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アソシ研リレーエッセイ


“農的くらし”から見えてくる希望


 橋下現象の議論を聞いていて「おおさか維新の会が言ってることは、行政府を株式会社化する、ということだけだ」という見方がわかりやすかった。 多数の人々が、株式会社のルールを尊重して働き、暮らしている。社長のトップダウンで、全員が動けば、効率がよく、儲かる。だから、自分の給料・ 手当が上がる、自分の暮らしが成り立つ、普通、そう考える。会社の従業員が、「維新」の主張に同意する根拠の第一がこれだ。また当然のことだが 「維新」の主張は、社長とその側近には会社の大小を問わず受け入れやすい。商店主、農業経営者も自分の抱えている状況が厳しい分、役所に厳しさを 求める。
 だからこの人たちの「維新」容認の認識を崩すのは容易でない、と思う。対抗軸はどうすれば生まれるか、その議論がポイントだ。労働者としては、 職場民主主義とは?が第一義的だが、全人格的には、守るべき暮らしとは何か?“豊かさとは何か?”の問いかけだろう。これは、どの階級に属してい ても求められる現代日本の「共通言語」だ。
 “農的くらし”という授業を、大学パート労働者として8年間、教えてきた。ここで年30回、学生たちと語り合い、一緒に畑をして、料理をする。 授業のキャッチコピーは「“自分で作って、自分で食べる”と新しい世界が見えてくる」。“農的くらし”から近代を超えて新たな文明を作るためのトレーニング道場という位置づけだ。20年近く生きてきた人生で“農的くらし”という言葉にたどりつき受講する学生は、近代主義批判の素質をすでに 持っている。だから、ディスカッションもレポートも私には面白い。
 西陣の織り屋の子が、“農的くらし”にであう。その娘の変貌ぶりをファミリー全員が感じている。なんか、しっかりしたなぁ、と父親がいう。なん で畑?会話が弾む。彼女はパン職人になる道を選ぶ。私は西陣織の文化継承を願い、いつの日か機を織ることを勧める。
 教員の子が入ってくる。半年くらいつきあうと、憲法9条を守るべしとなぜ、お父さんが言っていたかが、畑を通して「わかって」くる。おおらかな 畑でまっすぐ野菜と向き合うと、平和の意味が見えてくる。父をどう超える?と聞いてみる。
 陶芸家の息子が、土から生み出すのは陶器でも野菜でも同じこと、と言って入ってくる。その気づきはファミリーのなかに確実に広がっていく。戦争 法案に反対だが、俺はデモには行かない。陶器でそれを表現してみせる、という。そうだね、楽しみにしている、と答える。
 中国人と日本人のハーフの子が、お金がないのでおかずの足しに野菜、と入ってくる。野菜を育てているうちに、お金さえあれば好きなモノを買って 豊かになれる、と考えていたことが、間違いと気付く。中国人の母にそれを話す。お母さん、わかって欲しい。
 東京を出て田舎暮らしを選んだ両親に育てられた子が、入ってくる。当然だが両親の農的くらしに疑問がある。しかし1年間の最後に、私は5年先、 消費者として、10年先、生産者として“農的くらし”をしているだろう、と宣言する。両親は嬉しいだろうな。
 有機農業運動は世直しだから、学生運動としての有機農業もあり、だ。畑に行くのとシールズのデモ行くのと同じこと、という畑がしたい。“農的く らし”に人生をかける。東京のアグロエコロジー会議に夜行バスで行き、ネットカフェに泊まる。1年間の終わりに曾祖父が朝鮮半島から来た、と言い 本姓を名乗った。付け加えることはなかった。
 お金の仕組みに惑わない、腰のすわった若者が育っている。“農的くらし”という言語を通して、共通の世界がみえてくる。「なんだ、お金の仕組み はすでに、ボロボロと崩れだしてるじゃん」という気づきが世界を救うだろう。そしてファミリーにそれが伝達されるだろう。ファミリーは地域の中核 にいる。その気づきを共にできる場の仕掛け― 舞台づくりを「運動」という。労働運動、農民運動、環境運動、科学者運動、etc運動。自分の持ち場に根を張り、広い世界に目を配り、長期的な視野を持続する。そうすれば 希望がみえてくる、と考えて日々、爽快な汗をかく。

(本野一郎)

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