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市民環境研究所から

カザフの 空を思いながら

戦争法案はNGO活動を困難にする



9月は雨天曇天の日々であったが10月に入ると晴天が続いている。5月と10月のほんの2,3日だけ中央アジアの空を思い出させる天気が京都にもある。湿度が40%以下 で、気温は20度ほど、空はどこまでも澄んで、雲は一つ二つが浮かんでいる。そんな日には20年余りも出かけているカザフスタンに無性に行きたく なる。カザフはイスラム教の国であるが、ゆるやかな、私流に云えばいいかげんなイスラムの国である。そんなカザフをはじめとした中央アジアの水環 境問題(アラル海干上がり問題)に関心を持って通い始めたのは、中央アジア諸国がまだソ連邦の一員であった年代からである。1991年にソ連邦が 崩壊し、中央アジアの5ケ国はそれぞれ独立し、その一国がカザフスタンである。イスラムの国、国名にスタンが付いていると危険な怖い国と思われが ちだが、カザフへ数十回行っている私が怖い目に出合ったことは一度もない。1999年に日本人技師がウズベク反政府系武装組織(ウズベキスタン・ イスラム運動)にキルギスで誘拐される事件が発生した。事件発生当日に私もキルギスに滞在しており、外務省から緊急帰国を要請されて帰国したので あるが、この事件には特に関心を持ち、その後の経過を注視していた。全員が無事に解放されたが、この事件がスタンの国は危険な国と思われるきっか けとなった。だが、この事件は日本人をターゲットにしたというよりも、出合い頭的遭遇によるものだった。
 しかし、2015年9月19日以降は日本人がターゲットとして狙われる事件が発生しても不思議ではない政治状況が生まれたように思える。安倍政 府の集団的自衛権容認という解釈改憲で憲法を否定する戦争法が提案され、議会制民主主義を破壊した国会運営により参議院で可決成立させられた。多 くの人々はこの暴挙の日を一生忘れないだろう。また、その1ケ月前の広島に原爆が投下された8月6日を前にして、戦争法のとんでもない正体が暴露 された。参議院特別委員会で、中谷防衛大臣は戦争法は「自衛隊による核兵器の輸送も法文上排除していない」と明言したのである。また後方支援活動 として核兵器を搭載した戦闘機や原子力潜水艦への給油活動ができることも認めたのである。戦後、日本がもっとも大事にしてきた非核三原則「核兵器 を持たず、作らず、持ち込ませず」を公然と破棄したのである。解釈改憲という暴挙に加えて被爆国として、それだけはやるまいと守ってきた非核三原 則をも踏みにじる戦争法は成立した。この戦争法は我々のような、海外でのNGO活動を困難にさせるものになるだろう。とくに、イスラム圏での活動 は困難になるであろうし、日本人は攻撃の目標にされるだろう。
 筆者のように現地に根付いた仕事が出来ていない者ではなく、現地の人々と生活を共にしながら活動をしている人々はどのように考えているのだろう と、アフガンで民間支援を30年続けているNGOペシャワール会の中村哲さんの発言を探してみた。テレビのインタビューに応じての彼の発言に接し たので要点を引用する。「政府にはできないがNGOにはできることも、集団的自衛権行使は我々の活動さえも駄目にしてしまう。駆けつけ警護なんか されると困ります。自衛隊には守ってほしくない。かえってよくないですね。これで日本は一時代が終わると思う。いい方向に行くのではなく破滅に向 かうと思う。戦争の後で何が残ったかと言うと、憎しみと破壊だけが残ったという現実の中で欧米人は外を歩けない。韓国人も。復興のために自衛隊を 送るとなれば私はまず引き揚げる。私だって家族はいるし死にたくない。アフガン戦争で日本が協力したことをアフガン人はみんな知っており、少なく とも制服・軍服を着た人が、自分の国土を踏みにじらなかったというこの一点で日本人に好感を持っている。日本人と言うだけで襲撃されターゲットに なることは今までなかった。しかし、それが現実に起きるということだ」と仰っている。
 現地の苦しい活動を半生かけてやって来られた方のことばだと思う。筆者もカザフの空をこれからも見に行きたい。そのためには、戦争法は発動させ てはならないし、廃止するための闘いを続けねばと思っている。「私達の決意」というHP(http://our-determination.jimdo.com/)もご覧下さい。

(市民環境研究所代表 石田紀郎)


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