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ネパー ル・タライ平原の村から(51)

水牛の 都合、人の都合

 日 中の炎天下、妻の実家である隣家の乳用水牛が、首につなぐ太い縄を残していなくなりました。わが家の乳用水牛と合わせ2頭飼うことで、年間通して 牛乳が搾れ、乾乳期をカバーしています。こういう考えから、乳用牛を2頭飼うことが、こちらでは理想とされています。隣家の乳用水牛は、発情した時に 種用水牛を飼う農家へ連れて行ってたのですが、なかなか妊娠しないのを機に、3か月前に買い替えました。今回、これまで4回出産したと聞いている、年 齢約7〜8歳の買い替えたところの乳用水牛が“脱走”しました。

 水牛の“脱走”は、これまで何度もありました。畑の中で子牛とばったり会ったことも。上あごと下あごを左右に動かし、反芻する表情がいつもより幸せ そうに見え、背後に小麦をなぎ倒した跡が見られました。幼少時から牛と接して来た妻の場合、こうした思い出話しはさらに豊富です。妻は、乾季の水田裏 作がなかった頃(80年代)、小学校から戻って来ると、飼っていた牛2〜3頭を連れ、水田を通り抜け、数キロ離れた河沿いのジャングルまで放牧に出る のが日課でした。ある日の道中、発情したメス牛がオス牛を探して突然走り出し、その牛を追いかかれば追いかける程、遠くへ行ってしまったとのことで す。行方がわからず、一日中探して家に戻ったところ、妻の母は全く心配しなかったそうです。案の定、夜中に牛は自分で戻って来ました。また、放牧中、 牛を忘れて友達と遊びに夢中になってしまい、牛がいなくなったこともあったそうです。見つからず、家に戻ったところ、先に牛が牛舎に戻っていて、「母 にひどく叱られた」とのこと。理由は、「家へ自分で戻って来た牛が、天日で乾かしていた菜種を食べ尽くしてしまった」ためと懐かしく語ったこともあり ます。現在、私達の地域では、暮らしの変容と共に、こうした放牧に出る人は非常に少なくなって来ました。
 対して、人口の少ない山岳部で牛飼いを生業とする親戚のカァカ(おじさんの意味)の場合、森の中で牛を放牧しています。放していても必ず、牛は塩を 求めて戻って来ます。数日戻って来ないことや、探しに出ることもありますが、同じ牛飼い仲間(それぞれテリトリーがある)に情報を伝達することで必ず 見つけることができるとのことです。
 妻やカァカに限らず、ネパールの農家であれば、必ず牛や水牛を飼っています。乳用水牛がいなくなった時も、どこへ探しに行けば良いか?水牛の習性か ら、周囲は皆、すぐに察しがついていました。「水が豊富なところ」か「生まれたところ」です。

 ところがいなくなった水牛、当てにしていたところに現れず、なかなか見つかりません。ようやく、その日の夕刻になって、これまで飼われていた家から 連絡が入り、見つけることができました。どうやら、一度も行ったことがない方向へ進み、泥水に浸り、町中を進み、国道を渡り、ずいぶん遠回りしなが ら、元々いた牛舎、生まれた床の匂いのするところへようやく辿り着いたみたいです。
 ここでの暮らしからは、ネパール農民が人の思い通りにならない、牛や水牛の都合とお付き合いして来たことがわかります。それは牛・水牛が、農家を潤 す存在であったからだと思うのです。


 (藤井牧人)

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