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原発事故5年の福島と高浜原発の地元から

摂丹百姓つなぎの会 主催 ー「なんでやろう勉強・交流会」ー


 関西よつ葉連絡会が届けている「よつ葉の地場野菜」の生産地域は、京都府南丹市日吉町、亀岡市東別院町、大阪府高槻市、能勢町の4地域です。これら4地域の約300戸ほどの農家が協同で出荷する野菜をよつ葉が供給する野菜の中心に位置づけて、地域丸ごとの関係づくりの基礎としたいと20年程前から始まりました。4地域には、それぞれの地域で農業にたずさわる多様な農家からの出荷を束ねる法人組織が生まれ、そこが中心となって、作付調整、栽培管理、品質管理等を話し合い、よつ葉の会員との交流を進めています。この4地域の連絡、協議の為につくられたのが、摂丹百姓つなぎの会です。

 5年前の福島原発の事故とその後の農家の苛酷な状況を知り、つなぎの会では、福島県の農家のお話を聞く機会をつくり、現地を視察するツアーを企画しました。更に、自分達の田畑が、福井県の若狭湾にずらっと並ぶ原発からどれほど近いのかを実感する福井原発発見ツアーを農家に呼びかけ、70名を超える農家が参加しました。そうした農家に呼びかけ、福井県知事への再稼働反対署名を集め県庁へ届けて、再稼働が行われないことを願って来たのです。

 そうした願いにもかかわらず、福井県の高浜原発が再稼働しました。何故、地元で反対の声は大きくならないのか。事故から5年をすぎて、福島県の農家の現状はどう変わったのか、変わらないのか。そうした思いで、つなぎの会では、4地域の出荷農家に呼びかけ、学習会を行うことを決めました。会場は4地域の中で一番若狭に近い京都府南丹市日吉町。講師として、福島市と福井県高浜町から御二人にお願いし、2月13日に60名の参加で行われました。以下は、その学習会での御二人の講師の発言要旨と質疑応答の報告です。
(津田道夫)


司会:まずお一人目、福島から「福島わかば会」事務局長の佐藤泉さんにお越しいただきました。大地を守る会などに野菜・果物を出荷されています。福島の原発事故により生産・出荷に大きな影響を受けました。その経験を踏まえて、福島県の農家・農村の現状についてお話を伺います

佐藤:よろしくお願いします。私は、福島わかば会、みちのく野菜倶楽部、それからうもれ木の会という3グループの事務局をしています。大地を守る会さん、オイシックスさん、パルシステムさんなどとおつきあいをしています。3つのグループでのべ50人ほどの農家が参加しています。

 私のいる福島市は原発から北西に60キロで、福島県のちょうど真ん中の中通りに位置します。南の方には白河という町がありまして、北から南へ100キロほどの間に50軒ほどの農家が点在しています。

 原発事故があって、いちばん大変だったのは、葉物です。ちょうど3月、この時期、福島はまだ雪が多いので、露地野菜は3月下旬から4月上旬にかけて、茎立菜を出荷しますが、これが一番初めに出荷停止ということになりました。それから出荷停止の品目がどんどん増えて、ほとんど出荷できるものがなくなりました。出荷できるのはハウスの中のキュウリ、トマト、イチゴくらい。福島はもともと露地栽培が盛んで、葉物が3月から出てきて、4月、5月、そして6月からは露地きゅうりというサイクルでやっています。

 何も出荷できなくなって、みんな、何をしようにも、何も考えることができない。どうせ売れないのだから、何をやっても仕方がないという感じでした。どうせ廃棄するのに、手間をかけてもしようがない。今まで手塩にかけて、自分の子どもみたいに毎日毎日畑に行って、手をかけてきたのに、ほんとに何もできなかった。当時はそういう状況でした。

