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アソシ 研リレーエッセイ

二 つの消化不良が示す「その先」

この間に生じた新たな安保法(戦争法)への反対運動について考えるとき、今年の初めに訪れた香港のことを想い出す。周知のように、香港では昨年の秋から冬にかけて、行政長 官選挙の制度変更に絡み、中国政府に対する抗議運動(通称「雨傘運動」)が大きく盛り上がりを見せた。その後の状況や運動の背景などを知りたくて 何人かに話を聞いたわけだが、一様に冷めた語り口だとの印象を受けた。
 逆に「なぜあなたは興味を持つのか?」と問われ、中国政府に対する香港社会の見方や香港の人々の政治的な意識に対する関心があり、さらに日本で は若者世代が政治的行動に立ち上がる機会がほとんどないので、その点についても興味を持ったからだ、と答えた。返ってきたのは、「香港とは違っ て、日本では政治的権利が制度として確立されているから」。あるいは「運動は何かきっかけがあれば起きる。その先を考えないとね」といった意見 だった。
 そのときは“そんなものなのかな?”と、いささか消化不良のまま呑み込んだが、いまになってみると同じような感慨を抱く。もちろん、「その先」 が見えているわけではないが、何らかの形で「その先」を準備しなければ、すべては運動の浮沈につれて振り出しに戻っていくしかない。状況は「一気 に変わる」が、逆方向へもまたしかり。
 ところで、私自身もこの間、限られた機会とはいえ戦争法案反対のデモや情宣活動に参加したが、その中で何とも言えない消化不良を感じることが あった。
 たしかに、安倍内閣は集団的自衛権行使を正当化するという暴挙を行った。それは、解釈改憲という姑息な手段を通じたという意味でも、また「55 年体制」以来続いてきた戦後日本の政治的な合意点を軽々と踏みにじったという意味でも暴挙というしかない。しかし、その暴挙を批判するあまり、こ れまでの状況を“相対的にマシだった”と描かざるを得ないのは、どうしたことか。
 憲法9条が思想的背景として「戦争の非合法化、非戦の制度化」という人類史の悲願が結実したものであることは明らかだとしても、沖縄に象徴され るように、それが字義通り具現化されてこなかったことも事実である。あるいは、1945年に至る侵略戦争の歴史を自己批判し、反省したはずの日本 の戦後史もまた、アジア民衆の側からすれば戦前との連続性の面から捉え返されてきた。そうした点を踏まえ、これまでの反戦運動では多くの場合、日 本の戦後は否定的に描かれてきたし、私もそのように捉えてきたつもりだった。
 ところが、現状の危険性を強調するためとはいえ、「これまで維持されてきた平和が危ない!」として、結果的に日米安保体制はもちろん、その下で なし崩し的に進められてきた海外派兵や軍備拡張などを不問に付すような論理構成になってしまいがちである。他ならぬ私自身がそうだ。残念ながら、 この消化不良は未だ解決されていない。恐らく「その先」が見えないことと深く関わる症状だろうと思う。                      

         

(鰍謔ツば農産・山口協)


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