結局これでキューバも自由市場の中に取り込まれるのではないか、という話にはなりますが、少なくともあの小さな国を半世紀以上、世界最大のアメリカが封じ込めるという異様な政治はやめさせられた。

 オバマは結局それくらいしかできなかった。「テロとの戦争」はやめると言いながら、せっかくビンラディンの首はとったのに、続けざるをえなくて、ドローンというとんでもないもので戦争を続けるということをやってしまった。このようにアメリカ国家の動きを変えるというのは、ひとりの大統領が簡単にできることではない。トランプが何を言っても、極端なことはできないだろうと思います。日本については、「駐留米軍なんてとんでもない、日本人に防衛させろ」と言って、海兵隊を全部引き上げるという。これはいいことかもしれない(笑)。ただ裏目に出るととんでもないことになりますが。

 トランプがオランドと同じかどうかはわかりません。オランドはあんなにアクが強くないし、何より人気がありませんから。

質問:トランプにしてもクリントンにしても、彼らがイスラム、アラブにどう対応するかということで、日本の姿勢が変わってくると思う。イラク戦争のときもそうだった。日本はアメリカの提灯持ちですから、イスラム関係に首を突っ込むと、この国に一発なにか起こると大パニックになると思います。収拾がつかなくなってくる。

西谷:日本に「イスラムテロ」が起こるかどうかという話ですが、日本まで来ていろいろやるというのはすごく大変なことです。ベルギー、フランスではできるのです。みんなフランスに住んでいたり、フランス生まれ、ベルギー生まれだったりするから、地の利とか、状況がよく分かっている。シリアから金や武器を持ってくるのも割合簡単にできる。仲間が住んでいる街がある。日本はそういう地理的な条件がありません。だからここまで来てやるのは大変です。そう簡単にこちらに飛び火することはないと思います。それと、今たまたま日本の政府がアメリカの腰巾着で、「テロとの戦争」に介入していくという状況だけれども、それでも日本が反イスラムになるという歴史的条件はほんとうはまったくないでしょう。

司会:時間が過ぎました。ここらで締めたいと思います。簡単な解決策、展望がすぐ出てくるというような時代状況ではないというのは分かった上で、今日はいろいろお話を伺いました。どうもありがとうございました。


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