 原発事故から5年になりますが、いまだに風評被害で、買ってもらえない。東京の自然食品の店に出荷していたのですが、今もって1ケースも買ってもらえない。そこは東京のデパートに店を構えて販売していますが、福島のものを置いていると、デパートから「なんで福島のものを置いてるの」って言われるのだそうです。「だから、申し訳ないけど福島のものは置けない」ということです。

 福島の農家の売り上げはほとんどが、事故前の半分くらい、戻ってもまだ7割くらいだと思います。きゅうりなら一箱200円、300円は他の県より安い。

 大地を守る会さんは毎年消費者にアンケートをするそうですが、福島のものを買いますかと聞くと、今でも20%から25%の人は買わないと答えるそうです。残りの人も、いざ注文するときには、他の産地の物があれば、福島産は買ってもらえない。そういう現状です。 原発事故前は、ほとんど100%が特別栽培農産物ということで、出荷していました。しかし、消費者は農薬や肥料にもこだわりますが、放射能にも相当こだわるのです。まして小さい子どものいる人に関しては、買わないという人の割合が多くなるという話でした。

 私たちの取り組みについてですが、一品、一品、全部の畑の作物全部、出荷2週間前に放射能検査をしています。放射能が出てきたものはほとんどない。ゼロだと言っても「検査を適当にやってるんじゃないの」と言う消費者もいる。でもそれは消費者の問題ですから、私たちはやることをやるということで検査をしています。

 「安心・安全」ということを私たちは考えています。安全はわかった。数字を見ると、放射能検査でゼロなのだから。でも安心できない。それは、消費者と生産者の間で心が通っていないということです。だから、消費者の人たちが安心できるように、俺たちはこれから何をしなくてはいけないのかと、みんなで集まって考えています。消費者といかにつながるか、安心できる付き合いをしたいということで、大地を守る会さんなりパルシステムさんなり、何かの集まりがあると、とにかく東京に出向いて、安全だよと訴えて、また安心してもらえるように、説明をしています。

 とにかくリピーターが来るような作物を作ろう。おいしさを原点に、品種からもう一度考え直して、もう一回食べたいような作物を作って、消費者にアピールしようと努力しています。品種にこだわり、肥料にこだわり、ここ2、3年はがんばって作物作りをやっています。

 とにかく放射能汚染の問題は消費者の判断に任せるしかない。私たちはできることはやっています。私も何回も店に足を運んでいますが、福島と書いているだけで「、なんで出してんの」って言われました。きゅうりを売っていたお店の人に聞いてみると、千葉とか埼玉とか地元のものなら、たとえ半分しか売れなくても、「しょうがない」と思うだけだけれど、福島のものだと、「福島だから売れないのかな」と思ってしまう。それで仕入れできなくなるというお話でした。

 野菜はこういう状況ですが、果樹の方は皮剥ぎや高圧洗浄をします。あれを当初、3月から次の年の冬までには全部の作業をするということで、福島県のほとんどの農家が皮剥ぎをしました。皮剥ぎに関して、作物に対してかわいそうだな、何も悪いことしてないのにこんな目にあって、ということをつくづく感じました。 原発から30キロ圏内はまだ入れませんが、今年あたりからぼちぼち入れる町もあります。しかし、ほとんどの人は帰らない。それは、自宅まわりしか除染しないからなのです。山はほとんど除染していない。畑を除染しても、半年位したらまた元に戻る。放射能が、山とか除染していないところから来るのです。お年を召した方は帰るけれども、子どものいる方は帰らないという現状です。福島県の人口は200万人ほどですが、10万人がまだ帰ってきていません。

 うちで働いていた運転手も、ひとり小学校に上がる子どもがいて、すぐに埼玉まで避難しました。京都に引っ越した人もいます。それまで梨作りをしていたのですが、会社に入って、もう帰りたくないという現状だそうです。やっぱり人それぞれで、安全だという人もいますし、安全じゃないという人もいます。それで夫婦喧嘩が絶えません。離婚する夫婦 もいます。肥料・農薬にこだわっていた農家で、自殺した例がいくつもあります。

 私たちは東京電力から補償をもらっています。震災前からいくら減収したか、減収した分の補償をもらっている。福島の農家は補償があるからやっていけますが、3割減、4割減で補償がなくなったらどうなるのか。補償がなくなったらつぶれるしかない、どこも引き取ってくれないのが現状ですから。

 これほど原発の影響が長引くとは思いませんでした。初めのうちはこんなにひどいとは思わなかった。とにかく原発事故で、いちばん大変なのは農家だと思います。消費者の皆さんが放射能汚染のあるものはいらないと言うのは当然だと思います。ただ、これがいつ終わるか全くわからないのが現状で、東電は原発が収束するまで40年かかるという。まだ5年しか経っていません。これからどうしたもんかなと考えています。

 福島では、原発に頼らないで、自分たちでまかなえるものはまかなおうということで、太陽光発電などに、補助をもらいながら取り組んでいます。一軒一軒、パネルを屋根に上げて、自分が使う電気は自分で作ろうと、いま福島県は頑張っています。東北のみなさん、同じ考えだと思います。

 以上、私の方から、福島県の現状をお伝えしました。買ってもらえないのです。これが現状です。他の原発立地の地元が、福島と同じようにならなければいいなと思います。原発は動かさないのが一番だと思います。 司会:続きまして、福井県から「ふるさとを守る高浜・おおいの会」の東山幸弘さんにお願いします。東山さんは福井県高浜町の生まれで、大阪府熊取町の京大原子炉実験所に勤め、原子炉の安全性を信じて仕事に打ち込んできました。2009年に定年退職後Uターンして農業に就いています。2011年の原発事故で考えが大きく変わりました。2014年から地元で原発の危険性を訴え続ける中、地元の原発反対がなぜ大きくならないのか、そのあたりの現状をお話しいただきたいと思います。 東山:京都大学の実験所は研究用の原子炉でして、同じように原子炉はありますけれども発電はしていません。原子炉でウランが核分裂すると熱と中性子が出ますが、研究用の原子炉では核分裂した時の中性子を使って研究をします。原発は中性子は閉じ込めて熱だけを使う。原理は同じですが、使う目的が違いますので、大きさも構造も違います。

 その実験所で技術職員として40年ほど働き、原子炉についての基礎的なことは勉強することができました。福島の事故が起きた後、原発は怖いものだということで多くの人が勉強されてきましたけれども、幸いにして私は一から勉強する必要はなかった。私は研究者ではありませんので理論的な詳しいことはわからないことも多いですけれども、携わっていたということで、私にわかる範囲のことはお話ししたいと思います。

 まずは若狭の原発の概要をお伝えします。月刊誌「DAYSJAPAN」2014年1月号に、原発の避難についての特集が組まれ、若狭の原発について私も書きました。その時に掲載された地図です。左から高浜原発、大飯原発、美浜原発、敦賀原発があり、敦賀原発と美浜原発の間に「もんじゅ」があります。斜線は活断層を示しています。敦賀周辺に活断層が多いことは有名です。活断層に由来する地震が起きれば、ほんとうに心配です。

 高浜原発から説明しますと、高浜町は全域が高浜原発の10キロ圏内になります。5キロ圏内は一昨年、安定ヨウ素剤が配られました。高浜町1万1000人の7割くらいの人に配られました。大飯原発についても5キロ圏内に配られましたが、そんなに多くの人ではありません。

 安定ヨウ素剤は事故が起きた時に放射能を防ぎます。事故が起きると放射性ヨウ素が排出され、これは甲状腺に取り込まれますので、それを防ぐために、放射能が漏れる前に飲んでおくと、放射性ヨウ素の被曝を防ぐことができるということです。どのような放射能でも防ぐというものではありませんので、それを飲めば大丈夫ということではありません。また、放射性ヨウ素が出る前に飲むと効果があるということですので、放射能が出てから飲んでも間に合わない。

 いちおう医師の問診を受けてそれぞれ配られましたが、特に高血圧の方が飲んでいる一部の薬とかち合うということはあるようですが、それ以外の方は問題がないとされています。本来は5キロ圏内だけでなく30キロ圏内すべてに配るべきではないかと思います。特に、甲状腺は成長ホルモンとの関係がありますので、小さい子どもは飲むべきかと思います。

 若狭の4基の原発の位置はだいたいこのような状況です。この中で敦賀原発1号は大阪万博に電気を送ったということで有名になりました。1970年に運転を開始しています。日本原電という、電力会社が出資した会社です。美浜、大飯、高浜は関電が所有しています。2番目に早かったのが関電の美浜1号です。1970年の11月ですから、万博に電力を送っています。美浜1、2号、高浜1、2号が作られ、それから美浜3号、大飯1、2号、高浜3、4号、大飯3、4号と続くのですが、40年を過ぎた小さい原発で敦賀1号、美浜1、2号は廃炉にすることが決まっています。高浜の3、4号は30年をすでに経過しています。いちばん新しい原発は大飯の3、4号ですが、福島事故以降で初めて再稼働するということで話題になりました。高浜3号は運転を始めており、4号については2月末から運転するということで進めているようです。大飯の3、4号が審査中です。高浜の1、2号、美浜の3号は40年を超える原発なのですが、これを動かそうということで関電は申請をしています。こんな古い原発をいつまで動かすのかという批判があります。

 高浜3、4号ではMOX燃料、ウランとプルトニウムの混合燃料を燃やします。九州の川内原発ではやっていないのですが、高浜でやります。

 原発の数は1970年から増えて、1990年代の前半まで、急激に増えています。1999年に東海村のJCO事故があり、それ以来ほぼ新規の原発は作られないという状況です。原発による発電量の最高は2006年、総電気出力で5000万kW弱という状況です。

   日本全体のエネルギーのグラフを見て下さい。どのようなエネルギーを使っているかということで、単に電気だけではありません。原子力が70年代からだんだん増えています。それから天然ガス。自然エネルギーは、ほとんどグラフには表れていません。石油は1960年代から急速に増えていて、1975年くらいがピークではないかと思います。石炭についても1950年代からわずかずつですが増えている。その下に水力、薪炭がずっと昔から使われているということがわかります。日本全体のエネルギー問題をどうするかという時に、本当に原子力に頼らないとできないのか。このグラフが示しているように、私は原子力がなくても大きな影響なくやっていけると思います。 それから、各地における2015年10月30日の放射能の測定値ですが、福島市で0.20μSv/h(マイクロシーベルト)。24時間365日をかけると1.75mSv (ミリシーベルト)になります。一般に日本人の年間被曝量は1mSvと法律で決められていますので、一時間当たり0.114μSv/hより高ければ法定基準を超えます。 ちなみに年間20mSvは職業人の基準です。自然放射能は0.03~0.05μSvくらいです。高くても0.1μSvです。0.05μSvを年に換算すると、0.4mSv。こういうことから年間1mSvと決められているわけです。福島県の新聞にはこういう放射能の数値が毎日書いてあります。

 しかしこれはガンマ線だけの数値です。放射線はアルファ線、ベータ線、ガンマ線があるのですが、アルファ線、ベータ線は簡単に測れません。ガンマ線は病院でのガンマ線治療で活用されたり、レントゲンのエックス線もガンマ線です。簡単な線量計で測れるのはガンマ線だけです。

 アルファ線、ベータ線は弱くて、体の外にあるときはそう問題はないのですが、体内に入り留まっていると、その周りの細胞が放射線でやられるということですので、内部被曝ということでは怖いです。ただ簡単に測れないし、それによってどういう影響が出るかということもなかなかわからない。すぐには症状が出ない。わからないことはないことにしようという国の方針ですので、どれだけ内部被曝したかということがなかなかわからない。

 例えば、セシウム。セシウム137は筋肉に取り込まれますので、取り込まれると周りの細胞がやられる。セシウムはガンマ線も出しますが、ベータ線も出します。ベータ線の影響で心筋梗塞とか、倦怠感などいろいろな症状が出ると言われています。一方で精神的なストレスのほうが大きいということも言われて、わからないことが多い。やはり、注意深く見てほしいと思います。

●質疑応答

Q:高浜町の隣町の美山町でほぼ20キロ圏内に住んでいて、日吉町のよつばホームデリバリーの配達員をしています。毎週水曜日に高浜へ配達に行きます。美山の地元の方は無関心というか、関心はあるんだろうけど様子を見るような状況で、地元で反対が大きくならないのはなぜかな、とすごく不思議に思います。

A:高浜原発では普段運転しているときは1000人以上の方がここで働いています。関電の職員もそれ以外の下請けの職員もいます。特に定期検査などがあると2000人、3000人が高浜原発に作業に入ります。高浜の人たち、特に若い人はずいぶん原発で働いています。私の近所の人で、常時原発に入っている人ではないのですが、何かの仕事でなかに入ったら、みんな知っている人ばっかりだったと言っていました。高浜だけではなくて、舞鶴から働きに来られる人も多いです。27号線から高浜原発に行く道路があるのですが、朝晩渋滞します。信号2回待ち、3回待ちということも多いです。それと関連して、高浜では民宿が多いです。昔は海水浴客が利用することが多かったのですが、原発に作業に入る人が民宿に泊まることも多く、当然関連する商店も多いです。商売上歓迎する人が多いので、なかなか反対だということを言えない。昔は批判的なことや、批判ではなくても疑問に思うということを言っただけで、大勢押しかけてきて、いわゆる吊るし上げにあうということもあったようです。そういうことで、原発のことについてはいっさい喋らないという状況で、原発について自分がどう思うかということは言えないです。私は名前を出して発言していますから大丈夫ですが、高浜の町、おおいの町で原発について日常的に喋ることはできません。そういう状況です。

Q:再稼働の週に、上空をジェット機が朝晩問わず飛んでいました。あれはなんでしょう。

A:ジェット機については知らないですが、再稼働の日は全国から反対の人たちが来られて、決起集会やデモをやりました。約600人、700人という参加者に対して、福井県警、愛知県警、石川県警からこれを上回る警備態勢が敷かれました。

Q:以前におおい町の原発に視察に行きましたが、原発に頼りきっているから、地域で産業も何もないという話を聞きました。これは、方針を転換して地域で地場産業が育つような方策を考えて、原発廃炉に向かうということをしないといけない。これは国の責任だと思います。例えば沖縄の軍事基地があるから沖縄は潤っているのだと、基地がなくなったら沖縄はやっていけないという宣伝もありましたが、実際に話を聞いてみたら基地がなくなったら商売もうまくいくということを聞きました。原発は方法として間違い、危険だと、話を聞いて思いました。

A:そうだと思うのですが、なかなか難しい。高浜町の財政で言いますと、原発関連の財源が年間50億円くらい入っています。町財政の約半分です。町の財政そのものが原発がなかったらどうするんだという状況もあります。財政を研究されている方に話を聞きますと、原発がなくても、地方行政がやるべきことは地方交付税がありますので、高浜町は電源三法の交付税がなくなれば、当然地方交付税が下りるわけで、決して原発がなくなったら財政が立ち行かなくなるということではないようです。しかし町の中には原発がなくなったらどうなるんだという心配をする人は多いです。

 やはり、石炭から石油に代わる時代、1960年代、九州、北海道で炭鉱を閉山したあとどうするのかというような政策に、20年、30年にわたって財源措置がありました。やはりそういうような財源を活用しながら新たな産業を起こしていくということでなければならないけれども、町内にはなかなかそういう話が伝わってこないので難しい面があります。

Q:高浜の原発については、規制委員会の審査自体が合理性を欠くという判決がありました。つい先日、年間1ミリという基準に根拠がないという大臣の発言がありました。原発の安全性や放射線の人体に対する影響については、わかっていない面もあるのかなと思います。高浜原発の燃料プールは数年で満タンになるとのことですが、使用済み燃料を再処理する計画は破綻していますから、安全性の問題もあるけれど、使用済み燃料を処分していく費用なども考えたら経済的にも問題だと思います。

A:高浜は新基準の審査が通ったのが昨年2月で、その後運転差し止めの仮処分判決がありまして、12月に新しく来た裁判官は、最初の判決をひっくり返して関電が言う通りの判決を出したわけです。原告の住民側もいろんな科学的根拠とかを準備したのですが、そういうことは無視して、関電が言うがままの判決文が書かれました。

 使用済み燃料については、高浜の使用済み燃料プールは数年すればいっぱいになります。日本では使用済み燃料を再処理してもう一度使うということで、青森県の六ヶ所村に再処理工場を作ったのですが、故障続きで稼働していません。しかし、関電は使用済み燃料について、国の政策ということでちゃんと答えていません。4年前も「探している」と答えていましたが、今日でも変わらずに「探している」という態度です。

Q:丹波市に住んでいます。となりの篠山市でヨウ素剤の配布が決まって、注目するようになったのですが、4原発の、特に10キロ圏内でのヨウ素剤の配布の状況はどうでしょうか。再稼働にあたって、避難計画がいちおう出されていますが、実際には実行不可能なところが多いと思うのですが、そのへんについて、住民の中での議論はどうなっていますか。

A:ヨウ素材の配布について、国の方針は5キロ圏内だけ配るということで、それに従って県・高浜町・おおい町は圏外の人への配付は頑強に拒んでいます。高浜町内でも5キロ圏外の人は、保管場所に取りに行ってから避難してくださいということになっています。おおい町、小浜市、舞鶴市にしても、5キロ圏内には配られましたけれども、それ以外の人は、ヨウ素剤の保管場所に取りに来てくださいということです。例外的に篠山市では関係の方のご努力で配られることになったと思います。本当はそれぞれの自治体が自主的に判断して配るべきではないかと思います。

 避難計画は30キロ圏内すべて自治体が作るようになったのですが、本当に計画通りに避難できるかどうかはわかりません。実際に避難訓練をして実証しないとわかりませんが、大規模な避難訓練はされておりません。高浜原発では、福井県側の避難者よりも京都府側の避難者の方が圧倒的に多いのです。避難訓練をしようと思ったら両府県で合同で実施しないと実証できませんが、それをなかなか実行しない。にもかかわらず再稼働だけは進めるということになっています。

Q:素朴な疑問なんですが、そもそもなぜ若狭地区に4つの原発を集めることになったのですか。

A:敦賀市は違うのですが、美浜・大飯・高浜は関西電力の配電下です。どこの原発も自分のところの配電下の場所に作ります。

 東電は自分のところの配電下に作ることができないので、福島とか新潟とかに作っています。東電の原発は1ワットも地元で消費しないという構造になっているわけです。

 関電も京都府や和歌山県で作るという動きもありましたが、実際にはできていない。それは、原発が建設された当時、若狭は言うならば保守的な地盤ですので、そういう地域性があったのではないかと思います。他所で出来なかったので、若狭に集中したのでしょう。

Q:東山さんにお尋ねしたいのですが、ずっと京大の実験所で、原子炉に関わってお仕事をされて、福島の原発事故がきっかけで原発の危険性を公に発言されるようになったのでしょうか。

A:私も関係する職場にいたわけですが、やはり原発には事故は起きないだろうという「安全神話」宣伝に支配されていました。もうひとつは、関西の電力の半分は若狭の原発で作られているという宣伝を関電はしていましたので、若狭の原発を全部止めたら関西の経済はやっていけないのではないかと、事故が起こる前は思っていました。そういう意味では原発の「必要神話」に侵されていたわけです。

 原発の安全は「三つの壁」で守られていると言われてきました。「止める、冷やす、閉じ込める」です。止めるというのは核分裂を止めて原子炉を停止する。冷やすというのは燃料を冷やす。閉じ込めるというのは放射能を閉じ込める構造になっているということが言われていて、それが安全を担保していると思っていたわけです。

 福島では、制御棒が入って原発を止めることはできましたが、冷やすことに失敗しました。原子炉を止めても核燃料は膨大な熱を持っているわけです。止めても7%くらいの熱量がある。冷やし続けないと、自然の温度にはならない。ですから、止めても冷やすことに失敗すればとんでもないことになる。燃料が溶けて、底が抜けてしまう。そういうことが現実に起こったわけで、こういうものはとても人間が制御できるものではないと思うわけです。

 原発の安全対策ということで、新基準を適用して原子炉を再稼働してもいいということになったのですが、原発の怖さというのは一般の工場やプラントが事故を起こしたということと同じようには考えられない。福島では地震で外部電源が断たれ、非常用発電機が津波でダメになった。冷やす必要があるということで消防ポンプをつないだ。つないだけれども必要な所に水がかかっていたかはわからない。すごい放射能が出ていて見に行けない。対策を取っても確認ができない。こういう怖さというのは原発に特有のものです。

 「必要神話」については原発が止まって2年、夏も冬もやってきました。原発はいらないことを現実が実証したことになります。

Q:佐藤さんにお聞きします。果物の除染のことで、高圧洗浄や皮を剥ぐというのはどういうことか、具体的に教えて下さい。

A:梨の木なんかの古い皮がしわになっていますが、その間に放射能が入ってしまった。皮を剥ぐというのは、それをぜんぶ剥いで落としてしまうということ。高圧洗浄というのは、木に残った放射能を高圧水で洗い流す。放っておくと、幹の上の方の放射能が高いですから、雨が降ると、梨の上のいぼに放射能が残ってしまう。それを避けるために高圧洗浄と木の皮剥ぎをやっています。洗い流しても放射能はなくなりません。下に落ちるだけです。

Q:福島の農家さんは原発で辛酸をなめられて、もちろん消費者ともっと緊密につながって挽回していこうという、それ自体、農家として当然のことだと思うのですが、一方で、被害をもたらした元凶である東京電力やそれを支えてきた国に対して、連携して「これはおかしいのじゃないか」という動きが見えないような気がして、それはなぜだろうかと思います。何かそういう動きはあるのだろうか、あるいはそれが難しいのならばそれはなぜなのだろうかというところをお聞きできればと思います。

A:確かに、東電さんには何もやってもらえない。お金出すだけなのです。私たちが本当に困っていても何の手立てもしてもらえない。これはだめだ、あれはだめだと言うばかりです。ほとんど応援もしてくれない。ただ請求したらお金を出すというだけです。

 すごく困っていることがひとつあります。運転手がいない。東電が廃棄したものを運ぶために、トラックが何百台も走っている。それだけ他の荷物を運ぶ運転手がいなくて、みんな困っている。運送会社さんも、運転手がいないからといって、全然やってもらえない。働き手が全部東電のほうに取られている。お金がすごくいいのです。除染作業も一時間3000円です。木の皮を剥ぐのが2500円。うちらみたいな農家はリンゴでも梨でも800円とか850円とか。働き手が除染のほうに行ってるので、働き手がいない。福島は今「震災バブル」と言われている。そこに群がっている人たちにはバブルかもしれないけれど、取り残されている農家はすごくたいへんです。


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